天竜人と奴隷の少女 作:ましろ
本編と同じ展開はダイジェストでサクッと進めます。
グランテゾーロの港に、陽気な笑い声が響き渡った。麦わら帽子を被った少年が船から飛び降り、船首で目を輝かせながら黄金に輝く街並みを見上げる。
「すっげえ! ここ、全部金でできてるぞ!」
ルフィの声に、仲間たちも続々と上陸してきた。ナミはあらゆるものが黄金で縁取られた噴水に両目を「$」の形に変え、ウソップやチョッパーもキラキラ光る舞台に興奮していた。麦わらの海賊旗を掲げた、世界でも有数の海賊船員。その誰もが、この金色の世界に魅了された。
「ようこそ、麦わらの御一行様。私、VIPコンシェルジュ、バカラと申します」
彼らが着港して早々、赤い髪の女性が優雅にお辞儀をした。グラン・テゾーロ幹部のバカラ。彼女のタレ目が、一行をじっと見つめる。百人が見惚れるような赤髪の美女。その眼差しには、何か企みがあるようだった。
カジノに到着したルフィたちは早速、カメ車レースに参加した。乗り込んだウソップとチョッパーの悲鳴を尻目に、ルフィは見事優勝。賞金1000万ベリーを手にした。その後もルフィの強運は止まらず、借りた2000万ベリーは5000万ベリーに膨れ上がる。
「お客様、素晴らしい強運ですね」バカラの声は穏やかで、素直な賞賛だった。「特別にVIPルームへご案内しましょう」
エレベーターを登り、たどり着く。VIPルームの豪華な装飾と雰囲気に、全員が圧倒される。街や下層のカジノとは異なる静かな空気。ダイスによる最初の賭けを終えたそこで、突然場が静まり返った。
「これはこれは、グランテゾーロへようこそ」
長身の男が現れる。ピンクのスーツに身を包み、無数の黄金の指輪をはめたその男──ギルド・テゾーロだ。そして、彼は勝ち続けている麦わらの一味に、あるギャンブルを提案する。
「私に勝てば賭け金10倍お支払いします。もちろん、負けても10倍払えとは言いませんよ」
「いいぞ! 俺は負けねえ!」
ルフィは即座に承諾した。しかし、バカラがそっと触れた瞬間、ルフィの強運は消えていた。金のチップが散らばり、無情にも負けが確定する。
「さて。貸した3億と2000万ベリーを返してもらおうか」
豹変したテゾーロの冷たい声。だが、悪魔の実の能力を使ったイカサマであると知ったナミが、怒りを爆発させた。「あんたなんかに払うわけないでしょ!」
拒否した一味に、幹部達が襲いかかる。ゾロが刀を抜き、一気に斬りかかる。しかし、テゾーロの能力で、身体に染み込んだ黄金がゾロを人質に取った。『覚醒』したゴルゴルの実の能力だ。
「明日の夜12時までに金を用意できなければ、ショーとしてこいつは公開処刑する」
逆らおうにも、麦わらの一味の身体には黄金が染み込んでいる。テゾーロの理屈は、3億2千万ベリーの借金の返済だが、これ以上藪を突けば全員が黄金で固められかねない。肝心の船長・ルフィは腹痛で倒れている。
だがその夜。酒場で頭を抱える麦わらの一味の前に、一人の女性が現れた。紫色の髪をなびかせ、悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「久しぶり、ナミ」
この街の歌姫──カリーナの声に、一同が顔を上げる。彼女はナミと『東の海』で腐れ縁の泥棒仲間。今はテゾーロの元に身を寄せ、その裏では彼が所有すると言われている、世界の通貨の20%にあたる5000億ベリー、通称「テゾーロマネー」を奪うため潜入していた。
「タワーのてっぺんにある、巨大金庫に眠る5000億ベリーを狙う」
ナミの目がきらりと光った。カリーナの提案に、一味は作戦会議を始める。分前に多少揉めたとしても、借金返済には十分すぎる金額だ。そしてテーブルの上に、カリーナが持ち込んだグランテゾーロの詳細な設計図が広げられた。壁の外からは、まだカジノの喧騒が聞こえてくる。
