緋沙子に中出しを決めた初日から数日が経過し、地獄の合宿もいよいよ大詰め。
俺は試験会場となっている場所に立ちながら、ようやく終わりが近いことを実感していた。
現在の時刻は午前六時。
こんな朝早くから、試験会場には多くの生徒の姿が見える。各々が振り分けられたキッチンに入り、神妙な表情で調理器具や食材の準備をしていた。
これから始まる試験。
それは──ホテルの朝食で出せる新メニュー作りというものだ。
これが発表されたのが昨日の午後八時頃。多くの生徒たちは徹夜でメニュー作りに励み、寝不足となっているようだ。自分の料理に余程の自信が無ければ、しっかりした睡眠なんて絶対に取れない。
まあ俺はメニュー作りすらせずに、午後十時前には寝てたけども。
「……ふわぁ。……めんどくせ」
当然俺も試験を受ける立場なので、ボーッとしながらも準備は進めている。お題として提示されたのは『ビュッフェ形式』で出せる『驚きのある』ホテルの『朝食』。
そしてテーマ食材は『卵』だ。
合格条件は発想力が認められることと、合計で200食の完食。
制限時間内に達成出来なければ即退学らしい。いつも通りいつも通り。
要は老若男女に好まれて、食べやすくて、出来立てから少しぐらい時間が経っても問題なく美味いものを作ればいいってことだ。
創真は定食屋出身ってこともあって、原作では今回の試験に苦戦していた。ライブクッキングの技術を使ってギリギリで乗り切ってたけど。
(創真とは会場が違うから見れないんだよなぁ。……えりなの隣は引けなかったか。こればっかりは運だから仕方ないけどさ)
俺が放り込まれたのはえりなや創真たちがいるA会場ではなく、E会場だった。えりなに実力を見せる機会は失われたが、それならそれで別のことをするまで。
他の獲物に、手を出すだけだ。
「──ご機嫌よう。燦徳正吾くん」
キッチン越しに話しかけてきた一人の女子生徒。純白のコックコートに身を包んだ彼女こそ、俺が今回の試験で狙おうと考えていた人物だ。白い肌と白い髪。その土台に支えられて、赤色の瞳がより一層美しく見えた。
原作でも扱いは準レギュラーと言っていい程の登場回数。
トップクラスの顔面偏差値と豊満なボディを兼ね備え、男性読者からの人気も非常に高かった人物。
──『薙切アリス』が目の前に居た。
「おはよう、薙切アリスさん」
「あら、私のことを知っていたのね。光栄だわ」
「それはこっちの台詞だよ。料理人をしていれば噂ぐらいは耳に入る。薙切さんみたいに綺麗な女性なら、尚更ね」
「ふふっ、お上手だこと」
第三者からすれば、和やかな会話をしているように見えるんだろう。しかし実際は全く違う。アリスの眼から伝わってくるのは友好を結ぼうとする意思ではなく、俺の器を測ろうとする──値踏みの意思だ。
大方、俺が編入試験でえりなの合格判定を受けたことや、食戟で緋沙子に勝利したことなんかで興味を持ったのだろう。
俺が燦徳家の人間であることも、多少は入ってそうだが。
「どう? 満足して頂けたかな?」
「ん〜、何のことかしら? 私は共に試験に臨む同級生へ挨拶しに来ただけよ?」
「そっか。朝から美人に声をかけられて、浮かれたんだけどな」
「私もイケメンくんと話せて幸せよ」
掴みどころのない女だ。警戒心を緩めていない相手には、こんな感じなんだな。伊達に薙切家の人間じゃないか。
「自分の準備はいいの?」
「もう済んでるもの。……君は、何を作る気なのかしら?」
本当に疑問なのか、素直な顔で首を傾げたアリス。こういう所は純粋だ。
「出来てからのお楽しみだよ。それとも後で、キッチンまで差し入れに行こうか? 200食ぐらいなら、どうせ時間は余るだろうし」
「……大した自信だこと。貴方の方が、私よりも先に200食を達成すると?」
「まあね。賭けてもいいよ」
当然だろと言わんばかりに微笑んでみると、アリスは少しだけムッとしたような表情を浮かべた。可愛いじゃないか。
「……強気だこと。その賭け、受けてあげます。絶対私の方が先に達成しますから。もし私が負けるようなことがあれば、何でも貴方の頼みを聞いてあげるわ。──じゃあね、燦徳正吾くん」
マジかこの女、本当に世間知らずだ。
性欲の権化である男子高校生相手に〝何でも〟とか言っちゃうんだもんな。
まあ結果オーライ。良い感じに刺激出来たようだ。
薙切の人間はプライドが高いから挑発しやすくて助かる。
薙切アリスも当然──俺の獲物だ。
今回の試験で俺という料理人、俺という人間をアリスにしっかりと意識させておく。謂わばこれは撒き餌。今後のための下準備だ。
「……始めるか」
