── 月饗祭、最終日。
早朝に行った紀ノ国寧々との食戟を終え、売られた喧嘩の清算はしっかりと済ませた。これで俺は遠月十傑・第六席。元々狙っていた九席から予想外のランクアップだったが、上に上がる分には別に良いだろう。
ちなみに、寧々と食戟したことは誰にも言っていない。遅くとも明日には公表されることだし、わざわざ言う必要もないと思ったからだ。それに、どうせすぐ外されるしな。
寧々との勝負が終わった今、模擬店に力を入れる必要もなくなった。
売上ランキングは上位で終われそうだし、最終日はディナータイムを切り捨ててランチタイムで店を終了することにした。
当然アリスたちは何故終わるのかと首を傾げていたが、最終日ぐらいは他の店を回って遊んで来いとの言い訳をして納得させた。
共に厨房へと立っていたからか、アリスたちは俺の知らないところで親交を深めていた。聞けばこれから、一緒に出店を食べ歩くことにしたらしい。
無事に模擬店が終わった祝いに三人まとめて俺の部屋で抱こうかとも考えていたのだが、そういうことならと送り出した。堕とした女たちが仲良くしているのは願ってもないことだ。涼子と美代子の二人をアリスが引っ張りながら、三人は他のエリアへと繰り出して行った。
俺は店の片付けとその他細々とした作業を終わらせて一息ついていた。ウエイターたちに給料は支払ったし、委員会へ模擬店を終了するとの報告も済ませた。美作は昨日から創真の店を手伝わせに出しているし、店にはもう俺一人しか残っていない状況だ。
流石にここ最近は忙しかったので疲れた。こうして椅子に座りながらボーッと天井を眺めていると、溜め込んでいた疲れが溶けていく気がする。こんな風に落ち着いたのは久しぶりだ。たまには、静かな時間も悪くない。
「──お〜いっ!! 燦徳正吾ぉ〜!! 飯食わせてくれよぉ〜っ!!」
静かな時間、五分も続かなかった。
閉じていた目を開け、来訪者に顔を向ける。そこに居たのは声で察していた通りの人物。
遠月十傑・第二席──小林竜胆だった。
「なんだ〜? 昼寝でもしてたのかよ? ていうか、店はもう閉めたのか?」
「……ええ、まあ。今日は朝が早かったんで」
「おいおい困るぜ〜。模擬店全店舗制覇するってのが、月饗祭でのあたしの目標なんだからよ〜!」
「……はぁ、そうですか。百店舗以上あるんですけどね」
「今日は最終日だからな〜っ。ラストスパートってやつだ。だから頼む! 飯食わせてくれっ!」
なんだろう、この強引さ。どこかジャンプ主人公っぽい。無理ですって言っても引き下がらなそうだし、断る方が疲れるパターンだな。
いや、むしろ良い機会かもしれない。竜胆はいずれ手に入れる予定だし、ここらで恩を売っておくのはアリだ。後々効いてくる一手なら、休憩時間を削る価値もあるか。
「……良いですよ。でも、貸し一ですからね。もう店は閉めてますし、料金も要りません」
「おおっ! 気前良いじゃねぇか〜っ。安心しろ、あたしは受けた恩は忘れねぇよ」
「その言葉信じますよ。少々お待ちを。……食材残ってたかな」
当たり前だけどラストオーダー直前で入ってくる客より、店を閉め切ってから入って来る客の方が何倍も面倒だな。せっかく気持ち良く休んでたってのに、また料理しなきゃならんのか。
どうにか食材をかき集め、それっぽい肉料理を作り上げる。出来栄えとか知らんが、多分美味いだろ。
「うは〜っ、美味いじゃね〜かっ! うんうん、美味い美味い! ……んんっ、火照っちまうぜ」
なんでこの世界の女は美味いものを食うとエロい反応をしてくれるんだろう。……いや、女だけじゃなくて男もそうか。
薙切家なんて『おはだけ』とかいって服が爆散するしな。あの一族だけはマジのマジでファンタジーだ。燦徳家の人間に変な特殊能力とか備わってなくて良かった。
「はーっ、美味かった。なあなあ、おかわりってないのか?」
「あるわけないでしょ。一皿分の食料しか残ってませんでしたよ」
「なんだよ〜っ。こんなに美味いなら初日に来れば良かったぜ〜。──
緩い雰囲気から一変、竜胆の目が鋭く光った。
ふわふわした先輩面も可愛らしいが、こっちの顔も嫌いじゃない。十傑・第二席のプレッシャーを確かに感じる。挑発的な表情はどこか官能的であり、口からチラリと見える八重歯が好戦的な色気を出していた。
「知ってたんですね。俺と紀ノ国先輩が食戟したこと」
「まあな。あたし、これでも十傑だからな。寧々にも会いに行ったけど、寝込んでて話せなかったよ。見舞いの品だけ置いてきた」
「それで? 後輩の敵討ちでもする気になりました? 流石に今日は疲れたんで、またの機会にして欲しいんですが」
これは本音だ。今日はこれ以上料理したくない。いくら才能が勝手に作ってくれるとはいえ、実際に動いて作るのは俺の身体だ。俺の体力だって無限じゃないし、疲れるものは疲れる。
朝から食戟、昼まで模擬店、後片付けをした後の来客。こんなに立て続けられると、いくら俺でも限界だ。泣き言の一つでも言いたくなる。
「いや? そんなつもりはねぇよ? ……お前を相手するには、あたしも気合い入れなきゃならないしな」
「随分と評価してもらってるんですね」
「寧々に勝った時点でしないわけないだろ。秋の選抜は準決勝負けって聞いたけど、スタジエールで化けたのか? それとも……元々の実力か。読めない奴だな、燦徳正吾」
結構鋭いな、この先輩。野生動物の勘みたいなもんか?
