夜に屋敷へ忍び込み、令嬢一人を連れ去る。
文字に起こしてみると、まるで世界的に有名な女好きの泥棒にでもなった気分だ。空に浮かぶ月には雲がかかり始めており、もうすぐ雨が降るという原作知識が正しい事を証明していた。
「さ、燦徳くん! どこに……行くの?」
手を繋いで走るというのもロマンチックなのだが、スピードが出ない。ロマンチックさの欠片も無い理由ではあるが、今は時間が惜しい。移動速度を優先し、お姫様抱っこでえりなを運びながら走っていた。
女子高校生一人、それも女子高校生離れしているスタイルのえりなを抱えたままでも余裕で走れている。昔から鍛えてきたからなぁ。辛い日々にも耐え続けた自分を褒めてあげたい。
「大丈夫。薙切さん疲れてるでしょ? 休憩出来る場所だよ」
「きゅ、休憩……?」
言葉だけ見るとラブホに誘うチャラ男でしかないが、当然そんなはずがない。そうしたいのは山々だけどな。その未来を引き寄せるために、今は紳士にいかなければ。
「新戸さんとアリスさんは薙切家と近過ぎるから頼れない。他に安心して身を隠せて此処から近い場所……取り敢えず、俺の部屋に行こう」
「……えっ。……ええっ!?」
「安心してよ。ちゃんと綺麗に掃除してあるから」
「そっ、そういうことではなくてっ! ……ええっ!?」
笑えるぐらい純粋な反応だ。
えりなが読んでいた少女漫画に今と似たような場面があれば、吊り橋効果の威力は更に上がるんだけどな。そこまで求めるのは贅沢か。そうだったらラッキーぐらいに思っておこう。
「もうすぐ着くからね。薙切さん」
「ちょっ、ちょっと……。まだ、心の準備が……!」
可愛らしい事を言っているが、構っている暇はない。雨が降ってくるまでに俺の用事を済ませなければならないんだ。
俺は走行速度を引き上げ、手際良く超絶美少女を自分の部屋に連れ込んだ。
男という生き物は単純だ。
本命の女が自分の部屋に居る。たったそれだけのことで、今まで経験したことないぐらいの緊張に襲われるのだから。女を部屋に連れ込むなんてもう慣れたもんだと思っていたが、やはり本命が相手だと違うものらしい。
しかし、俺以上に緊張しているのがベッドの上に座らせたえりなだ。異性のベッドに座っているからか、ガチガチに固まっている。流石に隣に座るのは不味いと感じ、俺は目の前の椅子に腰掛けた。
「──はい、お茶だよ」
「あ、ありがとう……」
取り敢えずお茶を出し、えりなの緊張をほぐすために動く。借りてきた猫状態も可愛いが、それでは落ち着いて話も出来ない。
「ごめんね、急に連れ出して。驚いたでしょ?」
「それは……まあ、そうだけど。……助けに来てくれたんでしょう? 燦徳くん」
「まあね。何があったのかは大体新戸さんから聞いたし、助けて欲しいってお願いもされたんだ」
「……そう、緋沙子が。……私はあの子を守れなかったのに、緋沙子は私を心配してくれたのね。どう謝ったらいいか……」
秘書を解雇するという薊の言葉を否定出来なかったことが、えりなにとって大きな心残りになっているようだ。それだけ薊への恐怖心、トラウマも深いってことか。
「気にすることない……とは言わないよ。大切な友達だもんね。新戸さんは」
「……友達? ……そんな資格、私にはないわ。子供の頃から一緒に居るけど、私達は……」
「──友達だよ。薙切さんと新戸さんは。近くで見てる俺が言うんだ。間違いない」
「……燦徳くん」
よしよし良い感じだ。やっぱ事前に用意した薄っぺらい言葉じゃなく、本心で思ったことを言ってるのが効いてるな。
「謝らなきゃいけないのは、俺の方だよ。──
「えっ? さ、燦徳くん、十傑に入ったの……?」
「えっ?」
思わず聞き返してしまった。なんで? 知らないの? 俺めっちゃ恥ずかしいじゃん。
「……あ、ああ〜。じ、実はそうなんだよね。薙切さん、知らなかった?」
「え、ええ。私は何も……」
「そういえば学内新聞でも特に記事とか見かけなかったな……」