「まずは金庫の場所から説明するわ」
カリーナの指先が、設計図の中央にある巨大なタワーを指す。その頂上に、赤い印でマークされた部屋がある。
「ここよ。この赤く線を引いた場所が『テゾーロマネー』が眠る金庫。5000億ベリーが詰まってる」
ナミの目がきらりと光る。その金額を聞いたウソップの膝ががくがく震え始めた。
「だがどうやって入る。それだけの大金だ。並のセキュリティじゃないんだろ、カリーナちゃん?」
サンジが煙草に火をつけながら尋ねる。カリーナは妖艶に微笑み、ポケットから巨大な鍵を取り出した。
「複製の鍵を作ったわ。本物はテゾーロが持ってるけど、これで十分よ」
ブルックが「ヨホホホ、ですが警備は?」と骨だけの顔を傾ける。カリーナの表情が一瞬険しくなる。
「そこが問題ね。金庫までのルートには、タナカさん達が常時警備しているし、仕掛けられたトラップも多い。だから──」
彼女の指が設計図をなぞり、二つのルートを示した。
「二組に分かれるわ。金庫潜入班と工作班」
「潜入は分かるが、工作班ってのは何をするんだ?」フランキーがサングラスを上げる。
「順を追って説明するわね。まず潜入班は私が金庫まで案内する。そこで忍び込んで、金を外に運び出す役割。で、ここが肝心。その道中は映像電伝虫が見張ってる。そこで工作班がコントロール・ルームに潜入して、ホスト電伝虫を操作するの」
「なるほど。偽の映像を流して、警備を誤魔化すってわけか」
その他のトラップは工夫によってかいくぐれると彼女は言う。しかしカリーナが設計図を叩き、いまいちど全員の注意を引く。
「もう一つ重要なことがあるわ。潜入する時に、絶対に避けなきゃいけない場所があるの」
「というと?」
彼女の指が、タワーの最上階にある特別な区域を指し示す。それを見たロビンも視線を細める。
「この妙に広い空間は何かしら?」
「ここは『ハイパースイート』…天竜人が滞在してる場所よ」
その言葉に、室内の空気が一瞬凍りついた。質問したナミの顔が強張り、サンジの煙草の煙が乱れる。「それって、あの天竜人のことか…!?」ウソップの声が裏返る。
「そうよ」カリーナの声は冷たい。「グラン・テゾーロは彼らを受け入れて天上金を納めている。世界政府への影響力を持つためにね」
「た、確かに。奴らと対面したら、計画どころじゃなくなっちまう……」
「話は分かったわ。でも、この位置なら通らなくて済むんじゃない?」
侵入経路を再確認したが、ハイパースイートを通る必要はない。しかしカリーナは表情をしかめた。
「そうね。でも今回、どうも天竜人周りで幹部が騒がしいの。あなた達の仲間の処刑も、天竜人へのエンターテインメントのつもりかもしれない……要は、イレギュラーが起こりやすいってこと。もし道中で天竜人を見かけたら、最優先で隠れることを忘れないで」
ルフィの表情が若干険しくなる。かつてシャボンディ諸島で友達を奴隷として扱われ、殴り飛ばし、海軍大将に敗北を喫したあの記憶が蘇る。
「もし失敗したら…」カリーナが続ける。「天竜人の娯楽を奪うことになるかも。ひょっとしたら、報復されるかも──」
「関係ねえ!」
ルフィの声が、重苦しい空気を切り裂いた。
「天竜人だろうがなんだろうが、関係ねえ。ゾロを助ける!!」
「そ、そりゃそうだけどよルフィ…」ウソップが震える声で言う。だが戸惑いながらも、その先の言葉は出てこない。相手は『世界』そのもの。しかし仲間が奪われているのに、退く選択肢などない。
「とにかく!」ナミが声を張り上げ、話を進めた。「ハイパースイートには近づかない。それでいいんでしょう!」
「ヨホホホ、その通りです。この計画ならば、天竜人に関わる必要もありませんし」
