※この作品はR-18です。

天竜人と奴隷の少女   作:ましろ

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After Story:『黄金帝』

 

 

「俺は…お前が死んだと聞かされた」

 

グラン・テゾーロの深夜。

 

月明かりだけが差し込む、狭くて薄暗い私室で、テゾーロは質素な木の椅子に体を預けていた。仮面で顔半分を隠したステラは彼の対面に座り、彼の話を聞いている。

 

テゾーロの声はかすれ、指先が膝の上でわずかに震える。長年孤独に歩み続けた過去を、今初めて言葉にしていた。

 

「マリージョアから逃げ出した後、何もかもが狂った。金さえあれば…金があればお前を救えたんだと信じて…」

 

窓から差し込む青白い月光が、彼の憔悴した顔を浮かび上がらせる。かつての黄金帝の面影はなく、ただの疲れ切った男がそこにいた。

 

「無法者になり、騙し、奪い…気がつけば、お前を救うための金を得るために、お前と同じ境遇の者たちを虐げていた」

 

ステラの瞳が潤む。彼女は何も言わず、ただ静かに彼の言葉を聞いていた。

 

「でも…結局すべてを失った」

 

テゾーロが左肩のタトゥーを指さす。ホルマス家の紋章が、奴隷の証として新しく刻まれていた。権力の象徴であるはずの黄金の指輪は全て剥ぎ取られた。

 

彼はグラン・テゾーロの国王だった。しかしすでに権力はない。身を売った結果、主人のために尽くす存在に成り果てた。

 

幸運を運び続けていたラッキーガールのバカラを筆頭に、大勢の部下が、テゾーロを見限って船から去った。『怪物』と呼ばれた頃の覇気は、見る影もない。金への執着を失うとともに、グラン・テゾーロの王は失われた。

 

二人の影だけが長く床に伸びていた。テゾーロの声は震えながらも、強い決意を込めて続けた。

 

「あの時…お前を助けられなくて…すまなかった」

 

彼の拳が膝の上で固く握りしめられた。骨が軋む音が静かな室内に響く。

 

テゾーロはゆっくりと首を振り、月光に浮かぶ顔には深い後悔の皺が刻まれていた。

 

「これまで俺が犯してきた罪は消えない。お前の側にいる資格なんて、もうない」

 

「これからは…自由に生きてくれ。それが俺からの最後の――」

 

 

その瞬間、思いがけない動作が起こった。

 

ステラの手が素早く動き、仮面を外すと、床に投げ捨てた。

 

「テゾーロ」

 

金属の音が鮮烈に響き渡る。ステラの声は強い意志に満ちていた。彼女は動揺したテゾーロの頬を両手で掴み、無理やり自分の方へと向かせた。

 

「私の目を、見なさい」

 

月光がステラの顔を照らした。かつての美しい面影はなく、顔半分に無数に走る醜い傷痕が広がっていた。天竜人による虐待の跡だ。テゾーロの瞳が広がる。

 

だが驚くべきことに、テゾーロの視線には嫌悪も憐憫もなかった。ただただ――

 

(どうして…こんな汚くなった俺を…)

 

その疑問だけが、彼の目に浮かんでいた。

 

ステラの頬を大粒の涙が伝う。一つ、また一つと、光を帯びたしずくが、テゾーロの手の甲に落ちた。

 

「あなたをこんな風に歪ませてしまったのは…私」

 

彼女の声は震え、苦しそうに喉が鳴った。

 

「あの日…最後に『幸せだった』と言った言葉が、あなたをこんなに苦しめることになるなんて…」

 

「だから、責任は…二人のものよ」

 

その言葉と共に、テゾーロの体が大きく震えた。

 

「違う!! これは俺の……!!」

 

月明かりの中で、ステラはさらに強くテゾーロの手を握り返す。一度は喉から出かけた言葉が、詰まるように止まった。

 

「私は……何もかも失っていたの」

 

ステラの声が、静かな室内に優しく響く。彼女の目は虚空を見つめながら、過去の記憶をたどっていく。

 

「顔も、名前も、自由も、全部奪われて……ただ、息をしているだけだった。あの人が拾ってくれた時でさえ、私はまだ……死んでいた」

 

月明かりがステラの傷跡に影を落とす。それは苛酷な運命に蹂躙された証だった。

 

