天竜人と奴隷の少女 作:ましろ
我儘
青い髪の少女は、窓枠に手をかけ、外の景色を眺めていた。
彼女の名はソラ。天竜人であるホルマス聖の奴隷として、宮殿で暮らしはじめたばかりの少女だ。窓の外には、マリージョアの街が広がっている。白い建物が並び、噴水の水がきらきらと輝く。美しい街並みだった。
でも、ソラの目には、その美しさの裏にあるものが見えていた。遠くの広場で、鎖につながれた人々が売られている。鞭で打たれ、泣き叫ぶ声が風に乗って聞こえてくる。ソラの手が窓枠に強く食い込む。喉の奥で、何かが詰まりそうになる。
「……怖い」
彼女は震える声で呟いた。言葉はまだ不自由だった。心の傷が深く、長い間、声を失っていた。今は少しずつ話せるようになったけれど、言葉は途切れ途切れで、幼い子供のようだ。
ソラは目を閉じた。頭の中に、ホルマス聖の顔が浮かぶ。冷たい目をした主人。でも、彼だけは違う。この宮殿では、鞭も鎖もない。ソラを傷つけることもない。
「……ご主人様」
彼女はそう呼ぶ。この世界が怖い。けれども信じたい。この人だけは違うと。
ふと、視界の端で何かが動いた。窓の外。広場の隅で、一人の女性が倒れている。血だ。たくさんの血。誰も助けようとしない。みんな、見て見ぬふり。
ソラの胸が苦しくなる。あの女性はもうすぐ死ぬ。誰も助けない。いつもそう。ソラも助けられない。頭では分かっていた。
「……だめ」
彼女の手が窓枠から離れる。広場はすぐそばだ。足が一歩、前に出る。でも止まる。怖い。助けに行ったら、どうなるか。主人は怒るか。また、あの暗い部屋に戻されるか。
でも、見ていられない。あの女性は、苦しんでいる。ソラの目に涙が浮かぶ。
「……ご、ご主人様……どう、すれば……」
震える声が部屋に響く。助けたい。でも、助けられないのだと主人は言っていた。どうすればいいかわからない。この気持ちを、誰に伝えればいいのか。
窓に手を伸ばす。もう一度、外を見る。倒れた女性は、もう微動だにしない。気づいた時、ソラの指先はドアノブに触れていた。
冷たい金属の感触が、彼女の決意をより固くさせた。ご主人様の命令に背くことへの罪悪感が胸を締め付けるが、広場の光景が頭から離れない。あの女性は――あのまま放っておけば、確実に死んでしまう。
「……ごめん、なさい……」
かすれた声で呟くと、ソラは静かにドアを開けた。長い廊下には誰もいない。大理石の床が冷たく、裸足の足裏にひんやりとした感触が伝わる。普段なら決して許されない行為だ。奴隷が主人の許可なく部屋を出るなど、考えられないことだった。
慎重に足音を殺しながら、ソラは屋敷の裏口へと向かった。警備の奴隷たちの目を盗み、小さな扉から外へ出る。外の空気は宮殿の中とは違って生臭く、鉄錆のような匂いがした。
広場までたどり着くと、そこはすでに人影がまばらになっていた。夕暮れのオレンジ色の光が、血の跡をより鮮やかに浮かび上がらせる。ソラの目が、広場の隅に転がる人影に釘付けになる。
窓から見つけた女性はまだ生きていた。かすかに息をしている。だが、その体は鞭の跡でびっしりと覆われ、顔面は膿んで、片方の腕は不自然にねじれている。ソラはその傍らに膝をつき、震える手で女性の頬に触れた。
「……大丈夫、ですか……?」
返事はない。ただ、かすかな息遣いだけが、命の証を示していた。ソラの頬を涙が伝う。彼女はこの女性を知らない。でも、この苦しみは知っている。かつて自分も、同じように地面に転がり、誰の助けも期待できなかったあの日々を。
彼女に思わず手を伸ばしかけたが、その瞬間──
「なにをしておるのだえ?」
冷たい声が背後から響いた。ソラの背筋が凍りつく。ゆっくりと振り向くと、派手な衣装を纏った天竜人が立っていた。紫がかった髪、鋭い目つき。彼は鞭を手に、不機嫌そうに眉をひそめている。
「わ、わたしは──」
「黙れ!」鞭が空を切り、鋭い音を立てた。「わっちに平伏せぬとは、何たる不敬だえ! しかもこの無傷の身体! お前、どこから逃げてきたのだえ?」