「スーパーに任せろ!工作班はこのフランキー様が引き受けるぜ!」フランキーがポーズを決める。
「お、おれも頑張るぞ!」小さな船医が拳を上げた。
カリーナは少し驚いた表情で一同を見回した。もし彼らに発見され、興味を持たれれば、今回の敵はテゾーロではなく『世界政府』に変わる。だが、天竜人を前にしてもひるまないこの海賊たち。彼女の計画には想定外で、しかし頼もしい要素だった。
「…いいわ。明日の夜までに準備を整えましょう」
黄金の街は、知らず知らずのうちに激しい嵐の中心になろうとしている。窓の外で、グランテゾーロのネオンがきらめいていた。
ルフィとフランキーは、黄金の塔の外壁を蜘蛛のように登っていた。夜の闇に紛れ、警備の目をかいくぐりながら、コントロールルームを目指す。風が肌を刺すように冷たい。彼らは工作班。映像電伝虫による監視を誤魔化すためのチームであり、ザ・レオーロの外壁を登って時計塔から潜入しているところだ。
「スーパーに任せろ!ウソップと共同で作った、このフランキー様のスッポンアームで一気に登っちまうぜ!」
フランキーが小声で叫び、肩から射出されたスッポンによって、よじ登っていく。ルフィはゴムゴムの実の能力で腕を伸ばし、次々と足がかりをつかんでいく。時間は限られている。ナミたちのチームが塔内部に潜入している間に、用を済ませなければならない。
コントロールルームまでの通風口の柵は、フランキーがこじ開けた。中は巨大な一台の老電伝虫が鎮座しており、下のフロアに太いパイプが伸びていた。警備の目はない。あとはルフィが、三番のケーブルに白電伝虫を付けるだけだ。
「よし、これであのホスト電伝虫の映像を止めれば」
ルフィがゴムの腕を伸ばして天井から降り、白電伝虫を付けるところまでは良かった。だが、フランキーの言葉が途切れる。空間のどこかから、冷ややかな声が響いた。
「よく来たな、ネズミ共」
──壁から這い出た黄金の触手が、鞭のようにルフィに襲いかかる。
ケーブルに腕を幾重にも巻きつけたルフィの前に、天井から降りたフランキーが立ちはだかる。だが触手は、サイボーグである彼の鋼鉄の肉体を、あっさり正面から貫いた。
振り向くと、ピンクのスーツに身を包んだテゾーロが立っていた。その横には、頭の大きなタナカが不気味に微笑んでいる。
「テゾーロ…!」
ルフィが即座に構える。フランキーも戦闘態勢に入った。
「お前たちの計画など、最初から筒抜けだ」
テゾーロの手から黄金が流れ出し、鋭い槍へと変形する。その動きは水のように滑らかで、一瞬の隙もない。
「ゴムゴムの…!」
ルフィの拳が伸びるが、テゾーロは軽く身をかわす。そして反撃の黄金の槍が、ルフィの腹を抉る。貫くのではなく、一点に集中した殴打。ゴムであり打撃が効かないルフィだが、今の一撃は明確にダメージを受けた。
「ぐはっ…!」
「ルフィ!」フランキーが駆け寄る。
「ふん。これが『5億の男』の実力か」
テゾーロの嘲笑が響く。ルフィは床に膝をつき、苦悶の表情を浮かべる。血が滴り落ち、床を染める。
「やれ」
テゾーロが視線を横に向けて短く命じる。タナカさんは一瞬躊躇った様子だったが、「……分かりました、テゾーロ様」とジャンプする。彼の巨大な手が床を叩く。すると突然、足元の床が消失した。
「ボトムレス・ヘル!!」
「なに…!?」
ルフィとフランキーが叫ぶ。タナカさんの『ヌケヌケの実』を使った技は、テゾーロもろともを『地獄』の闇に引き摺り込んでゆく。だが暗闇が視界を覆い、落下感だけが残る。
「馬鹿な、地面が消えっ、うおおおっっ……!!?」
「うわあああああっ!!」
「おあああああっ!!」
「……ってテゾーロ!お前も落ちるのかよ!?」フランキーの声が響く。オーナーである彼が落ちていくのは自身の意思だったが、落ちることには慣れていないのか、低い唸りのような叫び声があがった。
