Battletech:Tales of Jade Falcon Remnants 作:Sykyu
Union class Dropship , Bay3
BlueHole System, Nadir JumpPoint
Jade Falcon
12 January 3152
この船で一番熊に近い体型をしているペトロフの威容は、もはや熊そのものと言ってもいい。
ベアハッグからの頭突きでオーケを沈めたオスキャルよりもよほど荒々しく野生に満ちている。
「この船のジジイってなんでこんなに元気なのよ。」
「そりゃ、おめぇ元気が無かったらとっくに引退してるからだろう。」
格納庫の端で床に座り込んでいたアリマの横から、老艦長が彼女の疑問に応えた。
「限度ってものがあるでしょ。」
痛みはどうなのよ?と顎で腰の辺りを指す。
背負ったスラスターを使って格納庫の壁に体当たりをかました本人は未だにノビている。クッションにされた方の男がピンピンしてるというのは皮肉な話だ。
「どうにも収まらなくてよ。ズボンを脱ぎたくても脱やしねぇ。」
ガッハッハといつものように笑う。
痛みの話をしてるのよ。とアリマは呆れる。
いつもの女医が隣に居ないから、とその代わりをさせられるのはゴメンだ。
「チャクラとクンダリーニとやら様々だな。」
サチコにも覚えさせるか。と、もうこの老人はすっかり彼女の主人気取りでいる。
円陣の中では未だに肉と骨がぶつかり合いを見せていた。
女医は円陣の端でポケットに手を入れて勝負の行く末を見守っている。
蹴りも投げも効かぬ。と判断した2人の勝負が究極のステージに至ってしまう。
このお互いにお互いの睾丸を握り合い、潰し合おうと構えたところでシタの制止が入った。
すぐに勝負は急所攻撃を禁ず。の条件で再開される。
だが、もはやこの勝負は青天井の無法地帯ではない。
ルール無用だった勝負を惜しむ気持ちもある。
だが、女医の目があることで不安が消えるとアリマは目の前の勝負を素直に娯楽として楽しめるようになった。
勝負の行く末を見守るペトロフの娘の心臓が潰れてしまう心配はもうしなくてもいい。
アリマは円陣から遠く離れていても、格納庫の天井に備え付けられたカメラから勝負の行く末を見守ることができる。
いよいよオチルも限界だ。
真っすぐと立つのも難しいほどフラフラなのに、彼はまだしつこく立っている。
そんな彼に向けて、ペトロフが固く組んだ両拳を振り下ろす。
オチルの胴体はその勢いのままに金属の床に叩きつけられた。
不気味な沈黙が、庫内の空気を支配する。
彼に勝ち目がないのは分かっていたが、いざ本当に倒れて動きを見せなくなると気まずさだけが残った。
そこをどうにかしてくれるはずのマイクパフォーマーは円陣のど真ん中に立っているので、この静寂を打ち破る人がそもそもいない。
――どうすんのよ、これ。
誰もが解を求めて顔を見合わせる中、勝者の咆哮が静寂を打ち破った。
息を整えたペトロフが、格納庫の壁を打ち破るような大声で宣言をする。
「こいつの名は今日からオチル・ダヴィドフ、俺の娘の婿だ。文句があるやつは俺の前に出ろ。」
――みんな、あんたが勝ったことに文句があるのよ。
現実の非情さを目の当たりにするよりかは、弱者が強者に勝利するところを見たかったのだ。
オスキャルが勝ち、ここでペトロフまでが勝てば、観衆が目にするのは、人は素手では熊には勝てない。という当たり前の結果。
勇者が姫を助けるために、悪鬼を倒す英雄譚ではない。
再び場が沈黙に陥りそうになったところで、一人の女子が巨人の前に進み出る。
ざわめいた空気の中で彼女は震える声を絞り出した。
「ディープキスのやり方は、私がオチルに教えるはずだったんです。」
