「──ははっ、なんか凄ぇことになっちまったな。食戟だってよ、田所」
「わっ、わっ、わっ〜!! 燦徳くん……い、いきなりプロポーズなんてぇ、大胆すぎるべさぁ……!」
観客席にて爆笑する創真の隣で、田所は右へ左へ揺れ動きながら取り乱していた。その微笑ましさから、創真が更に笑みを深める。
「正吾が言ってた女って……薙切のことだったのか」
「えっ? 何か言った? 創真くん」
「いや? 何でもないっ。それより田所、落ち着けって。そんなんじゃ二人の勝負をちゃんと見届けられねぇぞ?」
「そ、創真くんが落ち着きすぎなんだよぉ……。だってプロポーズだよ!? 結婚するんだよ!? 勝った方の苗字に変えるとか……ふわぁ〜っ」
頭から湯気を出してオーバーヒートする田所。
創真はそんな彼女の顔を少しだけ見つめると、軽く口角を上げてから決勝戦が映し出されているモニターに視線を戻した。
「正吾と薙切の食戟か……さあて、どんな勝負になるかねぇ」
ちょうどモニターに出ていたのは燦徳正吾。創真との勝負でも披露していた
対戦相手からすれば、これ程までに嫌なプレッシャーもないだろう。こちらが三つ・四つの調理器具で工夫しながらやっている作業を、向こうは七つ・八つと倍近い数の調理器具でやってくるのだ。単純に作業スピードで遅れを取るだけでなく、何をしてくるのか分からない恐怖も襲ってくる。
実際にやられた創真ともう一人、薙切えりなも現在進行でそのプレッシャーに冷や汗を流していた。
(……やっぱり。目の前で見ても、よく分からないわね)
ため息でも吐きそうな顔で手を動かすえりな。
創真との勝負で見てはいたが、対戦相手として見せつけられるとこうも違ってくる。肌を焼くような圧倒的なプレッシャーは確実にえりなの精神を削り取ってきた。
ただでさえ『地球上になかった一皿』という意味の分からない難易度のお題を完成させなければならないのだ。余計なことに意識を割いている場合ではないと、えりなは自身の手元に集中した。
持てる限りの技術と生まれ持った『
(──ふふっ。でも、不思議。お母様に料理を作るっていうのに、全然怖くない。……それ以上に怖い料理人を相手にしてるからかしら?)
大きなトラウマとも呼べる母親。同じ『神の舌』を持つえりなだからこそ、『神の舌』を満足させる難しさを文字通り身をもって知っている。この世でただ一人、薙切えりなだけが本当の意味で理解出来る立場に居るのだ。
そしてそれ以上に──燦徳正吾から奪い取る勝利の価値も。
(もっと早く! もっと深く! 思考を止めたら絶対に勝てない! 正吾くん以上の料理を作るには──私の全てを出し尽くさなきゃっ!!)