さらに深い闇へと落ち、やがてその黄金の砂地に叩きつけられた。
ルフィは顔を上げ、辺りを見回す──目に入るのは、全てが黄金でできた異様な世界だった。
「何だぁここは!?」
フランキーが叫ぶ。彼らの周りには、黄金の砂漠が広がっている。遠くには黄金の廃墟のような建造物が乱立し、壁からは黄金の砂が絶え間なく流れ落ちている。地面には無数のドクロが転がり、不気味な光を放っていた。
「全てが黄金でできている世界……か」
フランキーがサングラスをかける。ルフィも眩しさに目を細めた。この場所は、地上のグランテゾーロと似ていたが、全く異なる。エンターテインメントが存在せず黄金のみが存在する世界。
「おい、新人か?」
突然、廃墟の影から数人の男たちが現れた。彼らの服はボロボロで、目は飢えに狂っている。手には黄金の食器や装飾品を握りしめているが、どれも役に立たないものばかりだ。
「水…水をくれ…」
「食料はないのか…?」
男たちがよろよろと近づいてくる。その目は、ルフィたちの装備に釘付けだった。
「持ってねえ」
「お前たち、誰だ?」
ルフィが答えてフランキーが尋ねる。すると男たちは、自嘲するように笑った。
「グランテゾーロで罪を犯した者たちさ…」
「賭けに負けて借金を返せなかった者…」
「テゾーロに逆らった者…」
「みんなここに落とされたんだ…」
その言葉に、ルフィとフランキーは顔を見合わせた。まさか、こんな場所が…。
「そうさ。だが、お前たちは運がいい。拷問されるだけの罪を犯しておきながら、生かされているのだからな」
突然、冷たい声が響いた。男たちが一斉に震え上がり、後ずさりする。砂漠の向こうから、砂を払い、ピンクのスーツをまとった長身の男が歩いてくる。
「テゾーロ…!?」
「な、なぜこんなところに……!!」
男たちは恐怖に震え、慌てて距離を取った。だがテゾーロは彼らを無視し、ルフィとフランキーを見据える。ポケットに両手を入れながら悠然と近づき、飢えた男たちを一瞥した。
「ここはお前たちのようなネズミが、永遠に黄金に満たされ、飢えながら彷徨う場所。だが、麦わらのルフィ。お前には特別な『歓迎』を用意してやる。空前絶後のビッグチャンスだ」
「歓迎だと?」
「そうさ。1対1で俺を倒せばいい。勝てば、お前たちの仲間を返してやる」
「テゾーロ……!」ルフィの目が鋭く光る。拳が固く握りしめられ、ゴムの筋肉が緊張する。
フランキーがサングラスを上げ、警戒しながら口を開く。「おいおい、そりゃ罠だろ。逆らえば、またあの黄金で固められるじゃねえか!」
テゾーロは薄く笑う。「これはゲームだ。俺が自分で言い足したルールを破るつもりはない」
視線を上向かせると、この黄金のフロアにも無数の映像電伝虫が設置されていて、この光景を映し出している。テゾーロがゆっくりと手を広げる。
「すでに放送は始まっている。VIPたちに加えて、グランテゾーロに滞在している、天竜人も観戦している」
「何だって!?」
「お前が潰れれば俺の勝ちだ、仲間は全員処刑する。どうする?」
その小さなカタツムリたちが、この戦いを世界中に伝えようとしている。だが、彼の決意は揺るがない。足を踏み込み、拳を構える。その身体は艶めき、人間の身体ではありえない蒸気が湧き立った。
「お前をぶっ飛ばして、ゾロを取り戻す!」
テゾーロの唇が歪む。左手の薬指だけが空いた手が、ゆっくりとポケットから出てくる。黄金が指先から滴り落ち、砂地を染め始める。
「面白い。なら、見せてみろ……『5億の男』の実力を。これこそが、最高のエンターテインメンツだァ!!」
次の瞬間、ルフィの足が砂を蹴る。ゴムのように伸びた拳が、テゾーロめがけて放たれた。
「ゴムゴムの──」
テゾーロは微動だにせず、黄金の壁を瞬間的に形成する。ルフィの拳がぶつかり、衝撃波が砂漠を揺るがす。
