──進級試験。
高等部一年二学期の最後に『北海道』にて行われる大イベントであり、文字通り二年生に進級出来るかどうかを評価される試験だ。
去年、つまり現在の二年生たちが挑んだ進級試験では百九十人が参加したにも関わらず、七十人以上の退学者が出たらしい。こういう話を聞くと、改めてこの学園の卒業到達率が低いってことを思い出すな。三年生の数が少なくて当たり前だ。
しかし、俺たち第九十二期生の進級試験は例年とは違い、そこまでの退学者を出すことはないだろう。
総帥が薙切薊へと代わったことで、遠月から競争教育は排除された。全員が完成されたレシピに従い、自分で料理を想像することはない。認められた正解を決められた手順で作る。そんな教育方法に変わったのだから、退学者を出す方が難しい。
薊に従う者。──つまり、『
薊政権に従わない者に待っているのは退学のみ。それが嫌なら従え。
極星寮のテレビで見た発表をまとめると、大体こんな感じだ。『残党狩り』で思ったより反逆者側に粘られたので、薊も少し苛ついているのかもしれない。多少強引なやり方をしてでも、反逆因子を根絶やしにしたいのだろう。
しかし、俺にとってそんなことは
理不尽な試験だろうが、不利な条件だろうが、俺には関係ない。毒親男の嫌がらせなんかよりも、俺には重要な事がある。
それこそ、この学園に来てから初めて緊張していると言っても良いぐらいの事が。
今夜、特別に極星寮で借りた俺の部屋。
寝泊まりするだけの部屋なので、もちろん上等な家具なんて置いていない。それこそ、遠月の寮らしくキッチンなどの調理場が整えられているぐらいだ。
そんな部屋に、突然来客があった。
コンコンッという控えめなノックと共に恐る恐る部屋に入って来た一人の少女──薙切えりなの訪問だった。
「やあ、薙切さん。いらっしゃい」
「こ、こんばんは。燦徳くん……」
何故彼女が俺の部屋に来たのか、そんな事は原作知識があるから分かっている。
極星寮のメンバーと触れ合い、料理が『楽しいもの』であることを思い出した。しかし、父親の洗脳を振り切るのには踏み出せない。だから、確かめたい。彼女はそのために俺の部屋を訪れたのだ。
このイベントがあると知っていたからこそ、俺は今夜極星寮に泊まることにした。薙切えりなという料理人が本来の姿を取り戻せるかどうかの、重要イベントを成功させるために。
「お茶を淹れるよ。くつろいで待ってて……と言っても、座布団ぐらいしかないけどね」
「い、いえ……お構いなく」
薄緑色のパジャマに身を包んだえりなを座らせ、お茶の準備をする。
ちゃぶ台と座布団の組み合わせでも、座る人間にえりなのような華があると映えるものだ。……というかそのパジャマ谷間が少し見えているんだが? そんな格好で男の部屋に来るとか本当に危機感ないな。
「それで? ご用件は? ただお喋りしに来てくれたってだけでも、俺は嬉しいんだけどね。……そういう訳でも、ないんでしょ?」
「……やっぱり、貴方に隠し事は出来ないわね」
そりゃそうだ。こちとら転生者だぞ。
「話したい事があるなら聞くよ。薙切さんは大事な友達だからね」
「……燦徳くん。……ありがとう」
少し肩の力が抜けたようで、えりなの表情も柔らかいものへ変わった。
どしたん? 話聞こか? は得意技の一つだ。まずはこちらが話しやすい状況を作ってやらなければ、スムーズに会話が進まないからな。
「……分からなくなってしまったの。自分が、どうして料理をしているのか」
深刻な顔で告げるえりな。予想していた答えとほぼ一致していることに安堵しながら、続く言葉に耳を傾ける。
「ある日まで、私は料理というものに何の情熱も持っていませんでした……。『神の舌』を持つ者として、味に絶望し続ける事は仕方ないことだと……諦めていたんだと思う」
聞いた話によれば、えりなは離乳食ですら専属の料理人が作った物しか食べられなかったらしい。赤ん坊の時代からそんな繊細すぎる味覚に悩まされれば、味に絶望するのも無理はないだろう。やっぱ何事も、普通が一番なんだよな。
「──でも、才波様の料理に出会って、料理が素晴らしいものだって思えたの。……貴方も、そうだったのかしら?」