相手を気にしている余裕はない。余裕はないが──やはり視界に入れてしまう。
(フライパンごとに火力を分けて……
連隊食戟でも使用していた〝調理時間の短縮技術〟。
料理人を縛る鎖とも呼べる『制限時間』の概念を破壊し、一人だけ自由を得るような裏技だ。更には時間を短縮するだけでなく、その過程で味まで引き上げてくるのだから手が付けられない。
自分の料理を引き上げるだけ引き上げて、相手の料理を威圧するだけ威圧する。まさに良いとこ取りのやりたい放題。フライパンを振る度に歓声が上がる料理人など、世界中探してもそうは居ないだろう。
しかし、それだけの技術がノーリスクで使えるはずもない。人間とは思えない動きを見せている正吾は滝のような汗を流し、肩で息をするような荒い呼吸を繰り返していた。珍しく疲労を露わにしながらの調理だが、一つ一つが繊細で緻密。まるで早送りでもしているかのような滑らかさだ。
「貴方は本当に……凄い人ねっ!」
恐怖を感じていながらも、えりなの中には純粋な楽しさが湧き上がっていた。これまでは不要だと切り捨てていた感情に、確かに心躍らされていたのだ。
生半可な品では話にならない。『神の舌』を超えるような品でなければ、燦徳正吾には勝てない。愛する恋人の
恩を返すため、隣を歩くため、薙切えりなは己の限界を壊し、料理と向かい合った。
「──か、か、完成よっ……!」
「──……ハァ、ハァ、ハァ……み、右に……同じく」
二人とも、制限時間終了間際で皿を完成させた。
許される限りの時間を費やし、詰め込めるだけのアイデアを詰め込んだ一皿だ。両者の顔は重度の疲労に染まっており、この三時間がどれほど辛い時間だったのかを分かりやすく表していた。特に正吾の疲労は凄まじく、疲れていると言うより軽く死にかけていた。
「──さて、審査に入るとしよう。私の『神の舌』を満足させる『地球上になかった一皿』……存分に堪能させてもらおうか」
二人から皿を出された審査員である薙切真凪は、いつも通りの横柄な態度を崩さずに、頬杖を突きながら不敵な笑みを浮かべていた。
「まずはどちらの皿から味わうとするか……」
「──私の皿から、お願い致しますわ」
「……えりな」
真っ先に手を挙げたのはえりな。予想外だったのか、真凪の表情が少しばかり強張る。
「……本当に、良いのだな? 立場上、言葉など選べんぞ」
「当然でしょう?
料理勝負に於いて、先攻は圧倒的に有利だ。最も料理の味のレベルが高いのは出来立てであり、時間が経過していくごとにそのピークは過ぎていく。その優位性を理解しているからこそ、えりなは正吾に許可を求めた。無駄なプライドは必要ない、必要なのは勝利だけなのだ。
正吾がえりなからの提案を断るはずもなく、最初の審査はえりなの品からとなった。真凪が銀色のフタを外すと、作り上げられた料理が姿を現した。本能の根本から食欲を刺激するような、芳醇な香りと共に。
「これが私の全力。──『キッシュ・ベネディクト』でございます」
丸型のパイ生地が黄金の輝きを放ち、夜空を照らす。
見ているだけでサクサクという耳心地の良い生地感が伝わってきそうな完成度に、観客たちは一人残らず息を呑んだ。
「……美しいな」
真凪の口から溢れたように、素直な賞賛が呟かれる。それはえりなが求めてやまなかった──母親からの褒め言葉だった。
しかし、それで喜びを露わにするほど、今の薙切えりなは子供ではない。大事なのはこの後だ。評価されるのは味、それ以外に無いのだから。
フォークがパイ生地に沈み、一口分が取り分けられる。湯気に包まれたキッシュが、真凪の口へと運ばれた。『神の舌』によって作られた最高傑作が、『神の舌』へと挑戦した瞬間だった。
呪いとも呼べる人類最高峰の味覚。それを知る関係者たちに緊張が走る中、咀嚼し終えた真凪は──全力で頬を緩ませた。
「……〜〜〜ッ!!!!」
言葉はなく、派手な動きもない。真凪は小さく拳を握り締め、感動が湧き上がるように身体を小刻みに震わせた。