「けれど、テゾーロ」

 

彼女の手が、テゾーロの頬に触れた。

 

「ステラ…?」

 

「あなたは、こんなに醜くなった私を、まだ想ってくれていた」

 

一瞬の静寂の後、ステラは突然テゾーロに抱きついた。

 

「お金も、権力も、何もかも失ったのに、私を助けようと、あなたは自分の命さえ賭けてくれた」

 

長く伸ばした両腕が、彼の頑丈な背中をしっかりと包み込む。

 

 

「私は世界一、幸せな人間よ」

 

 

ステラの目から涙があふれ、頬を伝って落ちる。テゾーロの喉が震える。彼は俯いたまま、声を殺して息をついたが──ステラは優しく、しかし力強く、彼を抱きしめた。

 

25年もの歳月、牢獄に阻まれて触れることのできなかった二人の距離が、ついに埋まった。

 

「俺は…バカだ…」

 

テゾーロの体が激しく震える。

 

彼の声は完全に涙に噎びれ、大人の男の泣き声が部屋に響いた。テゾーロはステラの肩に顔を埋め、子供のようにボロボロと泣きじゃくった。

 

「俺は…俺は…」

 

二人の背中には、奴隷の証であった焼け跡が刻まれている。しかし今、それは二人にとって何の意味も持たなかった。

 

外では静かに夜が更けていき、月が雲間に隠れようとしていた。長い長い別れの後、ようやく巡り会えた二人は、言葉を超えた静かな時間を共有していた。

 

「もう、離さない…」

 

「うん…もう、あなたから離れたくない」

 

月明かりが部屋の床に静かに広がる中、テゾーロとステラは膝をついて向き合っていた。テゾーロの震える手が、ゆっくりとステラの頬に触れた。その指先には、かつて金を愛撫していた時の優雅さはなく、ただ切なさだけが宿っていた。

 

指紋の粗い親指が、ステラの頬の傷跡を繊細になぞる。25年間、夢に見たこの感触に、テゾーロの喉が震えた。ステラは目を閉じ、その温もりに身を委ねる。

 

「痛かったか?」

 

「…今はもう痛くないわ」

 

静かな問いと答えが、月に照らされた埃の舞う空間に溶けていく。テゾーロの手がステラの後頭部に回り、ゆっくりと自分の胸へと引き寄せる。彼女の額が、かつて黄金の鎧に覆われていた胸板に触れた。上衣の下に鼓動だけが伝わってくる。

 

ステラの指がテゾーロの背中を探り、奴隷の烙印を確認するように撫でる。服で隠しても、星で上書きしても、心からは永遠に消せない『天翔ける竜の蹄』。しかしステラはその傷跡を自分のもののように確かめていた。

 

二人の呼吸が重なり、長い歳月の重みが少しずつ解けていく。テゾーロの涙がステラの乱れた髪に滲み、銀色に光った。彼女の腕がテゾーロの腰に回り、引き寄せられた体が密着する。

 

月が雲に隠れ、部屋が一瞬暗くなった。暗闇の中で、二人の唇が自然に出会った。

 

25年ぶりのその口付けは、愛情というより魂の再会だった。黄泉の国から戻ってきたもの同士が、互いの存在を確かめ合う儀式のように。再び月明かりが差し込むと、テゾーロは膝をついたままステラを抱き上げていた。今はただ、この体温を感じることが嬉しかった。

 

「すごく…大きくなったね、テゾーロ」

 

「お前は…昔より小さく感じる」

 

微笑みを含んだささやきが交わされる。窓から見えるグラン・テゾーロの黄金の街並みは、もはや二人のものではない。だがこの小部屋の貧しいベッドで重なり合う体には、すべての富よりも重い価値があった。

 

かつての黄金帝はただの男に、傷ついた女はただの女になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

グラン・テゾーロの舞台裏は、今夜のショーの準備で賑やかだった。

 

ステラは舞台袖で静かに立っていた。かつての傷跡の残る顔には、淡い化粧が施され、薄いヴェールで優しく覆われている。特別な夜の為に、ソラが用意してくれた衣装だった。

 

「ヨル……いいえ。ステラさん」

 

控えめな声が後ろから聞こえ、振り返るとソラが近づいてくる。彼女は今夜のイベントを見る為に、優雅な青いドレスを纏っていた。通りがかりのスタッフが自然と道を開ける。

 

