後輩女子の催眠遊びに付き合っていたら、だんだん調子に乗り始めた 作:松木ユキ
まだ春の余韻が残った五月の放課後。部室代わりの教室で机に向かい、図書館から借りた小説を読みふける。大して掃除していないせいか、相変わらず空気が埃っぽい。
「
「……」
机の向こう側に座った後輩の
「ねえ、先輩ってば」
「……何か用か?」
「私とお話しましょうよーっ!」
「芥川より面白い話が出来るなら、な」
「太宰くらいしか出来ませんってばー!」
それは十分に才能があるだろう、などと思いながらさらにページをめくる。締めの数行を読み終わり、ふと顔を上げると、そこには頬を膨らませている桜の姿があった。
「むーっ、全然お話ししてくれないじゃないですかー……」
「何年お前と喋ったと思ってるんだよ」
「そうじゃなくて! 何のために私が入部したと思ってるんですかー!」
桜は机から身を乗り出すようにして、ぷんぷんと唇を尖らせていた。セーラー服のリボンが揺れて、大きい目を備えた可愛らしい顔面が迫ってきたが、見慣れた今となっては何を思うこともない。
「何のためって、文化研究のためだろ」
「先輩だってしてないくせに!」
俺が所属しているのは「文化研究会」という部活で、部員は俺と桜の二名だけ。特に決められた活動内容もないので、俺は「文学研究」と銘打って毎日毎日本を読んでいるというわけだ。
「じゃあなんでうちの部に来たんだよ」
「……先輩に、構ってもらうためですよ」
桜はポニーテールを揺らしながら椅子に座り直し、ふんと窓の方を向いた。その視線の先には新緑が映える。桜がこの高校に入学してから一か月が経った。
俺たちの出会いは三年前に遡る。中学二年の頃、俺が所属していた卓球部に桜が新入部員としてやってきた。田舎の中学校で、部員も数人といったところだったから、俺は桜に付きっ切りで卓球を教えていたのだ。
最初はただの先輩と後輩だったが、桜はだんだんと俺に懐くようになった。学校全体で見てもそんなに生徒が多いわけでなかったから、身近な人間と親しくなるのは当然のことかもしれない。
それ以来、桜はいじらしく俺の気を引こうとするようになった。帰り道で待ち伏せたり、俺の弁当のおかずを貰おうとしたり。微笑ましく思ってはいたが……桜に対して何かを思うこともなかった。
今となってはまさしく現代風の女子高生だが、当時の桜は小学校から上がったばかりの……まあ、ガキだった。髪も短かったし、今より雰囲気も幼かったし、体型も子どもみたいだった。
だからどうしても、桜は手のかかる妹としか思えないのだ。いや、別に「コイツは妹にしか思えねえから」などというフリでなくて。本当に妹のような存在でしかないのだ。
俺は中学を卒業した後、都会の高校に進学して一人暮らしを始めたのだが、桜もわざわざ俺を追いかけて同じ高校に入学した。だが一人暮らしは許してもらえなかったらしく、コイツは数時間かけて電車で通学している。
「ふん、先輩のばーか……」
桜は机の横に置かれたカバンに手を突っ込み、何かを探していた。俺は手に持っていた本を置いて、ふうと息をつく。まあ、こうして慣れ親しんだ後輩と毎日放課後を過ごすのも悪くない。時間が経てば、そのうち桜も俺に飽きるだろう。
「……ん?」
ふと桜の方を見ると、珍しく本を読んでいた。それは別にいいのだが……どうにもタイトルが気になる。「催眠術入門」なんて本、読んだところでどうするのだろう……?
「桜、何読んでるんだ?」
「えへへ、よくぞ聞いてくれました! ズバリ、催眠術の本です!」
「見りゃ分かるわ! なんでそんなもん読んでるんだよ」
「えー? 催眠術とか使えたら格好よくないですかー?」
「んなことはねえよ」
桜にはこうやって好奇心旺盛にいろいろな物に飛びつく習性がある。それだけならともかく、時には俺も巻き込んで色々なことをやらかしてくれるので困るのだ。いつだったか、中学校の帰りに桜がスズメバチの巣を突っついて酷い目に遭ったこともある。
「で、どうだ? 催眠術は使えそうか?」
「うーん、まだ試してないので……分かんないです!」
「だろうな」
簡単に身に付くものではないだろうし、当たり前と言えば当たり前か。……いや、待てよ。桜が次に何を言い出すのか予想出来てしまった。そうだ、ハチの巣を突いたときと同じだ。こうやって目を輝かせて、俺に向かって――
「だから先輩で練習させてほしいんですっ!!」
「はあ~~!?」
呆れたように声をあげたが、それを聞いて遠慮する奴ではなかった。桜はさっそく教室の後ろに積まれていた椅子を二人分持ってきて、俺に座るように促してきた。その左手にはひも付きのコインが握られている。
「さあさあ、座ってくださいっ! 絶対に眠らせてあげますから!」
「嫌だよ、勘弁してくれ」
「いいんですかあ、そんなこと言ってえ……?」
「あれ!?」
桜が右手を突き出すと、そこには俺の家の鍵があった。慌ててズボンのポケットを探すが……ないっ!