ソラの喉が震える。天竜人の怒りは本物だ。彼の目には、残忍な喜びが浮かんでいる。
「申し訳あ──」
言葉が終わらぬうちに、鞭がソラの背中を襲った。鋭い痛み。熱い感覚が走り、涙が溢れる。
「あっ……!」
「ふふ、いい声だえ」天竜人は楽しげに鞭を振るう。「もっと泣いてみせろ。わっちを楽しませるのだえ」
二度、三度。鞭が肉を裂く。ソラは必死に声を押し殺すが、痛みに耐えきれず、ついに嗚咽を漏らす。
「……ホルマス……様……」
瞬間、天竜人の表情が歪んだ。
「何だとえ? ホルマスだと?」鞭の動きが止まり、代わりに冷たい金属の感触がソラのこめかみに押し付けられる。「わっちを愚弄する気かえ? その汚い口で、気高き家名を──」
ソラの瞳が開く。銃口の冷たさ。死の匂い。彼女は初めて、本当の恐怖を味わった。
(ご主人様……)
その時──
「やめろ」
冷徹な声が広場に響き渡った。影から現れたのは、ムチを持つ天竜人と同じ純白の衣装纏った男──ホルマス聖だった。
天竜人は銃を下ろし、不満そうに舌打ち。「ちっ、邪魔が入ったかえ」
ホルマス聖の目が細くなる。「それはこちらの所有物。手を出すのはルール違反だ」
「ふん、つまらない奴め」天竜人は肩をすくめ、銃をしまいながら去っていく。
ソラは震える手で地面を掴む。背中の痛み。頬を伝う涙。それでも、彼女の目はホルマス聖だけを見つめていた。
「……ご、主人様……」
ホルマス聖は無言でソラを見下ろす。その目には、複雑な感情が浮かんでいた。
「部屋に帰れ」
ホルマス聖の冷たい声が、夕暮れの広場に響いた。ソラの指先が震えた。地面に広がる血の温もりが、彼女の無力さを残酷に突きつける。みんな死んでしまった。目の前の女性も、もうすぐ死ぬ。そして、自分には何もできない。
ソラは涙で滲んだ視界を必死にこすり、ゆっくりと立ち上がろうとした。その時──
「……っ」
かすかな力が、ソラの足首を捉えた。倒れていた女性の、骨と皮だけになった指が、かすかに震えながらソラを引き止めている。腫れた顔に残された目には、かすかな光が宿っていた。助けてほしいという、最後の願い。
ソラの胸が熱くなる。彼女はゆっくりとホルマス聖の方へ顔を上げた。ご主人様の冷たい視線が、彼女を貫く。
「……ご主人様」声が震える。「この人を……助けて……ください」
言葉が途切れる。こんな願いを叶えられるはずがない。天竜人が奴隷を助けることなど、この世界の理に反している。ソラは幼いが、マリージョアの法を理解するほど賢かった。
それでも、ソラは震える唇を噛みしめ、ホルマス聖を見つめ続けた。
奴隷が抱いてはならない強い意志の光を前に、ホルマス聖の眉が、かすかに動いた。いつもなら即座に拒絶するはずの要求に、彼は一瞬、視線を泳がせる。右手の指が、わずかに震える。
広場の風が、三人の間を吹き抜ける。遠くで、別の奴隷たちの鎖の音が鈍く響く。ホルマス聖の目が、ソラの涙に濡れた頬から、足元の瀕死の女性へと移る。
「……」
沈黙が重い。ソラの鼓動が耳元で鳴る。ご主人様は何を考えているのか。怒っているのか。それとも──
風が広場を吹き抜け、鎖につながれた奴隷たちの髪をかすかに揺らした。
「カルロス聖」
ソラの視線の先で、ホルマス聖はゆっくりと紫髪の天竜人に向き直った。彼の声は静かだが、鋭い刃のように澄み切っていた。
「んあ? わっちにまだ用でもあるのかえ?」
カルロス聖は顎をしゃくり上げ、派手な衣装の袖をひるがえした。その手には、先ほどまでソラに向けられていた銃がぶら下がっている。
ホルマス聖の視線が、地面に横たわる瀕死の女性へと移る。
「自分の所有物を、屋敷の前で放置するつもりか」
「ふん、もう用済みだえ」カルロス聖は鼻で笑った。「遊び終えた奴隷など、わっちにとってはガラクタ同然だえ」
「それなら」ホルマス聖の指がゆっくりと杖に絡まる。「こちらで引き取るとしよう。病院用の実験材料が不足している」
ソラの息が止まりそうになった。カルロス聖の細い目が興味本位に光る。「おお、ホルマスめ、今日は慈悲深いのだえ? 奴隷に情けをかけるなど、珍しいことだえ」