怒りなのか、悲しみなのかペトロワの肩はわなわなと揺れて、顔には涙が溢れている。
観衆は再び困惑の表情で顔を見合わせた。
「オチルの姓だって、同じにしようって2人で一緒に決めたかったのに、なんでお父さんが勝手に決めちゃうんですかっ!」
普段は子熊のように穏やかで愛らしい彼女の顔が徐々に赤みを帯びていく。
ペトロワとオチルの関係を知っている者たちは皆、彼女の父親が何をやらかしたのかをその一瞬で悟った。
2人は結果だけでなく、そこに至るまでの過程が何よりも大事にしている。
彼のやったことは娘の最大の楽しみをただ奪うだけの蛮行だった。
「オチル、オチル君。起きて、助けて!」
その巨大な図体からは信じられないほどの高い声がペトロフの口から漏れ出る。
男は膝をついて息子を揺り起こそうと手を伸ばすが、無情にも女医がその手を遮った。
娘の両手が父の頭の髪の毛をぐしゃりと掴む。
頭と頭のぶつかり合う、鈍い低い音が金属の床を伝わった。
『みんなー、楽しんでるぅ?カワイイ混沌の使者トヤーちゃんだぞ!』
不屈の巨人が大地に伏すのとほぼ同時に頭の上から、明るい声が降り注ぐ。
シャロンが登場する時に使っていたクレートの上に今度は背の低い小さな娘が立っていた。
彼女の服装はいつも格納庫で着ている黄色いツナギではない。
メックに乗る時に着ている、ホットパンツとへそ出しの短いシャツだ。
そんな彼女がさっきまでペトロフが使っていたはずのマイクを握りしめ、片手を振り上げてはここにいるぞと存在を主張している。
『今日突然、3組も結婚することになってみんな驚いてるぅ?』
トヤーはそう問いかけると、声を拾おうとマイクを聴衆の方に向けて伸ばす。
バラバラと困惑の声や同意の声が上がった。彼らの反応は決していいとは言えない。
そんな微妙な反応のことは気にせずに少女はマイクを戻して言葉を続ける。
『実はね~、トヤーはみんなにお願いがあるんだ。』
くるくると壇上で踊るように体を回転させて、甘えた声を出して彼女は皆にねだった。
遠心力で踊る二つの大きな球体に押されて、服の裾が宙に浮く。
その動きに魅惑されるかのようにして、彼女を見上げる頭がその動きをなぞる。
大きく息を吸ったトヤーは、次の瞬間に彼女の望みを声の限り叫んだ。
『あたしもゾリグと結婚した~いっ!』
反響した音がハウリングを起こして、不快な高音を立てる。
庫内の誰もが耳を抑えて、それが止むのを待った。
場が静かになると、えへへと誤魔化すような声を出しながら、両手を目元に当てて泣きまねをする。
『でもね、あたしは手術直後だから、みんなみたいに格闘とかできないんだ。』
カメラ越しの視点ではわからない。
だが、彼女を見上げる視線であれば、彼女の胸のふくらみの下と背中に浮かぶ肩甲骨の下に走る手術の痕が目に入るはずだ。
痛々しい縫合の印が、観衆の視線をくぎ付けにしている。
『だからね~、あたしの代わりにみんなには手伝って欲しいんだ。あたしの結婚を認めてくれる人は...。』
トヤーが格納庫の一か所をその指先で指し示す。
そして、今度は反響しないようなボリュームの声で指示を出した。
『ゾリグをやっつけちゃえっ!』
アリマの眼が突然視力を回復する。
トヤーのあまりに不可思議な指示に、アリマと船内のネットワークの接続は切れてしまっていた。
顔を上げれば、祭りは既に始まっている。
困惑の表情で逃げ回るゾリグを整備士達が追い回す。
何人かの機転が利く人間が隔壁を閉鎖したために、彼はこの金属の箱から外に出ることはできない。
「あたしも行ってくるわ。」
重い腰を持ち上げて、腹を抱えて笑うオスキャルに声をかける。
トヤーの結婚には興味がない。
それでも、アリマはとりあえずゾリグのことをブン殴っておきたい気分だった。