いよいよ今日、遠月学園の秋を締めくくる学園祭──通称・『
多くの生徒たちがこの日のために時間を費やし、準備に取り組んできた。朝から祭りが始まる前の空気が漂っており、自分の腕前を試そうという意気込みが感じられる。
一日ごとに売上金額のランキングが発表されるのもモチベーションの一つだろう。何か景品が貰えるわけじゃないが、高い順位を獲得するという事はそれだけで今後のアドバンテージになる。徹底した競争教育の遠月で生き残るために、そういった実績は必ず役に立つのだ。
当然、俺もそのやる気ある生徒の内の一人だ。店も料理もメンバーも、考えられる中で最高の準備を完了させた。抜かりはない。
元々考えていた叡山潰す用の計画書を白紙に戻し、二日で計画を練り直したのには流石に疲れたが。
「──みんな、おはよう。開店時刻は午前十一時。残り十分を切った。各自、割り振られた仕事に全力を尽くしてくれ」
学園祭が始まる前の最後のミーティング。俺の目の前には俺が選んだ料理人であるアリス・涼子・美代子・美作の四人と、ウエイターとして雇ったメンバーが十五人。この場に居る合計二十人で店を回すことになる。
学園祭の開始──つまり、遠月学園が一般に開放される時刻は午前十時。約一時間前から門は開かれ、『目抜き通りエリア』や『中央エリア』には既に多くの来場客たちが訪れている。
俺たちの模擬店がある『山の手エリア』は手軽に食べられることを基本としていないので、開店時間を他のエリアよりも遅くする店がほとんどだ。多分、俺たちの開店時間はエリア内でも一、二を争うぐらい早いと思う。
主に夕食、ディナーがメインとなるこのエリアで開店時間を早めても、あまりメリットはない。ランチとなれば当然、安い・早い・旨いの三拍子が揃った他二つのエリアに客が集中してしまうからだ。それにも関わらず、昼時から開店する理由は一つ。
──
正面に構える店は十傑第六席・紀ノ国寧々の店。蕎麦をメインとしているので昼は狙い目、稼ぎ時だ。
だからわざわざ開店時間を合わせた。紀ノ国寧々の店を真っ向から潰すために。
「ふふっ、にしてもおバカさんよね。紀ノ国先輩。まさか正吾くんに喧嘩を売っちゃうなんて」
「珍しく怒ってたみたいだけど、大丈夫なのかしら。……紀ノ国先輩が」
「…………ご愁傷様だね」
アリスは楽しそうに笑い、涼子は不安そうに腕を組み、美代子は同情するかのように目を閉じた。三者三様だが、コンディションは万全のようだ。言うまでもなく料理人サイドの負担が大きいので、体調と体力の管理は徹底してもらいたいところだ。
「美作。期待してるぞ」
「はい! 任せてください!」
キッチンをフル回転させるために重要なのが美作の存在だ。コイツが俺の穴埋めをしてくれることによって、俺が負担が軽くなりアリスたちのフォローに回れるようになる。
十一時から開店すると言っても十五時には一旦店を閉め、ランチタイムが終了する。ディナータイムである十八時からの開店に備えて二時間は仕込みに使うし、ちゃんと休める時間は中々少ない。なので、アリスたちが休憩を取る間は俺が代わりに彼女たちの分の料理も担当し、俺のフォローを美作にさせようというやり方だ。俺は別に休憩せずとも四時間ぐらいぶっ続けで働けるし、美作が休憩する分にはフォローも要らないしな。
「……そろそろ時間だな」
この時間に事前予約しているのが五十八人。燦徳家が古くから付き合っている名家の人間や取引先のお偉いさんなんかが顔を出しに来るようだ。
本当はこの数以上の事前予約を求められたが断りを入れた。燦徳家の後継者だから勝てた、なんて言い訳をされたくないからだ。紀ノ国寧々は『権力』ではなく『料理』で叩き潰す。
