蝶番を軋ませながら重い防音扉が背後で静かに閉まった。
アルドリックは懺悔室の中でゆっくりと壁に背中を預け、まずは荒い息を整えることに神経を集中した。
懺悔室の中は狭く、外の聖堂の荘厳さとは対照的に質素で、静寂とは種類の違う静けさに包まれており息が詰まるような空間なのだ。灯りはほとんどなく壁に穿たれた小さな格子の向こう側で座っているであろう司祭の気配だけが濃密な無音の中で感じる全てだった。
外からの音も光も届かない。
中の音も、中で零れ落ちる感情も外へは漏れ出ない。
この懺悔室だけが、聖騎士アルドリックの最も醜い部分をさらけ出せる唯一の場所なのだ。
「……司祭様」
自身の絞り出すような声がアルドリック自身の耳に響いた。
まるで他人の声のようだ。
小さなカーテンのかかった格子の向こうで気配が動き、そのイメージとは裏腹に穏やかな声が返ってきた。
「アルドリック殿。また来られたのですね。主アエテルヌスは、常にあなたの告白に耳を傾けておられます。さあ、あなたの罪を話しなさい」
司祭の声に促され、アルドリックは重い口を開いた。
何度告解を重ねてもこの瞬間の苦痛には慣れることはなかった。
自らの口で、あの聖なる方への冒涜的な思いを言葉にしなければならないのだから。
「はい、司祭様。私は……そう、私はまた罪深き思いに囚われております」
語尾が震えた。
滑らかにはとても話せない。
普段の聖騎士長とはかけ離れた、まるで朴訥な農夫のように言葉が途切れがちになる。
「我が身に余る光栄である聖騎士長の任にありながら……私は、またしても己の心を律することができませんでした」
アルドリックは一度言葉を切り、苦痛に顔を歪めた。
「…………夜ごと私を苛むのです」
司祭はアルドリックの話を急かしたりはしない。
ただ、耳を傾けているだけだ。
「聖女、セレスティア様に対する……許されざる欲望なのです」
その名を口にするだけで彼の心臓は罪悪感に締め付けられるようだった。
神聖な雰囲気を纏い、どこまでも清らかで慈愛に満ちた聖女。
彼女はアエテルヌスの御心を体現する存在であり、アルドリックにとって己の命を賭けて守るべき、そして敬うべき対象のはずなのだ。
「私は……日中、あの方の清らかなお姿を目にするだけで……その、祈りを捧げる時に伏せられた睫毛や、信徒の
アルドリックの声はさらに小さく低くなって、そして告白は核心へと近づいていく。
「あの方が私を見るその穏やかな微笑みの奥には、もしかして違う表情が隠さているのでは…………などと! ああ、我が主アエテルヌスよ! なんという冒涜! あの慈愛に満ちたセレスティア様の瞳が、もし……もしも私を見つめる目が密かに熱を帯びていたとしたら……などと、愚かにも考えてしまうのです」
アルドリックの武骨な手が握り拳を作る。
「あぁ! その度に、私は! …………私は、己の魂の穢れに慄然としてしまうのです」
ポタリと懺悔室の床板に汗が落ちた。
アルドリックの額に冷や汗が滲み、握りしめた拳がブルブルと震えている。
「ただの視線、ただの仕草に、私は勝手に卑猥な意味を見出し、あの方の聖性を心の中で汚している! 守護すべき聖女様に対して、このような獣のような眼差しを向けてしまうこと自体が、許されざる罪なのです!」
懺悔室でアルドリックは俯き、首を何度も横に振りながら手で顔を覆った。
「そして……夜が訪れると、それは更に悪化するのです」
アルドリックの声はかすれていた。
決して外に漏れることのない懺悔室の壁が彼の告解を部屋の中に押し留めている。
だが彼の秘密を守るその壁すらも、彼の罪を非難しているように感じられた。
「……………………」
聖騎士長アルドリックは言葉が詰まったまま長く沈黙を続けていた。
「…………いつもの……夢の中でのあなたの罪を話すのです」