寧々のことを部屋で抱いてたから気にしてなかったが、普通ならアリス辺りから連絡が来てもいいはずだ。創真なんて真っ先に飛びつきそうな話題だしな。
「……薊の野郎。やりがったなァ」
「さ、燦徳くん?」
「ん? 何でもないよ? 少し、自分の不甲斐なさに苛ついただけ」
十傑になった理由のほとんどを占める『陰ながら薊の計画を阻止しようとしていた俺を見てえりなの好感度を上げる』作戦が潰された。
マジで許さんぞ、薙切薊。総帥になったばかりで何で俺個人を集中攻撃するんだよ。セコい真似しやがって。娘に近付く男がそんなに怖いか。その判断はまあ……正しいと言わざるを得ないな。
「……燦徳くんは、凄いわね」
なんかえりなが褒めてくれた。凄いか? 自分で自分を持ち上げようとしたら思いっきり空振りした間抜けですけど。
だがこれは願ってもない流れだ。有り難く乗っからせてもらおう。
「け、結局何も出来てないからね。褒めてもらうようなことはないよ」
「いいえ。貴方は凄いわ。私には、想像すら出来ないもの。お父様に逆らうなんて……。私も、貴方のように強かったら……」
「強い……かな?」
「強いわよ。……子供の頃から、貴方は強かったの?」
「子供の頃、か。……えーっと、そうだなぁ」
なんか昔を語る流れになってしまった。自分の話をするつもりはなかったので少し戸惑ってしまう。でも聞かれてるし答えないとな。
がむしゃらな努力で生き抜いた幼少期のことは……正直あまり覚えてない。鮮明なのはとにかく努力したという記憶だけだ。
俺には〝チート〟と呼べる特殊能力がある。
料理を作る際、身体が勝手に最高の調理をしてくれるというものだ。そこに俺の意思は存在せず、自動的に料理が完成する。料理の腕が全てと言っても過言ではないこの世界では最強クラスの能力だろう。
しかし実際は、そんな都合の良いものでもなかった。
いくら才能が優れていても、それを入れる『器』が脆ければ意味が無い。
包丁を扱う手が、鍋を振る腕力が、俊敏な動きを可能にする身体が。才能を生かすだけの土台がなければ、最大限のパフォーマンスは発揮されない。せっかくのチートが宝の持ち腐れとなってしまうのだ。
だから俺は……鍛えた。
──
それはもう、辛い日々の連続。
燦徳家の後継者として覚えることだらけだし、毎日死ぬほど勉強させられるし、ぶっ倒れるまでトレーニングだし、挙げ句の果てには……あっ、思い出したら気持ち悪くなってきた。この話やめよう。すぐにやめよう。
「……いや、強くはなかったよ。強くあろうとはしてたけどね」
「そ、そう。……ふふっ。燦徳くんのそんな顔、初めて見たわ。……ふふっ、ふふふっ」
なんかお嬢様のツボに入っていらっしゃる。俺どんな顔してたんだろう、真っ青になってたかな。仕方ないんだよ、言葉を選ばなきゃ生き地獄だったんだから。『性欲』という最大の原動力がなかったら間違いなく折れてたと断言出来る。好きな漫画の世界に転生したっていうのも大きな要因だろうけど。
「わ、笑いすぎじゃない……? 薙切さん」
「……ご、ごめんなさい。燦徳くんにも苦い記憶があるんだと思ったら、少し可笑しくて。私が知っている貴方は……いつも凄い人だったから」
「そう言ってもらえるのは嬉しいけどね。……それと、薙切さんが笑ってくれたのも嬉しいよ。ずっと暗い顔してたからさ」
「あ、ありがとう……」
俺がえりなをこの部屋に連れこんだ理由の大体が薊に潰されたし、長居する必要もなくなってしまった。
薊側の人間にえりなが俺の部屋に居ることを知られたら面倒なので、早いとこ予定通りえりなを極星寮に逃すとするか。このまま会話を続けて計画にないことをしたら、どこかでボロが出てしまいそうだ。
「薙切さん。話は俺がつけるから、極星寮に匿ってもらおう。このまま俺の部屋に居るわけにはいかないしね」
「……あっ、そ、そうね。……男の子の、部屋だものね」
そんな風に言われてしまうと、俺まで緊張してしてくる。何その少し残念そうな反応。えっ、俺のこと好きなの? もう惚れてるの?
