DB Another Love Story 作:Roland
広大な高原のきわに天津飯はいた。地平線がかすむ砂地の果てに立って大空を見上げている。小さな人影が斜陽のなかを遠ざかっていく。
「――おい! サボるな!」アニスは遠くにいる天津飯に向かって声を張り上げた。そのまま視線を彼の見ている先へ向け、「あ、鳥を見てるのかな……」と呟いた。
近づいてくるアニスをちらりと一瞥したあと天津飯は言った。「サボってる訳では無い」
アニスは鳥らしきものと天津飯の横顔を交互に見ながら――「あれは鳥か? 何ていう鳥だ」
天津飯は空を見たまま返した。「お前が言っているのは、おそらく餃子だろう」
ふとアニスは天津飯に目を奪われた。圧のある雰囲気とは裏腹に、その存在は静けさそのものに感じられ、時が止まったみたいな一瞬が心に広がった。
「チャオズなのか? 鳥に見えないかあれ?」と、アニスは話を続けた。
「わからん。俺には何も見えんからな」
「あ、目悪いのか」
「少しな」
「じゃあおまえも帰っていいよ。目使う作業だからな」
「いや」と言って天津飯は踵を返し、歩き始めた。「近くは見える」
「近視だろ」とアニスも後に続きながら、「近視なら目を酷使するのはやめといたほうがいいぞ」
「そんな気遣いは無用だ」
瞬時に一羽の鳥が、歩いているアニスの頭に勢いよく飛び込んできた。……なんやねーん! とアニスは叫んだ。振り返った天津飯は、すぐそばにある彼女の頭に目をやった。まもなく鳥は飛び去った。
「なんやねん、今の……」とアニスは宙を見ながら無表情で言った。「おもわずナンヤネ弁でたわ。コズモポリシオン星に『ナンヤネ・シティ』ってのがあるんだよ。市長がずっとツッコミ待ちしてるシティなんだけど、それだけじゃなくて、市のマスコットが『ナンヤネん』っていうツッコミ待ちの生き物なんだよ。ツッコミ入れられるまで動かねんだよ」アニスは無意識に口を開いていた。天津飯の控えめな佇まいが心地よくて、気づけば自分を出していた。
目の前に立つ天津飯から痛いほどの視線を感じたが、気のせいだと思った。アニスは言った。
「ってかさ、いーから帰れって。ピカピカ2.0見すぎて目ログアウトしてるだろ、私もおんなじだけどよ」
「あの……。お優しい…ですね……」
「えっ?」
「俺の事を…気遣ってくれて……」天津飯はまばたきすら忘れた顔でアニスを見ている。
「…そ、そういえばチャオズって名前はマスコットキャラっぽいよなっ!」アニスは急に恥ずかしくなって話をそらした。
「漢字です」と言って天津飯は地にひざをつき、砂に指で『餃子』と書いた。
アニスも身をかがめ、風に消えそうな砂上の文字に目を落とした。
「ん? ギョーザじゃないのかそれ?」
「ナマで言うとチャオズ、焼いたらギョーザ、になります」
「へ~」
「まぁ、冗談ですが」
「冗談かよ……意外に面白いやつだなおまえ」
「アニスさんのツッコミ待ちを、してみただけです」微笑を口角に浮かべて天津飯は言った。
「いやっ、私はツッコミもボケもできんぞ!? ナンヤネ・シティとは一切無関係だ私はっ!」
「あ、そうなんですね」
砂地に片ひざをつけたままの天津飯の向かいで、アニスはゆっくりと三角座りをはじめ、ひざをかかえながら言った。「けど、ギャグは好きなんだよ。他もあるか?」
「他ですか?」
アニスは『餃子』の砂文字をふたたび眺めながらさっきの台詞を繰り返した。
「――ん? ギョーザじゃないのかそれ?」
「いえ、焼いたら怒られました」
「素早いな。見どころあるじゃないかおまえ」
「いえ、大した事ではありません」
「んな謙遜するなって。――おまえ、なかなか気に入ったぞ」
「そんな事言われるとは、思ってもみませんでした……俺は、嬉しいです」
風が地をなぞり砂の文字がかすかに揺れた。天津飯の視線は足元の砂とアニスのあいだを行き交うようにさまよっていた。感情の波を感じさせないその顔に浮かぶ小さな微笑の兆しをアニスは見ていた。風音とふたりの気配だけが静かにそこにあった。頬をかすめた風が砂の匂いをうっすらと運んできた。アニスはなにやら夢見心地のようでもあった。
