天竜人と奴隷の少女 作:ましろ
政府船がグラン・テゾーロの豪華な金製橋に接岸すると、シャボンヘルメットを装着したホルマス聖が威厳を持って降り立った。後方にはソラが控え、さらにその背後に数名の奴隷たちが続く。中でもひときわみすぼらしい姿のヨルが、よろめくように歩いているのが目立った。
「ようこそ、尊き天竜人様」
赤髪の妖艶な女性・バカラが深々と頭を下げた。
「わたくし、グラン・テゾーロVIPコンシェルジュのバカラと申します。そしてこちらが、警備責任者のタナカさんです」
「ご滞在中の間、私が責任を持って安全を保障いたします。スルルル……」
紹介を受けたのは、タナカさん。黒頭巾を被り緑色の蝶ネクタイがトレードマーク。新世界の海でも珍妙な体型と格好の男。だが、ホルマス聖は特に反応を見せなかった。
その緑のタレ目が、ふとホルマス聖の後方にいる奴隷たちへと向けられる。そして視線が、ヨルのみすぼらしい姿に釘付けになった。爛れた肌、ぼさぼさの金髪、うつろな目──明らかに他の奴隷たちとは違う。
「あの」バカラは近くの政府の人間に寄り、眉をひそめながら指差す。「あの汚らしい奴隷は…?」
ヨルは何も理解できていない様子で、ただ俯いている。ソラがすぐに前に出る。
「彼女は特別な事情があるのです」
バカラの厚い唇が不満そうに歪む。「ですが、グラン・テゾーロの規則では──」
「バカラ様」突然、頭の大きなタナカさんが割って入った。「天竜人様のお供です。お控えあそばせ」
ホルマス聖は一切口を挟まず、ただ移動車両へと歩み寄る。その態度が全てを物語っていた。
バカラは渋々うなずき、手を叩いた。「では、奴隷たちは後方の輸送車に。彼女は別の移送手段で…」
「彼女も同乗させてください」ソラが静かに主張する。
バカラのつり眉が跳ね上がる。「ですが、あの姿では天竜人様のご威光に──」
「ご主人様は何もおっしゃいませんよ」
ソラの落ち着いた声に、バカラは唇を噛んだ。ホルマス聖が何も言わないことが、最大の許可だった。
「…承知しました」
奴隷たちはぎゅうぎゅう詰めの輸送車に乗り込んだ。ヨルは理解できないまま、他の奴隷に押し込まれるようにして車内に入る。何人かの奴隷が嫌そうな顔をしたが、ソラが見守っている前では何も言えなかった。
「おい、端っこに行けよ」若い奴隷がヨルを押しやる。「お前みたいなのがいると、俺たちまでバカにされそうだ」
ヨルは無抵抗に、車両の最も隅へと追いやられる。その様子を見たソラの目が一瞬陰るが、すぐに平静を取り戻した。
バカラが不機嫌そうに唇を尖らせながら、ホルマス聖専用の車両のドアを開けた。「天竜人様、どうぞ」
ソラはホルマス聖に続いて乗り込み、最後にちらりと輸送車の方を見た。ヨルは窓ガラスに顔を押し付け、何も理解できないまま外を見つめていた。
天竜人を乗せた車列が、ゆっくりと動き出し、黄金に輝く街並みを進んでいく。
道の両側にはダイヤモンドを散りばめたようなネオン看板が並び、カジノやショーの広告が派手に点滅している。すべてが黄金でできている街・グランテゾーロ──その中央大通りは、まさに欲望の坩堝だった。
「バカラ」
タナカさんの低い声が車内に響く。彼の大きな頭がゆっくりとバカラの方に向き、緑の蝶ネクタイがきらりと光る。
「天竜人様の護送が終わったら、私は本来の職務に戻る。ハイパースイート到着後のスケジュールは君が確認するように」
バカラは窓の外を見つめたまま、生返事をする。「はいはい」
「聞いているのですか? これはグランテゾーロの一大事なのですよ!」タナカさんの声が少し大きくなる。「天竜人様に何か求められたら、決して逆らっては──」
「わかってるわよ」バカラがため息混じりに言う。赤い髪が肩を揺らし、大きく開いた胸元が波打つ。「何度も同じこと言わなくても」
タナカさんの大きな頭が不満そうに揺れる。「……君の態度が気になるのだ。本当に大丈夫なのか?」
バカラの緑のタレ目が、ふと後方の輸送車へと向かう。ヨルのみすぼらしい姿が窓越しに見えた。