焦れた訳ではないのだろう。
司祭というのは非常に忍耐強いものなのだ。
ただ、普段勇気に溢れているアルドリックの背中を優しく、そして励まし押すための言葉だった。
「………………夢の中で。私は、夢の中で聖女様に対して、あまりにも……あまりにも冒涜的な行為に及んでしまうのです」
「冒涜的な行為とは? 告解とは己の裡にあるものを全て神の前に曝け出す必要があるのです。夢の中でのあなたの行為を詳らかにして語るのです」
「…………その幻の中では……あの方は純白の法衣ではなく、肌の色が淡く透けてしまうような、まるで……まるで娼婦のように薄い……とても薄い絹の夜着だけをまとっておられるのです」
夢の中での聖女セレスティアの姿を思い出したアルドリックは罪の意識に苛まれながらも吐く息に熱いものが混じり始める。
「その絹の夜着を……あなたはどうされるのですか?」
「私は……その頼りない薄絹を、焦れた私は乱暴に引き裂いて、月明かりの下に彼女の眩いばかりの白く美しい肢体を晒してしまうのです。私のその行いで彼女の肩は震えているのに……私は、彼女の細いうなじや、柔らかな胸の膨らみ、そして腰から太腿へと続く滑らかな曲線から目が離せなくなるのです」
「なぜ目が離せなくなるのですか?」
「彼女があまりにも美しすぎるからです! 私の心を鷲掴みにして離してくれないのです!」
はぁはぁと荒い息を吐く聖騎士長の息が整うまで司祭は沈黙を続けている。
「私は……抵抗する彼女の細い腕を掴み、何かを訴えるように潤んだその瞳を見つめながら、その聖なる唇を塞ぎ、彼女が呼吸を乱しているのにも関わらず、そのまま肩を強く抱きしめ口づけを続けてしまうのです」
「……口づけだけで、彼女を解放するのですか?」
「いいえ! いいえ、決して!」
激しい否定の言葉がアルドリックの口から出る。
「抱きしめたあの方の肩は屈辱に震えているというのに……私は……私は口づけを続けながら彼女の柔らかな膨らみに手を伸ばし、あろうことかその頂で堅く尖り立ったものを指先で弄ぶのです。許されぬことだと知りながら、私のこの武骨な指で、執拗に」
「……執拗に?」
「執拗に、です! そうなのです。私の指は何度も何度も彼女の頂の尖りを指で捏ね、彼女が根を上げて苦し気に息を詰まらせるまで、私は執拗にその行為を重ね、決して止めないのです」
はぁはぁ……とアルドリックの吐く息が熱く、懺悔室の温度が心なしか上がっていく。
「何度も何度も、執拗に……ですか。彼女はあなたに許しを請わないのですか? アルドリック様」
「請いませぬ! 彼女は気高いのです!」
司祭はそのアルドリックの叫びに何か感じ入ったようだった。
「なるほど。ではその後、あなたはその気高い彼女をどうしてしまうのですか?」
「私は……私は、そんな気高き彼女の清らかな手を取り……導いて、無理やり己のものに触れさせるのです。触れさせて、そして私は……ああ、なんと罪深いのだ私は」
「彼女の手をどうするのですか?」
「それはっ…………彼女に、強いるのです。私の手で上から押さえつけ握らせて動かすのです。気高き彼女は屈辱に顔を赤らめさせているのに、私はそれを強引に続けさせるのです。すべては己の罪深き欲望の準備の為に……」
「何度も?」
「何度もなのです! 下から上へ、上から下へ何度も何度も。彼女の細く繊細な指を己のモノに絡ませることを強いて、清らかな彼女の手を私のモノで穢してしまうのです」
暗い懺悔室の中でアルドリックは顔を何度も横に振った。
罪深い己に耐えられないのだ。
「そうしておきながら、私は夢の中のセレスティア様の秘められた場所に手を伸ばし確かめるのです」
「何を、確かめるのですか?」
「私を受け入れる準備ができているのかをです! そんなわけがないのに!」
