Battletech:Tales of Jade Falcon Remnants 作:Sykyu
Union class Dropship Bay
Blumenort System, Zenith
Lyran Commonwealth
4 May 3151
オーケは整備士だ。
整備専門の傭兵団、OKメンテナンスの社長でもある。
機械ならなんでも分解してきたし、組み直してきた。
だが、“わからんもの”には近づかない。理屈が通らんことに、心や命を預ける気には到底ならなかった。
アンネ。
女一人、ひょろっとして、整備区画の片隅で何かを煎じたり、黙って人の脈を取ったりしている、妙な奴だ。
メック戦士ならこっち側だろうに、ウチの班の整備士の傷の上に謎の模様を描いて、「もう大丈夫よ」なんて言いやがる。
————胡散臭いだろう?
だが、整備の連中は違った。
最初は「おまじないですよ」なんて笑ってたくせに、気がつけば手首に彼女の編んだ草の紐を巻き、鼻を垂らせば“あの薬草茶”を欲しがる。
「腰が楽になった」とか「視界が冴えた」とか、誰も彼もが妙なことを言い始めた。
あの艦長までもだ。
ああいう連中は、機体に不調が出たときは「妖精の機嫌が悪い」とか言い出すんだ。信用ならねえ。
オーケだけは信じなかった。
あんな得体の知れないもん、信じるもんかと思ってた。
だが、事件が起きた。
その日は、艦の中央熱源の点検日。
吊り下げ式のランチリフトに乗って、デッキの上部へ登ってたんだ。
チェックを終えて、下ろそうとした瞬間……カチリと、ロック音が鳴った。
嫌な音だった。一瞬でびっしりと冷や汗をかく。
人工の重力を感じる。
リフトの保持が切れて、オーケの体がゆっくりと間違いなく落ち始めた。
体がひっくり返り、景色が回転する。
目の前に広がったのは、床面。
無数のコンテナ、資材ラック、開きかけのツールケース。
どこに落ちてもタダじゃすまない。
死ぬかもなと思った。
だが、床に叩きつけられる寸前でオーケの身体がふっと止まる。
オーケだけではない。
一緒に落ちてきた工具も、パーツも、すべてが……宙に浮いていた。
ピクリとも動かない。空間そのものが、時を忘れたみたいに沈黙している。
視線の先に、黒いローブの彼女がいた。
灯りのないデッキの奥の影から、湧いて出たかのようにそこに姿を顕している。
漆黒が風もないのにかすかに揺れ、手にした紙片は、封じられた力を解き放っているかのように白い燐光を放っていた。
小さな明かりに照らされて、月光のように白い肌が浮かび上がる。
はためくフードの下から覗く彼女の顔に表情はない。
眼差しは、深海のように深く冷たかった。
————無事で、よかった。
頭の中で聞こえた声を必死に否定する。
ただ、彼女の口がそう動いた気がしただけだ。とオーケは自分の身に起こった現象を否定した。
重さを失った彼の身体は、やがてゆっくりと沈みはじめる。
がまるで蜜のように濃い空気が、オーケを柔らかく抱き下ろす。
工具、パーツ、他のすべてが時が巻き戻されたかのように吸い込まれるように元の場所に静かに着地した。
全身は汗で濡れ、ひたすらに喉が渇く。
その場に座り込んだオーケは、しばらく動くことができない。
彼女は辺りを一度だけ、ぐるりと見渡すと、場に背を向ける。
ローブの影がひとつが揺れると彼女はフッと何も言わずに姿を消した。
信じない。胡散臭い。そんな言葉はもうオーケの口からは出てこない。
翌朝、整備区画は朝から2つの話でもちきりだった。
昨日の大魔術の話とその後、本人が熱を出した。という話の2つがオーケの耳に入る。
「魔術って、体に負担かかるんですかね……?」
オーケの気持ちも知らず、整備員の一人がぼそっとつぶやく。
オーケの胃のあたりがぐっと重くなった。
宙が回った光景は、今も目の裏に焼きついて離れない。
背は墜落寸前の浮遊感をまだ覚えている。