「だって、あんなのがいるのよ」彼女の厚い唇が歪む。「あの汚らしい奴隷。天竜人様の一行にふさわしいのかしら」
「バカラ!」タナカさんが声を潜めてたしなめる。
「仕事はきちんとやるわよ」バカラは肩をすくめ、長い脚を組み替える。スリットから覗く褐色の太ももに、蛇のタトゥーがくねる。「でも正直、天竜人様って……面倒じゃない?」
タナカさんの大きな頭が慌てて左右を見回す。「声が大きい!」
「大丈夫よ、この車内は隔絶されてるんだから」バカラが指で天井を軽く叩く。その爪も黄金に輝いている。「それに、あの天竜人様、私の話なんて聞いてないわ」
確かに、ホルマス聖は前方の席で静かに外を見つめている。ソラがそっと手を差し伸べているが、彼は微動だにしない。
「……とにかく、君の任務は──」
「わかってるってば」バカラがタナカさんの言葉を遮る。「ハイパースイートの案内、スケジュールの確認、何かあれば即対応。完璧にこなすわよ」
彼女の指が、胸元の深い谷間にある小さな黄金のペンダントをいじる。その仕草には、どこか退屈げな雰囲気が漂っていた。
「……ただ……」バカラの声がさらに小さくなり、指先で自分の赤い髪をいじりながら続けた。
「あのボロボロの奴隷、気に入らないわ。あの汚らしい様子ときたら…グラン・テゾーロにふさわしくないわ」
たかが奴隷一人に妙に突っかかる。タナカさんが怪訝そうな顔をすると、バカラは不機嫌そうに唇を尖らせた。
「顔の造作が私と少し似てるくせに」彼女は自分の褐色の肌を撫でるように触れ、首筋のラインを強調してみせた。
「天竜人様がどんな趣味をお持ちでも構わないけど、せめてただれた顔くらいしっかり隠させたらどうかしら」
バカラの緑のタレ目が、輸送車の窓越しにヨルを睨みつける。ヨルは相変わらず虚ろな目で外を見つめ、髪はぼさぼさ、傷だらけの肌は汚れでさらにみすぼらしく見えた。
タナカさんは大きくため息をつき、「バカラ、それはどうでもいいことだ」とたしなめたが、バカラはすでに化粧鏡を取り出し、自分の完璧なメイクを確認していた。鏡に映る妖艶な顔と、輸送車の窓に映るヨルのみすぼらしい姿──その対比が、彼女の不満をさらに募らせているようだった。
「もういい。とにかく、任務に集中してくれ」
「……分かってる。仕事は仕事。完璧にこなすわよ」
バカラは再び窓の外を見つめ、小さく呟いた。
車列は黄金のアーチをくぐり、さらに豪華なエリアへと進んでいく。道の両側には、宝石で飾られた噴水が水を吹き上げている。
その言葉には、確かに嫌悪感が混じっていたが、同時にプロとしての矜持も感じられた。グラン・テゾーロのVIPコンシェルジュとしての自負が、彼女の態度を引き締めていく。タナカさんはそれ以上何も言わず、ただ大きくうなずいた。車内には再び静寂が訪れ、黄金の街を進む車輪の音だけが響いていた。
車列が巨大なタワーの最上階専用エレベーター前に到着すると、バカラは恭しい態度を取り戻し、深々と頭を下げた。
「こちらが天竜人様専用のハイパースイートでございます」
エレベーターの扉が開くと、そこには驚くべき空間が広がっていた。金箔や宝石を一切使わず、最高級の大理石と黒檀で作られたシックな室内。広大なフロア全体が、一面のガラス張りになっており、グラン・テゾーロの夜景が360度見渡せた。
ホルマス聖は無言で室内に入り、窓際に立つ。眼下には、黄金に輝く街並みが広がっている。しかし彼の表情は変わらない。
「ご主人様、なんて美しいのでしょう」
ソラがそっと横に寄り添い、窓に手を当てた。彼女の青い瞳に、無数の光が反射してきらめく。ホルマス聖は相変わらず無反応だったが、ソラが嬉しそうに景色を眺める様子を、ちらりと横目で見ていた。
一方、中層の奴隷用宿泊区画では、CPの役人が、厳しい表情で説明していた。
「お前たちの爆発首輪は、今日から一時解除される」
奴隷たちの間にざわめきが走る。若い女性奴隷が思わず首に手を当て、目を丸くした。
