ドミニオン艦内の空気は張り詰めていた。激化する戦況に加え、民間人でありながら艦の全てを掌握しようとするムルタ・アズラエルの存在が、ナタル・バジルール艦長にとっては常に苛立ちと嫌悪の種だった。彼の非人道的な命令、戦術のために容易く人命を切り捨てる思考、そして何より、彼女の軍人としての信念を踏みにじる傲慢さが許せなかった。だが、反論すれば舌鋒鋭く切り返され、時に子供じみた癇癪を伴う圧力に晒される日々。特にここ数日は、彼の不機嫌と支配欲が顕著で、張り詰めた糸がいつ切れてもおかしくない状況だった。
その日、ナタルはアズラエルから直接私室へ呼び出しを受けた。「至急、重要な戦略について話したい」という、いつものもっともらしい口実だった。警戒しつつも、軍人として上官(少なくとも現在の立場上)の命令を無視することはできない。乾いた廊下を歩きながら、ナタルは制服の襟元を正した。
アズラエルの私室の前に立つと、自動ドアが滑るように開いた。内部は無機質ながらも、私的な空間であることを主張する独特の空気が漂っている。入室を促され、一歩足を踏み入れた途端、背後のドアがカシャン、と軽い機械音を立てて閉ざされた。そのまま、外部との通信が遮断されたことを示すシステム音が微かに響く。
嫌な予感がナタルの全身を駆け巡った。ここは戦略会議を行う場所ではない。そして、この閉鎖された空間は、アズラエルが何か裏の意図を持って設えたものだということが、理屈ではなく直感で理解できた。振り返ってドアに手をかけようとするが、既にロックされている。完全に閉じ込められたことを悟り、ナタルは硬い表情でアズラエルの方を向いた。
アズラエルは部屋の中央、一脚の豪華な椅子に座っていた。グラスを片手に、ナタルを観察するように見上げている。その口元に浮かぶのは、いつもの皮肉っぽい笑みとは異なる、捕らえた獲物を見るような、歪んだ笑みだった。
「おや、随分と私に逆らってくれるねぇ、バジルール大尉? 君のその澄ました顔を見ていると、どうにも愉快になれないんだ」
声音はいつもの軽薄なものだったが、そこに含まれる悪意と冷酷さは、これまでの比ではない。ナタルは即座に反論しようと口を開きかけたが、アズラエルが上げた片手によって制される。
「いや、いいんだ。君の反論も、建前ばかりの正論も、もう聞き飽きた」
グラスをテーブルに置いたアズラエルは、内線端末を操作した。部屋の壁面に設置されたモニターに映像が映し出される。それは、別室に設けられた一室で、ベッドに座らされ、不安げに俯く一人の女性の姿だった。フレイ・アルスター。ドミニオンが保護している民間人。
ナタルの息が詰まった。フレイがアズラエルの管理下に置かれていることは知っていたが、まさか彼女がここで利用されるとは。
「あの民間人が、君の言う『戦争を終わらせる鍵』だったそうだが…」アズラエルはフレイの映像を一瞥し、再びナタルに向き直った。「彼女の価値は、もう情報源としては大したものじゃない。だが…別の使い道は、いくらでもある」
アズラエルの目が、ナタルの全身を舐めるように這った。ナタルは咄嗟に身構える。身体の芯が凍り付くような感覚に襲われた。
「君が言うことを聞かないと、あの民間人がどうなるか…想像もつかないなぁ?」
彼の言葉には、フレイの命や安全をいとも簡単に奪うことができる、という明確な脅迫が含まれていた。映像の中のフレイは、彼の手にかかればどうとでもなる、無力な存在として映っている。
「君のその反抗的な態度はもう見飽きたんだ。これからは私の意のままになってもらう」アズラエルは椅子から立ち上がり、ゆっくりとナタルに近づいた。ナタルは一歩も引かずにその場に立ち尽くすが、内心では激しい動揺が荒れ狂っている。フレイ。キラやアークエンジェルのクルーたちが気にかけていた少女。そして、今は自分の艦(アズラエルの艦だが、ナタルにとっては指揮官としての責任がある場所)にいる保護対象。彼女の命を、アズラエルは易々と弄ぼうとしている。
「まずは…その制服を脱ぎなさい、バジルール大尉」
アズラエルの声が、冷たい命令となって響いた。その言葉が意味するところを理解した瞬間、ナタルの顔から血の気が引いた。屈辱。怒り。絶望。あらゆる感情が渦巻くが、フレイの怯えた顔が脳裏に焼き付いて離れない。抵抗すれば? この外道な男は本当にフレイに危害を加えるだろう。彼の目は、それを躊躇わない人間の目だ。
「ふざけるな…!何を…!」
ナタルは絞り出すような声で拒絶の言葉を放つが、アズラエルは鼻で笑うだけだ。
「無駄な抵抗はよせ。時間の無駄だ。君に拒否する権利はない。あの民間人の命は、今この瞬間から君の手にかかっているんだよ?」
アズラエルの言葉は、逃げ場のない現実を突きつける刃だった。フレイの命か、自身の全てか。軍人としての誇りも、女性としての尊厳も、この男の手にかかれば塵芥(ちりあくた)になる。だが、フレイを犠牲にすることは、ナタルの倫理観が絶対に許容できない選択だった。
フレイを守らなければ。この場で、アズラエルの要求を呑む以外に、フレイを救う道はない。
絶望的な結論に達し、ナタルの身体から力が抜けた。歯を食いしばり、拳を握り締め、激しい自己嫌悪と屈辱に耐えながら、彼女はゆっくりと、しかし確固たる決意を込めて、制服のボタンに指をかけた。
震える指先で、冷たい金属のボタンを外していく。一枚、また一枚。軍人としての自身を鎧のように覆っていた生地が、ゆっくりと剥がされていく。アズラエルの冷たい視線が、その全ての動きを追っているのがわかる。顔を伏せ、羞恥と怒りに唇を噛み締めながら、ナタルは抗いがたい強制の下、自身の制服を脱いでいった。それは、彼女のアイデンティティと尊厳が、この歪んだ男によって引き剥がされていく、痛ましく屈辱的な行為だった。