「それに敵討ちなんてこと思ってねぇよ。食戟に負けて十傑じゃなくなったとしても……寧々があたしの可愛い後輩であることに、変わりはないからな」
「……そうですか。食事も済んだようですし、今度こそウチの店は終了です。忘れないでくださいよ? 貸し一ですからね」
「わーってるって。意外と心配性だよなぁ、お前」
不満そうに言っているが、ここはちゃんとしておきたい。もし忘れられたりしたら料理を作った意味がなくなるんだから。
「──にしても、このタイミングで十傑入りか。予想外と言うか、間が悪いと言うか」
「含みのある言い方ですね。このタイミングで十傑入りすることに何か問題が?」
「お前こそ、含みのある聞き方してくるじゃねえか。……もしかして、
なんか強キャラ感出しているとこ申し訳ないが、疲れているからか谷間にしか目がいかない。『もみじがり会』でも思ったけど、何で制服なのにこんなエロいんだ。全裸より制服着てる方がエロいってどういうこと?
「もし知ってるなら、期待したいところだな。……お前も乗ってくることを」
「そうですね。お答えすると……竜胆先輩の期待には応えられないと思いますよ」
谷間を見ながらの宣言に、竜胆は楽しそうに笑った。良かった、谷間見てるのはバレてねぇ。
「そりゃあ残念だ。せっかく新しい波が来てるってのによ」
「俺はむしろ、その波を止めるために十傑へ入ったんですけどね」
「へぇ……そういう目的があったのか。更に怪しさが増したな。お前、何者なんだ? その目、ヤバい猛獣を前にしてる気分だぜ」
え? そうなの? 谷間見すぎて性欲溢れたか? 最近は忙しかったから女も抱けてないし、性欲高まってんだよな。気を付けよ。
「い、いやぁ……まあ、世界に名を轟かせる家の長男ですよ」
わざとらしく咳払いをし、思考を切り替える。
「俺は今の学園が結構気に入ってましてね。邪魔されたくないんですよ。なにせこちとら、人生で初めて学園生活ってやつを謳歌してるんでね。戦う理由を付けるなら……青春を守るためかな?」
「なるほどねぇ。ふーん、カッコいいじゃんか。……でも、
そんなこと、言われなくても分かってる。
学園祭後に始まる一大事件の首謀者。
──その名を、
えりなの実の父であり、遠月学園総帥の座をこれから奪い取る男だ。十傑の大半を抱き込み、過半数の賛同を得て総帥になるのだが、その決定は既に終了しているということだろう。それも当然だ。そんな時間のかかる裏工作、一ヶ月やそこらで終わるはずがない。
寧々から第六席を奪ったとはいえ、決定事項は覆せないだろう。そもそも俺はまだ十傑になる権利を得ただけで、正式に十傑になったわけじゃないしな。学園内での権力を与えられていない俺に出来ることは特にない。何かするつもりも毛頭ないけど。
「遠月は変わるぜ〜? まっ、それが良いのか悪いのかは、まだ分かんねぇけどな」
「冬は荒れそうですね。竜胆先輩」
「だな。……それと、ちゃんと覚えとくぜ。お前がヤバい奴だってこと。──じゃ、ごっそさん。あんがとな〜、燦徳正吾。また飯、食わせてくれよ〜っ!」
言いたいことだけ言って店を出て行った竜胆。
一言で表すなら嵐みたいな女だった。男相手でも激しいボディタッチしてる印象が強かったから期待してたんだが、俺相手には全くなかったな。やっぱ本能的に警戒されてたのかもな。残念だ。
「……やれやれ、もう十八時かよ」
窓の外を見ると、いつの間にか日が落ちていた。暗くなるのが早くなってきた事を実感しつつ、コックスーツから制服へと着替える。
これから予約を入れていたえりなの模擬店へ行かなければならないのだ。俺の野望を叶えるための大事なイベントを消化するために。
──とは言え、まだ少し時間が早い。ベストなタイミングを狙うために、時間調整が必要だな。
「もしもし? 薙切さん? 悪いんだけど、店に行くのが少し遅くなりそうなんだ。席を空けておいてもらっても良いかな? ……うん、ありがとう。薙切さんの料理、楽しみにしてるよ」
えりなへの連絡を手短に済ませ、スマホをポケットへしまう。
目標が現れるまで……後、二時間といったところか。
