会場全体を巻き込んだ準決勝・第二試合が終わり、BLUE二日目の予定が全て終了した。
燦徳正吾と幸平創真の一戦は圧倒的な力で燦徳正吾が勝利し、その幕を下ろした。見ていた者たち全員に、己の実力を見せつけるかのように。
〝優勝者は決まりだ〟。
〝今年のBLUEはとんでもないことになったな〟。
〝これからは燦徳家が料理界を率いることになるかもしれんぞ〟。
観戦していた者たちの多くはこのような意見で纏まり、優勝者は燦徳正吾以外あり得ないという雰囲気すら漂っていた。
燦徳家次期当主となる料理人がBLUEを制するようなことになれば、日本の料理界のパワーバランスは大きく変化するだろう。新時代の到来を予感させる波を感じ取れば、誰もが興奮してしまうのも無理はなかった。
しかし、そんな中で一人。追い詰められている者が居た。
正吾と決勝戦を戦うことになった──薙切えりなだ。
(……私は、どうすれば……?)
お互いを認め合うかのように創真と朗らかな会話をしている正吾を呆然と眺めながら、えりなは自問自答していた。凄まじい実力を見せつけた恋人に見惚れているわけではない。そんな余裕など、彼女の心に存在してはいなかった。
BLUE優勝を決める決勝戦は明日。生き残った自分と、
(……情けない)
勝負の前から気持ちで負けているなど、えりなにとっては未経験のことだった。そんな自分には正吾の顔を見ている資格もないと、えりなは背を向けて歩き出した。どこでも良い、一人になりたかった。
(……私は……私は……)
待ち望んでいたはずの勝負が、何故か自分を苦しめる。
勝ちたいと思った。
そしてそれが、
強いのは分かっていた。凄いのは分かっていた。実力を隠していたことも、分かっていた。
ただ単純に、正吾がえりなの予想を──全て超えてきたのだ。
迷いのない食材選びと下準備。調理に入るまで無駄な動きは一切存在せず、最初から正解の手順が分かっていたかのようだった。あんな人間離れした調理など、当然お目に掛かったことなどない。えりなはむしろ、正吾に真正面から喰らい付いた創真のことを評価していた。自分が同じようにやれるかと訊かれれば、首を横に振ると確信してしまったからだ。
だが、えりなは
彼女が恐れているものは、もっと別の方向にあった。
初めて出会った、自分と同年代で格上の料理人。繊細な技術と他を寄せつけない
共に時を過ごし、
停滞していた料理人としての自分を変え、父との問題を解決し、母との間に出来た深い溝ですら埋めて見せた。
えりなにとって、正吾は『恩人』などという言葉では片付けられないほどの人物であり、絶対に手放したくないという思いを持つ唯一の存在になった。
だからこそ、思う。──自分はこのままで良いのか、と。
恐らく、という言葉が傲慢になってしまうほどに、明日の決勝戦は自分が敗北するとえりなは確信していた。
創真が出した皿はえりなでさえ、極上の美味と認めざるを得ないレベルだったのだ。そう、食べずとも分かるほどに。
そんな品が、抵抗すら出来ずに踏み潰された。一矢報いることすらなく、一撃で完膚なきまでに破壊されたのだ。弱気にならない方が無理な話だ。
(……私は、正吾くんの隣に居ても……良いの? こんな……弱い私が……!)
