サービスエリアから出ること10時間。徐々に東の空が白み、フロントガラスに反射する光が眩しくなった頃。
トラックは長閑な情景を感じさせる道路を順調に走っていた。
あれから俺とシズカは交互に休みながら運転し、サービスエリアからおよそ百数十キロほどの離れた道を進んでいる。
道路の両脇に見える景色は大都会のビル群を抜けだし、山間部の緑を延々と映し出していた。
車のライトだけを頼りに死体や事故車を避けてゆっくりと進んでいた夜と違い、日が昇ってからは進む速度が順調に上がっている
東京から離れるごとに道路にそれらの邪魔が減少しているのも一因にあるだろう。
助手席からはシズカの穏やかな寝息が聞こえてくる。
彼女とは数分前に運転を交代したが、余程疲れていたのかドアにもたれ掛かるようにして直ぐに寝入ってしまった。
運転しながら彼女の横顔を盗み見る。…ショッピングモールに住んでいた数か月を合わせても、寝顔を見るのは初めてだった。
(まぁ疲れてない筈がないよな。多少どこかで休憩しても、今日中には目的地までたどり着けるか…)
少し気が緩んだだけで、ハンドル操作は雑になり車が左右に揺れる。
俺にも疲れが現れているようだ。これ以上慣れない大型車を運転するのは事故発生の危険性があると判断し、トラックを高速道路の路肩に車を止める。
人間やその成れの果てがいる住宅街まで降りて民家を借りて休むよりも、こういった人通りのない場所で寝た方が安全だろう。
前後の一本道にゾンビの姿が見えないことを確認した俺は、運転席のシートを少し倒すとそのまま目を瞑る。
思った以上に寝入ってしまった俺がシズカから呆れ顔で起こされ、軽く説教を受けたのは数時間後の事だった。
「ついた…!」
午後六時。舗装が行き届いていないあぜ道の先に、木造の民家が建てられた自然を感じる区画に到着することができた。
ここが俺たちの目指していた開発中だった別荘地の入り口だろう。
駐車場にトラックを停めるが、その駐車スペースからは車体が大きくはみ出てしまっている。
まぁ取り締まる者もいないので大丈夫だ。
しかし、大型トラックが小さくない音を立てながら停車したというのに、一帯に住民の動きなどは確認はできなかった。
こちらがゾンビでない事を示すために、トラックから降りて民家の方へと大きく手を振ってみるが反応は返ってこない。
「誰もいないみたいね…いえ、隠れている可能性が無いとは限らないけど」
「窓から誰か覗いてるような様子もない…か」
駐車場から出てすぐの近場。湖のほとりにある木造二階建ての豪華な家のドアを拳で強くノックするが
物音ひとつ返ってこない。窓から見る家の中は閑散としていて、床や家具にはうっすらと埃の膜が積もっている。
少なくとも、この数か月間の内に人が住んでいたような生活の残滓は感じない。
「おーい、誰もいねぇなら窓割っちゃうぞー」
今度は一段とドアを強くノックするが返事は返ってこない。
これ以上は無駄だと判断した俺が手に持ったバールをそっと肩まで掲げる所を見て、シズカは窓ガラスに粘着テープを格子状に貼りつけていく。
「これは…なにしてるんだ?」
「こうするとガラスの破砕音とガラス片の飛散が避けられるわ、試すのは初めてだけど」
事前に調べたのか、デレビか何かで得た豆知識なのかはしらないが。シズカの知識量には感服せざるを得ない。
俺は貼り巡らされたテープ越し窓ガラスをバールの先端で数度小突いた後…バールを勢いよくスイングしてガラスに叩きつけた。
鉄とガラスの衝突音こそ鳴ったものの、大き破砕音は響かなかった。成功といって良いだろう。
飛び散らず、テープに貼りついたままとなっているガラス片を少しづつ取り除いていく。
開いた穴から中の様子を覗き見ると室内から埃くさい空気が一気に外へと噴き出し、ぼさっとしていた俺の顔面に直撃した。
「うぇっ……げほっ!ごほっ…!」
「何をしてるのよ…はい、これ使って」
呆れ顔をしながらシズカが渡してくれた水色のハンカチで口と鼻を覆い、窓枠を乗り越えて薄暗い室内へと侵入する。
靴を履いたまま床に足を着けるとギシッと木が軋み、粉々になったガラス片を踏み砕いたパキパキという鋭い音が室内に木霊した。
「ドアを開けて来るから玄関の方に回ってくれ、こっちから入るとケガするかもしれん」
「了解したわ」
暗いリビングの中央には毛布を取り払ったコタツ、キッチンは古き良き石造りのかまどだった。
こういった風情あるものを好む趣味人の別荘だったのだろうか、今の俺たちにとってはありがたい家だ。
俺はポケットから取り出した糸くずとかまどの近く置いてあったチャッカマンを使って火種をつくり、
キッチンの隅にあった薪を数本抜き取ると火にくべた。
火で明るくなった室内を見渡し、玄関へと向かいながら危険がないかを確認していく。
特に問題もなく辿り着いた玄関扉は、ドアノブの上部にサムターン錠が付いている古いタイプのものだ。
錠に力を込めながら半回転捻ると、固くなった鍵がガチャリと解錠される音が鳴った。
「あら、火でも炊いたの?」
間もなく扉を開いて入ってきたシズカは開口一番、出迎えた俺に対し不思議そうに質問する。
「おう、良い感じのかまどがあったからそれにな。あと、これ助かったぜ」
そう言ってハンカチを返す、こういう時に気障な男だと洗って返すとか言うんだろうが、俺はそこまで紳士じゃないんでな。
だが、彼女はそういった機微を気にする様子もなく、すぐに玄関の壁に設置された灰色の金属製キーボックスに目を移すと
「外からも施錠ができるように鍵を取り出さなきゃね」
と言ってガチャガチャと触り出した。見た感じボックスには施錠がされているようだ。
だが、なんらかの工具を使えば破壊可能だろうか?
