長いようで短かった夏休みが終わり、本日めでたく新学期を迎えた。
俺は懐かしさすら覚えてしまう校門を見上げながら、込み上げてくる眠気に襲われていた。
「……はぁ。だるいな」
当然、夏休みが終われば実家から学園に戻ることになる。何も不自由がない実家暮らしから、色々と自分でやらなければならない寮暮らしが再び始まってしまったのだ。
一ヶ月に渡る自堕落な生活で生活リズムも崩れた。規則正しい生活を強制される学園生活は今の俺の身体には毒だ。それでも、俺はこの遠月学園に来なければならない。料理が上手くなるためでも、卒業後の進路のためでもない。
──薙切えりなを手に入れるためだ。
この世界、すなわち『
そして今日、高等部一年で最大の
夏休みという時間を全て料理の試作に費やした生徒達が挑む祭典──『秋の選抜』だ。
最大の行事と言うだけあって、その規模は圧倒的だ。本戦の前にわざわざ予選を行う贅沢ぶりからも、それが分かりやすい。
参加資格が与えられているのは普段の成績や宿泊研修での審査を元に選ばれた、高等部一年の生徒六十人。
初日、つまり今日行われる予選はAブロックとBブロックの二つに分けられた弱者の振るい落とし。本戦に進めるのは当然、強者のみだ。
えりなに相応しい料理人だと周りに認めさせるため、俺は弱者側には居られない。こういう分かりやすい腕の見せ所は俺にとって大きなチャンスなのだ。えりな自身の好感度も更に稼いでおきたい。
「──おはようございます。正吾さん」
「……ん? おお、おはよう」
ぼんやり歩いていると、いきなり挨拶をされた。黒色のジャージを着た大柄な男であり、俺が最近手駒にした原作キャラだ。
名前は
相手の調理技術を徹底的なストーキング行為で盗み取り、相手の料理に
「鞄、お持ちします」
「ああ、ありがとう」
美作は色々と使える奴なので、俺が唯一女以外で手駒にしようと決めていた存在だ。
アレンジ料理で父親に勝利してしまったことで美作は絶縁のような形で遠月学園に入学し、捻じ曲がった根性により食戟で相手の包丁を奪い取ることを喜びに暴れ回っていた。
なので、夏休み中に俺がボコボコにして強制的に改心させたという訳だ。本気の料理で叩き潰して優しい言葉をかけてやれば、心酔させるのなんて造作もない。特に美作のような、元々純粋で悪ぶっている奴は扱いやすい。
「いよいよですね。正吾さん」
「だな。まあ、俺のせいでお前にとってはつまらない祭典になるだろうけどな」
原作を大きく崩さないため、美作には予選落ちしてくれるように頼んだ。本戦に進めるのは各ブロックから四名ずつの計八名。俺というイレギュラーを組み込むなら、美作を外した方が展開も分かりやすい。
「そんなことないっす! 正吾さんには救ってもらった恩がありますから。……俺みたいな腐ってた奴を」
「おう、ちゃんと恩を返せよな」
「はい! もちろんっす!」
手駒と言うより舎弟と言った感じではあるが、使える協力者が出来た。
精々俺のために働いてもらおう。なにせ、コイツのせいで夏休み最後の方は忙しかったんだから。食戟で奪ってた九十九本の包丁を全部持ち主に返すのは流石に骨が折れた。
「……まずは開会式か。運動会みたいだな」
「正吾さん! 勉強させてもらいますっ!」
色々と大事な大会だ。──気合い入れていこうか。
「……おお〜、流石に金かかってんな。豪華な会場だ」
選手だけでの開会式を終えて、Bブロックの会場に来た。
創真や田所さんに話しかけられたりしたのだが、眠かったから適当に相槌を打っていただけなので特に語るような内容もなかったんだよな。
同じBブロックに居る顔見知りと言えば、緋沙子、アリス、田所さん、美代子とかになるか。原作を守るなら美代子以外の三人と共に予選を通過しなければならない。タクミがAブロックの方に行ってくれて助かった。美代子は元々潰すつもりだったから
