Battletech:Tales of Jade Falcon Remnants 作:Sykyu
Camp Jaipur , HQ Roof
Alyina System, Noida
Alyina Mercantile League
16 February 3152
虜囚の身となって以来、エミリーヤの扱いは紅い降下船の船長の預かりとなっている。
40を過ぎた彼女の肌は急速の老い始め、維持しようとする努力を嘲笑うようになった。
それでも、彼女の筋肉と肌の張りは70を迎えた老人から見れば、若い女の肌。
エミリーヤはいつこの老人が、憐れな女囚人を味見してみようと考えても良いように、脳裏に策を巡らせていた。
「切のうございます。」という鈴の音色のような甘え声で紡がれた古風で雅な言葉に彼女の企てはあっさりと打ち砕かれる。
引退した氏族の将は、エミリーヤよりも20年以上も若い、ドラコ連合産まれの姫君を側に侍らせていた。
平たい胸に小さな体躯、不慣れな手管。老獪で年季の込もった彼女の熟れた技術の対極を見せつけられて、エミリーヤはすっかり闘志を失う。
小さな幸福を純粋に嬉しいと感じるような心は、とうの昔に彼女から失われていた。
一体となることの感激、相手の初めてとなる喜び、共に在ることの幸せ。
エミリーヤは、過去の自分にそんな感情があったかどうかすら、思い出せそうにない。
――どこに置いてきたのやら...。
氏族への抗戦の意思も、本国へ帰還する野心もとうにエミリーヤからは失われていた。
そこに眩いまでに燃え上がる生命の炎に焼かれ続け、彼女の心は急速に老いを迎えてしまう。
若い女子達が、それぞれに真っ青な春を迎えている様子を見せつけられて、エミリーヤは吐き気すら覚えている。
この嫌悪感の向き先が、若さでなく自分であることに彼女はとっくに気が付いていた。
更に腹立たしいことに、オスキャルの淹れる紅茶は喉元までこみ上がる苦い感情を溶かすのに、ちょうどいい温度になっている。
「...で?老いらくの新婚生活ってのは、どうなのさ?」
エミリーヤは紅い液体の上に浮かんだ果実をスプーンで掬った。
赤みを残した紫色の桜の実に残った枝の部分を摘まんで舌の上に載せる。
強い香りの割に甘みの少ない果肉を口の中で割ると、そこから取り出した種を再び口元に寄せたスプーンの上に戻した。
それをカップの脇に戻してから、反応を返してこない老人を見上げる。
違う人間に何度も同じ内容を訊かれて飽きているだろう。と想像をしながら、エミリーヤは訊ねた。
だが、彼女の予想とは異なり、当のオスキャルは難しい表情を浮かべている。
「...何が変わるわけでもねぇなぁ。」
そう言うと、彼はエミリーヤと同じように桜の実を口に運んだ。
ただ、彼は彼女のようにその実の種をスプーンに戻したりはせず、頬を膨らませた後に勢いよく口の外に向けて撃ち出す。
誰もが、空に向けて放たれた種子の描く放物線を目で追って、それが見えなくなるまでは言葉を口にしなかった。
彼らの茶会は、灰色の基地の司令塔の上階に設置されたバルコニーで開かれている。
無機質な地面までの距離は、たかが120フィート程度であるはずなのに、小さな球体が落ちていく時間は、彼女が想像していたよりもずっと長かった。
「若いのは頭の回転も物覚えも早くてな、...結婚どうこう関係なく毎日のように、何かが変わる。」
遮光ガラス越しに陽光を仰ぐ老人の視線を追って、エミリーヤも天頂の恒星を見やる。
黒で覆われてなお、目を焼こうとする日差しに目を細めた。
「...ジジィのペースを守りたくて、別居することに決めたわけじゃないんだろ?」
「別居とか言わんで欲しいものだね...。」
エミリーヤがわざと悪意のある言い方をすれば、彼はすぐに抗議の声を上げる。