そういえば宿泊研修の帰り、タクシーの中で俺も才波城一郎に憧れてるとか言ったっけ。あれはえりなの気を引くために言ったことだけど、覚えてたってことはよっぽど嬉しかったのかな。こういう所が本当に可愛い。
「……そうだね。……うん、同じ。薙切さんと同じだ」
「……ッ! そ、そう……良かった」
どこか安心したように笑うえりなを見て、微笑ましい気持ちにさせられてしまった。いかんいかん、気を引き締めろ。本当に話聞くだけで終わるわけにはいかないんだよ。
「……でも、才波様と出会って半年が過ぎた頃、お父様の『教育』が始まったの」
「……『教育』」
表情を一変させ、肩を少し震わせながらえりなは語った。
不出来な品を許すな。薊が認める品以外は全てクズでありゴミ、家畜の餌でしかない劣悪な存在。そういう刷り込みをされてきたという過去を。
まあ、一言で言えば薊がクズだ。
それ以外に言うことがないぐらい一言で終わる話だ。いくら『神の舌』を研ぎ澄ますためだったから、なんて理由をつけても幼い娘にやることじゃない。原作には出来の悪い料理をえりなの手でゴミ箱に捨てさせていた描写もあったし、普通に引く。食べ物を粗末にするんじゃねぇよ。俺も自分の事はクズだと自覚しているが、食べ物だけは粗末にしないぞ。この世界で俺以上のクズって逆に珍しいわ。
「お父様の言う事が間違っているとは思う。……けれど同時に、お父様の理念の正しさも、私には分かってしまうの。世の中にはどうしようもない不出来な品が溢れていて、私はそれを物心つく前から見せつけられてきたのだから」
天才には天才の苦悩がある。
俺も周りから見れば十分天才に分類される側だが、俺の場合はチート頼りで勝ち続けてきたインチキ転生者だ。……まあ、チートと言い切るには多少使い勝手が悪いけど。
それにしても、この世界の料理人って本当に面倒くさい生き方してるよな。
美味いか不味いか、良い品か悪い品かなんて、それこそ人それぞれだろうに。
美食を出す料理店を残し、それ以外の料理店を潰す。確か『
もうね、アホかと。まだ小学生が世界征服を夢見ている方が可愛気もある。一割にも満たない店だけを残し、九割の飲食店を潰す。それが日本という国にどれだけの影響を及ぼすかとか、アイツらは考えた事ないんだろうか。どんだけ世間知らずなんだよ。
「……それで、どうすれば良いのか分からなくなったと?」
「……」
力なく頷いたえりな。俺の部屋に来た理由を白状したようなものだ。自分でも甘えた行動だと分かっているのだろう。それでも、俺を頼ってきた。これはとても良い傾向だ。
「──なら、もう一度思い出してみれば良いよ。薙切さんが、何のために料理をするのか」
「…………えっ?」
「楽しいからなのか、父親に言われたからなのか……それとも、別の理由があるのかどうか。思い出す手伝いなら、俺にも出来ると思うからさ」
「手伝う……? ど、どうやって……?」
座布団から立ち上がった俺を、救いを求めるような顔で見上げるえりな。何か命令すればすんなり言うことを聞きそうな感じだ。そそる表情を見せてくれるが、ここは正統派の攻め方でいくしかない。
「そんなの決まってる。料理の事を思い出すのなら……料理でしか思い出せないよ」
「料理……で」
「俺が作ってあげるよ。薙切さんが答えを見つけられるような料理をね」
キッチンへ移動し、愛用の包丁を手にする。
食材と調理器具の確認を済ませ、調理を開始した。
「少々お待ちください。──薙切えりな様」
えりなの心に何重にも巻きつけられた鎖を破壊するような、圧倒的な美味だ。
身体が動く。最適で最善、最高で最強。切り方も、火入れも、味付けも。全ての調理が別次元。何と何を組み合わせているのか、どんな味に進化するのか。見ているだけの俺には全く分からない。
ただそれでも、たった一つだけ俺にも分かる事がある。
この料理は──必ず『神の舌』を
「──さあ、出来上がりだ」
作り上げた料理は『キッシュ』。
パイ生地やタルト生地で作った器の中に具材を入れてオーブンで焼き上げる、フランスの一般的な家庭料理だ。メインとした食材は『卵』。さて、どうなるかな。