一目見て味の感想が分かるリアクションだが、えりなは言葉を聞くまで安心は出来なかった。それを知ってか知らずか、真凪は娘に向かって優しく微笑んだ。
「……腕を上げたな、えりな。……〝美味しいよ〟」
「ッ! ……はい。……お母様」
使用した食材も、調理方法も、説明する必要はない。『神の舌』の前に出される言葉は不味いか美味いかの二種類のみ。最も地味で、最も崇高な審査だった。
「名の通り、キッシュとエッグベネディクトを合わせた品だな。……何故、この二品を?」
「それは……秘密です」
得意料理であるエッグベネディクトと自分の心を救ってもらったキッシュ。前者はともかく、後者の理由を説明するのは普通に恥ずかしいため、えりなは大人しく口を閉ざした。
真凪も深く追求することはなく、二口目を食べ始めた。どこからどう見ても、幸せな食事を楽しんでいるようにしか見えない。
「……真凪。……うっ、うぅっ……!」
「……えりな。……本当に、成長したのう」
妻と娘に泣く薊と、娘と孫に泣く仙左衛門。『神の舌』に狂わされた一家がその呪いに打ち勝った。この事実に泣くなという方が無理な話だった。あのアリスですら、喜びのあまり涙目になっているほどだ。
キッシュの半分を食べ終えたところで、真凪のフォークが皿に置かれる。流石に完食するわけにもいかないので、理性を働かせたようだ。満足そうなため息を吐きながら、穏やかに微笑んでいた。
薙切家の血筋が受け継ぐ特殊能力である『おはだけ』、そしてその上位能力である他人に『おはだけ』を与える『おさずけ』も発動しており、会場に居た観客たちのほとんどが下着姿へと変えられていた。薙切真凪が本当の美味を感じたという何よりの証拠だ。
「──次は自分の皿をお願いします」
これで優勝者を決めてしまいたいとすら思える一皿だったが、真凪にとっては本来、次の審査が本命だ。真正面から自分に文句を言い、娘の恋人となり、自信満々で大口を叩いた料理人。
真凪は、燦徳正吾が出した皿に手を掛けた。
そして、拍子抜けさせられた。
「……これは──『
どんな料理が飛び出してくるかと思えば、現れたのは卵料理の基礎中の基礎。シンプルという言葉が似合いすぎるその料理に、真凪だけでなく会場全体が肩透かしを食らった。──だが、既に勝負を見届けているのは会場全体などという生温い範囲ではない。この決勝は全国にライブ中継されているのだ。日本中どころか世界中が首を傾げた瞬間だった。
「薙切さんも……いや、えりなも一緒にどう? これは俺の本気の料理──『
ただのオムレツに何を? ──などと馬鹿には出来ない。真凪も、えりなも、目の前の皿を疑うことなど出来はしなかった。だからこそ、えりなもすぐに席へ着いた。真凪の隣に腰を落とし、出されたオムレツへと視線を奪われる。
これまでに見てきたどのオムレツよりも美しい卵の肌質をしているが、現状ではそれ以外に褒める部分は見当たらない。味の想像を膨らませる香りですら、えりなの『キッシュ・ベネディクト』には遠く及んでいない。
「名付けて…………いや、違うな。
わざわざ自分で『
「……では、審査に入る」
「……はい」
この決勝戦で『
「この断面は……牛肉? そして中にソースが仕込んである……!」
「パテで包んだ牛肉を、更にパイ生地で包んで焼き上げているな。イギリスの伝統料理──『ビーフ・ウェリントン』か。まさかこの料理を卵で包むとはな。……んっ、断面から漂う閉じ込められていたこの香り……! 面白いではないか……!」
大きさ的には単なるオムレツだが、中身は全くの別物。絶妙な焼き加減である桃色の肉の断面に、肉の周りを一周する黒色のパテ。その周りを一周する茶色のパイ生地に、それら全てを包み込む黄色の卵。どこからか溢れるホワイトソースが全体の色調を引き上げ、芸術品のような美しさを作り上げていた。
この料理を試す──否、挑むのは二枚の『神の舌』。