試験開始のアナウンスが会場全体に響き渡った。それと同時に入場してくる大量の宿泊客たち。その中にちらほらと見えるのはホテル側の人間だろう。この審査員たちに認められた上で、俺たち生徒は200食分を完食してもらわなければならない。
そろそろ目立っても良い頃だろ。
えりなを手に入れるためには、派手な活躍が必要不可欠な訳だし。
「──さあ、お披露目だ」
試験開始から三十分。
全会場で様々な料理が提供されており、審査員たちによって次々と皿が積み上げられていた。
しかし、当然ながらまだ合格者は出ていない。たった三十分で200食を達成した生徒など、これまでに一人も存在してはいないのだから。
──そう、今日までは。
「なっ、なんなんだこの美味さはっ!?」
「もうなくなっちゃった……。おかわりって貰えますか!?」
「美味しい〜っ!!」
E会場にて、一つのキッチンに人が集まっていた。
──と言うよりも、
スピーディーに出される皿は、同じ速度で審査員たちの手に渡っていく。その光景は最早奪い合い。小さな子供から大きな大人。挙げ句の果てには腰の曲がった老人まで、我先にと皿に手を伸ばしていた。
朝食の平和な雰囲気は完全に食欲の魔力に塗りつぶされ、E会場はたった一つのキッチンに支配されていた。
そして、一つのアナウンスが全会場に響き渡る。
『燦徳正吾。──200食達成ッ!!』
試験を取り仕切っている堂島銀の太い声が、正吾の合格を言い渡す。全生徒どころか、あの薙切えりなすら追い抜いた所業に、全ての会場がどよめいた。
卵を使用した作られた燦徳正悟の一品。
それは包装紙によって包まれた──『ライスバーガー』だった。
「間に挟まれている絶妙な焼き加減の半熟卵が米と絡み! 口の中を温めながら濃厚な旨みが広がっていくっ!」
「卵の他に挟んであるのは甘辛く調理した牛肉! それでいて主役はハッキリ卵って分かる! 肉の旨味が、卵の味を更に深めてるっ!」
「香ばしく焼き上げられたライスプレートを咀嚼する度に、嫌でも味が加速していくっ! どんどん口の中を支配されていくみたいっ!」
「これはまるで……まるで……! ──かぶりつく卵かけご飯だっ! 庶民的な朝食を高級ホテルに相応しい味にまで昇華するなんてっ! 美味しすぎて手が止まらない〜っ!!!」
一般の宿泊客ではなく、遠月リゾートで働く者たちが賛辞を送る。しかし誰一人として深い味わいを説明出来る者はおらず、舌に広がる暴力的な旨味に屈服させられていた。
普通であれば料理人が自ら説明する場面だが、生憎と正吾は色々な意味で普通の料理人ではない。と言うのも、彼自身は別に考えて料理している訳ではないからだ。何となく美味しくなりそうな味付け、焼き方、組み合わせが閃き、身体が勝手に実行しているだけ。
だからこそ、説明も何となくしか出来なかった。
「卵には確か……油? を入れました。風味を強めるために黒胡椒……も使ったはずです。後は……なんか良い感じにレタスを入れて、合いそうな食材と調味料で作った醤油ベースのソースをかけてあります。喜んでもらえて良かったです」
自分の料理を説明しているとは思えない顔で語る正吾。200食を達成した喜びも、合格出来た安堵も、彼の中には無い。
視線を向ける先は美味の快楽に悶える審査員たちではなく、先ほど目を付けた薙切アリスだった。
(お〜、良い顔してるねぇ)
視線を向けた先では、柔らかそうな頬をぷくーっと膨らませたアリスが正吾を睨みつけていた。
プライドの高い彼女からすれば、挑発された上で自分より先に合格されたことは苛つくのには十分な事だっただろう。
正吾からすればそんなアリスの表情は、自身の料理を楽しむ目の前の審査員たちの表情よりもずっと価値のあるものだった。
「……おっ、食材が切れたな。すみません、ここの皿で最後です。ありがとうございました」
終了の札をキッチン上に取り出し、正吾の試験は終了。試験開始から僅か一時間半での終了となった。
最終的に完食された皿の枚数は405枚。圧倒的な結果を残し、正吾はキッチンを出た。
「悪いね、薙切さん。食材が切れたから差し入れ出来なかったよ。……ああ、でも断られたんだっけ。じゃあ俺は行くよ、頑張ってね」
「〜〜〜っ!! 貴方! 意地悪ねっ!」
しっかりと一つ煽りを決め、正吾は試験会場から姿を消した。
薙切アリスの中に、自身の存在を深く刻み込んでから。
遠月学園高等部一年生にとっての最初の試練である宿泊研修。多くの脱落者──つまりは退学者を出した六日間が終わり、俺たち生徒はバスで学園に戻ろうとしていた。
「おおっ、正吾! お互い無事に生き延びたな〜。 ──てか、昨日の200食達成マジで早かったよな。今度、俺と食戟しようぜ」