ステラはすぐに姿勢を正し、深々と頭を下げた。

 

「ソラ様……」

 

「もう礼をする必要はありませんよ」

 

ソラが優しく手を差し出す。しかしステラは頭を上げず、そのまま深い感謝を伝えた。

 

「私を生かしてくださったのは、あなたです。この命は――」

 

「解放の決定を下したのは、主人です。それよりも」

 

ソラの声には、いつもの平坦さの中に温かみがあった。彼女はステラの肩にそっと手を置く。

 

「あなたの未来が明るいものになって、良かった」

 

通路の向こう側で、賑やかな掛け声と興奮する観客の音が、彼女たちの静かな対話を優しく包み込む。ステラは、目尻が熱くなるのを感じた。

 

「はい。幸せになれました……」

 

ソラの目がほんの少し細まった。それは彼女なりの微笑みだった。

 

遠くで舞台監督の声が響いている。これから始まるのは、新しいグラン・テゾーロ最初の公演。かつてテゾーロが夢見た、真のエンターテインメントの夜。

 

「……スルルルル……」

 

ステラとソラの会話が続く中、突然壁がうねり、タナカさんの大きな頭が突如現れた。

 

「お話中、失礼いたします」

 

タナカさんが『ヌケヌケの実』の能力で、ぬっと壁を抜けて直立し、丁寧にお辞儀をする。その大きな頭は相変わらずだが、端正なタキシードを着こなしていた。

 

「VIP席のご用意が整いました。ソラ様、そしてゲストのステラ様をご案内いたします」

 

ソラは少し目を細め、

 

「あなたは、残ってくださるのですね」

 

と言葉をかける。それに対して、タナカさんは低い笑い声を漏らした。

 

「スルルルル……確かに、この国はテゾーロ様の権威によって成り立っておりました。それ故に去る者も多い」

 

目を細めながら、彼はゆっくりと言葉を続ける。

 

「ですが、私が仕えるのはテゾーロ様です。テゾーロ様の歩む道に着いて行くのみ。たとえ国王でなくなられたとしても、それは変わりません」

 

その言葉には揺らがない忠誠と、意図的な響きがあった。天竜人ではなく、テゾーロへの忠誠を選ぶという宣言。一歩間違えば叛逆とも取られかねない言葉。しかしソラはそれを咎めない。彼女の目には静かな理解が浮かんでいた。

 

「タナカさんは、これからもグラン・テゾーロを支えてくださるのですね」

 

「その通りでございます」

 

「ならば、構いません。これからも務めを果たしてください」

 

「スルルルル……お任せを」

 

タナカさんは改めて深々と頭を下げた。服の上からもその巨大な頭部の丸みがはっきりと分かる。

 

「では、ご案内いたします。テゾーロ様も張り切っておられました。今夜のショーは、きっとお二人の期待に応えるものとなるでしょう……スルルルル……」

 

タナカさんが手招きし、二人はVIP席へと向かった。先導する彼の頼もしい姿は、新しいグラン・テゾーロでも変わらない。ソラはステラと歩きながら、静かに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

指パッチンの音が、鼓動のように階段に響く。

 

スポットライトがまだ点いていない通路で、テゾーロの姿が浮かび上がる。

 

リズムをとりながら登るその足取りは軽やかで、まるで若返ったようだ。白と金色の派手なシルクハットを斜めにかぶり、黄色のスーツに身を包んだ彼はかつての「黄金帝」と全く変わらない。細く長い口ひげの下には、自然な笑みが浮かんでいる。

 

唯一違うのは指輪だ。以前つけていた黄金のリングは一つ残らず外されている。かわりに、左手の薬指にたった一つの指輪がきらりと光った。絢爛な衣装に全く似合わない、みすぼらしい安物。

 

それ以外の装飾は、かつてのように権力の象徴ではなく、舞台装置の一部でしかない。だがギルド・テゾーロは笑う。握りしめた黄金のマイクを、サングラス越しに見下ろしながら。

 

 

 

──この世の全てを憎み、富だけを追い求めた男。

 

──海賊の前に敗れ、天竜人との賭けにも負け、全てを失った。

 

──富も権力も、かつて築いた全てを手放し、今はこの街でただのエンターテイナー。

 

 

それでも…

 

