才能の卵を孵化して最強って母性の発露は聞いてない 作:鴨鶴嘴
出張の打診があったときから受け入れる準備が進んでいたようで、ギルドから今俺が出向している国立セレスティア女学院の敷地内にある礼拝堂から中庭を挟んだところに特設された、真新しい待機部屋で自分の新しい精霊達が産まれてくるのを待ちながら一人で時間をかけて読書をしたり、窓辺に寄って庭で汗を流して鍛練をしているアイシャに手を振ったりと、着任してからの昼間は穏やかな時間が流れていた。
そして、教区の中央にある大鐘楼台から祈りの刻を知らせる鐘の音色が鳴り響いて、アイシャと共に近くの礼拝堂へ向かってしばらく待つと、クラス単位の今日の生徒達が祈りを捧げに集まってきたのだった。
天井が高くステンドグラスが鮮やかな聖堂とは違い、木造で天井が低い礼拝堂の最奥にある女神様の像へ生命賛歌の祈りを粛々と捧げて、それが終わると皆の視線が俺に集まった。
「あなたに女神様の祝福があらんことを」
チュッ。
「精霊に女神様の祝福があらんことを」
チュッ。
最初の学生の一人が白い手袋を外して手を伸ばし、俺は手の甲にキスをすると金色のタトゥーが浮かび上がる。
生徒は精霊の卵が宿ったことを意味するタトゥーに対しての慈愛を込めた祝福を言祝いで、タトゥーにキスをしてから再び白い手袋をはめた。
これを思春期のように間接キスだと騒いで赤面はしないが、こうも何人も連続していると、多少は胸がザワザワとする。
別のことを考えようとして、セレスティア神聖国に来てから自分の手の甲に新しく増やしたタトゥーにも、金色の変化があったこととその意味を考える。
ここにきて、数ではないスキルの成長の兆しを感じていた。
「……女王様は、これを憂いていたのか」
そのときアイシャが何かをポツリと呟いた独り言が微かに聞こえたような気がしたが、聞き返す機会を失って、しばらくした頃にはすっかり忘れてしまっていた。
「今日もお疲れ様でした、テオドール様」
「あなたは、えっと……シャロンさん、でしたよね?すみません、直ぐに名前を思い出せなくて」
生徒達がまとまって礼拝堂から出ていくなかで、横から声をかけられて立ち止まる。
顔を見て前に一度だけ挨拶をしたことがある、いつも目を細めて微笑んでいるのが印象的な女学院で教師をしているシャロンさんのことをなんとか思い出して頭を下げると、あわわ、と慌てて大きく開いた青い瞳が狼狽えていた。
「そんな……私のような者に頭を下げないでくださいませっ」
「コホン……なにか、用事があったのではないのですか?」
「……あ、はい。そうでした。今日で全ての生徒達へのテオドール様の祝福が終わりました。ですから、予定どおり次は教師達への祝福を行っていただくことが決まりましたことをお伝えに参りました」
アイシャが会話の潤滑油となって話を催促すると、ゆっくりと一音一音の言葉を大切するような話し方をするシャロンさんが、次の仕事を伝えに来たようだった。
「分かりました。お忙しいところをわざわざ来ていただいてありがとうございました。……そうだ。でしたらせっかくなので、先にその祝福をシャロンさんだけでも今から行いますか?」
生徒達と同じような流れなら、その方が効率的だと思った軽い提案だったのだが、思いの外シャロンさんは戸惑っていた。
「それは……テオドール様は、一般的な聖書の第4章の3節を知っておいでですか?」
「聖書ですか?前に一度読んで、全て暗記はしています。たしか『神への奉仕をする者は、祈りを疎かにしてしまうので、夫を持たないことが望ましい。ただし、地上に神が人の姿を借りてお現れになられたとき、それを夫として多くの精霊や子を成すことは、最上の奉仕である。』と……これは、ははは……精霊を成すなんて、偶然ってあるんですね。私は、なんてここではキザな一人称を使っていましたが、俺は俗物で、聖書で語られるような人間じゃないんで……がははははっ」
「うふふふふっ……テオドール様は、偶然の一致と思っていただいて構いません。それよりも、私はテオドール様が私達の聖書を諳じてみせれるほどよくご存知でいられたことが、とても嬉しいのです」
俺の乾いた笑い声と嬉しそうなシャロンさんの弾む声が礼拝堂に染み込んで、沈黙が訪れる。
「しっかりしてください。ここは、出直した方がいいと思いますよ」
「ああ、いつもありがとうアイシャ。どうやら疲れていたみたいなので……少し休みます」
アイシャに肩を揺すられ、遠くにいきそうだった意識が現実に戻ってくる。
