降り注ぐ陽光が古い石畳を黄金色に染め上げ、よく晴れた日に遠方から眺めると光に包まれ祝福されているように見える聖都。所謂聖地であり宗教都市でもあり、この都では、唯一絶対の神アエテルヌスへの信仰が人々の生活の根幹を成していた。
聖都を取り囲む白亜の壁が緑の大地を円形に区切り、大きな石造りの門は信徒の為に開かれ、滅多なことでは閉じられることはない。都市の内部ではアエテルヌス聖教教会の荘厳な尖塔群は天を突くように並び、その威容は唯一神を信仰する人々の安寧を守っていた。
その中央通りを白銀の鎧を身に付けた聖騎士団が警備の為に巡回していた。
先頭に立って歩いているのは聖都を守護する聖騎士団の頂点に立つ男、聖騎士長アルドリックである。齢三十一にして、彼は聖十騎士に名を連ね、準聖人の地位を得ていた。
単に信仰深いだけではなく武勇にも優れており、すでに英傑の域に足を踏み入れつつあった。
磨き上げられた白銀の鎧に包まれた長身は、戦場においても訓練場においても、他の騎士たちを圧する威厳を放っている。彫刻のように整った顔立ちは、道行く女性の誰もが思わず息を呑むほどに美しく、その青い双眸には鋼のように強い意志と信仰が宿り、妥協を許さぬ厳格な雰囲気を纏っていた。
◇◇◇◇◇◇
「そこ! 剣の角度が甘い! 基本を怠るな!」
聖騎士団の訓練場に、聖騎士長アルドリックの鋭い声が響き渡る。
訓練中の彼の前ではわずかな気の緩みも許されない。若い騎士たちが必死の形相で剣を振るう中、アルドリックは自らも剣を抜き、一人の騎士の前に立った。
「よしエルド。訓練の相手をしてやる、打ちかかってこい! 遠慮は無用だ!」
若手とはいえエルドも聖騎士団の一員。その太刀筋は鋭く重い。しかし、アルドリックはそれらを柳に風と受け流し、時には雷光のような速さで反撃を行った。
ただ、それは相手を打ち負かす剣ではなく、剣をより高くへ導くための指導であった。
彼の動きは無駄がなく、非常に洗練されたもので、指導を受けるエルドも踏ん張りながら心の中で感嘆するばかりだった。まさに英傑。完璧な聖騎士の姿だった。
「もっと腰を入れろ! 剣に体重を乗せるのだ!」
アルドリックが鋭く踏み込み、若手騎士の剣を力強く弾き返したその瞬間だった。
キィンッ!
甲高い金属音が鳴り響き、激しい衝撃を受け流せなかった若手騎士の剣が真ん中から真っ二つに折れた。
「──ッ!!」
「危ない!」
訓練場にアルドリックの声が響き渡った。
折れた剣の切っ先が勢いよく宙を舞い放物線を描いて──訓練場の隅で見守っていた聖女セレスティアと、その付き人の足元近くの地面に深々と突き刺さった。
「セレスティア様!」
アルドリックは誰よりも早く反応し、剣を投げ捨てるとセレスティアのもとへ駆け寄った。彼の整った顔には、普段の厳格さからは想像もつかないほどの焦りの色が浮かんでいる。
「お怪我はございませんか!?」
駆け寄ってきたアルドリックに対し、聖女セレスティアは驚いた様子も見せず穏やかに微笑んでみせた。
付き人は小さく悲鳴を上げて腰を抜かしていたがセレスティア自身は落ち着き払っている。
「大丈夫ですよ、アルドリック様。多少驚きはしましたけれど」
背中まで伸ばした淡い金髪が陽光を受けて煌めくその姿は確かに怪我とは無縁に思えた。
微笑むその姿は聖騎士たちが見惚れるほどどこまでも美しい。
セレスティアは腰をかがめ、地面に突き刺さった剣の切っ先に触れると引き抜いて土を払う。
「も、申し訳ございません! 聖女様!」
剣を折ってしまった若い騎士が蒼白な顔で駆け寄り、その場に膝をついて頭を垂れる。
「お顔を上げてください」
セレスティアは優しく声をかけると、騎士に向かって言った。
「あなたの剣の柄の方を渡していただけますか?」