「さあ、開店……いや、違うな」
「──
月饗祭が開催されてから約二時間が経過。
天候にも恵まれ、快晴の下で多くの来場客が様々な美食に舌鼓を打っていた。
支払いは現金ではなく、限定のフードチケット制度。松・竹・梅の三つのチケットが用意されており、それぞれ上から一万円・千円・五百円の価値が付与されている。エリアごとに出される料理の平均値段は変わり、最も高級なエリアである『山の手エリア』では最低でも松チケットが必須といった具合だ。
遠月学園の頂点である十傑。その内の多くが『山の手エリア』に出店している。高くとも客は必ず来るのだ。その値段に見合う──いや、それ以上の価値がある〝味〟を求めて。
「美味しい〜っ! 舌の上でとろけちゃうっ!」
「甘〜いっ! 太ると分かってても止められないよ〜っ!」
「なんと言っても美味しいだけじゃなくて可愛いんだよねっ! 写真映えしすぎでしょっ!」
遠月学園当代随一のパティシエ。十傑第四席・茜ヶ久保もものスイートパラダイスには、若い女性を中心に既に長蛇の列が出来上がっていた。
早く買わなければ売り切れる。客にそう思わせた時点で、商売としては勝利している。十傑のネームバリューと実力を最大限に生かし、止まる気配もなく売上を伸ばしていった。
第三席・女木島冬輔のラーメン店。第五席・斎藤綜明の寿司店。第七席・一色慧の芋煮会。そして第一席・司瑛士のレストラン。
十傑の席に座る料理人たちがトップを務める店は前評判通りの賑わいを見せている。これが遠月学園トップの料理人だと、証明するかのように。
しかし、ただ一店舗だけ、その枠組みから外された店があった。
──第六席・紀ノ国寧々の蕎麦処だ。
「……なんで。こんな……!!」
肩を震わせながら調理場に手を付き、動揺を隠せない寧々。仮にも店のトップを務める料理人の態度ではないが、それも無理はなかった。
何故なら、事前予約で来店した八十人の客が蕎麦を食べ終わり、店を出てから一時間──
いくら待っても扉は開かず、客は現れない。時刻は既に午後一時。蕎麦処として来客のピークを迎えているはずの時刻にも関わらずだ。
顔を上げて客席を見ても、一つ残らず空席。悪夢でも見ているのかと、寧々は自分の意識を疑った。
事前予約の客が優先だったとは言え、寧々の店は完全予約制ではない。むしろその他大勢の模擬店と同じく、予約無しの飛び入り客がメインターゲットだ。開店したばかりの頃には確かに人が集まっていた。事前予約者を除いても、軽く五十人以上が店の前に居たはずだ。
誰でも良い、この惨状の理由を説明してくれと、寧々は藁にもすがる思いで店の前に飛び出した。
そして視界に入ったのは──正面の店に並ぶ大行列だった。
「…………嘘、でしょ」
そよ風に掻き消されてしまいそうな細い声が溢れる。足に力が入らず、寧々は自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。
自分の店に客が来なかった理由など、この光景を一目見れば分かった。正面の店に──全て奪われていたのだ。
「……ッ! なに、この香り……!」
風に乗って届いたのは、食欲そのものを刺激するような強い香り。鼻を通り抜けると、寧々の身体を一瞬で支配した。
脳内に飛び出してきたのは──『肉』。
熱く、大量の肉汁が溢れ出すイメージに脳を占拠される。何も口に入ってはいない。しかしその瞬間、寧々は確かに咀嚼した。香りを嗅いだだけで、一口分を食した気にさせられたのだ。
料理の香りで客を集める集客方法は珍しくないが、