ドンと足を踏み鳴らした。
彼女に対する冒涜もいいところだ。
「あなたの夢の中で彼女の準備は整っていたのですか?」
「それこそが! ああっ! それこそが最大の冒涜なのです。司祭様。夢の中での彼女の……その滑らかな太腿の間に挟まれた秘められた場所に、隠されるべき繊細で神聖な彼女の一番奥で……私のこの、穢れた妄想に応えるかのように! 信じられないことに……信じられないほど熱く、柔らかく潤んで……私を受け入れる準備ができているのです。ああ、神よ! このようなこと、許されるはずがないのに!」
アルドリックの足がもう一度懺悔室の床を踏みしめた。
「ああ、彼女のそのしなやかな肢体を抱き寄せて、薄絹のような手触りの最も秘められた場所を目指して私の穢れたモノを突き入れ、私たちの二つの身体は熱く重なり合い、一つになって獣のように貪り求めあってしまうのです!」
俯いていた顔を持ち上げ格子のカーテンの向こうにいるはずの老司祭を見上げる。
「彼女は甘い声を漏らしながら、シーツを強く掴んで耐え、それどころか私に答えるように腰を動かして。あぁ……信じられない! 彼女の神聖な秘められた最奥がまるで私を悦ばすように何度も強く強く締め付けてくるので、私の全身の血は沸騰し、脳を灼き炎と快楽で支配してしまうのです。そう、……目覚めた後もその光景が脳裏に焼き付いて離れないのです」
「…………それが夢の中でのあなたの罪なのですね。アルドリック様」
「それだけではないのです。最近は……目覚めている時でさえ、ふとした瞬間に日中にお見かけしたセレスティア様の残像が私の内で歪められ……卑猥な妄想へと変貌するのです。祈りの言葉を捧げるべき唇が、もしも別の言葉を囁いたなら、と。民を癒すためのその手が、もし……もし私だけに向けられ、私私だけに触れるのを想像してしまうのです」
アルドリックが懺悔室で両手で頭を抱えた。
「ああ、司祭様。私は狂ってしまったのでしょうか!?」
アルドリックは激しい自己嫌悪に身を震わせた。
「最も恐ろしいのは……時折、心の奥底から湧き上がる、暗く澱んだ衝動です。あの方のあまりの清らかさ、その完璧なまでの聖性に触れるたび……それを、この手で汚し、壊してしまいたいという……邪悪な考えが頭をよぎることすらあるのです! このような考えを持つこと自体が、もはや人ではなく、悪魔の所業ではないでしょうか!」
彼の声にもはや抑制の効かない苦悩と絶望の色が濃く滲んでいた。
「私は……聖騎士長として、アエテルヌスの剣として、聖女様と聖教会、そして聖都の民をお守りする誓いを立てた身。その私が守るべき対象である聖女様に対して、このような穢れた欲望を抱き、あまつさえその聖性を私のもので穢したいなどという悍ましい考えを持つなど! この矛盾に、私の心は引き裂かれそうでございます!」
信仰と欲望、職責と本能、崇敬と冒涜。
相反する感情の奔流の中でアルドリックの精神は酷く疲弊してしまっていた。
「……これが、私の罪です、司祭様」
己の罪深さを語り終えたアルドリックの言葉から力が失われていた。
声はかすれて、もはや囁きのようだった。
「私は、このような穢れた思いを抱きながら、どうして聖騎士長として、あの聖女様にお仕えすることができるでしょうか? どうして、あの方の清らかな御前に立つことができるでしょうか? この罪は、あまりにも重すぎます」
彼の体は小刻みに震え、懺悔室の冷たい壁に再びもたれかかった。
告白の言葉と共に吐き出された罪の重さに、彼は打ちのめされていた。
格子の向こうの司祭は、ただ静かに彼の言葉を聞き続けていた。
告白の言葉と共に吐き出された自分の罪の重さに打ちのめされ、アルドリックは懺悔室の冷たい壁にもたれかかったまましばらく動けずにいた。
彼の体は慙愧の念に小刻みに震え、呼吸は浅く短くなっていた。