「慈悲ではない」ホルマス聖の声に一瞬だけ鋭さが増した。「聖が使わぬというのなら、こちらで有効活用するまでだ」
「はっはっは! 相変わらずつまらん奴だえ」
カルロス聖は高笑いすると、袖を振って振り返った。「好きにするがよい。わっちは新しく手に入れた魚人奴隷で遊ぶのだえ。珍しい魚人だえ、羨ましいかえ〜?」
ホルマス聖の眉がわずかに動いたのを、彼女は見逃さなかった。カルロス聖は歩き出しながら、わざとらしく鞭を鳴らした。「それより、お前の青い髪の奴隷、なかなか良かったぞえ。飽きたらわっちに譲るのだえ」
瞬間、ソラが思わず身を縮める。強い恐怖。そしてご主人様の背筋が、わずかに緊張しているように見えたからだ。
「そのつもりはない」
「ちぇっ、つまらんえ」
カルロス聖は派手な衣装を翻し、奴隷たちを引き連れて去っていった。太鼓立てのような笑い声が、広場に不協和音を残す。
風が再び吹き、寂れた広場に沈黙が訪れた。ホルマス聖はしばらく立ったまま、遠ざかるカルロス聖の背中を見送る。やがて、彼はゆっくりとソラの方へ向き直った。
「連れて帰れ」冷たい声だった。「面倒を見るのはお前だ」
ソラの瞳が輝いた。涙が再び溢れそうになるのを、彼女は必死にこらえた。地面に跪くと、瀕死の女性の体をそっと抱き上げた。軽い。骨ばかりで、まるで人形のようだ。
ホルマス聖は先に歩き出した。彼の後ろ姿はいつも通り静かで、何を考えているのかわからない。でも、ソラにも分かったことがある。
それはご主人様が、自分の願いを叶えてくれたということだった。
大理石の廊下に、ソラの足音が静かに響く。
成人した彼女の姿は、かつて僻地のヒューマンショップに売られていた頃の、みすぼらしい少女の面影はなく、天竜人の第一婦人としての威厳を備えていた。青い髪は絹のように滑らかで、白いドレスが優雅に揺れる。
執務室の扉の前で、ソラは一呼吸置いた。今日話す内容は、他の天竜人から見れば「とんでもないこと」だった。指先がドアノブに触れる。
「ご主人様、お時間よろしいでしょうか」
「入れ」
ホルマス聖の声は、相変わらず冷たく静かだった。部屋に入ると、彼は書類の山から顔を上げ、鋭い視線をソラに向ける。成人したホルマス聖の顔には、幼少期の面影を残しつつも、より一層の峻厳さが加わっていた。
ソラはゆっくりと歩み寄り、机の前に立った。
「奴隷たちの管理について、相談がございます」
ホルマス聖の眉がわずかに動く。彼は椅子に深くもたれ、指を組んだ。
「何か問題が?」
「最近、奴隷たちの間に不満が広がっているようです」ソラは慎重に言葉を選ぶ。「特に、屋敷から出られないことについて…」
「庭は解放している」ホルマス聖の声に、かすかな苛立ちが混じる。「他の天竜人の奴隷と比べれば、十分な休みも与えている。何が不満なのだ?」
ソラの指がドレスの裾を軽く掴む。ご主人様の論理は正しい。天竜人の基準からすれば、彼の奴隷たちは恵まれている。屋敷から出られないルールも温情に他ならない。それでも──
「ご主人様」ソラは静かに、しかし確固たる声で続けた。
「彼らは一時的であれ、『自由』を求めているのです。同じ場所で、同じことを繰り返すことの苦痛が…」
部屋の空気が一瞬凍りついた。廊下で耳を傾けていた奴隷の一人が、思わず息を飲む音が聞こえた。ホルマス聖の目が細くなる。その視線は鋭く、ソラの心を貫くようだった。
「自由だと?」声は低く、危険な響きを帯びていた。「奴隷に自由など、存在しない。お前もそのことをよく知っているはずだ」
「はい」ソラはうなずく。ホルマス聖が椅子から立ち上がる。ゆっくりと机を回り、ソラの目前に立った。
「お前は何を求めている? 奴隷たちを解放せよとでも言うのか?」
ソラの喉が乾く。ご主人様の迫力に、一瞬たじろぎそうになった。でも、彼女は目を逸らさなかった。
「いいえ、ご主人様。ただ…何か変化を、と。たとえば、月に一度だけでも、外の市場に…」
「馬鹿なことを」
ホルマス聖の声が鋭く切れ、ソラの言葉を遮った。彼はソラの周りをゆっくりと歩き回りながら、冷ややかに続けた。