「──JETピストル!!」
衝突。砂塵が舞い上がり、黄金の廃墟が軋む。飢えた男たちは恐怖に震えながらも、目を離せない。上空の映像電伝虫たちが、この一撃を世界中に伝えていく。
フランキーが拳を握りしめ、ルフィに声をかける。「ルフィ、ダメだ!! 奴は黄金を操る。例え身体を固められなくても、ここで戦うのは俺たちに不利すぎるぜ!!」
「ああ! でも、俺は勝つ!!」
ルフィが再び構える。目に宿る闘志は一切衰えていない。テゾーロは相変わらず冷静な表情で、黄金を操る指先を軽く動かす。
「その熱意、見ものだ。だが──」
黄金の砂が渦を巻き、地中から這い出るように巨大な竜の形を成す。
「──この『黄金の牢獄』から、お前が逃れることはない」
竜が咆哮し、再び飛び出したルフィに襲いかかる。戦いの火蓋が切って落とされた。
一方その頃。ナミたちのチームはエレベーターから降り立った。タナカさんの厳重なチェックを、カリーナの手引きで見事にすり抜けたのだ。ヌケヌケの実の能力により、巨大なダイスポッドと共に黄金の壁をすり抜けるようにして侵入した彼らは、今やグランテゾーロの最深部にいた。
「うまくいったわね」カリーナが小さく微笑む。ナミもほっと胸を撫で下ろした。ウソップとチョッパーは、緊張のあまり互いの手を握りしめていた。しかし、その安堵もつかの間だった。
突然、サイレンが鳴り響き、赤い警告灯が点滅し始める。壁に埋め込まれた映像電伝虫が一斉に起動し、「侵入者アラート」が発せられた。
「な、なんだこりゃあ!? まさかルフィたちがやられたのか…!?」
ウソップが慌てた様子で声をあげる。さらに、冷静なロビンやカリーナの表情までもが険しくなったのは、廊下の先から、無数の足音が近づいてきたためだ。壁の隙間からは、武装した兵士たちの影が見える。その数は、数十──いや、百を超えるかもしれない。
「おいおい、マジかよ…」サンジが煙草をくわえたまま呟く。「警備にしても多すぎる。最初からこっちの動きを読んでたみてえじゃねえか」
「こんなに大勢の兵士を、こんな短時間で動員できるはずがありません。これじゃあ、まるで…」
「まるで、最初から待ち伏せてたみたい」ロビンが冷静に分析する。
想定外の状況だが、こうなった原因を今考えるべきことではない。ナミが歯を食いしばる。頭をフル回転させ、脱出ルートを考え始めた。しかし、あまりにも不自然なほどの戦力配置に、違和感が募る。
「とにかく、ここにいてもダメよ!」ナミが叫ぶ。「一旦退却するわ!」
「そうだな。とにかく、逃げないと!」チョッパーが同意する。
ナミたちは黄金の通路を駆け抜けていた。警報のサイレンが耳をつんざき、背後からは無数の兵士たちの怒号が追いかけてくる。
「こっちだ!」
サンジが先頭に立ち、回り蹴りで迫る兵士を蹴散らす。ウソップは「必殺・煙星!」と叫びながら、煙幕を放って追手の視界を遮った。チョッパーはヘビーポイントに変身し、ブルックと共に警備兵を倒して逃げ道を作る。
「こんなに大勢…! ルフィたち、一体どうなってるの…!?」
「分からないわ。でも、今は自分たちが生き延びるのが先よ!」
ナミが息を切らしながら叫ぶ。カリーナも額に汗を浮かべ、必死に周囲を見回す。
ロビンが『ハナハナの実』の能力により、無数の腕を生やして兵士たちの動きを封じる。しかし、すぐにまた新しい追手が現れる。まるで蟻の巣のように、どこからともなく兵士が湧いて出てくるのだ。
「くそっ、ゾロゾロと湧いてきやがる…!」
サンジが歯を食いしばる。普段なら冷静な彼も、この異常事態に焦りを隠せない。
「お、おい…! こっちはどうだ!?」