熱の宿った最高の状態を食すため、えりなと真凪は同時にフォークを口へと運んだ。ふわっとした卵の食感に続いてサクッと砕けるパイ生地、歯を更に奥へと進ませるようなパテを通過した瞬間──圧倒的な柔らかさと共に牛肉の旨味が二人の舌を襲った。
「「──……ッ!?!?!?」」
声も出せずに身体を震わせるえりなと真凪。咀嚼する度に雷に打たれたかのような衝撃に襲われ、舌を蹂躙する圧倒的な美味さに悶えることしか出来なかった。白い肌は赤く染まり、息は乱れ、全身を愛撫されているかのような快楽が包み込む。
忌々しいほどに味を解析する『神の舌』ですら、簡単な感想も出てこない。二人とも小さな子供のように、口に含んだ一口を幸せそうに咀嚼している。喉を通すのが怖いとすら感じる美味。たった一口を食べ終えただけで、えりなと真凪は意識を失う直前にまで追い詰められた。
「……こ、こんなの……勝てる、わけが……んっ」
「……恐ろしい、男よのぉ……!」
意地を見せたのは真凪の方だった。震える手で二口目を口に運び込むと、意識を強く保ちながら味の解析に入った。
「……肉の焼き加減は言うまでもない。むしろ、
「偶然ですよ。偶然」
軽く笑って否定する正吾だが、真凪は確信していた。全てを計算し、最高の状態で審査してもらえるように調理していたということを。
火力の違うフライパンを使い分けていたとは思えない芸当に、真凪は人生で初めて料理人に恐怖した。
「全てを包む卵は一枚だけじゃなく、三枚。どうやったらここまで美しく巻き上げられる……? 一枚ごとに調理法を変え、噛み締める度に味が深くなっていく。肉を取り囲むパテは豚肉と鶏肉、そして微塵切りにした数種類の野菜を合わせてオリーブオイルで焼いたものか。そこで出た肉汁をパイ生地に練り込み、香りのインパクトを底上げしておる! 卵の優しい味から一変、肉の猛々しい強い力に押さえつけられるようだ……!」
「えりなもほら、二口目食べな?」
「あっ……ちょっ、ちょっと待っ──んんっ!!」
拒もうとしたえりなだったが、差し出された一口を身体が勝手に迎え入れる。二度目の衝撃に耐えられず、えりなは官能的な声を上げた。
「えりなっ! ……くっ、私ですら、私の『神の舌』ですら……この皿の前では……ただの舌に成り下がる……!! 何という……暴力的なまでの美味さだ。こんな完成度の料理など、初めて──ッ!!」
先程爆発した『おさずけ』の対象外だったえりなと真凪も、ついに逃げ場がなくなる。溢れんばかりの美味により、二人自身にも『おはだけ』が襲いかかったのだ。
「「──んああああぁぁぁぁぁあんッ!!」」
親と娘、二人の女性の服が同時に消えた。
肌色が埋め尽くす会場で唯一、燦徳正吾だけがコックスーツを身に纏っている。それ即ち、勝者の証。若手の世界最強が誰なのかを、全世界に見せつけていた。
「……さ、燦徳、正吾……! お主、こんな品を……どうやって?」
幸せそうに意識を落としたえりなとは違い、真凪は最後まで審査員長としての威厳と意識を保った。
そして誰もが求める答えを要求したが、訊ねた料理人が悪かった。
「──
この日、燦徳正吾はその名を全世界に轟かせ、料理人としての名声を不動のものとした。燦徳グループの料理界での地位向上と共に。
BLUE本戦・決勝。
薙切えりなとの食戟。
勝者──燦徳正吾。
食の魔王の後継者である薙切えりなを手に入れ、世界的な名声を獲得した料理人が現れた。
これから先の未来で、確実に料理界全体を支配するであろう料理人だった。
誰が呼んだか──『食の覇王』。
全てをやり切った少年は、二度目の人生で最も純粋に笑った。
『正吾』
・疲れた。マジで疲れた。死にかけた。レシピ?知るかそんなもん。
『えりな』
・婚約&嫁入りが確定。エンダァァァァアッ!!
『真凪』
・娘の成長に感動していたら、ヤバい奴に娘と一緒に服を剥ぎ取られた(自爆)。
『薊』
・泣いた。ブーメランパンツ。
『仙左衛門』
・泣いた。ふんどし。