「んぁ………?」
翌朝、中途半端に補修された割れっぱなしの窓から差し込む日差しに目を覚ます。昨日傍で寝ていたはずシズカの姿が見えない。
寝ぼけ眼のまま立ち上がり、湖の方角にある出窓に近づくと外からジャブジャブと水の音が聞こえてくる。
カーテンを引くと湖のほとりでこちらに背を向けながらしゃがんでいるシズカの姿が見えた。
出窓を開けてすぐに置いてあったサンダルに足を通すと、後ろから彼女に近づくと木桶に水を張り、洗濯板を使って洗濯をしていた。
シズカの手には俺が昨日まで着ていたジャージが握られている。
「あら、おはよう」
「お~。俺の服まで悪いね」
俺は朝に弱い。まだ意識が覚醒し切っていない頭で考えた、どことなく間の抜けた台詞が口から飛び出す。
シズカはそんな俺を見てくすりと微笑んだ後、すぐに眉を吊り上げていつもの澄まし顔を作った。
「生活用水の問題こそ解決しているけど、洗剤みたいな日用品だって有限よ。無駄遣いはできないわ」
たしかに問題はまだまだ残っている。数か月程度なら困らない量の物資を持ってきたとは言え、結局それもいつかは尽きる。
この僻地から出さえすればコンビニ程度は見つかるだろうが、この国の復興に数年かかってしまうなら何れ原始的な生活に戻らざるを得なくなるだろう。
その時が来たらどこからか猟銃でも探してくるか…銃なんてエアガンしか触ったこともないけどな。
そう考えながら右手を顎に添えていると、俺のジャージを桶に沈めて水洗いしていたシズカは「だから」と言葉を付け加えた。
「だから、前以上にしっかりと家事分担を決めて生活する必要があるわ」
「………お前は嫁さんかよ」
俺が不意にそう答えると、べちゃっと音を立てて水浸しの俺の服が土の上に落下した。
顔を真っ赤にしながら、わなわなと肩を震わせているシズカに向かって俺は「服が汚れちゃったじゃねぇか」と不機嫌そうな声で呟いたのだった。
そんな俺の態度を見て明らかに不機嫌なり、屋根の上に引きこもってしまったシズカが元に戻るのに数時間を要したのは自業自得だろう。
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その日が傾きかけてきた時刻に。俺は火と向かい合うように折り畳み式のアウトドアチェアに腰掛けながら、持ち込んできた冷凍食品を焼いていた。
薪がパチパチと爆ぜる音を聞きながら、焚火で二本の串を炙る。
「何やってるの?」
「焚火だよ」
横合いから顔を出したシズカはそんなの見れば分かる、とでも言いたげな表情をしていた
彼女は俺の横に腰を下ろすと同じように焚火をぼんやりと眺め始めた。
「桜餅を焼いてるの…?めずらしい」
「ショッピングモールじゃ火を使うのは危なくて好きにできなかっただけだよ、割とこういうの好きなんだ」
始めは凍っていた桜餅だが、やがて表面がぷつぷつと泡立つと香ばしい匂いと桜の葉の香りが周囲に立ち込める。
こうした食事の時間が未だに若干距離のあるシズカとの関係性を縮める為のささやかなチャンスだと思った俺は
彼女にほんのり焼き目のついた桜餅の串を差し出した。
「ほれ、食うか?」
存外素直にそれを受け取ったシズカはしげしげと先端に付いた桜餅を見つめていたが、やがて一口齧ると「あちっ」と小さく声が漏らす。
もぐもぐと口を動かすシズカを見ながら、俺は自分の分の桜餅に齧りつく。
少し塩気の強い桜の葉の風味と、甘いあんこの味が口に広がる。……うん、悪くないな。
こうして火の恩恵に預かると、いろいろとやりたいことが浮かび上がってくる。時間を作って湖釣りでもやってみたい…鮎の塩焼きなんてできたら最高だ。
やっぱり焚火でやる塩焼きは最高だよなぁ、男のロマンそのものだ。
その時俺は天啓を得た。そう、やはりサバイバル料理と言えば燻製……やってみたかったけどなんとなく面倒でやれていない夢を実現させる時じゃないか!
子供時分からの大いなる野望が今この時スタートするのだ! と、俺は心の中で壮大な決意を固めたのだった。
「あなた…バカみたいなこと考えてる顔してるわよ」
その声で我に返りシズカの方を向くと桜餅を既に奇麗に食べ終わっていた…顔に似合わず甘いものが好きなのか?