「……普通のキッシュ?」
「見た目はね。でも切り分けると、面白いことになってるはずだよ」
ショートケーキのような形で切り出し、皿に乗せる。するとえりなはすぐに俺の言葉の意味を理解してくれた。
「──ッ! こ、これは……具材が何層にも重ねられている?」
「その通り。名付けるなら、『ミルフィーユ・キッシュ』。どうぞ召し上がれ、これは冷めない内に食べて欲しいからさ」
「え、ええ……それじゃあ、頂くわ」
フォークで一口分を取り、口へ運ぶ。咀嚼し、『神の舌』がえりなの意思に関係なく味を調べ上げる。そして──。
「…………んんっ!? ……なっ、なにっ、これぇ……!」
「口に合ったようで良かったよ」
身体を大きく震わせ、蕩けた表情を見せるえりな。普段ならそのエロい顔に興奮するところだが、今は違う。『神の舌』を捻じ伏せたという何よりの証拠に喜びが勝って……いや、やっぱエロいな。普通に興奮の方が勝つわ。なんなら絶頂してそうだし、めっちゃベッドに押し倒したい。
「この重厚な味は……ミートソースね?」
「……あっ、そうそう。流石は薙切さん」
思わず性欲に支配されそうになってしまったが、我に帰る。今はそういうのじゃない。俺は時と場合を考えられる男だ。
「普通キッシュは肉よりも野菜をメインとする事が多い。……けれどこの品は違う。野菜の甘さを利用して、肉と卵の旨味をこれ以上ない程に引き上げている……!」
えりなの言う通り、本来キッシュは野菜がメイン。定番ならほうれん草やきのこを使用する。ミートソースを使用する場合もあるにはあるが、俺の出した品ほど主張を強くすることは少ない。
調理しているのを眺めていただけなのでよく分からないが、食べさせた相手が全部説明してくれるので問題ない。
「……この生地、一枚ごとに黒胡椒が練り込んであるのね。それが肉の風味を引き立たせて、味のランクを上げている。でも……この深い味わいはどうやって?」
「使用したのは卵、生クリーム、ホワイトアスパラ、たけのこ、牛肉のミートソースとかだけど、隠し味と言えるのは……
「そ、そう!
良かった、当たってた。なんかキッチンの上にすりおろした
「でも、どうして
「えっ? それは……そうだなぁ」
チートは失敗しないので、とは言えないしな。
なんか良い感じにまとめたい。
「……驚かせたいって思ったんだ。薙切さんを」
「私を……?」
「うん。だから思い切った調理をしてみた。型に嵌まらない料理で、薙切さんに驚いて欲しかったんだよね。大成功みたいで良かったよ」
「そっ、それは……驚きましたけど」
「じゃあ、味の感想を聞かせて欲しいな。美味しかった?」
結果は分かりきっているが、えりなの口から言わせることに意味がある。勝ちを確信している俺に、えりなは少し恥ずかしそうな顔で言葉を返した。
「……お、美味しかったわ」
思わずガッツポーズ。ついに主人公が言わせることの出来なかった一言を俺の手で言わせたのだ。これほど優越感に浸れることもそうそうない。柄にもなく、普通に嬉しい。
「ねぇ、燦徳くん。どうして……こんな料理が作れるの? どうして貴方は……そんなにも」
「どうして、か。……正直、俺にも分からない」
嘘偽りなく、本当に分からない。
「けど、一つだけ分かるのは、俺にとって料理は楽しくないものだったってこと」
「
「そう、過去形。遠月学園に入学してからは割と楽しいかな」
「それは、どうして?」
「一人じゃないから」
「……!」
良い感じに聞き入ってるようなので、畳み掛ける。
「スタジエールの時だったかな、話したよね? 俺はずっと一人で料理してきたって。……誰と戦っても負けなくて、その内誰も俺に勝とうとはしなくなった」
「……燦徳くん」
「でも、遠月学園では違った」
やはり前もって下準備しておくのは大切だ。前もって不幸に見せかけた過去を話しておかなければ、こんなにも共感してもらえなかっただろう。小さな事を積み上げてきた俺の努力は正しかった。
「料理人は出会う事でしか成長出来ない。俺を成長させてくれるかもしれない料理人がたくさん居るんだ。楽しくないわけないよ」
「……そうね。そうよね」