「奴隷が外に出れば、逃げる者も出る。騒動を起こす者もいる。そのリスクを取る理由が、私にはない」
ソラの胸が痛んだ。ご主人様の言い分は正しい。それでも…
「ご主人様」ソラは必死に言葉を紡ぐ。「私は…彼らが苦しむ姿を見るのが…」
ホルマス聖の足が止まった。壁に掛かった時計の針の音が、凍りついた執務室に不自然に響いていた。
「だめだ」
ホルマス聖の冷たい一言で、全てが決まった。
廊下で息を殺していた若い奴隷が、思わず後ずさりした。床がきしむ微かな音がした瞬間、ホルマス聖の鋭い視線がドアに向けられた。奴隷は恐怖に駆られ、足音を殺して逃げ出していく。ソラの視線は、決して主人から動かない。
「ご主人様、ですが──」
「聞こえなかったか?」ホルマス聖の声は鋼のように硬い。
「……かしこまりました」
ソラの長い睫毛が微かに震えた。彼女はゆっくりと頭を下げ、ドレスの裾を握る指に力を込めた。
夜、ホルマス聖の寝室。
重厚な絹のカーテンが微かに揺れ、寝室には二人の激しい息遣いがこだましていた。ランプの灯りが、汗に濡れたソラの裸体をくっきりと浮かび上がらせる。成人した彼女の肢体は、完璧なプロポーションを描き出していた。ふくよかながら締まった胸は激しい動きに揺れ、くびれた腰から続くなめらかな腿の曲線が、ホルマス聖の欲望をさらに掻き立てる。
「んっ……あぁ、ご主人様……もっと、奥まで……っ」
ソラの甘ったれるような声が寝室に響く。彼女の長い青髪はベッドの上で乱れ、紅潮した頬が情熱の高まりを物語っていた。ホルマス聖の手がその柔らかな腰を強く掴み、グリグリと押し付けるように深く貫いていく。
「今日の話だ」彼女に覆い被さったホルマス聖の低い声が、ソラの耳元で熱く響く。その唇がソラの首筋を舐め上げながら、鋭く問い詰める。
「あんな誰に聞かれているとも分からない時間に、あんな提案をした真の理由は?」
「あぁん!だ、だから……みんなが苦しんでいて……んっ!あっ!」
ソラの指がシーツを激しく掴み、絹が皺だらけになる。ホルマス聖の腰の動きは容赦なく、言葉を続けさせないほど激しい。彼の男根はソラの奥深くまで届き、その度に彼女の体はびくんと跳ね上がる。
「嘘ではないが、全てではない」
ホルマス聖の指がソラの敏感な蕾を巧みに弄り、彼女の思考をかき乱す。親指で円を描くように撫でるたび、ソラの腰が勝手に浮き上がる。
「本当の理由を言え」
「い、いえ……それだけ……です……あっ!だめ、そんなに……感じて……考えられない……ああっ!」
ソラの背中が美しく反り返り、胸がきらめく汗に濡れ光る。ホルマス聖はその反応を楽しむように、執拗にソラの弱点を責め続ける。もう一方の手で乳房を激しく揉みしだき、指先で硬くなった先端を弾く。
「ご主人様……お願いします……もう……っ、いきます……あぁん!」
ソラの目から涙が溢れ、頬を伝う。快感と、言いづらい本音の間で、彼女の心は引き裂かれそうだった。ホルマス聖の舌がその涙を舐め取り、さらに耳朶を甘く噛む。
「お前だけは、私に嘘をつくな」
その言葉に、ソラの体が微かに震えた。彼女は深く息を吸い込み、かすかな声で呟く。
「……私も……同じ……だから……」
ホルマス聖の動きが一瞬止まる。ソラの目には、深い苦悩が浮かんでいた。彼女の膣内が、止まった男根を締め付けるように蠕動する。
「続けろ」
「みんなと……同じ……立場なのに……私だけが……あぁん!」
ホルマス聖の急激な一突きが、ソラの言葉を快感の叫びに変える。彼はソラの体をきつく抱きしめ、激しいピストンを再開する。結合部からは淫らな水音が響き、ソラの奥で熱いものが滾るのを感じる。
「お前は違う」
「でも……心は……んっ……ご主人様……お願い……ああっ!」
ソラの体が激しく痙攣し、絶頂の波に飲み込まれていく。その瞬間、ホルマス聖も深くうなり声を上げ、熱いものを奥深くに注ぎ込んだ。ソラの子宮口を直撃するように、どくどくと精液を送り込む。
