Battletech:Tales of Jade Falcon Remnants 作:Sykyu
Mining district
Esteros System,Alkahera
Jade Falcon
3 July 3151
数日の後、ドルジの寝所は再び聖域となっていた。
閉ざされた扉を押す気にはなれず、プリヤンカは寝室の前で膝をつき、ただ祈っていた。
なぜ祈るのか、自分でもわからない。
けれど、その時間だけは、誰かに何かを赦されているような気になれた。
祈りを続けていると、ふと、気配の変化を感じる。
誰かに名を呼ばれたような気がして、垂れていた首を上げ目を開くと、寝室の扉の前にアンネがいた。
いつものように漆黒のローブとフェイスベールに身を包み、不可視の力のようなものを纏っている。
ベールの下で微かに微笑むと、彼女はプリヤンカに小瓶を差し出した。
蒼い光沢を放つ星空のような色の液体が瓶の中には入っている。
その色に吸い込まれるようにプリヤンカは両の手を差し出してそれを受け取った。
手が自然に瓶の蓋を開け、唇が瓶の口に触れる。
拒もうという意思はどうしてか生まれなかった。
瓶の中身を飲み干した次の瞬間、プリヤンカは意識が拡がるのを感じる。
自分とその周りを一瞬、俯瞰できたような錯覚を覚えた後に、糸が切れたかのように心地よく闇に沈み込んだ。
目を覚ますと、プリヤンカは寝台の上で寝ていた。時間は分からない。でも、窓の外から見える闇はまだ深かった。
この部屋の風景をプリヤンカは知っている。ドルジの寝所だ。
隣にはドルジ、そして反対側ではアンネが目を瞑っている。
ふと、この部屋の主の表情に恐怖を感じていないことに気が付く。
自分の中で何が変わったのかは、思い当たるところがない。
アンネはいつもの神秘のヴェールに護られていなかった。
白磁のような肌、優美な曲線、触れれば壊れそうな柔らかさ。
その全てが、封印を解かれた禁忌のようにプリヤンカの目に焼きつく。
アンネの意図は彼女には判らなかった。
プリヤンカはしばらくアンネの寝顔に見惚れる。
月の女神はまだ目覚める様子がない。
ふと安心を覚えたプリヤンカはもう一度微睡に身を任せる。
プリヤンカが次に目を覚ましたのは夜が明ける少し前だった。
すぐ近くで横たわる彼女も静かに目覚ます。
プリヤンカと目を合わせるとアンネが少し微笑んだ気がした。
アンネはゆっくりと起き上がり、何事もなかったかのように衣を整え、まだ寝ている部屋の主に静かに頭を垂れる。
そして、儀式の終わりを感じる間もなく、彼女はふっと姿を消す。
とたんに部屋を包んでいた淡い光が消えて、部屋には窓から陽光が差しはじめた。
プリヤンカはふと自分の身体を確かめる。
メガネはサイドテーブルの上に置いてあった。
制服の上着は上着掛けにかかっていたが、他はまだ身に着けたままだった。
メガネを掛け直し、上着に袖を通すと寝台を振り返り、一度頭を垂れる。
普段はしないが、今日はそうしなければならないと感じた。
長く続いた渇きが、ほんの少し癒えたような感触をどこかで感じながら、彼女は寝所を静かに立ち去る。
よく寝たせいかプリヤンカは頭の冴えを感じる。
ただ、身体に蓄積した疲労を自覚したせいで、思うようには動けなかった。
それでも身体を引き摺って、昼の任務を終える。
夜はドルジの部屋に赴いた。
ツェレンとドルジの交わりを静かに眺める。
いつもなら夜通し続くはずの舞台が、今日は随分と早めに終わった。
どうしたのかと戸惑うプリヤンカをツェレンが「一緒に寝ましょう」と誘う。
制服の上着を脱がされて、寝台の上に手を引かれる。
状況がうまく飲み込めず、プリヤンカは困惑を隠せない。
そのまま、ツェレンに従ってシーツの上で彼女の腕に抱かれる。
温かく、優しく、そしてどこか“母”のような温もりに恋しさを覚える。
プリヤンカは“母”の豊かな胸元に顔を埋めた。
彼女の大きな双房は柔らかな弾力でプリヤンカの顔面を包み込む。
ツェレンは嫌がることなく、彼女を優しく抱き寄せた。
頭を背中をゆっくり撫でる手が、プリヤンカの心を満たす。
プリヤンカの顔に触れる“母”の肌は何よりも心地良かった。
夢と現実の境があやふやなまま、日が昇るまでその感触に包まれる。
音が無くても十分だった。
朝、自分の部屋に戻ったプリヤンカは昨晩の日報が未送信のままだったことに気が付く。
書いた文章を見直し、違和感を覚える。
──この人は、私の“ママ”だ。
本物の母の感触をプリヤンカは覚えていない。
物心ついたときには彼女は既に一人だった。
孤児院にいた彼女を少佐が迎えに来るまで、親という存在を知らなかった。
ずっと、無かったものがようやく彼女の手元に届いたようだった。
報告書に記されたツェレンの名を全て『ママ』に書き換える。
『ママ』
そう書くたびにプリヤンカは不思議な充実感に満たされる。
修正を続ける顔が自然と笑顔に変わる。
入力し終えた指を止めることなく、彼女はそのままそれを送信した。