天津飯は少しだけ目を伏せたあと、アニスに言った。
「アニスさん、俺と修行して下さい」
「けどおまえ、私のこと殺そうとするなよ。突然、気が変わったりして」アニスは念のため釘を刺した。
「絶対にしません、そんな事は。あの時は、女性だと気付かなかったので」
「ん? 私は男だぞ?」
「いえ、俺には分かります。しかし、周囲には、俺も知らないふりをします」
「いやちょい待て!」とアニスは三角座りのまま身を乗り出した。「あのな! 私は戸籍もしっかり男だ。名前だって男の名前なんだよ。軍の規定は厳格だぞ、私はその中で通ってきたんだぞ。それでもなお女と言うなら、おまえは目を疑え」
「理屈じゃない、本能の話です。目は疑ってません。むしろ、目に映るあなたを、俺の本能が女だと判断してるんです。名前も俺にとっては、女です」
「ちょい待て……。今気づいたが、ちょいちょい私の名前を、さっきから呼んでいるな、おまえ……」
「皆の前では、知らないふりをします」
「餃子は、喋っちゃったのか……」アニスはひざに乗せた腕で頭を抱えた。「教えたのは失敗だったな。あの可愛さに負けて、つい答えちゃったがな」
「やはり、内緒だったんですね。俺に知られたくない事は、餃子にも喋っては駄目です」いかにも誠実そうな天津飯は、左ひざをついた低い姿勢で、右ひざを立て、その上に右腕を乗せてじっとしている。砂文字を書いて以降ずっとそのままの姿である。アニスは、天津飯のそのなにげない体勢に男の格好良さを感じて仕方なかった。天津飯はこちらを見ている、静かな凛々しい目で。アニスの中で陶酔感のようなものと後悔がせめぎ合っていた。私は、この安らぎ男に対して、油断しすぎてしまったようだ――。
「もしかして……うっかり自分の事を、喋ってしまったかもな。おまえが名前で呼んだせいだ」
「あなたが軍の人間である事も、口外はしません。俺は、あなたの事について、誰にも一言も漏らしません。そこは心配無用です」
「しかし、餃子には言っちゃうだろ?」
「いえ、決して言いません、餃子にも」
「なるほど、餃子の一方通行なわけか。餃子からだけ情報が流れてくる構造か」
「まぁ、あなたの事に限っての話ですが」
地球では名前も職業も明かさないつもりでいたアニスにとって、この出来事は予想の外だった。せめてもの救いは、相手が口の堅そうな天津飯だったことだ。餃子の口封じを天津飯に頼んだアニスは取りあえずの安心を手にした。そんなとき、また鳥が頭をつついて来た。アニスは跳びあがるように立った。天津飯は即座に動いた、アニスよりも早く立ち上がって鳥を追い払った。鮮やかな一瞬だった。
「大丈夫ですかっ、ア二…」と、そこで天津飯は言葉を止めた!
直後、パッと悟空が現れて、「――おめーらこんなとこで、なにしてんだあ……?」と、ふたりの顔を交互に見ながら言った。
天津飯が淡々とした口調で答えた。「餃子を見送ってたんだ」
アニスはすぐに言った。「おい! 瞬間移動はやめろ……めちゃくちゃ失礼だろ?」
「おめえ瞬間移動知ってんのかあ」
アニスは続けた。「天さんの気を探ったのか?」
「いや、おめえの気だ。おめえにちょっと用事あってよ!」
「あのな、ソン。今後は絶対ンなことしてくれるな。たとえ用事でもだ。プライバシー侵害だぞ? ちゃんと守れよ!」
「わかった。そんでよ、ちょっと話があるんだ」
悟空はアニスを手招きしながら歩き出した――「こっちに来てくれ」
天津飯が棒立ちで言った。「どうした、悟飯? いったい何なんだ……?」
「ベジータのことで話があってさあ」
さらに天津飯が返す。「ならば、ここで話せばいいことだろう」
「いやさ、あっちらへんの岩でも座ってゆっくり話そうと思ってよ!」
「私の使命のことか」アニスはそう言ってから天津飯を見た。「――ってことで天さんは帰れよ、今日は目を休めろ」
「いや、問題ない。作業に戻る」
アニスは悟空の後ろを歩きながら、天津飯のことを思っていた――謙虚で、偉ぶるところがまるでない。意外にギャグもいけるし顔も悪くない。私が見上げるほど背が高いし、全身から男らしさが、あふれてる――。