会場から離れるため、歩きを止めずに思考する。考えれば考えるほど、えりなの顔から血の気が引いていった。無意味なことだと分かっている。こんなことを考えても料理のパフォーマンスが上がることはない。今以上に無様な敗北を晒す要因にしかならないということも、理解している。
それでも、止まらなかった。止められなかった。己の弱さを自覚した途端、えりなは自分自身を許せなくなってしまった。
(……何が『薙切えりな』よ。……何が『食の魔王の一族』よ。……何が『神の舌』よ。……私はこんなにも、弱いのに)
気付けば、涙を流していた。
弱音と同じく、止められない。情けなくも、目から次々と溢れ出してきた。まるで子供だ。料理人ですらない、ただの子供だ。いよいよ歩くことすら出来なくなり、えりなは会場近くの木の陰に身を隠して、その場にしゃがみ込んで泣いた。
(何もしてあげられない。私は正吾くんに……何も返してあげられない)
料理人としての自分だけでなく、家族との関係すら救ってくれた恩人。与えられるだけ与えられて、自分は何も返せない。その事実に、えりなは絶望していた。自分の弱さを憎み、蔑み、呪った。
薙切の名を背負っていようが、食の魔王の一族と恐れられていようが、『神の舌』を持っていようが、意味がない。
薙切えりなは──こんなにも弱い。
求めている
恋人としても自分からは動けず、いつも愛情を
何かもかも正吾の優しさに甘えて──
燦徳正吾は、こんな弱い人間が隣に居ていい人物じゃない。
自分の存在が最も燦徳正吾という料理人の価値を下げている。
そう考えれば考えるほど、涙は強く流れていった。
自分が抱えていた問題を全て解決してもらったにも関わらず、こちらからは何も返せない。自分の実力では、燦徳正吾を満足させられない。それが、それだけが、えりなはどうしようもなく悔しかった。
ただ敗北するだけならば別に良い。生きている限り、勝つための努力は積める。勝ちたいという意思さえ消えなければ、本当の意味で敗北することはないのだから。
──しかし、
期待していた相手が弱ければ、誰だって失望する。時間の無駄だったと、後悔する。自分には必要ないと──見限る。
それが、えりなにとって最も恐ろしいこと。
燦徳正吾に──
「……ぅっ、うぅっ……」
我慢していた声がついに漏れ始める。
嗚咽を堪え切れず、自分を抱き締めるようにして、えりなは泣いた。
(……私じゃ、貴方を幸せに出来ない……)
初めて異性を好きになった。少女漫画でしか知らなかった恋をした。料理以外のことを知り、これからの人生を一緒に歩いて行きたいと思った。
そんな資格が、自分には無いとも分からずに。
こんなことなら、出会わなければ良かった。こんな苦しい思いをするぐらいなら、他人のままで良かった。出会ってしまったからこそ、知ってしまったからこそ、自分はこんなにも弱くなってしまった。
棄権するべきだ。こんな精神状態で料理など出来るはずもない。最も無様な姿を見せる必要など、ないのだから。
えりなが決意を固めた瞬間──後ろから焦ったような声が掛けられた。
「──おおっ! 良かったっ! こんな所に居たのか……! ……ハァハァ、姿が見えないから探してたんだぞ? 携帯も控え室にあったから、走って探すしかなかったし」
「……しょ、正吾……くん」
「……えっ? 泣いてる、のか? えりな」
「こ、これは……違うの。別に、何でもないから……」
慌てて目を擦って誤魔化そうとするが、焼け石に水どころか答え合わせをしているようなものだ。正吾は膝を折ってえりなと目線を合わせると、優しい声音で問いかけた。
「どうした? 何かあったのか?」
普段は心地良い優しさが、今は痛い。
情けない姿を見られたくなくて、更に情けない姿を晒している。涙を止めようとすればするほど、次の涙が溢れ出た。
「大丈夫、落ち着きな。……ほら、ゆっくり深呼吸して」
正吾はそんなえりなに動揺することもなく、抱き締めてからゆっくりと背中を撫でた。呼吸を整えさせるように促しながら、数分間声をかけ続ける。
人肌の温もりが安心感を与えたようで、えりなの呼吸も安定し、無事に落ち着きを取り戻した。
「……ご、ごめんなさい。正吾くん。……情けないところを、見せてしまって」
謝罪するえりなに軽く手を振りながら、正吾は彼女の隣に腰を落とした。滴る汗を腕で拭いながら、緊張が解けたような表情で笑っている。