オスキャルとサチコの夫婦生活は、歳の差を忘れそうになるほどに健全だ。
口では不満を囀っていても、サチコは臥所で気を失うほど量の子種を彼から受けている。
種付けも終わらないうちに、老将がサチコに城を与えたのは、彼女の身に流れるダイミョウの血が故。
ただの戦士にはない、人を統べる才がこの悲劇を生んだ。
オスキャルの采配に黙って従い、人知れず涙を流しながらも着々と支度を進める姿は、正に彼女の器量を示している。
エミリーヤは大きく嘆息した。
才覚を活かす機会に恵まれる人間は、この世ではごく一部しかいない。
ほとんどの人間は、才覚を活用できずに他者に消費されるか、それを自覚できる前に命を亡くす。
多くの人命は安価で、宇宙のどこの星系でも兵器よりも簡単に消耗されていた。
オスキャルとエミリーヤの元に白衣に身を包んだ、褐色の肌の女医が現れる。
その両手には、焼き菓子の入った籠を抱えていた。
彼女も、エステロスの軍閥に才能のごく一部を消費されそうになった人間。
才を愛され、誰かに大事にされるなど絵空事。
例え目の前にその実例がいようとも、その事実は変わらないとエミリーヤは未だに信じている。
だから、彼女は片手でシタから焼き菓子を受け取りながら、礼も口にせずに訊いた。
「あんたはなんで、氏族の男なんかと一緒に居るんだい?...まさか、マラが大きいからとか言うまい。」
声を掛けられたことに驚いた表情をしながら、シタはオリーブ色の手を顎に当てて少し考え込んで見せる。
口元の綻びが、答えに悩んでいるわけではないことが見て取れた。
小さく息を吸った後に、シタは選んだ言葉を紡ぎ始める。
「...もし、彼の股の間が小さかったのならば、私が彼に興味を抱くことは無かったかもしれません。
だから、それは否定はしません。でも...、」
少し間を開けると、女医は今度は大きく息を吸う。
「この世界の普通の人は、地べたを這って、泥を啜り、傭兵や軍隊が好き放題に街を破壊するのを呆然と眺めるか、黙って巻き添えに遭い、死ぬしかありませんでした。
明日、死ぬかもしれない。誰もがどこかそう考えています。餓死するよりも先に、流れ弾で死ぬ可能性の方が高いのです。」
この世界が、いかに理不尽に満ちているかはエミリーヤも良く知っている。
市井の人間の当たり前に巻き込まれたくなければ、何かしらの力を手に入れなければ、身を護る術はない。
「私たちはこの世界の中で幸運な人生を歩んでいます。
子を成して、お腹の子供と共に明日を迎える。明日の食事は何を作ろう。私はここに来てから、日々そんなことを考えています。
今日死ぬかもしれない。と朝から怯えずに生きています。
もしも、どこかの強力な組織が、本気で私たちを潰そうとすれば、私たちはすぐにでも塵芥に還ってしまいます。
その程度のちっぽけな存在であっても、明日を夢見れるのならば...、それは幸せ以外のどんな言葉ならば良いのか...、私にはわかりません。」
シタが丁寧な言葉を長々と喋っている間に、彼女の顎に触れていた手は胸の上を滑り落ちて、少しだけ膨らんだ腹の下へと順に移動した。
彼女の手の平の下には、彼女が賜った遺伝子と彼女の遺伝子が絡み合った結果が身を結び始めている。
エミリーヤはシタの言葉を途中から聴いていなかった。
彼女の言葉が聞くに値しない、くだらない幻想だと嘲って聞き流していたわけではない。
その言葉がどんなに真実だとわかっていても、それを受け入れるにはエミリーヤにはまだ時間が必要なだけだった。
嫌な視線を感じて、エミリーヤはさっきまで揶揄って遊んでいた老人の方に目を向ける。
彼女が想像した通りの悪い笑みを浮かべている彼に、エミリーヤは心の底から嫌気を覚えた。