Battletech:Tales of Jade Falcon Remnants 作:Sykyu
Mercantile League Military Area
Alyina System, New Delhi
Alyina Mercantile League
14 February 3152
分厚い扉に層の重なった黒いガラス。
まるで装甲車のような装備の4輪駆動車に載せられて、トヤーは目を丸くしていた。
運転席では未だにこの世を去ったことになっている男が、そのハンドルを握っている。
「どうして、車に4人も乗ってるの?」
「だって、彼を外に行かせてしまったら、また人を攫ってきてしまうかもしれないもの。」
プリヤンカはクスクスと小さく笑いながら、トヤーの疑問に答えた。
トヤーもプリヤンカも彼に攫われた人間の一人であるだけに、誰もその言葉に異を唱えない。
「それに、トヤーさんと二人でお出かけだなんて...、ねぇ?」
褐色の頬に手を当てて、プリヤンカは微笑みを浮かべる。
しかし、彼女の懸念の正体を想像できない様子のトヤーに、プリヤンカは言葉を重ねた。
「トヤーさんが彼の子を身籠ったりしたら、ゾリグさんになんて言えばいいか、私わからなくなってしまいます。」
大きくなったお腹を撫でながら、彼女に困った表情をして見せる。
それを助手席で聞いていたアレフが、ついに肩だけで笑い出した。
すぐ隣で笑われていても、運転席でハンドルを握る当人は何も喋らない。
その様子を怖いものを見るような目で見ていたトヤーは、プリヤンカに向けて訊ねた。
「ドルジ...、そんなに見境なし...、なの?」
「それはもう...。今のところ、人様の女性にはお手付きしてないようだけれど...。」
妬みのようなものを込めた言葉をぶつけようとも、運転は乱れない。
プリヤンカは小さくため息をつくと、恨み言で彼の気を引こうとするのを止める。
部隊の中で、一番最初にドルジに攫われた女性はトヤーだ。
もし、プリヤンカが口にしたように、彼が目に付く女性を自らの意思で次々に手籠めにしているのであれば、彼女はとうに一番最初の犠牲者になっていたはず。
「...ゾリグさんと仲が戻ってないのでしょう?...もしも、トヤーさんが望みさえすれば、彼は拒まないわ。」
「くぅん...」
いつもならば、すぐにでも何かしらの言葉を返すトヤーだったが、今回の彼女は返事を詰まらせる。
記憶をなくしていても、トヤーはゾリグへの愛を失っていない。
それなのに、彼女と恋人の関係はすれ違いを続けている。
トヤーがずっと心浮かない顔をしている原因は、彼女自身の中から生まれていた。
プリヤンカの誘惑の言葉には嘘が含まれている。
先に攫われたはずのトヤーやアリマを差し置いて、一番最初にアンネが彼の腕の中に収まることになった理由。
それを知る人間は、アンネとツェレン、そしてプリヤンカの3人だけだ。
――10人の女性と交わり、合わせて30人の子を成す。
彼にこの言葉を与えたアンネは、自らが彼の一人目の女となる。
男に自らの薄膜を破らせて、女の味を教え込み、誰よりも先に彼女自身が母となった。
そしてアンネが目醒めさせた男は、彼女の幻視の通りに、今や4人の女性が彼との子を腹に宿している。
プリヤンカの褐色の肌の下で胎動を重ねる生命は、彼の4人目の子だ。
長いゆったりとした服を着ていても、そこに息づく存在は隠すことができない。
既に乳を蓄え始めているのか、元々大振りだった彼女の胸の膨らみは、更にサイズを増していた。
トヤーの姉、ウーリントヤもその身にドルジを捧げている。
一方、オドントヤーの名はアンネの神託には含まれていない。
運命の女神は、末妹の方ではなく、長姉だけを選んだ。
だから、トヤーがどんなに望もうとも、彼が彼女の肢体の中に子種を植え込むことはあり得ない。
プリヤンカの言葉に、トヤーは一瞬だけ迷うような表情を浮かべた。
ドルジの腕に抱かれる自分を想像したのかもしれない。
しかし、トヤーは首を振ると面構えを変化させる。
その視線はドルジには向けられていない。
遠くノイダの基地にいるゾリグに向けられているのだと確信をして、プリヤンカは胸を撫で降ろす。
小さな戦士の眼差しには戸惑いを乗り越えて、決意をした女の表情があった。
測ったかのようなタイミングで、車が静かにブレーキをかける。
「目的地に到着しました。」
アレフは、短くそう告げると車を降りて、後部座席のドアをスライドさせた。
トヤーが一人で扉を出た後に、彼はゆっくりと身を動かすプリヤンカに手を貸す。
陽光の下に褐色の肌が露わになると、運転席の窓から差し出された日傘をアレフが開いた。
見晴らしの良い高台に降り立って、そよ風に吹かれながら足を前に進める。
金属のフェンス越しの彼女たちの視界の下には、灰色の大きな訓練施設が建っていた。
「クリエフチから送られてきた少年兵は、今はここで戦闘訓練を受けています。」
片手で短い傘の持ち手を握りながら、アレフが無機質な壁の中を指差す。
そこには、声を上げながら集団で走り込みをする少年たちがいた。
彼らを目にしたトヤーは両目を輝かせる。
「...ちゃんと、この星系に着いたんだ。」
彼女は同じ訓練場で育った姉妹のほぼ全員を亡くしていた。
トヤーの不安は、神経的なものだけではなく、精神的な原因というのがマリオの診断。
環境の変化と記憶の喪失の双方が、トヤーを押し潰そうとしている。
トヤーの素直な表情の変化を目にしたプリヤンカは微笑んだ。
成功体験と自信の回復、その2つが彼女の失ったものを取り戻す。
それが、プリヤンカの献策だった。
彼女は小さな動作で、乗ってきた車の運転席に眼鏡を向ける。
半分ほど開かれていた助手席の窓から、バックミラーごしに運転席に座る彼の姿が見えた。
鏡の向こうの彼の目を見つめながら、鼻の上のフレームを小指で押し上げて見せると、窓は縦にスライドして音もさせずに閉じてしまう。
「ハル、貴女のお父様は、ちゃんと貴女のことを見ていますよ。」
両手で抱えた腹の中の子にそう静かに語り掛けると、プリヤンカは口の中だけで小さく笑った。