「……ふわぁ。……少しだけ寝るか」
首の骨を鳴らし、再び椅子に身体を預ける。
朝から働きっぱなしでいい加減眠気も限界だ。学園の入口に待機させている実家の人間から連絡が来るまで、少しだけ仮眠を取ることにした。二時間だけの睡眠でも、取るのと取らないのとでは雲泥の差なのだから。
「…………はぁ、疲れた」
寝つきは良い方なので、すぐに意識が遠のいた。
寝相も良い方なので、椅子に座った状態でも落ちたりはしない。
これも、昔から睡眠の質を維持する訓練を積んできた成果だ。隣で花火をされたって起きない自信がある。体内時計も正確なので、キッチリ二時間で起きられるだろうしな。
しかし、俺は自分でも気付かなかった。
自分が思っている以上に──疲れていたということに。
「──……んあ?」
大きな揺れによって意識が覚醒する。どうやら誰かに起こされたようだ。
店には鍵をかけていたし、関係者なのは間違いない。アリスたちが帰って来たのかと思い目を開くと、目の前に居たのは学園の入口に待機させていた実家の人間。フリーズしかけた思考を全力で動かし、事情を説明される前に自分で状況把握に移った。
取り出したスマホの画面に見える大量のメッセージ通知と着信履歴。そして同時に現在の時刻が二十時十二分であることも分かった。俺が起きようと思っていた時間を軽く超えている。寝坊以外の何物でもなかった。
「──ッ!!」
椅子から飛び上がり、店を出る。向かう先は幸い同じ『山の手エリア』だ。俺の足なら三分もかからずに着く。パルクールじみた動きを使って建物の間をショートカットすれば時間は更に短縮出来る。
振り絞れ、寝惚けた頭を振り払うように。富裕層がトロトロと歩く隙間を、一筋の風のように駆け抜けろ。
「間に合えぇぇぇぇッ!!!」
二度目の人生で初めて、俺は本気で走った。
時刻は二十時。他二つのエリアと違い、ここ『山の手エリア』では未だに多くの来場客たちが料理を堪能していた。宿泊する者がほとんどを占めるため、落ち着いたディナーを楽しむことが出来るのだ。
腕に覚えがある者しか出店しないエリアのため、どこの店も提供する料理のランクが高い。十傑・第十席、薙切えりなの店も当然、その内の一つだ。
「──緋沙子。お客様はお揃いね?」
真剣な表情で確認を取るえりな。結び上げた髪と白のコックスーツが照明を受け、元々の美しさを更に引き立たせている。
高校一年生とは思えない貫禄で、自らが調理した料理を食す客たちを眺めていた。
「はい、えりな様。……一人を除いて、ですが」
えりなの秘書として、模擬店でもサポートをしていた緋沙子。持っていた予約帳を確かめながら返答し、少しばかり苦い表情を作った。
えりなの模擬店は完全予約制。飛び入りの客を全て断るという自信に満ちた集客方法を採用している。故に料理への集中度は増し、更なる美食が提供されるというわけだ。
今夜は学園祭最終日。予約客たちの顔ぶれも豪華と言わざるを得ない。食の重鎮たちを招くことが出来るのも、薙切えりなの実力あってのこと。
ただ一人、燦徳正吾を除いて、全ての客が予約通りに来店を完了していた。
「燦徳くんは……まだ来ないのね」
「い、一応私の方から連絡はしたのですが……。あの男! えりな様を待たせるなど……!」
「そう怒らないで、緋沙子。燦徳くんも何か用事があったんでしょう。来ると言ったのだから必ず来るわ。彼は、約束を破るような人ではないもの」
「それは……そうかもしれませんが」
本性を知っている緋沙子としては複雑だが、首を横に振る気は起きずに肯定。脅されていた時も、約束を破られはしなかった。妙に律儀な部分を見せられてきたからこそ憎しみ以外の感情が芽生えたのだろうと、緋沙子は肩を落とした。
「あのように良い席を用意したというのに……来たら私が説教してやります!」
「ふふっ、程々にね。料理が冷めてしまうわ」
「それはいけませんっ! 程々にしますっ!」
無邪気に笑うえりなと緋沙子。以前の主従関係よりも、確実に友達としての親密度が上がっていた。それも全て、燦徳正吾による地道なアシストによってのことだが。
(……燦徳くん。喜んでくれるかしら……?)