十傑である寧々ですらこの香りが持つ威力に意識が飛びそうになっているのだ。料理人ですらない来場客がこの香りの誘惑に耐えるなど、まず間違いなく不可能だ。
「──ぁ、んんっ」
捕食される餌のように、寧々はゆっくりと正面の店に向かって歩き始めた。
こんなことをしている場合ではないと頭では分かっていても、身体が言うことを聞かない。店に近付けば近付くほど、漂ってくる香りは強さを増す。行列の最後尾に辿り着くまで、寧々の意識はほぼ飛んでいた。
「──あれ? 紀ノ国先輩じゃないですか。どうしたんです? 自分の店を放っておいて」
不意にかけられた声で、寧々の意識が覚醒。眼鏡が落ちそうになる勢いで声のした方へ振り向くと、そこには今一番会いたくなかった人間が最も腹立たしい笑顔をして立っていた。
「──……燦徳、正吾」
「もしかして俺の店にご用で? 申し訳ありませんけど、ちゃんと並んでくださいね。先輩と言えど特別扱いは出来ませんから」
「なっ……! 別に並んでるわけじゃないわっ!」
「えっ? でもそこウチの店の列ですけど? 並んでないなら退いてもらえますか? もう後ろにお客様が並んでいらっしゃるんで」
「……ッ!」
振り返ればその言葉通り、五人ほど新たに列へと加わっていた。並ぶつもりがないなら邪魔だから退け。そんな正当性しかない言葉に苛立ちを覚えながら、寧々は大人しく列から外れた。
「ここじゃ目立ちますし、話があるならウチの店の裏にでも行きましょうか。俺もすぐに調理場へ戻らないといけませんから」
寧々にとっては受ける必要もない誘いだったが、断って逃げたと思われても癪に障る。言いたいことが無いわけではないので、燦徳正吾の挑発に乗って背中を追った。
連れて来られた店の裏は薄暗く、当然ながら人の気配はない。周りを気にせず話すにはうってつけの場所だった。
「いやー、実はそろそろ紀ノ国先輩が様子を見にくるんじゃないかって思ってたんですよ。ウエイターに見張ってもらってて正解でした」
「なっ、どういう意味っ!?」
「どういう意味かは自分が一番よく分かってるんじゃないですか? ──聞きにきたんでしょ? なんで自分の店に客が来ないのかってね」
図星を突かれ、一歩後退りした寧々。そんな意識はなかったが、言葉にされると否定は出来なかった。
「事前予約の客が帰ったら静かになって驚いたでしょ。すみませんね。ウチの店がお客様全員奪っちゃったみたいで」
「ちょ、調子に乗らないでっ! 私の店と開店時間まで合わせて、たまたま上手くいっただけでしょっ!」
「本気でそう思ってます? だとしたら……マヌケにも程がある」
「なんですって!!」
馬鹿にしたような笑いを堪えるように、正吾が口元を押さえる。激昂する寧々に冷ややかな目を向けながら、不遜な態度を隠そうともせずに腕を組んだ。
「──店から漂う料理の香り。客が並ぶ列の方向。店の中から聞こえてくる客の満足そうな声。集客効果を狙った取り組みは挙げればキリがない。並んでいる客にメニューを渡し、何を食べたいかしっかり想像させるとかな。……そういうの、考えた事なかっただろ?」
「そ、それは……」
「味さえ良ければ客が来る。確かに間違っちゃいない……が、そんなもんは当たり前。大前提なんだよ。料理しかやって来なかった料理人が、売上勝負で俺に勝てるわけねぇだろ」
「ッ! まだ初日よ! 何もう勝った気になって──」
「
寧々の言葉を遮り、正吾が強い口調で断言する。売上勝負は既に、決着がついているのだと。
「俺の店で食べ終わった客を見てみなよ」
「それが……何だって言うの」
指で示された先に視線を向け、寧々は言われた通りに客を観察した。すると、どの客もすぐに同じ行動を取っていることが分かった。スマホを取り出し、何かを必死になって打ち込んでいるのだ。