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飯が終わったら風呂だ、昨日は入ることができなかったが数か月ぶりの湯舟に少し気分の高揚を感じる。
できれば夜中にしっぽりと入りたかったが、手元が見えないのも危ないので日があるうちに入ることにした。
湯舟を温めるために訪れた風呂場の外に設置されているボイラー、どことなく近代化された見た目だ。
ここもキッチンのかまどのように古式ゆかしいものだったら困っていたかもしれない。先人には感謝しかない。
ボイラーの蓋のようになっている部分を開けると薪を投げ入れ火を灯す、しばらく待つと煙突からモクモクと白煙が立ち上がり始めた。
「おーい、風呂の温度上がってるか?」
「ええ、ちょうどいいぐらいよ」
風呂場の中で湯舟の温度確認していた彼女が小窓から顔を覗かせそう伝えてくる。
「そんじゃ、俺はここで確認しておくから先に風呂入れよ。もし熱すぎたら言ってくれ」
「わかった。先に入らせていただくわ」
シズカはそう言うとシズカは小窓から顔を引っ込め、脱衣所の方へ出て行ったようだ。
…しばらくすると引き戸がガララと開き、そして少し遅れてかけ湯をする水打ち音が響く。
次いで温度を再確認するように浴槽が波打った後、湯に足を着ける音が鳴った。
小窓の方からリラックスした彼女が大きなため息声が聞こえる。……どうやら湯加減はちょうど良いらしい。
そうして彼女が風呂に入っていると思うと、今まで死地に居たせいで抑えられていた感情が沸き立ってくる。
いやまて……これはチャンスなんじゃないか?
無防備に開きっぱなしになった小窓、立ち上がる湯気の先には一糸纏わぬシズカがいるはずだ。
ここまでいろいろと頑張ったんだし、ちょっとくらい見ても怒られないんじゃなかろうか。
俺は音を立てないようにそっと壁に近付くと、風呂場の中を覗き込もうと身体を小窓まで伸ばしていく
意を決して窓に顔を重ねるとそこには…!窓から顔を覗かせた笑顔のシズカが…
「あっやべっ……ぶべっ!!」
顔面に風呂桶から放たれた湯がクリーンヒットし、俺は情けない声を上げながらその場に倒れこむ。
そして何事もなかったかのようにシズカによってピシャっと引き戸が閉められた。
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完全に気の迷いだった。
ボイラーの前で倒れたまま夜空を見上げると美しい星空が広がって…それはそれとしてどうやって謝ろう。
己の理性の薄弱さに打ちひしがれながらぼんやりと夜空を眺めていると、誰かの足音が近づいてくる。
少し慌てながらも素早く身体を翻して足音の方角を向くと、右手に折り畳み椅子を携えたシズカが室内から出て来ていた。
彼女が着ていたのは寝間着として愛用しているピンク色のタンクトップとショートパンツ。初めて会った時に着ていた彼女の私物だ。
身体をほんのりと赤く染めて湯上りの香りを纏わせたシズカの短い黒髪は艶めいており、いつもとは違った雰囲気を醸し出している。
湯上がりには伯父坊主が惚れるとはよく言ったものだ。
「問題ないでしょうけど次は私が見ておくから、入って」
何でもなくそう言いながら俺の横を通り過ぎ、ボイラーの前に広げた椅子へと腰かける。
その仕草があまりにもそっけなさ過ぎたので肩透かしを食らってしまう。こうなると余計に彼女の顔色が気になってしまう。
俺は少し考えた後に、意を決して彼女へと話しかけた。
「その節は本当にご迷惑をお掛けしました。期待に応えられるよう善処します」
「なによそれ。別に、その……怒ってないから」
彼女は謝罪にそっぽを向きながらそう答える。起こってはいないが拗ねてはいるように見えた。
シズカは少し柔和な顔をしながら俺の目を真っ直ぐ見据え、小さく呟く。
「でも、ああいったことを勝手にするのはやめて。私たちは…唯一の仲間でしょう?」
「……悪かった」
俺が謝るとシズカは小さく微笑み、椅子に座りなおす。ボイラーの火に照らされたその表情はどこか嬉しそうだ。
それも束の間。いつもの憮然とした表情に戻った彼女は「でも次は許さないわよ」とそう釘を刺した。