ウソップが細い通路を指さす。とにかく、追手から離れることが先決だ。全員でうなずき、その狭い通路へと飛び込んだ。曲がりくねった通路を何度も曲がり、階段を駆け上がり…気がつくと、周囲の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
「…あれ? 追ってこない…?」
チョッパーが耳をピンと立てる。確かに、兵士たちの足音は聞こえない。代わりに漂ってくるのは、高級な香りと、不自然なまでの静寂だった。
「ここは…」
カリーナの顔が一瞬で青ざめる。彼女の視線の先には、豪華な金色の扉。ナミも息を飲む。全員の背筋に冷たい汗が伝う。まさにあの、絶対に入ってはいけないと打ち合わせていた場所──天竜人が滞在する特別区域。
「まさか…! ここがハイパースイート…!」
「やべえ…まさかここに来ちまうとは…」
ウソップの膝ががくがく震え始める。サンジも煙草をくわえたまま固まる。ブルックは「ヨホホホ…これはまずいですね」と、骨だけの顔で汗をかく真似をする。カリーナが小声で言った。
「…静かに。今なら、まだ引き返せるかもしれないわ」
しかし、その瞬間──ハイパースイートの扉が、ゆっくりと開き始めた。
ナミたちは一瞬で固まり、息を殺す。壁の陰に身を潜め、互いの手を握り合った。指先が震え、冷や汗が背中を伝う。
(まずい…ここにいるのは天竜人か、政府の人間。バレたら…)
ナミの頭を最悪のシナリオが駆け巡る。不敬罪で海軍の軍艦が押し寄せ、大将が直接出てくるかもしれない。テゾーロの黄金に、いつ固められるかもわからない状況も重なって、遥かに危険な状況だ。
扉の向こうから現れたのは、青いドレスを纏った美しい女性だった。長い青髪が肩にかかっている。奴隷でも政府の人間でもない。しかしヘルメットはなく、天竜人の不遜な空気はない。彼女はゆっくりと廊下を見回し、微かに眉をひそめた。
「……誰か、いらっしゃるのでしょうか?」
その声は、意外にも柔らかく平坦だった。
(出て行くべきか…?いや、でも…)
ウソップがチョッパーに必死のジェスチャーで「動くな」と伝える。サンジも身を硬直させ、煙草の灰が床に落ちるのを気にせずに固まっている。
しかし、その時──
ブルックの骨が、不意に「カタン」と音を立てた。
「……!?」
全員の顔が一瞬で青ざめる。ソラの視線が、音のした方へと鋭く向けられる。
「そこにいるのですね」
ソラの声に、ナミの心臓が高鳴る。もう逃げられない。相手は天竜人かもしれない一人。強行突破するしかないか。
「出てきてください。私は、あなた方を傷つけません」
だが、彼女の言葉は、天竜人らしからぬ優しさを含んでいた。
「私は天竜人の妻ですが、元は奴隷でした」
ソラは静かに自分の腕をさらす。そこにはタトゥーが刻まれている。ナミの腕に刻まれている『みかんと風車』の紋章に近いが、彼女のそれは洗練された意匠。ある天竜人の奴隷であることを示す家紋だった。
「ここには警備の電電虫はありません。安心してください」
「……信じていいのか?」
サンジが低い声で呟く。他の仲間が慌てて止めようとする。天竜人を信用するなど、常識外れだ。しかし、ソラの目には嘘が見えなかった。
「ヨホホホ…もしや、本当に?」
ブルックが恐る恐る顔を出す。ソラはそれに微笑みかける。
「ええ。あなた方は…『麦わらの一味』ですね」
その名前を出され、ナミたちは顔を見合わせる。不信感と困惑が入り混じった空気が漂う。
「天竜人の妻が、なぜルフィの名前を知っているの」
「ふふ。それはあなた方が一番ご存知ではないのですか」
ソラの言葉に、ナミたちは互いの顔を見合わせた。麦わらの一味にはいくつか心当たりがあった。ルフィはかつてシャボンディ諸島で天竜人を殴り飛ばした大罪人だ。
(妻ってことは、彼女も天竜人? いえ今はどうでもいいわ。相手が誰だったとしても見つかったのは不味い…それに、この感覚は何?)