「あれは……?」
「SNSさ。紀ノ国家の人間でも知ってるだろ?」
「ば、馬鹿にしないで! 当然知ってるわよ!」
「当然知ってるのに、どうして使わないんだ? 客を呼ぶのに、こんなに使えるツールはないぞ」
「客を……呼ぶ?」
何を言っているのか分からず、困惑した表情を見せる寧々。
正吾は心底呆れたようにため息をつくと、スマホを取り出してSNSの画面を開き、見せつけるようにして寧々に突き出した。画面にはいくつもの文章が書き込まれており、その全てが燦徳正吾の模擬店に関する内容だった。料理の感想や写真、絶対に行くべきなどといったコメントも数多く存在し、どれだけスクロールしても高評価の嵐だった。
「ネット社会の現代で、SNSは商売の要と言っても過言じゃない。味だけで客を呼ぶ時代はとっくに終わってるんだよ」
悔しくとも、寧々に否定することは出来なかった。
客が集まっていないのが自分の店であり、客が集まっているのが相手の店である以上、どんな言葉を落としても結果が全てを押し潰す。負け犬の遠吠えにしかならないのだ。
「写真映えする『見た目』に、感想を共有したいと思わせる『味』。嗅いだだけで食べたいと屈服させる『香り』に、緻密に計算された『集客戦術』。──悪いけど、今日を含めた五日間。万に一つも、アンタに勝ち目はねぇよ。俺の予想だと……そうだな。ギリギリ赤字にならない程度には稼げるんじゃないか? まあ、間違いなくエリア最下位だろうけどな」
十傑第六席を相手に、正吾は堂々と言い切った。自身の勝利は揺るがず、お前の未来は敗北であると。
「こ、こんなの……ずっと続くはずがない! 私の蕎麦が……こんな形で負けるはずない!」
「稼ぎ時の昼を潰されてよくそんな事が吠えられるな。分からないのか? 俺の店のメインは『肉料理』だ。つまり……
その言葉に寧々はようやく冷静さを取り戻し、同時に──絶望した。
稼ぐべきところで稼げず、相手はどんどん売り上げを伸ばしていく。これでは勝負にすらならない。一方的な蹂躙だ。
「なんで……。こんな……」
「俺は売られた喧嘩を買っただけですよ。あっ、約束忘れないでくださいね? 俺が五日間の総合売上で勝ったら食戟を……ああでも、そんなの関係なく食戟してくれるんでしたっけ。じゃあこんな売上勝負、どうでもいいことですね」
朗らかな笑顔も、寧々の目には悪魔の嘲笑にしか見えなかった。煽られているというのに、何も言い返す事ができない。味では負けていないと言ったところで、この場に於いては何の意味もないのだ。圧倒的な敗北感を受け止めることしか、寧々に出来ることはなかった。
寧々が拳を握り締めながら俯いていると、その場に第三者の声が響く。顔を上げた寧々の視界に映ったのは、信じられない人物だった。
「正吾くーん! 来ましたよ〜っ!」
甘い声と共に現れたのは、去年遠月学園を卒業したばかりの卒業生である──木久知園果だった。
元十傑第二席の料理人だったこともあり、秋の選抜本戦に出場して『もみじがり会』に出席していた寧々もよく知っている人物だ。同じ女性でありながら第二席の座にいるというのは、一年生だった頃の寧々からすれば雲の上のような存在だった。
そんな憧れの先輩が、
「園果、あまりはしゃぐなよ。転ぶぞ」
「だって久しぶり会えたから……。ダメでしたか?」
「ダメとは言ってない、俺も会えて嬉しいしな。でも、園果の身体が心配なんだ。分かってくれ」
「……もうっ、ズルいです。正吾くん。……実は最近、また胸が大きくなったんです。正吾くんのせいですからね」
何だ? 何を見せられている?