「そうでしたか。ゆっくりと休んでくださいませ。今日はお疲れ様でした。ではまた後日、お会い出来る日を楽しみにしております」
「あ、待ってください。最後に一つ」
「はい?なんでしょうか」
振り返ったシャロンさんの手を取って、俺はスルリと白い手袋を抜き取って、細くしなやかな指先へ唇を寄せる。
「シャロンさん、あなたが僕に今日、気づきを与えてくれたことに心の底から感謝しています。もし、精霊の卵を授けることに特別な意味を見出だしてしまうなら……ちょっと複雑ですけど、その上で、シャロンさんには喜んでほしいという個人的な感情からですが、受け取ってほしいです」
「……ぁ……ううっ///……お願いします」
チュッ、チュッ、チュッ。
同意を得て指の付け根の辺りに三回キスをすると、金色のタトゥーが現れて──それは黄金の糸のように輝き、束が紡がれて、やがてシャロンさんの指に絡みつくように一周して、その光は白銀へと変化する。
そして、指の根元で延々と微かな光を放ち続けていた。
「このタトゥーの変化は初めてみました。これはまるで……とにかく、受け取っていただけてよかったです。もし嫌でしたら、今なら外せると──」
「その必要はありません。綺麗……大切にしますね」
まるで婚約指輪のような白銀のタトゥーだと思ったままに言うのは、あのキスはこれからの自分のことを考えれば絶対に教会側の協力者が必要だというエゴによる行為だったので、その後ろめたさから言葉の続きを誤魔化したワケなのだが。
その誤魔化した言葉の続きをしっかりと受け取っている様子で、タトゥーをうっとりと眺めるシャロンさんに抜き取った手袋を返そうとすると、「それは差し上げます」とにこやかに断わられて困惑し、アイシャに肘で小突かれて白い手袋を受け取ることにした。
それからシャロンさんと別れて、無意識で手慰みに触っていた滑やかな手袋を待機部屋の机の上に置いてから、肺の空気を全て入れ換えるような長い長い深呼吸をした。
「……スメラギさんに拉致されたい」
今さら慌てて聖書の一節一節を思い出す度に、自分のしてきた行為の重大さを知って、セレスティア神聖国に来てからまだ1ヶ月も経っていないことに頭を悩ませる。
少しだけ現雑逃避をしたが、今日もお腹を空かせて待っているアイシャのために夕食を作って、気を紛らわせることにしたのだった。
太陽が、遠く西の海に沈んでいく。
全寮制である国立セレスティア女学院の生徒達は、いつも集団行動で分刻みのスケジュールで動いて、全員がそれに慣れていた。
しかし、最近になって規則正しいスケジュールに新しく祝福の時間が加わった。
最初は戸惑う生徒達もいたが、手の甲に現れた聖痕──黄金のタトゥーが全員に刻まれると、祝福の時間は禁欲的な生活を送る生徒達の楽しみの一つになっていた。
聖書曰く、『神に奉仕をする者は、肉欲をよしとせず、自慰行為をしてはならない。ただし、手に聖痕を宿しているならば、その手は神に祝福された清き手であるので、清き手にて肉欲を浄化し──』
「──内から溢れる声はっ、健全なる魂のぉ……ふーーっ♡ふっ、福音である……~~っ!?……あっ、ああ゛っ゛!?♡大きい声がっ……こんなことだめぇえっ!!♡♡♡」
プシッ、プシィッ……プシューッ。
「あちっ!……うわっ、この貝まだ生きてたのかよ」
あれから、俺は食堂で分けてもらった砂抜きの済んだ大きな二枚貝で酒蒸しをアイシャに食べさせてやろうと思い、しばらく蒸し焼きにして様子をみた貝が閉じたままだったので箸でつつくと、貝殻の隙間からはみ出した管から、ビュッ、と噴き出した汁が顔にべったりとかかってしまった。
「大丈夫ですか?今タオルを持ってきますね」
・・・・・。
「じゅるるっ……んーーっ♪これは美味ですねぇ!滋味にも富んでいそうです」
「アイシャの口に合ってよかったよ。こいつはとくにイキがよくてさぁ……うん……弾力が、コリコリしてて……美味い!」
プシューッ、プシィッ、プシッ。
「ふーーっ、ふーーっ♡んんっ、テオドール様の唇が触れて……ぁ……♡」
水を張った盥の上でバシャバシャと脚と指を浄めると、火照っていた体が次第に冷めていきます。
乾いたタオルで水滴を拭き取ってから、私は自分の体をギュッと抱きしめました。
テオドール様は、私の薬指に現れたこの白銀の輪のことを、これが初めてだと仰っていました……それはつまり、うふふふふっ。
「どんな子が生まれてきてくれるのでしょうか。……はぁ……ん……もっと会いたいです。……アイシャさんとも、仲良くなりたいですね」
こうして、長い夜が更けていく……。