「んおお……奥で……ぎゅって……はねています……ご主人様の……あぁ…」
ソラの膣内が精液を受け止めるたび、細かく痙攣しているのが感じられた。そのまだ興奮冷めやらぬ柔らかな肉壁が、最後の一滴まで搾り取ろうとする。
二人とも放心したように息を整えながら、崩れるようにベッドに倒れこんだ。ホルマス聖はソラの汗ばんだ体を抱き寄せ、乱れた青髪を梳かす。
「…満足か?」
ソラはハアハアと肩で息をしながら、恍惚の笑みを浮かべてうなずく。
「はい…ご主人様の中に出していただいて…とても幸せです…」
彼女の指が、愛おしそうにホルマス聖の胸を撫でる。汗と体液にまみれながらも、二人の間には深い愛情があふれていた。
「お前にはもう一つ、目的があるな」
二人の激しい息遣いが静まりかけた頃、ホルマス聖はソラの背中を撫でながら、ふと口を開いた。
ソラの体が微かに硬くなる。彼の指が背骨をゆっくりと辿り、かつての鞭の痕を探るように動く。今ではほとんど消えた、かすかな凹凸だけが残っていた。
「……ご主人様は、何もお見逃しになりませんね」
「あの女のことを考えているのだろう」
ホルマス聖の言葉に、ソラの目が潤んだ。彼も覚えていてくれたのだ。数年前、ソラが必死に懇願して連れ帰った、自分と同じ言葉を失った女性のことを。
「彼女は……少しずつ良くなっています。でも……」
ソラの指がホルマス聖の胸に触れ、ゆっくりと円を描く。その仕草は愛撫のようでもあり、懇願のようでもあった。
「外の空気を吸わせてあげたいんです。ほんの少しでいいから……私も、あの頃……」
だが、言い終わる前。ホルマス聖の手が突然ソラの腰を掴み、ぐいと引き寄せた。彼女の汗ばんだ肌が、彼の体に密着する。
「お前は今、私の第一婦人だ」低い声がソラの耳元で響く。「その立場を利用して、甘えるつもりか?」
ソラは迷いなく頷いた。青い瞳には、情熱的な決意が燃えていた。
「はい。私はご主人様のものです。この体も、心も……全てを使って、お願いします」
彼女の手がホルマス聖の股間を優しく包み、再び熱を込めて撫で始める。しかしその目は、ただの誘惑ではなく、確固たる意志に満ちていた。
「もし何かあれば……私がどんな形でも責任を取ります」
ホルマス聖の目が細くなった。ソラの指先の動きは確かに官能的だったが、その言葉には揺るぎない強さがあった。彼はソラの顎を掴み、顔を上げさせた。
「お前は……成長したな」
「ご主人様が、そうさせてくださったからです」
ソラの微笑みは、かつての怯えた少女の面影を微塵も残していない。今の彼女は、天竜人の愛人としての自信と、自らの意思を貫く強さを兼ね備えていた。
ホルマス聖は深く息を吐き、ソラの唇を奪う。激しい口付けの中、彼の手はソラの腿の内側を這い上がり、再び熱い欲望を呼び覚まそうとしていた。
「……条件を出す」
「はい、なんでも」
ソラの即答に、ホルマス聖の唇が歪む。彼はソラをベッドに押し倒し、その上から見下ろした。
「お前が全責任を負う。一人でも逃げれば、お前の特権は全て剥奪だ」
「かしこまりました」
「そして……」ホルマス聖の指がソラの喉元を撫でる。「毎晩、こうして私を満足させろ」
ソラの頬が赤く染まり、しかし目は揺るがなかった。
「喜んで……ご主人様」
彼女の腰がゆっくりと浮き上がり、熱く湿った秘所がホルマス聖の再び硬くなった男根を受け入れようとする。その仕草には、感謝と決意、そして深い愛情が込められていた。
ホルマス聖はその全てを受け止めるように、ゆっくりと体を沈めていった。二人の体温が再び一つになる瞬間、ソラの指が彼の背中に深く食い込み、絆を確かめるように抱きしめた。
東棟の奴隷宿舎では異様な緊張感が漂っていた。朝早くからCPの役人が現れ、名簿を片手に、奴隷たちを呼び出していたからだ。
「お前たち、並べ」
威圧的な声に、奴隷たちは慌てて整列する。中には震える者もいれば、好奇心に目を輝かせる者もいた。全員、この屋敷で五年以上働く古株ばかりだ。
「本日、特別な通達がある」
CP役人の声は明らかに不満げだった。彼は書類をひらひらと振りながら、ため息まじりに続けた。