恋する乙女のような表情をしながら、胸に手を当てるえりな。初めて出会った同い年で自分よりも上だと認めさせられた料理人。天才故の孤独から救うため、自身が
少しでも良い料理を食べさせたいという思いは、正吾が店に来るまでの間でどんどんと強くなっていた。
「……! えりな様、ようやくあの愚か者が来たようです。席には私が案内致しますので、料理の方を」
「え、ええ。ありがとう、緋沙子。……よしっ」
小さく拳を握り締め、不安と興奮が混ざった感情を昂らせる。自分の殻を破る料理にはまだ挑めていないが、えりなが自分なりに挑戦を試みた料理だ。正吾がどんな反応を見せてくれるのか、純粋に楽しみだった。
そんな少女の思いは──突如現れた男によって崩れ去ることになる。
「お、お待ちくださいっ! 困りますっ!」
「……? 緋沙子?」
入口から聞こえてきたのは穏やかではない緋沙子の声。
来客者が予想していた人物と違ったのかと顔を覗かせてみれば、そこに立っていたのはえりなにとって最も出会いたくない存在だった。
黒色の髪と病的なまでに白い肌。全てを下に見ているかのような光の無い瞳に、貼り付けたような薄気味悪い微笑みをした一人の男。
忘れるはずがない。忘れられるはずがない。えりなにとっての最大の
「──やあ、えりな。久しぶりだね」
何も変わらない。顔も、声も、眼差しも。
えりなはその全てに怯え、一瞬で身体を硬直させた。喉が締め付けられるような感覚と共に、呼吸が不安定になる。足は震え出し、膝も笑い始めた。先程まで胸を温めていた感覚は消え去り、氷のような冷たさに支配される。
顔を突き合わせただけで、えりなは無力な幼少期に戻されてしまった。
「……お、お父、様……?」
「元気そうで何よりだよ。いきなりですまないが、料理を振る舞って欲しい。娘がどれだけ腕を磨いたか、私に教えておくれ」
落ち着いた大人の声。しかし、えりなにとっては悪魔の囁きでしかない。肯定も否定も出来ず、えりなは呆然と一歩後ろに身体を引いた。
「ですからっ! お通しするわけにはいきませんっ! 本日の予約は全て終了しています! お引き取りくださいっ!」
間に入った緋沙子が必死になって止めるが、薊は気にも留めない。
えりなの父親であることを知っている緋沙子からすれば、薊を無理矢理止めることなど出来るはずもなかった。
「──おや、丁度良い。席が一つ空いているようだね」
「ッ! そこは予約済みの席です!」
緋沙子の声も虚しく、薊が空席に向かって歩き出す。燦徳正吾のために用意していた、特等席へ。
「……あっ、ああ。そ、そこは……!」
「父は空腹だよ、えりな。早く愛娘の手料理が食べたいな」
大事な席が取られそうになっているというのに、えりなは動けない。父の意見に逆らえるはずもなく、ただ溢れそうになる涙を堪えることしか出来なかった。
少女は力の限り叫んだ。
一人の少年の顔を──思い浮かべて。
「…………助けて」
消えてしまいそうな程の弱々しい悲鳴。
誰の耳にも届かなかった叫びは──たった一人の少年をその場に呼び寄せた。
「──そこ、俺の席なんですよ」
ふと、耳に届いた声。
えりなは顔を上げ、声の主を確かめる。
ボサボサになった髪と、激しく切れた息。全力で走って来たのが一目で分かるその姿に、えりなは堪えていた涙を流した。
絶望していた緋沙子も心からの希望を目に宿し、男へ駆け寄る。
「い、いらっしゃいませ。お客様……!」
「ああ、お待たせ。──予約していた『燦徳』です」
「……燦徳、くん」
囚われの姫を安心させるかのように、少年は優しく微笑んだ。
「──