騎士は戸惑いながらもアルドリックの厳しい視線に促され、慌てて自分の手元に残った剣の柄を聖女セレスティアに差し出した。
セレスティアは差し出された剣の二つの破片を受け取ると、アルドリックや他の騎士たちが見守る前で折れた断面をぴったりと合わせた。
そして静かに目を閉じ、合わせた部分に両手をかざす。
聖女の両手の甲に刻まれている聖印が光を放った。
ふわり、と彼女の手のひらから淡いけれど酷く凝縮された眩い光が溢れ出した。
それは治癒魔法を使った際に溢れる柔らかく温かみのある光とは少し違う、まるで夜空の星屑を集めたかのような青みがかった輝きだった。光は折れた剣を覆うように包み込み、その中で折れた金属の断面がまるで水飴のように溶け合い、元の形に復元されていくのが見えた。
光がゆっくりと収まると、セレスティアの手の中には完全に元通りになった一本の剣があった。この剣が一度折れたことがあるなど誰も信じないだろう。ヒビどころか折れた痕跡がどこにも見当たらない。
「おお!」
「剣が……元通りに」
周囲の騎士たちから、驚嘆の声が上がる。
「まあ、聖女様! なんという奇跡! 折れた剣にまで治癒呪文が効果があるなんて、初めて知りましたわ!」
付き人が感激したように声を上げた。
しかし、セレスティアは穏やかに首を横に振る。
「いいえ、今のは治癒呪文ではないのです。物の形を壊れる前の状態に近づけただけです。しかも簡易的なものなので、壊れて時間が経ってしまったものは元には戻せません。見た目ほど万能ではないのです」
彼女はそう言って、修復された剣を元の持ち主である騎士に優しく手渡した。
騎士は信じられないものを見る目で剣を受け取り、何度も頭を下げて感謝していた。
聖騎士長アルドリックもまた聖女セレスティアの起こした奇跡に深い感銘を受けていた。
あのような聖魔法など聞いたことも見たこともなかった。
聖女とは聖魔法の力量だけでなれるものではないが、おそらくは歴代の聖女の中でも図抜けて力が強いことが窺い知れる。アルドリックは改めて聖女への敬意を強く抱き、光の中に佇むその神々しいお姿と御業にただただ畏敬の念を覚えるばかりであった。
「──おほんっ!!」
聖女セレスティアによる奇跡を見せられ、訓練場にはどこか緩んだ空気が漂っていたが、アルドリックはすぐに場を引き締めた。
「今日の訓練はこれで終わりにする。ご苦労だった。だがいいか? 今の自分の力量に満足してはならない。我々の責務は重いのだ。常にアエテルヌスへの祈りと、市民を守る使命を忘れるな」
「はっ!!」
彼がそう告げると、騎士たちは引き締まった表情で応えた。
アルドリックは他人よりも自分に課す規律の厳しさで知られている。聖騎士団全体の練度を高め、聖都とそこに住む市民、そして信仰を守り抜く信念が彼の行動原理だった。
◇◇◇◇◇◇
日中の厳しい訓練と職務を終えたアルドリックは、鎧から軽装に着替え、聖堂での祈りのために回廊を歩んでいた。その時、前方から近づいてくる純白の法衣の影に気づき、思わず足を止めた。
先ほど訓練場で見かけた聖女セレスティアであった。
「アルドリック様」
柔らかな陽光を背に受け、穏やかな微笑みを浮かべて彼女もアルドリックの前で歩みを止めた。その姿は神々しくもありながら人の身に許されないほどのまさに美の化身でもあった。アルドリックはその美しさに目を奪われてしまい、不躾な視線を向けてしまわないように懸命に堪えた。
「……セレスティア様。ご機嫌麗しく」
彼は恭しく片膝をつき拝礼した。
聖女に対する当然の礼儀だが、その動作には彼女を直視することから逃れたいという無意識の思いも含まれていた。だが、彼女の前にいると己の内にある感情が見透かされているような気がしてならなかった。