「……涼子はAブロックだったか」
原作通りに進めば、Aブロックの本戦出場者は創真、葉山アキラ、黒木場の三人が確定。美作が上がって来ないとなると、多分だけど後一人はタクミが上がってくるんじゃないかな。まあ、その辺の調整はどうでも良い。重要なのは俺が本戦に上がることだ。
『各選手、調理場へ移動してください』
アナウンスに従って割り振られた調理場に立つ。
一息ついてから会場の観客席を見てみれば、そこには多くの生徒が座っていた。選ばれなかった一年生に加えて二年生や三年生も居るようだ。上級生からすれば、お祭りみたいなもんなんだろう。
そして緋沙子と美代子の姿も見つけた。緋沙子とは一瞬目が合った気がしたが、すぐに逸らされてしまった。可愛い。ちゃんと料理に集中出来ているようでなによりだ。
反対に美代子は俺を強く睨みつけている。皿で勝負する相手が俺じゃなく審査員だと分かっていないようだ。あれじゃ間違いなく原作通りに負けるな。出来るだけ惨めに負かしてやろう。二度と料理で俺に反抗出来なくなるぐらいに。
そういう意味じゃ、田所さんの存在が大きい。眼中にもなかった相手に後ろから刺されるってある意味一番効くしな。特に美代子みたいなプライドの高いタイプには。田所さん、マジ感謝。
「──正吾くんっ。いよいよね」
「おう、アリス。久しぶり」
これから調理が始まるというのに、相変わらずマイペースに話しかけてきたアリス。緊張なんて欠片も感じない。自分の実力に絶対の自信を持つ人間の態度だ。
「正確には二週間ぶりよ」
「それぐらいになるのか。あっという間に休みが終わった気がする」
こうしてアリスと顔を合わせるのは、えりなと一緒にプールへ遊びに行ってから俺の別荘で朝までヤリまくった日以来だ。
俺も家業の仕事とか、美作の包丁返しとかで忙しくしてたし、何よりそう何度もアリスを抱いてしまっては薙切家も流石に俺達の関係を怪しむ可能性があったからだ。焦って抱く必要はない。アリスはもう、俺のモノなのだから。
「正吾くん。負けないわよ?」
「俺もだ。良い勝負をしよう」
「ふふっ。貴方の本気、見せてもらうわ。──でも、勝つのは私ですけどねっ!」
あの日からアリスは俺に対して全開の好意を向けてくる。美少女から好かれるのは素直に嬉しいが、事の発端が性欲なので恋する乙女と言うには僅かに純粋さが足りない。初めて覚えた性の味を与えてくれる相手として、盲目的に軽度の依存状態、と言った具合か。俺にとっては好都合なので、このままどっぷり沼に沈めていきたいところだ。
鼻歌混じりに去っていくアリスを見送り、調理場へ向かい合う。
予選のお題は『カレー料理』。随分と範囲が広いテーマだ。それ故に、皿を出す料理人の実力が試される。今回は夏休みという準備期間もあった訳だし、時間が無かったなどという言い訳は通用しない。
どこまでも純粋な──味と味との潰し合いだ。
「……見てろよ」
会場の様子を中継している巨大モニター。そこに流れる映像をえりなも必ず見ているはずだ。この予選で、俺という料理人を更に深く根付かせてやる。食べさせて欲しい、なんて言わせることが出来れば完璧だな。
──食材、よし。
──調理器具、よし。
──味のイメージ、よし。
調理開始時刻の午前十一時になったと同時に、遠月学園総帥である薙切仙左衛門によって号令が下された。
『調理……開始ぃぃぃいッッ!!!!』
天井一面に取り付けられた照明の光によって、銀色に輝く数多の厨房。選ばれし料理人達が腕を振るい、夏の集大成とも呼べる皿を作り上げる。
そして料理を審査する者達も普通ではない。食に関するプロばかりだ。
日本のカレー業界に君臨する姉妹──千俵姉妹の二人が実質的な審査委員長を任されている。ここでの評価は間違いなく、後々の料理人人生に大きな影響を与える事だろう。