助けてもらった身で、オーケは一言も彼女に言葉を返していない。
————無事で、よかった。
頭の中に響いた声を、空耳か空想だと否定するのに精いっぱいだった自分がとても惨めな存在にすら思える。
それでも、オーケは自分の主義を曲げるのに難儀した。
「アンネ様はまだお若いのですね。私とひとつしか違わないそうです。」
どこから仕入れてきたのか、噂好きのまだ年季の浅い女整備士が余計な知識を吹き込んでくる。
オーケは彼女の年齢を思い出して、両手で顔を覆った。
まだ二十代の娘が四十手前のオジサンを助けた代償で寝込んでいるかもしれない。
しかも、そのオジサンは礼の一つも言わなかった。
————もう、面子なんか知るかっ。
頭に被った帽子を床に叩きつける。
煙を吹きそうな脳みそから引き出したアイディアは、実家の婆さんが作ってくれた薬だった。
手ぶらでは行けない。
蜂蜜に、少しの乾燥ジンジャー、レモンの皮。
風邪や熱で寝込んだとき、黙ってそれを煮ている婆さんの姿を思い出した。
整備室の電熱器とポットでそれを真似て同じものを作る。
思い出と同じようにはならなかったが、出来は良い。
まだ湯気の勢いの止まらないポットを手に取って、オーケは彼女の個室へ向かう。
なぜか指先が妙に落ち着かない。
だが、その温もりだけが、今のオーケに思いつく唯一の答えだった。
そして、彼女の個室の前。
女の個室に、自分が男一人で来ていることにようやく気が付いた。
————バカなのか、俺は。
勢いだけでやってきて、今や既に片脚を部屋の中に踏み入れている。
扉は開け放たれていて、今更ノックすることもできずにオーケは途方に暮れた。
「こんばんは、薬師様。どうぞお入りください。」
部屋の中から聞こえた静かな声に、肩を降ろす。
アンネの個室は薄暗く静寂が支配していた。
照明は落とされ、机の上には小さな陶器の灯りがひとつ。
室内を光の粒が舞っているようで、まるで夢の中に足を踏み入れたようだった。
寝台の上で横になっていた彼女は、オーケと目が合うと静かに上半身を起こす。
額に軽く汗が浮かび、白磁の頬は少し赤い。
フードで隠れていない彼女の顔を見るのはこれが初めてだった。
「……これを持ってきた」
温めたはずのポットは、なぜか既に冷めている。
困った顔をしたオーケに微笑を浮かべた彼女は湯の沸いた窯を指し示した。
オーケはポットごと窯に入れて、湯煎を始める。
ふわりと蜂蜜の匂いが香るとアンネは陶器のカップを二つ、虚空から取り出した。
金属製のポットには手を触れずに宙に浮かべる。
そこから琥珀色の液体をカップにそそぐ姿は何かの儀式のように美しかった。
ゆっくりと彼女がひと口飲む様子に見とれる。
彼女の口元に淡く笑みが浮かんだ。
「……優しいお味ですね。お祖母様の?」
頷くと、彼女はそっとカップを置く。
「ありがとう。暖かいですね」
目の前の魔女の言葉に、オーケの中の何かが崩れる。
だが、オーケはここに来た目的を果たしていなかった。
「あんたは命の恩人だ。オーケはあんたの魔術を疑ってた。……そうじゃないな……ありがとう。」
何を言っているのか自分でもわからない。
だが、言わなければならなかったことは間違いなく口にできた。
肩の荷が下りたオーケは一つ大きなため息を漏らす。
彼女は何も言わずにただ小さく、微笑んだ。
————本当に、無事でよかった。
再び、あの時と同じ声が頭の中で聞こえた気がした。
湯気の立つ2つのカップを挟んで、しばらくの間沈黙が続く。
だが、その沈黙は少しも居心地悪くなかった。
オーケとアンネはその後も言葉を交わさず、ただその蜂蜜を分け合った。
ポットが空になり2つのカップが空になった頃、アンネはオーケの手を取り、手首に草の紐を巻く。
「危険を避けるおまじない。」
彼女にそんな意図がないのはわかっている。
しかし、オーケにはこれが仲直りの印のように感じられた。