原作通り、創真も無事に乗り切っていた。
まあ暇になった後で創真の会場まで足を運んで見に行ったから、そんなこと知ってるんだけどさ。
「気が向いたらな。それより……
「おう! 昨日お前に何回も念押しされたからな! ……いや本当に、電話だけじゃなくて部屋にまで押しかけてくるとは思わなかったわ」
創真に引かれているが、俺にとっては重要なことだったんだから仕方ないだろ。お前に忘れ物をさせると、えりなとのイベントフラグが立っちまうんだもん。
潰せるところはしっかり潰していかないとね。純愛での攻略は積み重ねが大事なんだから。
「じゃあ、俺あっちのバスだから。また学園でな」
「ああ、またな」
創真と別れ、俺も自分のバスへ──乗らなかった。
ここで素直にバスへ乗ってしまえば、わざわざ創真に世話を焼いた意味が無くなる。えりなと一緒の車で学園に帰るイベントに入るため、俺はわざとバスを見送った。
「……あら? 燦徳くん?」
頃合いを見計らって動いてみれば、案の定えりながホテルから出て来た。
原作知識のお陰で狙い通りに事が運ぶ。有難い限りだ。
「やあ、薙切さん。もしかして薙切さんもバスに乗り遅れたの?」
「え、ええ。部屋に忘れ物をしてしまって」
「奇遇だね、俺もだよ。バスも全部出発しちゃったし、どうしようかな」
「それなら、ホテルの人に頼んで送迎を──」
「えりな様〜! お車の準備が出来ました! ちょうど一台だけ出せる車があったので、そちらをお使いください」
えりなの言葉を遮るように、スーツの女性が駆け寄って来た。彼女がえりなの言うホテルの人なのだろう。
「そちらもバスに乗り遅れた学生さんですか?」
出せる車は一台だけという言葉をしっかりと聞き取っていたので、俺は笑顔で頷いた。
「ごめんね、薙切さん。一緒に乗せてもらって」
「べ、別に構わないわ……」
異性と隣同士で座っているからか、えりなの表情は若干緊張している。部屋で一緒にトランプをしたとは言え、まだまだ異性に対する距離感は遠いようだ。
しかし、話しかければ返してくれる。現在の遠月学園で同い年の異性に限定すれば、俺が一番親密度が高いはずだ。
「やっと終わったね、合宿。色々と疲れたよ」
「そうね。……貴方は、流石だったわ。朝食の課題も私より先に合格していたようだし」
「いやいや、合計で言ったら薙切さんの方が上だよ。確か……407食も皿を積んでたよね?」
「あ、貴方だって405食じゃない! 二皿しか違わないわっ!」
「あははっ、負けは負けだよ」
まあ俺の場合、食材がなくなったことでの終了なんだけどな。
無駄にプライドを傷付ける必要もないし、黙っとこ。
「もうすぐ夏休みか、早いもんだね」
学生にとっての長期夏季休暇。俺にとってはやりたい事だらけのイベントだ。無論エロいことに関してであり、料理してる暇なんて全くない。
「……貴方なら、間違いなく選ばれるでしょうね」
ふと、えりながそんなことを呟いた。
窓に顔を向けたままではなく、俺の方をしっかりと見つめながら。
「選ばれる? 何に?」
「──『秋の選抜』。毎年二学期の初めに開催される、美食の祭典よ。参加者は選び抜かれた高等部一年の生徒たち。今回の合宿の目的は退学による払い落としだけじゃない。秋の選抜に出場する生徒の見極めもあったのよ」
親切に説明してくれているが、俺はえりなの太ももに目が入ってしまって話半分だ。そんな短いスカート履いてるのに脚を組むなよ。セクハラだぞ。
「そ、そっかー。楽しみだなぁ」
「まずは予選を行って、それから本戦よ。予選の課題は近日中に発表されるから」
「……むっちりしてるな」
「えっ? 何が? パンの話?」
危ねぇ。えりなの脚がエロすぎて思わず声に出てた。
慌てて話題を切り替える。
「あ、秋の選抜ね! 選ばれたらいいなぁ!」
「貴方が選ばれないで、誰が選ばれるのよ」
随分な高評価を頂いている。
この車が学園に着くまで約二時間。二人きりの時間を無駄にする訳にはいかないので、更なる好感度アップを狙う。
「俺なんてまだまだだよ。憧れの料理人にも、全然追いつけてないしね」
「……憧れ? 貴方にも、そんな料理人が?」
含みのある頷きを返し、俺は
「──
目に見えてえりなの表情が変わる。どこか幼さを感じるキラキラとした目でシートベルトを伸ばしながら、興奮したように俺の方へ距離を詰めてきた。
「さ、才波様!?」
同じ料理人に憧れているという共通点。それも『神の舌』を持つえりなとなれば、その意味は特に深い。薙切えりなという女の好感度を上げるのに、これほど最適なワードはない。
嬉しそうな顔で話してくれるえりなを見て、俺は改めて原作知識に感謝するのだった。