「次にホルマス聖がマリージョア外に出る際、お前たち数人が同行を許可された」
一瞬の静寂の後、奴隷たちの間でざわめきが広がった。
「外に…?」
「まさか…」
「静かにしろ!」CP役人が怒鳴りつけると、すぐに静かになった。「選ばれた者は、聖の身の回りの世話をする。ついでに…」ここでさらに大きなため息。「わずかだが自由時間も与えられる」
その言葉に、年配の女性奴隷が思わず涙をこぼした。
「ホルマス聖が…私たちの願いを…」
「ソラ様が頼んでくださったに違いありません」若い男奴隷が興奮気味に囁く。
「あの方は、まるで物語の海の戦士ソラ様のようだ」
「何を勝手なことを!」CP役人が眉をひそめる。「奴隷の分際で、分を弁えるのだ!」
しかし、奴隷たちの喜びは止められなかった。長年閉じ込められていた者たちにとって、外の空気を吸える可能性は、どれほど大きな希望だろう。彼らは必死に涙をこらえ、しかし目尻は緩みっぱなしだった。
「選ばれた者は明日、詳細を聞く。解散!」
CP役人が不機嫌そうに去っていくのを、奴隷たちは頭を下げて見送った。扉が閉まると同時に、小さな歓声が上がる。
「信じられない…外だよ、外!」
「もし外に出られたら…海が見たいな。潮風の匂いが懐かしい」
「ソラ様に感謝しなければ…」
「ああ。あの方は、本当に…」
その言葉は、奴隷たちの心から自然と溢れ出たものだった。天竜人の屋敷で、奴隷が心から敬愛する存在がいること――それは、この世界においてまさに奇跡に近いことなのだ。
その頃、ソラは西棟の長い廊下を静かに歩いていた。
窓から差し込む陽光が彼女の青い髪を照らし、まるで水底を漂う海藻のように美しく揺れる。足元では大理石の床がきらめき、毎歩ごとに高価な香水の香りがほのかに漂う。
その姿に、かつての怯えた少女の面影はない。天竜人の第一婦人としての自信と、深い愛情に育まれた穏やかさがにじんでいる。その彼女の行き先は、屋敷の最も奥にある別邸。普段は誰も近寄らない、ひっそりとした建物だ。
「ソラ様、ご機嫌よう」
「ええ、今日も良いお天気ですね」
廊下の途中で、庭師の老人とすれ違った。老人はすぐに道を譲り、深々と頭を下げる。そして、ソラが向かう方向に気づくと、表情が微かに曇る。
「あの…ソラ様、もしかして…」
「大丈夫です」ソラはにっこり微笑んだ。「心配いりませんよ」
老人は何か言いたげな様子だったが、結局また頭を下げるだけだった。ソラは軽く頷き、再び歩き出した。ドレスの裾が優雅に揺れ、やがて廊下の角で立ち止まる。
ソラの指先が古びた木製の扉に触れた。微かにきしむ音を立てて開いたその向こうには、薄暗い部屋の奥で一人佇む女性の姿があった。窓から差し込む細い光の筋が、彼女の金髪をかすかに照らし出している。
「ヨルさん、今日も来たよ」
ソラの声は優しく、部屋に静かに響いた。反応はない。かつては美しかっただろうその女性は、今では窓際の椅子に座ったまま、虚空を見つめている。青白い肌には消えかけた傷跡が無数に走り、顔半分は焼けたように荒れている。手入れがなされていない金髪が痛々しい。愛玩奴隷として過ごしたであろう、かつての過酷な日々を物語っていた。
部屋は清潔に保たれていたが、家具は最小限。一般庶民のそれよりはましだが、天竜人の屋敷の中では明らかに質素すぎる空間だ。壁にはひびが入り、床板はところどころ軋む。それでも、他の天竜人の奴隷部屋と比べれば天国だった。
「今日は良い知らせがあるの」
ソラはそっと近づき、ヨルの前に膝をついた。青いドレスの裾が床に広がる。ヨルの視線は相変わらず遠く、ソラの顔を見ようともしない。呼びかけた名が、本当の名前ではない故か。しかしソラは気にした様子もなく、天使のように優しい微笑みを向ける。
「ご主人様が、私たちに外に出る許可を出してくれたの」
その言葉に、ヨルの指が微かに動いた。かすかな反応。数年間、この屋敷で暮らしてきた中で、これが精一杯の反応だった。