「お立ちください、アルドリック様。いつも聖都の守護、ありがとうございます。先ほどの訓練、大変でしたわね」
セレスティアの声がまるで澄んだ湧き水のように心に染み渡っていく。
しかし、その澄んだ
「聖騎士としての当然の務めにございます。セレスティア様こそ、日々の祈りと奇跡をもって民をお導きくださり感謝の念に堪えません。先ほどの奇跡の業も見事でした」
アルドリックは立ち上がり努めて冷静な声で応じた。
だが、彼にとって彼女の存在はあまりにも強く、アルドリックの心臓は早鐘のように打ち続けている。信仰に基づく静かな情熱のような気持ちとは異なる種類の熱が胸の奥で燻っている。
この感情こそが、最近の彼を夜ごと苛む苦悩の源泉なのだ。
ああ、我が主アエテルヌスよ。なぜ私にこのような試練を与えるのか。
「……アルドリック様? 少しお疲れのご様子ですが、大丈夫ですか?」
セレスティアが心配そうに問いかける。その気遣いが、かえってアルドリックの罪悪感を鋭く抉ってしまう。
「……ご心配には及びません、セレスティア様。職務上、私は体調には常に気を配っておりますので。それでは、失礼いたします」
これ以上会話を続けるのは危険だと判断し、アルドリックは再び短く敬礼すると、やや早足でその場を離れた。すれ違いざま、彼女からふわりと漂う花の香りのようなものが鼻腔をくすぐり、彼の心をさらにかき乱した。
体調に気を遣っているなどど……聖騎士の身で嘘をついてしまった。
私は、あの方の前に立つ資格すらないのかもしれぬ。
セレスティアの姿が見えなくなると、アルドリックは回廊の柱に背を預け荒い息をついた。
彼女への敬意に嘘はない。彼女の敬虔さ、清廉さを疑う気持ちもない。しかし、それと同時に半年ほど前から芽生え始めた、説明のつかない熱情が彼を蝕んでいた。アエテルヌス神への信仰一筋に生きてきた彼にとって、この感情は受け入れられず、理解しがたいものであり同時に恐ろしいものであった。
「なぜだ……なぜこのような思いを抱いてしまうのだ?」
夜ごと、自室で一人アルドリックは手で顔を覆い、声にならぬ声で問う。
「アエテルヌスよ、私は道を踏み誤ろうとしているのでしょうか? この罪深き思いを、どうすれば……」
自室の床に跪き、唯一神アエテルヌスのシンボルに向かって頭を垂れて祈る。
「……また夜が来るのが恐ろしいのです」
アルドリックは夜ごとに襲われる罪悪感に苦悩していた。
日中のセレスティアとの僅かな接触でさえ、その夜の苦しみを増幅させてしまうのだ。
己の中に芽生えた信仰とは別の熱情。
それは日を追うごとに強まり、アルドリックの精神を徐々に追い詰めていった。聖騎士としての誇り、信仰への忠誠心、そして自己への厳しい規律。それら全てが、得体の知れない感情によって揺さぶられる感覚に彼は耐え難い苦痛を感じていた。
「だめだ……今夜も行かねばならぬ」
そして今宵もまた、アルドリックは重い足取りで自室を抜け出した。
「この罪を告白し、許しを乞わねば私が私でなくなってしまう」
月明かりだけが頼りの深夜、人目を忍んで向かう先は、聖都の大聖堂の一角にある懺悔室であった。聖騎士長の鎧ではなく、質素な夜着に身を包んだ彼の背中は日中の威厳とは裏腹にどこか小さく見えた。
「だが、何度告解すればこの心の業火から解放されるのだろう。司祭様はこの醜い私の告白をどう思われているのだろうか」
そんな自問自答を繰り返しながらひんやりとした石造りの廊下を進み、古びた木製の扉の前で聖騎士長アルドリックは立ち止まった。
扉の向こうには彼の罪を聞き入れ、神の許しを仲介する司祭がいる。アルドリックは深く息を吸い込み、震える手で重い懺悔室の扉をゆっくりと押し開いた。
軋む蝶番の音が誰もいない静かな聖堂に小さく響き渡った。