俺は履きっぱなしだった靴を玄関で脱ぐと、念のためにシズカが入ってきた扉をしっかりと施錠し直した。
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一階のリビングや冷蔵庫をざっと調べ回ったが、どうやら食料品の類いなどは残されていないようだ。
別荘目的で建てられている家なので、食料備蓄などがほとんど見当たらないのは当然と言えば当然なのかもしれない。
「お、いいもんあるしゃねぇか」
キッチンの食器棚の下収納を物色していると、幸運なことに未開封のまま放置されたカップ麺が置きっぱなしになっている。
賞味期限は既に一年以上過ぎているが、乾麺なので食えないことはないだろう。
そうして宝探しをしていると、クローゼットを漁っていたシズカが何かを取り出して声を掛けてきた。
「見て、クローゼットにかなり服が残されているわ。それにこのコートなんて高級品、冬の防寒対策にもなるし使わせてもらいましょう」
彼女は上機嫌に報告をすると、早速コートを羽織ってみせる。クリーム色のダッフルコートはクールな印象の強い彼女によく似合っている。
大人びた振る舞いを普段からしているシズカが、服一つでここまではしゃぐという年頃の女性らしい部分を見せるのは珍しい。
だが、考えれば俺とは違い外を渡り歩いて世界の実情を身をもって体感してきたシズカは、この世界での生き方について先輩なのかもしれない。
俺がこんな世界でも楽しみを持つことは悪くない、と強くそう感じるのは…昨夜、初めて命の危機を経験したからこそなのだろう。
「何よ、ジロジロ見て……」
「あ、いや……そういう服も似合うなって思ってただけだ」
彼女は「お世辞」と一言言うと。すぐにコートをクローゼットに仕舞い、目も合わせずに二階へと足早に上がって行ってしまった。つれない奴だ。
二階には部屋が二つあり、片方はバカみたいに目立つキングサイズのベッドが部屋の中央にドカッと置かれた寝室。もう片方は住人の私物が残る書斎だった。
寝室に入り大きなベッドに手を置くと、今までショッピングモールで使用していた簡易なベッドとは比べ物にならない程のクッション性があり
ベットに敷かれた白いシーツは滑らかで肌触りの良さを感じる。
…ラブホみたいなベッドだと思ったが、それを正直に言えばシズカにデリカシーうんぬんと言われるので内緒だ。
「当分の間はこの家を拠点にできるな。十分な生活用品は揃ってるし電気に頼らない設備が揃っているのもありがたい」
「湖があるから水の心配が無いだけでも幸運ね。それに薪風呂もあったから湯舟にお湯を張れるし、衛生面も保証されているわ」
湯舟に入るというシズカの提案に俺は思わず生唾を飲み込んだ。日本人としては、その魅力が計り知れない。
「だが…何はともあれ、まずは掃除からだな」
ベッドから離した手にはびっしりと埃が付いていた。せっかく風呂に入ってもベッドがこれでは台無しだ。
俺は換気のために部屋の窓を全開にすると、勢いよくベッドシーツを取り払った。
「あっ…待って!」
「え?」
やらかしたと思った時には既に手遅れだった。その瞬間外から風が入り込みシーツに付着していた埃が室内を盛大に舞う。
「げっほ!げほっ……!ごほっ、ごほっ……!」
「ちょっ…こほっ!こほっ!な、なにやってるのよあなた……!」
二人して盛大に咳き込み苦しむ。我ながらなんてバカな真似をしているんだろうか。俺が何とか埃から逃れようと四苦八苦しているうちに
シズカはさっき貸してもらった水色のハンカチで顔を覆い、難を逃れている。
「もう!細かいところで適当なのよ!」
「ごほっ!あ~すまんすまん」
そんなことをしながら掃除を終わらせた頃にはとっぷりと深夜。
結局、今日の予定を諦めざるを得なかった俺たちはリビングのカーペットの上に転がって一夜を明かすことにしたのだった。