「ただし、グランテゾーロ内から脱走しようとしても無駄だ。船は一切出せん」役人の声が冷たい。「指定区域から外れれば、即刻処刑だ」
「娯楽は許可する」別の役人が続ける。「ただし、カジノでの賭けは禁止。それ以外は自由にさせてやる」
奴隷たちの顔に喜びが浮かぶ。初めての自由に、胸を躍らせる者もいた。しかし、部屋の隅ではヨルだけがぽつんと立っている。彼女にはこの状況が理解できないようで、虚ろな目で壁を見つめていた。
「あの汚らしい奴隷は?」役人が眉をひそめる。
「ソラ様が面倒を見ることになっています」年配の奴隷が答える。
周囲の奴隷たちは複雑な表情を浮かべた。ヨルの特別扱いに不満を感じながらも、彼ら自身が既に「選ばれた奴隷」であることを自覚していた。結局、誰も文句を言わない。
「じゃあ、お前たちは自由にしろ」役人がドアを開ける。「ただし、夜の消灯時間は厳守だ」
奴隷たちが小躍りして部屋を出ていく中、ヨルだけが取り残された。彼女は死んだ瞳で、闇に包まれた空を見つめている。
すると、しばらくした後。誰もいなくなった扉が静かに開き、ソラが足早に入ってきた。青いドレスが夜風に軽やかに揺れ、頬は少し紅潮している。
「ヨルさん、お待たせしました」
彼女は部屋の隅でうずくまるヨルの前にしゃがみ込み、優しく手を差し伸べた。ヨルのぼさぼさの金髪が、薄暗い照明で不気味な影を作っている。
「さあ、一緒に出かけましょう」
ソラの手がヨルの傷だらけの手首に触れた瞬間、ヨルの体が硬直した。目を見開き、震える唇からかすかな息遣いが漏れる。引きずられるように立ち上がるが、足は一歩も動かない。
「大丈夫ですよ。ご主人様の許可はいただいています」
ソラがにっこり微笑んでも、ヨルの恐怖は消えない。彼女の目は虚ろに泳ぎ、ソラの顔を見ることすらできない。天竜人の許可?そんなものがあるはずがない──その思考が、長年の虐待で体に染みついた本能となって現れていた。
「ほら、こっちです」
ソラが軽く手を引く。ヨルの足がぎくしゃくと動き、床を擦るような音が響く。まるで鎖に繋がれた獣のように、抵抗するわけでも従うわけでもない。ただ、存在そのものが恐怖に凍りついている。
廊下に出ると、ヨルの震えがさらに激しくなった。自由に歩くことなど何年も許されていなかった。天竜人の領域を勝手に動き回れば、どんな罰が待っているか──
「きれいにお風呂に入って、新しい服を着ましょうね」
ソラの明るい声が、重苦しい空気を切り裂く。彼女はヨルの震える手をしっかり握り、エレベーターへと導いた。ヨルの足は階段ごとにがくがく震え、時折よろめく。ソラはそのたびに支え、決して急がない。
グラン・テゾーロの街の喧騒が聞こえてきた時、ヨルの呼吸が荒くなった。眩しい光、騒がしい音楽、笑い声──すべてが未知の脅威として彼女に迫る。ソラはその様子を察し、そっと体を寄せた。
「怖くないですよ。私がついていますから」
ヨルの目が、初めてソラの顔を捉えた。青い瞳に映るのは、恐怖ではなく──理解でも同情でもない。ただ、純粋な優しさだった。
その瞬間、ヨルの足が一歩、わずかに前に出た。震えは止まらないが、ソラの手の温もりが、長年凍りついていた何かをほぐし始めていた。
ソラは満足そうに微笑み、再び歩き出した。
ヨルの足取りはまだ不安定で、時折立ち止まる。しかし、確かに一歩ずつ、暗い過去から離れていっている。黄金に輝く街の光が、二人の背中を優しく照らしていた。
グラン・テゾーロのカジノ街は、まさに欲望の坩堝だった。
黄金に輝く大通りには、派手なネオンサインが乱舞し、どこまでも続くカジノの建物が林立している。各施設の入り口には、宝石を散りばめた噴水が音楽に合わせて踊り、道行く人々を誘惑していた。
「いらっしゃい!いらっしゃい!今日も大当たり続出中だよ!」
派手な衣装をまとった案内係が、道行く客を呼び込む。その背後では、小柄なカメが並んだ奇妙な乗り物が轟音を立てて疾走していた。カメたちはハンドルのような装置を全力で上下に動かし、ゴージャスな車体を動かしている。