憧れていた先輩が憎き後輩とまるで恋仲のように接している状況に寧々の理解力は追いつかず、混乱状態一歩手前となっていた。無理矢理な様子でもなければ、違和感すら覚えない。それどころか園果の方から積極的に身体を寄せているようにすら見えた。
「はぁ〜、もうお腹ペコペコです。正吾くんのお店、楽しみにしてたんですよ? 早く食べたいなぁ」
「だな。美作がパンクするといけないし、俺もそろそろ厨房に戻らねぇと。園果には席を用意してあるから、すぐに入れるぞ」
「やったぁっ! ふふっ、嬉しいなぁ。正吾くん、大好きです」
「じゃあ先に店に入っててくれ。ライブクッキングもやってるから、俺たちの調理でも見ながら待っててくれ」
最早寧々のことなど忘れ去ったように、二人だけの世界に入る正吾と園果。
園果に至っては寧々の方を一度も見ることなく、存在に気付いた様子もなかった。眼中にないと言うより、正吾しか目に入っていないという方が正確だろう。結局声をかけることもかけられることもなく、園果は正吾に送り出されて店へと歩いて行ってしまった。
「……あっ。……園果、先輩」
「ああ、すみません。紀ノ国先輩。まだ居たんですね」
「……ッ! 燦徳、正吾……!!」
「聞いた通りです。そろそろ厨房に戻りますんで、失礼します。先輩も早く店に戻ってやれる事をやった方が良いんじゃないですか? ギリギリ赤字を回避出来るとは言いましたけど、客の呼び込みとか最低限の努力もしなかったら普通に退学することになりますよ。俺と食戟して十傑を奪われた挙句に退学とか……ハハッ、笑えないんで」
「貴方……どこまで人を馬鹿にしたら気が済むの! 私は遠月の頂点を獲る料理人よっ! 侮辱は許さないわっ!!」
どこまでも上からの発言に、寧々の顔が怒りで赤く染まる。手を出さなかったのはせめてものプライドだった。
「なんなら食戟の手続きは俺の方で済ませておきますよ。……そうだな。売上がほぼ確定する五日目の最終日、朝一番でやるのはどうです? ──もちろん、怖くなったのなら逃げてもらっても結構ですけど」
「逃げるわけないでしょっ! ……必ず、貴方を倒す。私を怒らせたこと、後悔させてあげるわ」
「そうですか。後悔しないように全力で生きて来たので、まだ後悔の経験が無いんですよ。ぜひ、頑張ってください」
最後の最後まで寧々を煽り続け、正吾は店の中へと入って行った。寧々の方を振り返ることもなく、格下に同情するかのような笑い声を残して。
「……絶対、負けない……!」
寧々は歯を食いしばりながら決意を固めるが、自分の立場が不利な事も理解している。現状、味に自信があるだけでは満足に客は来ない。審査員が必ず料理を食べる食戟と今回の状況は全くの別物だ。嫌味なアドバイスを受け取るようで癪だったが、客の呼び込みに力を入れるしかないと自分を落ち着かせた。
正吾の言葉通り、既に決着がついているとも知らずに。
月饗祭初日。『山の手エリア』売上ランキング。
──『第一位』。十傑第四席・茜ヶ久保もも。
──『第二位』。十傑第十席・薙切えりな。
──『第三位』。十傑第三席・女木島冬輔。
──『第四位』。高等部一年・燦徳正吾。
──『第十八位』。十傑第六席・紀ノ国寧々。
月饗祭最終日を迎えるまで──紀ノ国寧々の順位が最下位を脱することはなかった。
最終日の朝。生徒たちが模擬店で最後の仕込みをしている中、二人の料理人が厨房を挟んで向かい合っていた。
その近くには五人の大人が座っており、これから始まる真剣勝負──食戟の審査員兼立ち合い人として呼び出されていた。
挑む料理人、燦徳正吾。