挑むは若き『玉』の候補。受けるは歴戦の食通達。
五人の審査員が持つ採点数は一人20点の合計100点。
玉を磨くための『捨て石』では、評価されないのも当然だった。
『33点! 27点! ……6点』
司会進行を務める川島うららの点数発表に、会場の空気が騒がしく変わる。公開処刑のように低評価を付けられた生徒の中には、泣きながら会場を飛び出す者まで居た。
味に対する経験値の違い。それも、圧倒的なまでの差。
舌の肥えた客を満足させるなど、プロの料理人でも難しい。学生に求めるレベルとしては、高すぎると言ってもよかった。
しかし、ここは天下の遠月学園。
捨て石ではなく、『玉』の器を持つ料理人達が──審査員達を唸らせる。
「出ました! 貞塚ナオ! ──84点!」
臭みの魔力で相手を堕とす『
「これは凄い! 新戸緋沙子! ──92点!」
食べた者の身体を癒す『薬膳料理のエキスパート』。
「流石の高得点だ! 北条美代子! ──87点!」
怒りの炎で調理する『
「これは思わぬ伏兵! 吉野悠姫選手! ──86点!」
愛嬌で獲物を仕留める『
「また高得点! イサミ・アルディーニ! ──87点!」
兄の背中を目指し進み続ける『味の地平の探求者』。
「……な、薙切アリス選手。──95点!」
最先端技術の才女『
「なんとっ、予想外の乱入者! 田所恵! ──88点!」
己の殻を破り捨てた『
若き料理人達が自らの出せる最高の皿を披露し、次々にランキングが更新されていく。本戦に上がることを許されるのは上位四名のみ。点数という可視化された戦闘力によって弱者は下へと落ち、強者だけが上へと登る。
一位。【95】《薙切アリス》。
二位。【92】《新戸緋沙子》。
三位。【88】《田所恵》。
残る料理人が一人となった今では、この三人の本戦出場は確定となった。
神に祈らなければならなくなったのは二人。同じ得点を獲得し、同率四位となっているイサミ・アルディーニと北条美代子の両名だ。
最後の挑戦者が87点を越えれば脱落。超えなければ、この二人による決戦投票。まずは自身の点数が超えられないことを信じるしか、彼らに出来ることはない。
しかし、その願いは、
『さ、最後となります。燦徳正吾選手の提供が終わりました。これより、審査に入ります』
一ヶ月もの期間を無駄にせず、ただ己と向き合い、真摯に料理へと取り組んだ。そんな彼らに、落ち度がある訳もない。己の全てを懸けて一皿の魂を作り上げた彼らに、責められるべき部分など、微塵も無いのだ。
──ただ、相手が悪かった。
「ぬあぁぁぁぁぁあっ!! なんやこの美味さはァァァァァァァアッ!?!?」
「見た目はこれと言って奇抜な面もない普通のカレーライス……だと言うのに、なんなんだこの味の深さはぁぁぁぁああっ!!!」
「こんなの……。んっ、やだっ……! ──ああぁぁぁぁああんっ!!!」
審査員達が連動するように身体を強く震わせ、与えられた味を賞賛──否、屈服させられる。
「肉は
「主張の激しくなる穴熊の油を主役にせず、あくまでもカレーの味を向上させるための踏み台にしている……!」
「それだけじゃ、ない。上に乗せられている穴熊の肉、絶妙な調理と一緒に
鼻に飛び込む匂いと舌を蹂躙する暴力的な美味さ。
五人の審査員はこれまで食べてきたカレー料理を一瞬で忘れ去り、餌に群がる家畜のような必死さで目の前の料理を口へと運んだ。
「ライスに散りばめられとるのは……桜海老の粉末! これまた……食欲をそそられてまうっ!!」
「一体どれほどの知識がこの皿に乗っているんだ……。私の語彙力では、表現出来るはずもないっ!!」
「ああんっ! スパイスの刺激が強くなった! なんでぇっ! こんなのぉ! こんなのぉ! 大きすぎてぇ……!」