「カメ車グランプリ、まもなくスタート!賭け受付中!」
観客席からは熱狂的な歓声が上がる。レース場の周囲には、金でできたフェンスが眩い光を放っていた。
さらに奥には、檻で囲まれた巨大な闘技場が見える。中では魚人と巨人族の戦いが繰り広げられており、観客たちは金のチップを握りしめ、熱狂している。
「殺せ!殺せ!」
「次の勝者は巨人族に100万ベリー!」
どの施設も、柱から壁、装飾に至るまで全てが純金でできている。床にはダイヤモンドが散りばめられ、一歩歩くたびにきらめきが広がる。天井からは黄金のシャンデリアが下がり、無数の光を反射させている。
そのカジノの最上階にあるオーナー室は、外の喧騒とは対照的な静けさに包まれていた。
壁一面のモニターには、各施設の様子が映し出されている。数十人の黒服が静かに立ち働き、金の装飾が施されたデスクの周りを忙しげに行き来していた。
部屋の最奥、巨大な窓の前に座るのは、緑髪の長身の男──ギルド・テゾーロだった。ピンクのスーツに身を包んだその姿は、黄金のリングのきらめきと相まって、圧倒的な存在感を放っている。
「スルルル。テゾーロ様、ご報告です」
タナカさんの大きな頭がドアからすり抜けるように現れる。テゾーロは視線だけを動かし、微かに頷いた。
「天竜人、ホルマス聖をハイパースイートにご案内いたしました。バカラには特に指示もなく、問題なく受け入れられたようです」
テゾーロの指が、デスクの上で軽くリズムを刻む。黄金のリングがきらりと光る。
「…そうか」
その冷たい声には、かすかに嫌悪感が滲んでいた。
しかしタナカさんの報告が進むにつれ、テゾーロの表情が動く。ピンクのスーツの袖から覗く黄金のブレスレットが、不機嫌そうなリズムで光る。
「何も起きなかった、だと?」
その声は低く、冷ややかだった。黒服たちの背筋がぴんと伸びる。
「はい、テゾーロ様」タナカさんの大きな頭が上下に揺れる。「天竜人様は静かにハイパースイートに入られ、特に要求もございませんでした」
「何かの間違いだろう。前に来た天竜人にどれほど手を焼かされたか、忘れたわけでもあるまいな」
部屋の隅で控えていた若い黒服が、恐る恐る口を開いた。
「あの実は…ホルマス聖は一人の奴隷を妻同然に寵愛していると聞きました。何年も側に置き、本物の妻のように。この度の来訪、妻のためだとすると──」
「馬鹿が!」
テゾーロの拳がデスクを叩く。黄金のリングがぶつかり合い、鋭い音が響き渡った。部下たちが一斉に身を縮める。
「天竜人が、奴隷にそんな情けなど…」
言葉が途中で止まる。テゾーロの左手の薬指が、無意識に空いた場所を撫でていた。彼はすぐに手を下ろし、表情を険しくする。
「…要求が無いのは、お前たちの準備が不十分だったからだ」
突然の矛先の変化に、部下たちは困惑した表情を浮かべる。
「テ、テゾーロ様?」
「天竜人を満足させる、エンタテインメンツが足りなかったから、騒がなかっただけだ」テゾーロの声は冷たく、瞳が鋭く光る。「明日までに、新たな娯楽を用意しろ」
「かしこまりました!」
部下たちが一斉に頭を下げる中、テゾーロは静かに立ち上がった。窓の外には、黄金に輝くグランテゾーロの街が広がっている。その光が、彼のピンクのスーツを不気味に照らし出す。
「全員、下がれ」
短い命令に、部下たちは急いで退出していく。最後に出ていくタナカさんが、ふと振り返る。
「テゾーロ様…」
「下がれと言っている!!」
その激しい声は、理不尽なほどの怒りに満ちていた。ただ、底知れぬ冷たさだけが漂っている。タナカさんも「失礼しました」と大きくうなずき、ドアを抜けて姿を消した。
テゾーロは一人残され、窓に手を当てた。モニターに映るカジノの喧騒が、部屋に不自然な静寂をもたらす。
「…奴らに、心などありはしない」
窓ガラスに映る自分の姿を見つめながら、彼は呟いた。左手の薬指が、焼けた背中の痣が疼く。あの日、天竜人の前で引き裂かれた記憶が…。
誰もいなくなった部屋に残されたテゾーロの目は、闇に染まっていた。