「いやいや、逆に今見れて良かったよ。俺がえりなを幸せにするから、泣こうと思っても泣けないかもしれないしな」
「……ふふっ、何言ってるのよ」
「やっぱえりなは、笑ってる方が可愛いな」
敵わないと、素直に思う。
料理だけではない。人間性でも、自分はこの恋人の足下にも及ばない。そう思うと、ますます自分の価値をネガティブな感情が引き下げてきた。
「……ねぇ、正吾くん。……明日は、私との試合ね」
「そうだな、いよいよ決勝戦か。楽しみだ」
楽しみという言葉につい反応してしまった自分の単純さに呆れながら、えりなは言葉を続ける。
「私は……その、貴方に相応しく……ないと思うの。私じゃ貴方が望む
「──なれるよ」
否定の言葉を否定する正吾。
予想外の一手に、えりなの思考が停止した。無意識に弱音を吐こうとしていた自分にも驚いたが、それ以上にその弱音を真っ向から否定されたことに動揺を隠せなかったのだ。
「で、でも……どうして? どうしてそこまで私を……」
「別に『神の舌』があるからとか、そんな程度の話じゃないぞ? えりなは……いや、君は……俺の料理を見た上で俺に喧嘩を売ってきた二人の料理人の内の一人だからさ」
「……幸平くんと、私」
「そう。これでも、結構嬉しかったんだぞ? 二人には感謝してるんだ。本当に」
「……でも、幸平くんは貴方に勝てなかった。歯が立たなかった。……私も、同じ結果を辿ることになる」
「随分と弱気だな。ひょっとしてビビったか? 俺の料理に」
からかわれているのは分かるが、否定は出来なかったのでえりなは黙った。
正吾はそんな彼女の様子を見ると、少しだけ真剣な表情に切り替わる。
「それでも良いさ。自分より強いモノに挑むんだ。ビビって当然、怖気付いて当然、逃げたくなって当然だ」
「……貴方に、失望されるのが……怖いの」
「また可愛い理由だな。俺のことが好きすぎて、嫌われるのが怖いって解釈で合ってるか?」
「……〜〜〜ッ」
合っているが故に、羞恥の感情が抑えられなかった。的確に言葉にされるとこうも恥ずかしいのかと、えりなは自分の惨めさに顔を伏せた。
しかし、えりなはすぐに顔を上げることになる。
「失望しないよ。絶対に」
立ち上がりながら告げられた正吾の言葉に、えりなが反応する。心底不思議そうな顔を浮かべて、正吾に問いかけた。
「……貴方が私を信じてくれるのは、嬉しいわ。……でも、私が私を信じられないの。……私の料理を、信じられない」
「なら、
「正吾くんを……?」
「そう。自分の力が信じられないなら、信じなくて良い。代わりに俺の言葉を信じろよ。──薙切えりなは凄い料理人だっていう、俺の言葉をさ」
朗らかに笑いながら、どこか照れ臭そうに答える正吾。そんな恋人の表情と言葉に、えりなは何故か胸が軽くなったように感じた。何となくだが、難しく考えるのをやめろ。そう言われた気がしたからかもしれない。
「さあ、そろそろ戻ろう。……あちゃ、目の腫れが凄いな。早く冷やして早く寝よう。お互い、明日に備えてちゃんと休まないとな」
「……ええ、そうね」
正吾から差し出された手を取り、えりなも立ち上がる。憑き物が落ちたような、清々しい顔をして。
「……私、全力を尽くすわ。私の料理の全てを、貴方にぶつける」
「それでこそ、俺が惚れた女だ。……明日はサプライズもあるから、動揺して調理をミスらないようにな〜っ」
「サ、サプライズ……? 正吾くん……一体、何を……?」
「明日になってからのお楽しみだ。──最後の勝負、思いっきり楽しもうぜ」
会場に戻るまでの間、えりなは正吾に手を引かれたまま『サプライズ』という言葉の意味を考えていたが──結局答えは出ずに、BLUE最終日を迎えたのだった。
BLUE三日目──最終日。
決勝戦が行われるとあって、会場の活気は最高潮に達していた。
世界中のメディアは開始を今か今かと待ち侘びており、数え切れないほどのカメラがレンズを光らせていた。
試合はもちろん生放送されており、全国のお茶の間にてライブ映像で決着の瞬間を見届けることが可能だ。
会場に集まった観客の数もここ三日間で最も多い。会場に入り切れなかった者たちもどうにかして熱を感じようと、会場の外に張り付いている状況だった。まさに、世界中が注目している一戦だ。
決勝戦の舞台である天守閣へと移動する選手たちには、期待を込めた拍手が送られている。
燦徳正吾、薙切えりな。BLUEの決勝戦という若手の世界最強を決める勝負に王手をかけた──二人の料理人へ。