廊下の向こうから、奴隷たちの笑い声がかすかに聞こえてくる。外に出られる喜びに湧き立つ声だ。その明るい響きが、この薄暗い部屋の静けさを一層際立たせる。
「みんな、とても喜んでいるわ。あなたもきっと…」
ソラの声がふと詰まった。彼女の目がヨルの手に留まる。かつて天竜人の寵愛を受けた証である宝石の痕が、指の付け根に残っていた。今はもう何も嵌められていない。
「ごめんね…私のわがままで、あなたをこんなふうに…」
ソラの指先が震える。十年以上前、この女性を、彼女は必死でホルマス聖に懇願して連れ帰った。当時はもう息をする屍のようで、かつての名前も記憶も失われていた。こうして命を繋げたのは奇跡だった。
だが、屋敷の他の奴隷たちからは、「役立たず」「足手まとい」と陰口をたたかれていた。確かにヨルはほとんど働けなかった。庭の掃除をする程度が精一杯で、それも完全とは言えなかった。
ホルマス聖の目利きで選ばれた奴隷たちは優秀だった。だからこそ、この特別な屋敷にいることが許されている彼女の存在が、疎ましく思われていた。
「ヨルさん」ソラはそっと彼女の手を包み込んだ。
「あなたは生きている。それだけで私は嬉しい」
外から聞こえる笑い声が、再び二人の間に流れ込んだ。ソラはふと窓の外を見やり、陽の光を浴びて働く奴隷たちの姿を目にした。彼らは生き生きとしている。一方、この部屋には冷たい静寂が漂っていた。
「でも、願ってしまうの。いつか…あなたも…」
ソラの最後の言葉は、宙に消える。
ヨルの瞳から、死の淵に見せた最後の灯火は消えていた。それでもソラは諦めず、毎日こうして訪ねてきた。天竜人の第一婦人として多忙な日々の中、この薄暗い部屋に足を運ぶ時間だけは、決して削らなかった。
「明日は、あなたの好きな花を摘んでこようかしら。庭の東の隅に、小さな白い花が咲いているの」
ソラの声は優しく、しかしどこか切なさを帯びていた。彼女だけが知っている。この女性がかつて、どれほど美しく、どれほど強い魂を持っていたかを。
「……大丈夫」
廊下の外では、自由を待ち望む奴隷たちの喜びが溢れていた。今回選ばれなかったものも、優秀であればいつか選ばれるかもしれない。希望が与えられたからだ。一方、この部屋には静かな絶望が沈殿している。二つの世界は、たった一枚の扉で隔てられていた。
「生きていてよかったって思える日が、きっと来るから」
ソラはそっと立ち上がり、窓のカーテンを少し開けた。陽の光が差し込み、ヨルの金髪をかすかに輝かせた。その瞬間、風に乗って外の笑い声がまた聞こえてきた。
喜びと絶望。希望と諦念。
天竜人の屋敷で交錯する二つの現実が、この日も静かに対比を描き出していた。
ホルマス聖の執務室には、重厚な机の上に一枚の豪華な招待状が置かれていた。金箔で縁取られた封筒は、差出人の位の高さを物語っている。ホルマス聖はその内容を読み返しながら、眉をわずかにひそめていた。
「……面倒な話だ」
彼の指先が招待状の紋章をなぞる。行き先について考えを巡らせるその時、執務室の扉をノックする音が響いた。
「入れ」
「失礼いたします」
CPの幹部が恭しく頭を下げながら入室してきた。仮面の下から漏れる声には、明らかなためらいがにじんでいる。
「何か用か?」
「は、はい……実は、聖がご外出を計画されているとの情報を承りまして……」
ホルマス聖の目が鋭く光る。CP幹部の背筋がさらに緊張するのがわかる。
「外の情勢が、少々不安定でして……」仮面の男は慎重に言葉を選ぶ。「新世界の海賊たちが活発化しており、海軍も大規模な戦争の後で立て直しの最中で……」
「ふん」ホルマス聖は招待状を机に投げ出す。「私の行動にケチをつけるつもりか?」
「と、とんでもない!」慌てて頭を深く下げる。「ただ、聖のご安全を考えまして……」
執務室の空気が一瞬凍りつく。ホルマス聖はゆっくりと立ち上がり、窓辺に歩み寄った。マリージョアの街並みが眼下に広がっている。
「最も気高き血族である我らが、海賊ごときを恐れて籠もっていろと?」
「いえ、決してそのような!」