秋の選抜でベスト4に残った実力者。葉山アキラに敗北したとはいえ、高等部一年の中ではトップクラスの実力者であることに変わりはない。
対するは十傑第六席、紀ノ国寧々。
和食文化の担い手として名を轟かせる紀ノ国家に生まれ、幼少期から和食料理の技術を磨いてきた料理人。特に蕎麦を扱わせれば右に出る者は居らず、積み重ねてきた鍛錬が確かな実力を作り上げている。
燦徳正吾が勝利した場合、十傑第六席の立場を得る。
紀ノ国寧々が勝利した場合、燦徳正吾は退学し、二度と料理人を名乗らない。
以上の条件で互いが同意し、食戟は正式に受理された。
秋の早朝ということで、用意された部屋はそれなりに寒い。張り詰めた空気と共に、お互いのプライドを懸けた勝負が幕を開けた。
対決テーマは──『蕎麦』。
紀ノ国寧々の得意料理であるが、決めたのは寧々ではなく正吾。
食戟の詳細がまとめられた用紙を見て、寧々が激昂したのは言うまでもない。
「両者。──調理開始!」
何千、何万と
水、蕎麦粉、手打ち。全ての調理手順が
「──お召し上がりください。『紀ノ国流九割そば〜桜エビのかき揚げを添えて〜』です」
先に料理を出したのはやはりと言うべきか紀ノ国寧々。
白く輝きを放つ蕎麦は一本一本が芸術品のようであり、見ているだけで満足させてしまいそうな程の美しさを放っていた。溢れ出る蕎麦の香りは言うまでもなく最高級、添えられている桜エビのかき揚げと合わせて食欲が激しく掻き立てられる。
「美味いっ! 何だこの蕎麦は!」
「九割の風味が鼻を抜け、濃厚な味が口に広がる!」
「桜海老のかき揚げがまた香ばしい……!」
「なっ! もう食べ終わってしまった! おかわり……おかわりをもらえますかっ!?」
「わ、私にも! おかわりをっ!!」
まさに大絶賛。審査員全員が寧々の蕎麦に心奪われ、夢中になって箸を動かして食事に没頭した。まるで『わんこそば』でも食べているかのようなスピードで次々と蕎麦が口に消えていく。
──勝った。
寧々が勝利を確信するのも、無理はなかった。
売上勝負では言い訳も出来ない程の惨敗に終わったが、それは商売戦略の差で敗北しただけに過ぎない。本来問われるべき料理人の実力とは、皿の上でのみ分かるもの。
この食戟に勝利すれば正吾は退学となる。そうなれば敗北した事実など消えたも同然だ。
「調子に乗り過ぎたみたいね。燦徳正吾。蕎麦で私に勝とうなんて、思い上がりも──」
「完成しました。──どうぞ、召し上がれ」
審査員たちの絶賛ぶりを見ても、正吾は何ら臆することなく料理を出した。寧々が出した蕎麦のような美しさも感じさせなければ、特別珍しい調理が施されているわけでもない。極々普通の、ありふれた蕎麦だった。
「俺も多分、九割蕎麦です。かき揚げは白エビ、蕎麦つゆは特製の物を用意しています。お楽しみください」
「……そんな普通の蕎麦で私に勝つつもり? 最後まで人を馬鹿にして……。けど、残念だったわね。この勝負は私の勝ちよ。私の蕎麦を食べた後であんな蕎麦が評価されるわけないもの」
「それはどうかな?」
「負け惜しみ? 審査員を見なさいよ。さっきから何の反応もせずに…………えっ?」
そこで寧々は気付いた。
「な、何よ……これ」
審査員たちが一人残らず、無言で蕎麦を食していた。他のことに意識を割きたくないと言わんばかりに集中した様子で。
異様なのは蕎麦をするる音すらさせずに、ゆっくりと食べ進めていることだ。まるで、少しでも食べ終わるのを遅らせているかのように。
「ご安心を。──おかわりはありますので」
正吾の一言に、審査員たちが豹変。食べるスピードを倍以上に引き上げ、残っていた蕎麦をほとんど一瞬で片付けた。
そして始まるおかわりの連続宣言。我先にと、みっともなく声を上げた。