「自分は関係ないって顔してるけど、俺が一番期待してるのは薙切さんだよ?」
「……えっ?」
「忘れちゃったの? スタジエールからの帰り、迎えの車を待ってた時に言ってくれたじゃん。──俺の
「あっ……」
大きく目を見開き、えりなが俺と視線をぶつける。淡い紫色の瞳が揺れ、彼女の心境を映し出す。蘇った恐怖で忘れていた──自身の決意を。
「俺、そう言ってもらえて本当に嬉しかったんだよ。だから、薙切さんには思いっきり料理してもらいたい。俺を倒すような、そんな凄い皿を作り上げてもらいたい」
「燦徳くんを……倒す。……私が、貴方を」
不安に揺れていた瞳が定まり、強い意思が見えた。
さあ、最後の仕上げといこう。
「──
食の魔王の血族、薙切えりな。
氷の女王、未来の食の魔王、『神の舌』。彼女を指し示す言葉はいくつもあるが、根本的なことは何も変わらない。この世界の料理人は──全員が負けず嫌いだ。
「……燦徳くん」
「なに?」
「私、今とても料理がしたい」
「どうして?」
「……思い出したの。自分がどうして、料理をしてきたのか」
「薙切家に生まれて、『神の舌』に選ばれたからでしょ?」
「違うわ。
割と大きな理由だと思うんだが、予想より振り切れたな。
──面白い。やはり薙切えりなはこれぐらい豪胆でなければダメだ。鳥籠の中に囚われているなんて、この女には似合わない。こういう女だからこそ、人生を懸けてまで手に入れる価値がある。
「じゃあ、何のために料理をするの?」
「決まってるわ。私が一番だと──
……ああ、最高だ。
俺は今、言葉に出来ないぐらいテンションが上がっている。これだよ、これこれ。俺が求めていたのはこの『薙切えりな』だ。残念だったな薊。お前の娘は、お前の手に余る。
「一番だと証明か。それは、俺に挑戦してるって事で良いのかな? 薙切さん」
「そう捉えてもらって構わないわ、燦徳くん。この薙切えりなに二言はありません。……私が必ず──貴方の
そう宣言すると、えりなは無邪気に笑った。
憑き物が落ちたような──清々しい表情で。
翌日からのえりなは、凄まじい変わりようだった。
退学という未来に絶望していた極星寮メンバーを言葉で奮い立たせ、自分の力で進級試験を全員乗り切らせて見せると宣言。食の魔王の血族に相応しいカリスマで、極星寮メンバーに希望を与えて見せた。
そして『教育』と称して始まったのは、えりなによる食材座学。進級試験が行われる北海道関連の食材を中心に、ありとあらゆる知識を叩き込み始めたのだ。それも、超スパルタで。
「この程度、すぐに覚えなさい。覚えるまで寝られると思わないことね」
「違う。この間違いは二回目よ。次に間違えたら……分かるわよね?」
「弾丸を増やすのよ。貴方たちが進級試験を生き抜くための弾丸を。……私がここまでしているのだから、合格は絶対よ。不合格なんて許さないわ」
──と、こんな感じで、受講しているメンバーを鍛えまくっている。
俺も講師を頼まれたが、受ける側に回りたかったのでお断りした。サポートは緋沙子が居れば十分だろうし、俺は俺で最近やる暇がなかった家の仕事なんかが溜まり始めてたしな。
そして何より、えりなと緋沙子の教師スタイルの服装がエロすぎる。
えりなは意外と形から入るタイプのようで、白のカッターシャツに黒のピチッとしたタイトスカートを着用。髪を後ろで縛り上げて眼鏡をかけ、完璧なエロいお姉さん教師の姿で座学を担当しているのだ。
同じ講師として隣に立つよりも、生徒として真正面からこの姿を見ていたかった。緋沙子は緋沙子でちゃんと似合ってて可愛いしな。なんだこの講座、一生受けていたい。
えりなにはまだ手を出せないので、休憩時間にスーツ姿の緋沙子を何度か犯した。文句こそ言われるが嫌がってはおらず、完全に俺に身も心も許してくれるようになった。えりなを救い出したことが緋沙子の好感度を跳ね上げてくれたのかもな。感慨深いものだ。
「んあっ、んんっ! しょ、正吾……! もう少し、ゆ、ゆっくりぃ……!」
いよいよ北の大地にて、進級試験が始まる。
『分かりやすい解説』
オリ主「邪魔すんじゃねぇよ毒親」
薊「邪魔すんじゃねぇよクソガキ」