ナミの眉間に深い皺が寄る。ソラの底知れない落ち着きが、かえって不気味に感じられる。ブルックの骨がカタカタと震え、ウソップは喉をゴクリと鳴らした。
「ここには夫はいませんし」ソラは静かに続けた。「警備には何があってもこの区域に立ち入らないよう言い渡しています。ただし、出ていく時には追われると思いますが」
その言葉に、サンジが慎重に口を開いた。「で、美人さん…いえ。あなたは、俺たち海賊に何のご用ですか?」
普段ならすぐにでもプロポーズしそうな美女だが、相手が天竜人。しかも既婚者と知って自重しているようだった。それでも、彼の声にはいつもより柔らかい響きがあった。
「この先の道を行けば、金庫へ近道で行けます」
「え?」カリーナが考え込む。「…確かに、このルートならメインの警備を避けられます。でも、どうして私たちにそんなことを…」
「待てよ!」ウソップが慌てて遮る。「こんな都合のいい話、信用できるわけないだろ! 天竜人が海賊を助けるなんて!」
「ちょっとウソップ……!!」
不敬ともとられかねない発言。だが、ソラの表情は変わらない。青い瞳の奥に、何か計り知れない思いが潜んでいるようだった。だがソラの表情は変わらず、何も言わない。青い瞳は静かに、麦わらの一味を見つめていた。
「……どう思う?」ナミが小声で仲間に問いかける。
「確かに、不自然だぞ」チョッパーが同意する。知識人であるロビンも何も言わない。天竜人の妻が、侵入者である海賊を助ける理由が見当たらないのだ。
唯一サンジは「俺たちがここに来たのは偶然だ。それに、こんな美人が親切にしてくれているんだから、俺は信じる」と、煙草の火を消しながら言う。
「ヨホホホ…時にお嬢さん。元奴隷の方なら爆発する首輪をつけてるはずでは?」
ブルックが骨の顎を撫でながら指摘する。その疑問に、一同は再びソラを見つめた。天竜人が所有する下々民には、必ず爆発首輪が装備される。だが確かに、彼女の首には何もついていない。
「なぜ、私達を助けるような真似を?」
ソラは彼らの疑念を察したように、静かに口を開いた。
「あなた方が私の言葉を聞く必要はない。どの道を進んでも構いません。ですが、私には私の目的があって行動しています」
「あなたの目的……?」
「ええ。私の言葉は、あなたたちを利することが目的のものではありませんが、嘘はありません。害するつもりもない。私の最善の判断を下したに過ぎません」
その声は、穏やかながらも確固たる意志に満ちていた。ナミたちは顔を見合わせる。夫とは天竜人のこと。しかし、彼らの脳裏に浮かぶのはシャボンディ諸島の人間屋で遭遇した『あの』天竜人だ。欲にまみれ、権力を振り翳して人を人とも思わない世界政府の特権階級の者達。
だが、彼女の瞳には、強い意思の力が宿っている。買われた奴隷のものとは程遠い。謎は深まるばかりだったが、一つだけ分かったことがある。それは、この女性の言葉には嘘がなさそうだということ。少なくとも、今は敵対する気はないらしい。
「……わかった」ナミが決断を下す。「助けてくれてありがとう」
ソラは微かに頷き、通路を指さした。「急いでください。警備の配置が変わる前に」
麦わらの一味は慎重に、ソラの横を通り過ぎていった。サンジだけが最後に振り返り、「…美人さん、また会えるといいな」と小声で呟いて去っていく。ソラは苦笑したが、返事は返さず、振り返ることもしなかった。
通路の奥へと進みながら、ナミはふと疑問を抱いた。
(あの女性の"目的"って一体…?)
しかし今は考える余裕がない。仲間を救い、この黄金の牢獄から脱出することが最優先だった。一行はソラが教えてくれた秘密の通路を進み、やがてその姿を闇に消していった。
ソラは彼らが見えなくなるまでじっと立ち尽くし、やがて静かに呟いた。
「…ご主人様。これでよかったのでしょうか」
誰にも聞こえない声は、黄金の壁に吸い込まれていった。
中編に続く