「正吾くんっ! 頑張ってね! 絶対えりなに勝つのよっ!!」
「流石に落ち着いてるわね。頑張って、正吾くん」
「……まっ、頑張んな」
「えりな様と正吾が戦う……わっ、私はもちろんえりな様を応援しているからなっ! ……まあ、少しぐらいなら、貴様のことを応援してやらないこともないが」
「はいは〜いっ! メアちゃんも応援してるからね〜っ!」
「また私に……完璧な料理を見せてよね」
「竜胆先輩が応援しててやるからな〜っ! ぜってー負けんなよ〜っ!」
「「正吾くーんっ! 頑張ってーっ!!」」
「わ、私は大会側の人間だから、どちらか一方に肩入れなんて……ちょっとだけするから、頑張ってね」
「正吾様。……どうか、ご武運を」
城へと向かって歩いて行く正吾に、女性たちが次々と声援を送る。
薙切アリス、榊涼子、北条美代子、新戸緋沙子、梁井メア、紀ノ国寧々と、遠月学園でも指折りの美少女たちに加えて、遠月OGである小林竜胆。更にはベルタ、シーラ、ランダービの金髪碧眼トリオに、モデル体型の美人秘書である峰ヶ崎八重子まで揃っていた。
もしこの光景が放映されていれば、燦徳正吾の男性人気は著しく低下していたことだろう。
「ああ、皆ありがとう。──行ってくる」
包丁のケースを肩に乗せながら、正吾は先に城へと入って行ったえりなの後に続いた。
調理場として用意されたのは天守閣の内部、高級感溢れる木造の空間だった。決勝を争う二人の料理人が場に揃い、勝負の準備は全て整った。
「──決勝の審査員は私じゃ。お題は……『地球上になかった一皿』」
WGOのトップ、薙切真凪が姿を現す。
えりなと同じく『神の舌』を持つ彼女を満足させる品を作らなければ、本当の意味での勝利は手に出来ない。
えりなも当初はそのことばかりに囚われていたが、今は全く別のことに囚われている。
(……凄い迫力ね。私がこれまで対峙してきたどの料理人よりも、確実に)
母との問題など、最早今のえりなにとって重要なことではない。
問題は、目の前に立っている料理人からどうやって勝利を奪い取るかだ。
「顔色が良くなってる。よく眠れたみたいだな」
「……お陰様でね。今更睡眠を捨てて試作しても無意味だもの。寝不足で挑んで良い相手じゃないことだけは……確かだから」
「ハハッ、そりゃそうだ。俺も昨日は早めに寝たよ。だから悪いけど……絶好調だ」
嵐の前の静けさとでも言うべき怖さを感じたえりな。調理場の前に移動してから、深呼吸を繰り返す。
皮肉にも、その時に思い出したのは昨日与えてもらったばかりの正吾の温もりだった。緊張させられている原因と緊張を解決しようとしてくれている要因の元が同じ相手とは、何とも複雑だ。
「制限時間は180分。心してかかれ」
残すは調理開始宣言のみとなったところで、唐突に正吾が手を挙げた。
真凪は開戦直前に何だという顔を浮かべたが、振り上げていた腕を下ろして問いかける。正吾の実力を認めているからこその寛容さだった。
「どうした? 燦徳正吾」
「申し訳ありません。薙切真凪殿。少しだけ時間を頂きたい。自分の方から……大切な話があります」
「……今でなくてはならんのか?」
真凪の言葉に頷きを返した正吾。既に生放送が始まっており、止めることは出来ないぞという忠告であることを理解した上での返答だ。それならば好きにしろという意味を込めて、真凪が正吾に対して手を振る。
正吾は軽く一礼すると、厨房の前に移動し、天守閣全体に響くよう声を張り上げた。
「──自分は薙切えりなさんと正式にお付き合いをしています」
前日に引き続き、正吾はまたも会場の空気を凍らせた。
言葉を聞いたほとんどの者たちの頭がすぐには理解出来ず、数秒の思考停止に陥った。そしてその硬直が解けた途端、会場中は騒ぎの声で溢れかえった。
「なっ、なっ、何を言ってるの!? 正吾くん!?」
「これがサプライズだよ、えりな。驚いた?」
「驚いていないように見えるのっ!?!?」
緊張に支配されていた表情から一変、えりなは正吾に詰め寄った。全力で叫びながら、何故こんなことをしたのか問いただすために。
「薙切真凪殿。是非とも、僕とえりなさんの婚約を認めて頂きたい」
「しょ、正吾くん!? だから何を──」
「えりなさんは僕が必ず幸せにします。この命に代えても」
「…………ぁぅ」
止められないことを悟ったえりな。顔を赤く染め上げて、その場にしゃがみ込んでしまった。
そんな娘を不憫に思いながら、真凪は正吾へと視線を向ける。