「えへへ、こっそり抜き取っておきましたあ!」
「……お前なあ」
「さっ、早く! 野宿したくないなら座ってくださいっ!」
「分かった、分かったよ……」
観念して椅子に座った。あーあ、また面倒なことに付き合わされちまったなあ。けど、この調子だと本当に鍵を返してくれなさそうだし。
「さっそく始めますよっ、いいですか?」
「ああ、さっさとしてくれ」
「じゃあ、このコインをじ~っと見てください……」
桜も椅子に座ると、ひもの付いたコインをゆらゆらと揺らしだした。俺は仕方なく視線を動かす。こんな絵に描いたような催眠術があるとは思わなかったな。桜の奴、いったいどれだけ古い本を参考にしたんだろう。
「あなたはだんだん眠くなる、眠くな~る……」
……全然眠くならん。子供だましにもほどがある……というか、子どもでもまず騙されないだろう。
「あれ、眠くなりませんか?」
「ならねえよ」
「おっかしいなあ……」
桜は首をかしげてコインを揺らしていた。ふあ~あ、退屈で逆に眠っちまいそうだな。もうそろそろ夕方だし、さっさと帰りたいところだが。
「なあ、無理だよ。やめようぜ」
「いえ、絶対にやめませんっ! 先輩がかかるまで!」
「おいおい……」
こりゃ本気だ。いくら可愛い後輩が頑張っているからって、流石に付き合いきれない。……だけど、家の鍵はコイツが持っているんだった。
「あなたは眠くなる、眠くなる……」
桜は懸命に眠らせようと試みている。仕方ない、早く帰宅するためだ。それに、失敗して落ち込む桜の姿はあまり見たくないからな。ここはかかった
「すう……すう……」
「あれ、先輩?」
「すう……すう……」
「ほ、本当に寝ちゃった……! すごっ、信じてなかったのに!」
信じてなかったのかよ! ……などとツッコミたい気持ちを抑えて、狸寝入りを続ける。眠ったはいいけど、これから何をされるんだろうか。男が女を催眠させるなら……なんとなく想像はつくけどさ。などと考えていると、桜は椅子から立ち上がり、椅子に座った俺の周りを興味深そうに観察していた。
「ふ~ん……先輩の寝顔、ちょっとアホっぽいかも」
余計なお世話だよ、と言うことも許されないとはな。今俺が起きれば、桜は「催眠術をかけ直す」などと言って同じことを繰り返すに違いない。全ては帰宅するためだ、我慢我慢……。
「じゃあ……まず、立ち上がってください」
命令に対して、すっと立ち上がる。目をつぶったままだったので、少しよろけそうになったが、なんとか持ちこたえた。
「すご……本当に思い通りになってる」
そりゃ俺がそういうふうに動いてるからなあ。桜は俺の数メートル先に立ったまま、目を見開いてこちらの様子を見ている。
「では、私のところまで歩いてください」
言われるがまま、ゆっくりと足を踏み出す。流石に危ないので目を少しだけ開いたが、桜は気が付いてないようだ。
「……」
「わっ、歩いた……!」
お前はリツコさんかよ、さながら俺は初号機か? 歩くだけで褒められるとは赤んぼ以来の体験だなあ。のろのろと歩いていき、桜に近づいていく。ぶつかりそうになる間際、桜が慌てたように声を出した。
「わわっ、ストップ……!」
ピタリと足を止めると、目の前に桜の頭があった。髪の毛からふわりと良い匂いが漂ってくる。シャンプーかな。
「えっと、その……」
自分で近くに来いと言っておきながら、桜は照れたように顔を赤くしていた。本当に可愛い後輩だなあ。俺なんかにこだわっていないで、もっと良い男を見つけて欲しいのだが。
「あの、先輩? その……」
「すう……すう……」
何か問われそうになったので、再び狸寝入りする。寝たまま女子高生の前に立ち尽くす男、なんてのは傍から見たらどう考えても滑稽だろうな。
「えっと……」
桜は頬をぽりぽりとかいて、照れ隠ししていた。何やら言いたいことがあるらしい。いったい何を――
「わ、私をハグしてくださいっ!」
「えっ……」
「あ、あれ? 喋った?」
「むぐ……」
思わず声を上げそうになったが、慌てて口を塞いだ。は、ハグ? いや、たしかに桜なら言いかねないとは思うけどさ。せっかく眠らせているのに、考えていることがお子ちゃまみたいで……ついおかしくて笑ってしまった。
「その……ハグ、してください」
「……」
ちょっと迷ったが、断る理由もないしな。早く帰れるならハグくらいお安い御用だ。妹とハグをする……なんてそこまでおかしいことでもないし。そっと桜の背中に腕を回し、ぎゅっと体を抱き寄せる。
「やっ……」
温かい体温と柔らかな感触が伝わってくるのと同時に、桜が可愛い声を漏らした。普段はコイツのことなんて意識していないのに、思わずドキリとしてしまう。
「先輩……」
桜はさらに強く抱き返してきた。少し痛いくらいの締め付けに、俺に対する思い入れを感じる。教室の中、抱き合う二人。針が時を刻む音だけが響き渡る。
「普段から、こうしてくれればいいのに……」
桜がそっと腕を離したので、俺も離れた。薄目でよく分からないが、桜は少し寂しそうな表情を浮かべている。別に、コイツのことが嫌いなわけじゃない。だけど……恋人とか、女とか、そういった意味で桜を見ることが不思議と出来ないのだ。
「じゃあ、次は……」
手を口に当てて、何かを考えこんでいる桜。おいおい、もう十分だろう。いい加減に催眠を解除してくれよ。なんだか疲れたし、そろそろ家に――
「ズボン、脱いでください」
……へっ? 困惑のあまりに目を開けそうになってしまったが、なんとか堪えた俺であった――