肉の扱い、燻製、
その全てが──別次元。
「おかわり! おかわりをくれぇっ! 頼む! 金ならなんぼでも積むからっ!!」
「下がりたまえっ! 私に! どうか私にお恵みをぉぉぉっ!!」
「こんなのぉぉ……。おかひくなっひゃうぅ……!」
皿を綺麗にした審査員達が我先にと席から飛び出し、目の前に立っている正吾へおかわりを頼み込む。これまで審査してきた全ての皿を完食していないとは言え、胃の容量は既に限界が近い。育ち盛りの子供ではなく、成熟した大人ならば尚のことだ。にも関わらず、審査員達はまだ食べさせろと要求を続ける。この機会を逃すことを、心の底から恐れるような顔で。
倍以上歳の離れた少年に膝をつき、泣きつくように懇願する大人。これまでの流れでは絶対にあり得なかった異常事態に、会場は騒然となった。
『お、落ち着いてください! し、審査を! 結果発表をお願いします!』
司会進行の呼びかけに反応したのは大会運営委員ではなく、騒ぎの中心に立つ正吾の方だった。
人を人とも見ていないような冷たい目を審査員達に向けたまま、小声で何かを耳打ち。魔法でもかけられたかのように、喚き声を上げていた審査員達は大急ぎで席に戻った。
息が乱れる五人の審査員が料理の審査を下す。
これまでと同じように手元のスイッチを操作し、持ち点である二十点以内の点数をモニターに表示させた。
【19】ー【19】ー【20】ー【19】ー【19】。
五等分された点数をまとめ、合計得点を算出。
司会進行は困惑しながらも仕事を果たすべく、マイクを強く握りながら声を張り上げた。
「燦徳正吾選手! ──……96点!!!」
すぐにランキングが変動。
同率四位で踏み留まっていた二人は容赦なく下へ落ち、燦徳正吾の名前がそのまま一位の座に上り詰めた。それと同時にBブロック予選の全てが終了し、三十人の若き料理人達による戦いは幕を下ろしたのだった。
点数を確認し、少しばかり口角を上げた正吾。
満足そうな表情で審査員達に視線を向けると、自身が使用していた調理場を指差し、早く行けと言わんばかりの態度で顎を上げた。
「どけぇっ! わしのもんや! わしが全部食うんや!!」
「その肥えた手をどけろ! 貴方のような品性の無い豚にこの料理を求める資格はありません!」
「私のぉ……! 私の、カレーぇぇ……!」
カレーを奪い合う審査員達には目もくれず、正吾は一人の少女の所へ歩みを進めた。本戦への出場資格を勝ち取れなかった、予選落ちをしたという屈辱的な現実を受け入れられずに立ち尽くす──北条美代子の隣まで。
散々怒りを向け、挑発し、喧嘩を売りつけた相手がすぐ隣まで来ているというのに、美代子は動けない。睨みつけることも、怒声を浴びせかけることも、今やれば負け犬の負け惜しみ。殴り掛かりたい衝動をプライドで抑え込み、勝者からの言葉に備えていた。
正吾はそんな彼女の耳元へ口を近付けると、ただ一言だけを残した。
「──結局お前は……弱い女だったな」
美代子の中で、
足から力が一気に抜け、その場に座り込む。その姿は勇ましく中華鍋を振るっていたとは思えないほどに弱々しく、光を失った虚な目には絶望の二文字が深く深く刻み込まれていた。
燦徳正吾。Bブロック一位通過。──本戦出場決定。
日本どころか世界にその名を轟かせる燦徳家の人間。料理界で薙切家に遅れを取っている名家の料理人が今日、遠月学園に衝撃を与えた。
最高の舞台による最凶の証明。人の心が折られる瞬間を、その場に居た多くの観客が確かに目撃したのだ。
相手が得意とする技術を遥かに上回り、誰にも到達出来ないほどの完成度で皿を作り上げる。
試合ではない。勝負でもない。戦いですら、なかった。
──『食の覇王』。
この日、いずれそう呼ばれる料理人が表の世界に姿を現した。