「良かろう。お主は私が見込んだ通り……いや、それ以上の男だった。えりなを任せるのに、お主以上の者は居らんだろうからな。だが、以前も言ったが、婿入りの件に関しては私ではなく父上に……」
「分かっています。──仙左衛門殿」
真凪の言葉に強い頷きを返すと、正吾は舞台の隅へと声をかけた。陰から姿を見せたのは薙切家現当主である薙切仙左衛門。魔王の風格を漂わせながらの登場に、会場の熱は更に引き上がった。
「父上。来ていたのか」
「うむ、燦徳正吾に呼ばれておったのだ。まさかここで声が掛かるとは思わなかったがな」
「申し訳ありません、仙左衛門殿。今でなければ意味がないんです」
「分かっておる。……お主への恩義と約束を、果たす時が来たようだな」
確信しているかのような物言いに正吾は軽く頭を下げると、食の魔王の一族を率いる当主に──真正面から要求した。
「この勝負で僕が勝てば……将来的にえりなさんには『薙切』ではなく、『燦徳』の名を背負ってもらいます」
次の瞬間、正吾の足下でうずくまっていたえりなが驚愕の表情を浮かべたまま顔を上げた。言葉にせずとも〝何言ってるんだコイツ〟という意思が見て取れる。
「君が薙切家に婿入りするのではなく、えりなが燦徳家に
「あまり驚かないんですね」
「燦徳家は一人息子と聞く、予想はしておった。……お主がえりなに敗北した場合はどうするつもりかな?」
「その時は潔く、薙切家に婿入りをさせて頂きます」
「良いのか?」
「燦徳家の現当主……父からの許可は得ています。僕の言葉はそのまま、現当主の言葉と思ってもらって構わないとのことです」
どうして当たり前のように会話が続いているのかと、えりなは本気で理解が追いつかなかった。婿入りだの嫁入りだの、当事者であるはずの自分が完全に蚊帳の外だ。情報量の多さに混乱しても仕方ないだろう。
(つ、つつつまり……私が正吾くんと結婚するってこと? それで婿入りか嫁入りかって話になって……? 正吾くんと結婚したくない訳じゃないけど、急な話すぎて……というか、今って生放送されてるのよね? 私は一体どういう感情で試合をするの……?)
可哀想。今のえりなの立場を表すのには、この言葉だけで十分すぎた。
そんな可哀想な彼女を置き去りにしたまま、正吾と仙左衛門の会話は行くところまで行き着いたのだった。
「──あいわかった! 薙切家現当主として、その願いを正式に受け入れよう。この決勝戦に条件を加える。燦徳正吾が勝利した場合、薙切えりなは燦徳家への嫁入りを。薙切えりなが勝利した場合は燦徳正吾が薙切家へ婿入りすることとなる。……これで良いな?」
「はい、ありがとうございます」
「えっ? ……えっ?」
何も良くない、何一つ良くない。そう叫びたかったえりなだが、状況がそれを許してはくれなかった。
沸き上がる観客と、それに比例してボルテージを上げていく会場。えりなからすれば完全にアウェーでしかなかった。
「さて、これで逃げ場はなくなったな。後はもう全力で戦うしかないぞ、えりな」
「あ、貴方って人は……!」
悪びれた様子もなく、しゃがんだままのえりなに目線を合わせて笑う正吾。恋する乙女とは難儀なもので、こんな辱めを受けさせられているというのに、えりなはその笑顔に心を揺さぶられてしまった。
「んー、まあそうだな。自信がないなら逃げてもいいぞ。薙切えりな殿」
「……はい?」
「だから、逃げてもいいぞって。勝つ自信がないならな」
その時、えりなの中で変なスイッチが入った。
「……逃げる? この私が……
公の場でいきなり婚約話をされたかと思えば、楽観的な逃げてもいいぞという台詞。散々好き勝手に振り回された怒りから──えりなの闘志に燃え上がるような火がついた。
「……良いでしょう。受けて立ちます。逃げることなどあり得ません。この私に……薙切えりなに勝負を挑んだこと、骨の髄まで後悔させてあげます。──燦徳正吾くん」
「ハハッ、そうこなきゃな。
戦う顔になったえりなに向かって、正吾は楽しそうに告げた。
「──お前に〝食戟〟を申し込む」
『正吾』
・好きな子をいじめて楽しんでる。それはそれとして、最終目標を叶える準備も整えた。
『えりな』
・好きな子にいじめられて感情がぐちゃぐちゃ。何とかしてやり返したいと、闘志は全開。
『真凪』
・何を見せられているんだ?
『仙左衛門』
・心の中で爆笑。愉快愉快。
『薊』
・モニターに映る正吾に向かって罵詈雑言の嵐。愛する娘をお前みたいな(ry