「……何が、起こってるの……?」
「見て分からないのか? ──俺の蕎麦が美味いんだろ」
「そ、そんなわけない! あんな蕎麦が……私の蕎麦を超えてるなんて!!」
「審査員のみなさーん。結果発表してもらえますか? おかわりはその後でもっと出しますから」
寧々を無視した正吾の呼びかけに、審査員たちが一斉に反応を見せる。手元にある勝敗決定ボタンを僅かな躊躇いすらせずに押し、勝負に決着をつけた。
──燦徳正吾【5】ー【0】紀ノ国寧々──。
圧倒的な決着。説明を求める間もなく、勝敗は決した。
「……なんで、こんな……あ、あり得、ない」
「審査員のみなさん。おかわりですよ。ちゃんと食戟の結果、適応させてくださいね。今日から十傑第六席は──俺なんで」
犬のように返事をし、犬のように食事を再開する五人の審査員。声をかけたとしても反応は期待出来ない集中力だ。邪魔をするなという迫力さえ感じさせる。
「はい。終わり終わり。お疲れ様でした〜」
「まっ、待ちなさい! こんなの、こんなの納得出来るわけ──」
「だろうな。お決まりの負け犬文句だ。……じゃあ、手っ取り早いから食ってみろ。俺の蕎麦」
お約束を守るかのように、正吾は寧々に向かってつゆに入れた一口分の蕎麦を差し出した。一口食べれば分かるだろと、言葉を使わずに断言したのだ。
「──ッ!!? ……そんな、こんなのって……!」
一口食しただけで、寧々は膝から崩れ落ちた。持っていた箸とつゆ入れを落とし、絶望に染まった表情で床に腰をつけた。
冷えた目でそれを見ていた正吾。膝を折って寧々と目線の高さを合わせると、高校一年生とは思えない冷酷な瞳で寧々を貫いた。
「教えてやる。お前の弱さを」
「私の……弱さ?」
「確かにお前の技術は凄いよ。蕎麦作りに関しちゃ文句無しだ。──けど、裏を返せば
説教ではなく、アドバイスでもない。正吾はただ淡々と事実だけを述べていた。
「俺が蕎麦をテーマにした時、お前は何も考えなかった。自分が作れる最高の蕎麦は完成されている。だから、他を選ぶ必要性がない。選択肢がない」
「……そ、それは……!」
「一つの正解に固執したことで、お前の可能性は消えた。変化しない料理人に未来なんてない。昔ながらの職人芸を馬鹿にしてるわけじゃないぞ? 昔ながらの職人芸を持ったまま、新しいことに目を向けようとしないのを馬鹿にしてるんだ」
何も、言い返せない。ただ一つの、言葉でさえも。
「俺がどんな工夫をあの蕎麦にしたか、分からなかっただろ? 分かるはずもないよな。他の蕎麦を知らないんだから」
正吾は呆然とする寧々の顔を手で掴み、無理矢理顔を上げさせた。
「遠月の頂点を獲る……だっけ? 自ら進んで停滞の道を選ぶような料理人が獲れるわけねぇだろ。そういうの何て言うか教えてやる。──
手を離し、正吾が立ち上がる。やるべき事は終わったと、寧々に背を向けて歩き出した。
「……まっ、待って!」
自分でも声が出たことに驚きながら、寧々が言葉を続ける。
正吾が呼びかけを聞いて歩みを止めたので、どうにかして口を動かした。
「あ、あの蕎麦……ど、どうやって……あんな、味を……? どんな手順で、どんな分量で……どんな、技術で」
「……はぁ」
自らの世界を広げようとして質問しているわけではなく、新たに目指すべき
「──知らねぇよ」
この日、燦徳正吾は──遠月十傑・第六席となった。
なんかめっちゃ長くなりました。すみません……。
そしてR18小説なのにその要素がほぼないって言う。
楽しんでもらえたら幸いです。
追記。叡山先輩はオリ主に狙われてたことを知りません。運が良かっただけです(悪運)。