階段の踊り場でテゾーロが視線を上げた。スポットライトの光がサングラスの奥で金色に輝く。その目には、静かな情熱が灯っていた。奴隷の烙印を消すことはできない。重ねた罪も償わなければならない。

 

だが、かつてのように──大切な人のために「歌う」。

 

テゾーロがステージ中央に立つと、静かにマイクを握りしめた両手を胸元に掲げる。その瞬間、黄金の杖に変貌。舞台に突き刺さり、覚醒した『ゴルゴルの実』の地を這う電流が広がる。

 

「SHOW–––––TIME!!!」

 

叫びと共に、天井から金色の滝が轟音と共に降り注ぎ、煌びやかな水煙が客席を包む。

 

 

 

観客から、割れんばかりの歓声が上がった。まるで雷鳴のような拍手と歓声が、会場を揺るがす。

 

ビッグバンドの演奏が始まり、テゾーロの体が自然に動き出す。

滑るようにステージを駆け抜け、マイクスタンドを回す手首の動きは研ぎ澄まされている。25年の時を経て、再び真のエンターテイナーとしての魂に目覚めた肉体は、まるで若返ったように軽やかだ。

 

緑の前髪が汗で濡れ、サングラスの奥で金色の瞳がきらめく。観客の熱狂が引き金となり、テゾーロの動きはさらにダイナミックになる。その姿は、金の亡者の面影はなく、ただエンターテイナーとしての才能に満ち溢れていた。

 

伸びやかな音楽が、黄金に彩られた空間を満たす。

 

観客の熱狂がステージをさらに熱くする。

 

 

――かつての部下カリーナもバカラもいない。

 

――かつての富も権力もない。

 

――しかし今、ここにあるのは……。

 

 

視線の先のVIP席では、涙を浮かべて手を振るステラの姿。かつての美しさは失われていても、隠れていない片目だけは昔と変わらず輝いていた。

 

唯一人。届けたかった人が、そこにいる。

 

テゾーロは大きくジャンプしながらミラクルスタンドを投げ上げ、煌びやかな回転を描く。客席からはため息が漏れる。黄金の衣装がきらめき、その彼が指先を夜空に掲げた瞬間、会場を星屑の海へと変えた。

 

 

「イッツァ、エンターテインメンツ!!!!」

 

 

テゾーロの叫びと共に、会場全体が黄金色に染まり、観客の熱狂が最高潮に達した。

 

天井から舞い降りた金粉がスポットライトに照らされ、降ってくる星のように煌めいている。

 

そしてソラは静かにステラの横顔を見つめた。月明かりのような優しい視線で。

 

 

 

 

 

 

 

この世を彷徨い始めた、あの日のマリージョアのバルコニー。

 

死を待つだけだった、記憶のないヨル(ステラ)とともに、暗雲に覆われた夜空を二人で見上げた。星一つ見えない暗闇の中で、ソラは言った。

 

『この先、あなたの未来は夜空のように綺麗になるわ』

 

『今は曇っていても、きっと星は見つけられる。幸せにだってなれる』

 

虚ろなヨルから返事はない。しかしソラは、希望を信じていた。

 

『いつか本当の名前を思い出したら、教えてください…ヨルさん』

 

そして今、ソラの目には確かに映っていた。ヴェールの隙間から覗くステラの瞳に浮かぶ、煌めく星のようにきらめく涙。テゾーロの歌声に合わせて、小さくリズムを取る彼女の指には、エンターテイナーと同じ金色のリングが嵌められている。

 

客席いっぱいに広がる"GOLD STELLA SHOW"の文字。そのステージではテゾーロが情熱的に歌い上げ、スピンターンを決めている。ソラの唇が自然と緩んだ。

 

「ステラさんの『星』は……ずっとここにあったのね」

 

彼の動き一つ一つに、支配者の面影はない。

 

あるのはただ、大切な人たちのために全力を尽くすエンターテイナーの姿だけ。

 

 

 

 

 

かつての星と再会した。

 

二人はただそれだけで、幸福だった。

 

 





テゾーロ&ステラ編 完。


この小説はR18なので、エッチなのもいいかなと思ったんですけど
再会したテゾーロとステラの世界を覗くのは…さすがに無粋かなって…(小声)

次回最終回。
ホルマス聖&ソラ After Story。
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