格子の向こうの司祭は静かに彼の苦悶を受け止めているようだった。
そして、やがて厳かな、しかしどこかアルドリックの心の奥深くにある傷に直接触れるかのように語りかけた。
「あなたの苦しみ、そして悔い改めの心は、アエテルヌスに届いているでしょう。セレスティア様への熱情もまた、形を変えた信仰の現れなのかもしれませぬ。さあ、アエテルヌスの許しを求め、心から悔い改めの祈りを唱えてください」
その司祭の言葉にはいつもと変わらぬ厳粛さの中に、ごく微かに、アルドリックの罪を断罪するのではなく、むしろ理解を示すかのような……一種の奇妙な甘さが滲んでいるようだった。だが、告解に疲弊しきったアルドリックには余裕はなく、ただ司祭の言葉に導かれるようにゆっくりと顔を上げた。
「このセレスティア様への想いも……信仰であると?」
苦悶の色は残っているものの、アルドリックのその瞳に微かな望みの光が灯っているようにも見えた。
彼は力を使い果たしてはいたものの、真摯な思いを込めて祈りの言葉を紡ぎ始めた。
「アエテルヌスよ。慈しみ深く私を顧み、豊かな憐みによって私の咎を許してください。悪に染まった私を洗い、罪深いわたしを清めてください」
祈りの言葉は彼の心の奥底からの叫びだった。
許されざる思いに苦しむ自分自身への深い絶望と、それでもなお神の慈悲にすがりたいという切なる願いが込められていた。
祈りが終わると、再び静寂が訪れた。そして、格子の向こうから、司祭による荘厳な赦しの宣言が響いた。
「全能のアエテルヌス、憐み深い父は、聖教の奉仕の務めを通してあなたに許しと平和を与えてくださいますように。私はアエテルヌスの名において、あなたの罪を許します」
その言葉と共に、格子越しに、温かく清浄な祝福の聖なる波動がアルドリックへと注がれた。それはいつもの赦しの秘跡の感覚に似ていたが、今日はいつもより温かく、そしてどこか彼の魂の奥深くを直接揺さぶるかのように、力強く染み入ってくるかのようだった。
アルドリックは全身を縛り付けていた重圧が霧散していく感覚を覚えた。
不思議なほど心が軽くなり、あれほど彼を苛んでいた罪悪感と自己嫌悪の波が引いていく。
暗闇に差し込む一筋の光のように、温かな安堵感が彼の心を包み込んだ。そしてその安堵感と共に、身体の芯から抑えきれないような熱と昂ぶりが湧き上がってくるのを感じた。アルドリックはこれをアエテルヌスが罪深き自分の告白を受け入れ、赦しと共に新たな力を与えてくださった証なのだと、疑いもなく受け止めた。
穢れた欲望さえも神の慈悲によって浄化され、聖なる活力へと昇華されたのだ、と。
この昂りこそ、許された者の証なのだと、彼は強く確信した。
「……ありがとうございます、司祭様」
深く頭を下げ、アルドリックは立ち上がった。
足取りはまだ完全ではないが、懺悔室に入った時のような絶望的な重さは消えていた。表情にも微かな明るさが戻り、むしろ一種の清々しささえ漂わせていた。
彼は静かに懺悔室の扉を開け、再び聖堂の静寂の中へと歩み出した。
深夜の冷たい空気さえ今はどこか心地よく感じられる。
自室へと戻る彼の背筋は先ほどよりも少しだけまっすぐに伸びていた。
その身体からは、まるで
そして翌日の夜。
日中の厳しい職務を終え、再び静寂が聖都を包む頃、アルドリックはまたしても、人目を避けるようにして自室を後にした。
彼の足はまるで自らの意志とは関係なく動いているかのように昨日と同じ道筋を辿り、あの古びた懺悔室の扉へと向かっていた。
昨夜得たはずの安堵と肯定的な昂ぶりはまるで陽炎のように儚く消え去り、代わりに以前にも増して鮮明で抗いがたい衝動が彼を突き動かしていたのだ。
終わりの見えない彼の苦悩はより深く、暗く螺旋を描くように出口を求め彷徨っているようだった。