ちくしょう、俺に惚れてるかどうかなんて抱けば一発で分かるのに。普通の恋愛サボってきたツケが回ってきたな。
告白は確認作業なんて言葉をどっかで聞いたことあるが、難しすぎるだろ。俺の場合、確認作業どころかベッドインしてから惚れさせることの方が多いもんな。やっぱり普通が一番難易度高いわ。世の中のカップル凄い。
「と、とにかく、早く移動しよう。俺も一緒に行くから大丈夫だよ。荷物は……って、俺に連れ出されたから持ってないか。じゃあ行こう、薙切さん」
部屋の電気を落とし、扉を開ける。えりなが部屋から出て行くのを他の生徒に見られないために、細心の注意を払って外の様子を伺う。どうやら誰も廊下を歩いてはいないようだ。出るなら今だな。
「薙切さん。今なら出られ──」
「──燦徳くん」
振り向いた俺の胸に、何故かえりなが飛び込んで来た。身体を押されてしまうぐらいには勢いがあり、そのまま半開きにしていた扉を背中で閉めてしまった。
警戒するべき相手なら背中を向けていても反応出来るが、えりなはその対象外。俺は予想もしていなかった飛びつきに動揺しながら、大胆な行動をした令嬢に声をかけた。
「……な、薙切、さん? どうしたの?」
「…………ご、ごめんなさい」
部屋の電気は完全に落としているので、当然暗闇だ。扉を半開きにしていたことで部屋に入っていた廊下の明かりも消え、正直何も見えない。確かなのはえりなが俺に正面から抱きついているということだけであり、伝わってくる体温と僅かに聞こえる吐息しか得られる情報はなかった。
男として嬉しい限りの状況だが、マジで理解が追いつかない。フリーズしそうになる思考をどうにか動かし、えりなの意図を汲み取ろうとした。
「こ、怖いの……? 大丈夫、さっきも言ったでしょ? 俺が一緒に……」
「──……どうして、貴方はそこまでしてくれるの?」
「……えっ」
どうして、と訊ねられても、どう返せばいいか分からない。俺がえりなを助けているのは俺に惚れてもらおうという下心でしかないし、それ以外に理由はない。家庭環境に同情しているわけでも、偽善者を気取るわけでも、英雄になりたいわけでもない。
原作知識という揺るぎないアドバンテージがあるから、それを生かして薙切えりなという最高の女を手に入れる。それだけが、この二度目の人生で俺を前に進ませてきた精神的支柱。本当に、それだけなのだ。
──そんなこと、馬鹿正直に言えるわけない。
「……俺がそうしたいからってだけじゃ、納得出来ないかな?」
「……私は、貴方に優しくしてもらえるような人間じゃないわ。愛想もないし、世間知らずだし、素直でも……ないし」
どうやら優しくしてくれる理由が知りたいらしい。なるほど、理解した。確かに一方的な優しさって与える側からすると楽だけど、受け取る側からすると辛かったりするもんな。
えりなは特にそういう経験がないんだろう。誰にも頼ることなく、己の腕と『神の舌』で強く孤独に勝ち続けてきたわけだし。
「……そうだなぁ。……やっぱり、自分に似てるからかな。放っておけないんだ。お節介だと分かっていてもね」
「お、お節介だなんてっ! ……そんなこと、思ってないわ。燦徳くんには本当に……助けられてるの」
金持ちの家に生まれた者同士、俺たちに共通点が多いのは事実だ。まあ、家族に恵まれなかったのは間違いなくえりなの方だと思うけど。祖父以外はまともなの居ないもんな。比べるとアリスの家庭が明る過ぎる。
「……助けてもらっても、私は貴方に何も返せない。だから、その……申し訳なくて」
「それは違うよ、薙切さん。俺はちゃんと、見返りを求めて君を助けてるんだ」
「えっ……? で、でも、私。何も……」
「その内分かるよ。君にしか返せない──
「……私にしか返せない。……見返り?」
含みのある言い方をしてみたが、嫁になって欲しいってだけだ。良い感じに解釈して、良い感じに受け取ってもらえてると助かる。
……ああ、そういえば料理の
「──さあ、そろそろ行くよ。薙切さんみたいな美人に抱きつかれてるのは嬉しいけど、今は早く安全な場所に移動しないとね」
「ッ!? ごっ、ごめんなさい……! 私、無意識で……」
「分かってるって。からかってごめん」
再び扉を開けて周囲を伺う。人が居ないことを確認してから二人で部屋を飛び出した。
それにしても……助ける理由か。そこは盲点だったな。それっぽい理由とかちゃんと考えておこう。俺は基本的にアドリブが弱いんだ。