「ならば」ホルマス聖が振り返る。その視線は冷たい鋼のようだ。「お前たちCPは、我々を守れないと言うのか?」
CP幹部の喉がごくりと動く。仮面の下で汗が伝っているのが想像できた。
「決してそんな! CPの精鋭たちが、必ずや聖のご安全を――」
「それでよい」ホルマス聖の声が鋭く割り込む。「必要な手配を整えよ。私はお前たちの能力を信じている」
それは命令であり、同時に脅しでもあった。CP幹部は深々と頭を下げ、退出していく。ドアが閉まる音が響いた後、ホルマス聖は再び招待状に目を落とした。
「……面倒だが」
彼の唇がかすかに歪む。外の危険は承知している。しかし、ソラの願いを叶えるためには、この機会を逃すわけにはいかなかった。それに――
「守れないはずがない」
ホルマス聖の指が、机の上の通達を叩く。世界政府の力をもってすれば、些細な海賊ごときなど問題ではない。下々民が、世界で最も誇り高い血族を害せるはずもない。
ただ、ソラの安全をどう確保するかが課題だ。
ホルマス聖は執務室の窓辺に立ち、マリージョアの街並みをぼんやりと眺めていた。指先で水晶のグラスを軽く回しながら、思考を巡らせる。
(外に出る必要など、本来ない)
グラスの中の琥珀色の液体がゆっくりと揺れる。彼は天竜人として、この聖地で何不自由なく暮らせる立場だ。わざわざ危険を冒して外の世界に出る理由など、どこにもない。
(しかし、ソラが望むのであれば…)
ふと、青い髪の女性の笑顔が脳裏に浮かぶ。彼女が奴隷たちのために必死に懇願する姿。あの夜、汗に濡れながらも意志の強さを滲ませた瞳。ホルマス聖は思わずグラスを強く握りしめた。
「……情け深くなったものだ」
自嘲気味に呟くその声は、意外にも苛立ちを欠いていた。天竜人としてあるまじき感情――奴隷への配慮など、本来ならば笑い飛かすべきことだ。それなのに、なぜか胸の奥が温かい。
(奴隷の維持管理のため、とでも言い訳をつけよう)
ホルマス聖は机に戻り、広げた地図を眺める。仮の目的と行き先を決めねばならない。シャボンディ諸島か? いや、あの場所は戦争の影響で治安が悪化している。ソラや他の奴隷を連れて行くには適さない。
「この招待状、悪くない」
彼は金箔で縁取られた書簡を再び手に取った。受け取った時は面倒だとしか思わなかったが、今考えればこれが最適解かもしれない。娯楽としては最上位の地。それに、正式な招待を受けた場所であれば、警備も万全だ。
「CPを呼び戻せ」
ドアの前で待機していた執事が、静かにうなずいて退出する。間もなく、仮面をかぶった男が現れた。
「ご用件でしょうか、ホルマス聖」
「この招待状の日程を調整せよ。一週間後がよい」
CPの仮面の下で、眉が動いたのがわかる。天竜人のわがままな要求には慣れているが、日程調整の猶予を与えるなど珍しい。
「……かしこまりました。ただ、この地は――」
「できないと言うのか?」ホルマス聖の声は冷たいが、いつものように即座に怒りを爆発させはしない。
「いえ、決して! 全力で手配いたします」
「そうせよ」
ホルマス聖は書類に目を戻し、これ以上話す気がないことを示した。仮面のCPは深々と頭を下げて退出する。ドアが閉まる際、ホルマス聖がふと追加した。
「ソラの警護も忘れるな。何かあれば、お前らの首を飛ばす」
「は、はい! もちろんです!」
仮面の男が慌てて立ち去り、執務室に再び静寂が訪れる。ホルマス聖はグラスの残りを一気に飲み干し、窓の外を見やった。
世界政府の認可を受けたその島は、少なくとも今のシャボンディよりは安全だろう。ソラもきっと喜ぶに違いない。同胞からの評判も高いと聞いている。これ以上の娯楽は、そう多くはないだろう。
ホルマス聖は、自らの選択に満足感を覚えていた。天竜人としての在り方から外れている自覚はある。それでも――この選択を後悔していないことに、自分でも少し驚いていた。
『グラン・テゾーロ』と書かれた招待状が、窓からの光に照らされて微かに輝いていた。
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