最大の野望に薙切えりなを選んだ理由なんて、言ってしまえば簡単だ。
初めて漫画で見た時──
一目惚れ、なんて軽いこと言って嫌われるのは勘弁だ。
えりなにとって燦徳正吾は──よく分からない存在だった。
同い年にも関わらず、自分を遥かに凌駕する程の卓越した調理技術を持つ料理人。異性でありながら気楽に話すことができ、素直な自分を曝け出せる数少ない相手でもあった。
けれど、分からない。何故自分を助けてくれるのか。何故自分に優しくしてくれるのか。何故自分の──隣に居てくれるのか。
今の自分の状況を第三者として見た時、えりなは自分でも面倒な立場に居るとの自覚があった。だからこそ、どうしてそんな自分に手を差し伸べ、笑いかけてくれるのかが本気で分からなかった。
極星寮を目指して森を歩いている今でさえ、傘を差して降り始めた雨から守ってくれている。天気予報でも見ていたのか、事前準備は完璧だった。部屋に傘が一本しかなかったので、一つの傘に二人が並んで入っている状態だ。少女漫画で見た『相合い傘』をしていることに顔を赤らめながら、えりなは横目で隣を歩く正吾の顔を眺めた。先程から携帯を耳に当て、誰かと通話中だ。
「──ああ、極星寮に行くから。薙切さんの着替えとかを頼むよ。……よろしく。じゃあ、また後で」
「……緋沙子への電話?」
「そうだよ。五分で準備するってさ。新戸さん、声だけで大慌てなのが伝わってきたよ」
聞こえてきた通話内容から相手を予想したが、正解だったらしい。
えりなは自分の方に傘の範囲が広げられていることを申し訳なく思いながら、雨に掻き消されてしまいそうな小声で言葉を溢した。
「……緋沙子と、仲が良いのね」
「ん? 何か言った? 薙切さん」
「あっ、い、いいえ! 何でも……ありません」
思わず大袈裟に否定するえりな。自分の発言が『嫉妬』からきたものだと理解したことで羞恥の感情とも合わさり、つい声が大きくなってしまった。
(……? どうして、胸が痛むの?)
自分の知らないところで緋沙子と正吾の距離が近付いている。そう思うと、何故か胸に覚えのない痛みが走った。どちらもえりなにとっては大切な存在。その二人の関係に自分が関与していないことが、何故か無性に寂しく感じた。
「雨、強くなってきたね」
「そ、そうね! 傘があって……良かった。……ありがとう、燦徳くん」
「……? うん、どういたしまして」
ふと溢れ出しそうになった感情を抑え込み、空元気を使って明るく振る舞うえりな。胸の痛みは余韻に変わり、多少残ってはいるが段々と和らいでいくのを感じた。
「……ねぇ、燦徳くん」
「ん? どうしたの?」
「その……あ、ありがとう」
自分から声をかけた手前、何か言わなければと思った結果、えりなは今日何度目になるかも分からない感謝を伝えた。繰り返し言われようとも嫌になる言葉ではないが、あまりにも短い時間で積み重ね過ぎると言葉の価値は落ちていく。えりなは自分の口下手さに肩を落とした。
「……ハハッ、どういたしまして。何度言われても、嬉しいもんだな」
「──ッ」
その一瞬、えりなは正吾のこれまでとは違う一面を見た。
上手く言葉には出来ないが、確かにそう感じ取ったのだ。まだ自分の知らない顔がある。そう思うと、また少し胸が高鳴った。
「さて、薙切さん。……駆け込み寺に到着だよ」
「え、ええ。……ここが、極星寮」
鬱蒼とした森を抜けると、目の前に建物が現れる。窓から見える光は優しく外を照らし、温かさすら覚える光景だった。
森の中に作られた独立国家。その名を──『極星寮』。
家出少女と誘拐男は、遠月学園唯一の治外法権へと身を隠した。
『燦徳正吾の【料理チート】解説』
作りたい品を思い浮かべると、身体が自動的に調理を開始する。味のランクは本人のやる気次第で『神の舌』を屈服させられる美味さにまで調整可能であり、食材や調理器具、制限時間などの条件によって調理速度が変化する。
本人の思考に関係なく身体が動くため、脳の処理が追いつかなくなり負担がかかるといったデメリットは存在しない。本人の意思を僅かであれば動きに反映させられるなどある程度の融通も効くが、その代わり一度調理を開始すると料理が完成するまで動きが止まることはないので、何も訓練していない人間が使用するのは危険。体力や身体能力に補正がかかる事もないため、十分に鍛えられた肉体が必要不可欠となる。
ちなみに、正吾が短期間ではあったが厨二病を発症した際、このチートのことを──『〝