あの懺悔室での告解の夜から幾夜かが過ぎた。
あの夜以降懺悔室にアルドリックは訪れなかった。聖女セレスティアは懺悔室で訪れる者のない夜をいく度も過ごしたが、いずれまた彼がやってくることに確信に近いものを抱いていた。
耐えるだけではただの問題の先送りなのだ。
セレスティアが耐えられないように彼はいずれまた懺悔室を訪れる。
己の罪に耐えかねて。
神の許しを得るために。
そして繰り返される懺悔の後、やがて彼の心は擦り切れ壊れてしまうだろう。神への信仰とセレスティアへの想いに引き裂かれて。
聖都の夜空には、欠け始めた月が冷たく輝いていた。その月を見上げながらセレスティアは静かに心を決めるのだった。
◇◇◇◇◇◇
次の夜。
窓から差し込む月明かりが、聖女セレスティアの部屋の中を青白く照らしていた。
聖女セレスティアは大きな姿見の前に静かに立ち月光の中に浮かぶ自分の肢体を見つめていた。
彼女の脳裏には数日前の懺悔室で聞いたアルドリックの熱っぽい告白が繰り返し蘇っていた。──夢の中の彼女は肌が透けるような薄い絹の夜着をまとっている、と。
アルドリック様が私に望む姿。
月明かりの中で、鏡には若い娘の柔らかな白い裸身が映っていた。
柔らかくも張りのある豊かな双乳が重力に逆らい垂れもせずに、つんと尖った先端が天井を向いている。
胸から下はどこまでも細くくびれ、そのすぐ下では肉付きの良い臀部が美しく張り出している。
「……アルドリック様はもっと華奢な女性を好まれてるような気がする」
私は胸もお尻も大きすぎるのだ。
飽食を貪っているわけではない。
質素倹約を心がけているつもりだった。
聖女なので聖都から外の世界へ出かけることはほぼ無いとはいえ、祝福の儀式の為に広い聖都内のあちこちの聖堂を訪れなければならないので足腰は自然と鍛えられているし太っているわけでもない。
なのに胸とお尻にだけ無駄に肉がついてしまうのだ。
アルドリック様は聖騎士長というそのお役目上、常に心身を鍛えておいでになる。
人は自分の同じ性質を持った人に親近感を抱くものだ。
鍛えて絞り上げた肉体を持つアルドリック様はきっと細身の女性を好むはずだ。
もちろん、アルドリック様が聖女である私に強い想いを抱いているのはもう知っている。
だけれども、私の全てを好ましく思っていると己惚れるほど自分のことが見えていないわけではない。
彼は多分、私の心や精神性に魅かれていると思うのだ。
実際、アルドリック様の苦悩が煮詰まって来ると、私の胸とお尻に彼の視線を感じるようになる。
もっと身体を引き絞った方が良いのではないか?
と無言で訴えかけられている気がする。もちろん礼儀正しい彼はそんな不躾なことを言ったりしないが。
なので本当はこんなことはいけないのだろうけれど……私は自分の大きすぎる胸がせめて垂れて形が悪くならないように治癒の聖魔法を使用していた。
彼の好みではないにせよ、せめて形が悪くならないようにと、思春期を過ぎて胸が大きく育ち始めたあたりから神に許し願いながらひっそりと聖魔法を使い続けた。
このくらいは許される範囲……だと思う。
溜息をつきながら自分の胸を両手で持ち上げた。
指が胸にめり込む。ずっしりと重量感がある。頂ではしこり勃ったものが存在を主張している。
実は今日のお昼からこうなって元に戻らないのだ。
お昼の祝福の儀式でいつもよりアルドリック様の視線を強く感じたせいだ。
ゆっくりと大聖堂の中を歩きながら、揺れる胸を少しでも抑えようと胸の下で組んでいた手を組み替えたり、背筋をピンと伸ばしお尻にぐっと力を入れて民を見据えた時はもっと強い視線を感じた。
……彼はきっと今夜懺悔室を訪れるはずだ。
今までの経験からある程度分かるようになってきた。
視線を右にやる。
自室の扉の横の棚に注文していたものが届いていた。
準備が間に合ったことにホッとする。
技巧書についてもなんとか裏から手をまわして入手し、空き時間に熟読に熟読を重ね一人練習を繰り返した。
付け焼刃だがこちらも間に合ったと思う。
今夜こそ、あなたを苦悩から解放して見せます、アルドリック様。
決意を固めた聖女セレスティアの両手の聖印が薄く光り、その手をお腹に押し当てた。聖女の聖魔法をこのようなことに使うのは決して許されないだろうけど、彼と自分のため顔を赤らめながら準備を進め、そしてドアを開けた。
今宵もまた、音を立てぬよう細心の注意を払いながら自室を抜け出し、聖堂の奥深く、あの古びた懺悔室の司祭側の小部屋へと向かうのだ。
◇◇◇◇◇◇
セレスティアは懺悔室の小部屋に入り息を潜めて彼を待った。
今夜のそれは以前の緊張感とは比較にならない。
やがて、聞き慣れた重い扉の軋む音と共に、アルドリックが懺悔室に入ってきた。足取りは以前にも増して重く、表情には深い疲労ともはや制御不能になりつつある内なる衝動への恐怖が色濃く浮かんでいた。
前回の「赦し」の後、彼の苦悩は和らぐどころか妄想はより鮮明になって頻繁に彼を襲うようになっていたのだ。アエテルヌス神と聖女セレスティアへの相反する思いが確実に彼の魂を蝕んでいた。
彼は格子に向かって懺悔室の床に膝をつくと、いつもと同じように苦しい胸の内を吐露し始めた。
彼が語るセレスティアへの熱烈な、しかし叶うはずのない欲望。その苦しげな声を聞きながらセレスティアはそっと目を閉じ聖魔法を使うために意識を集中させた。
格子のこちら側で彼に見えない位置で複雑な印を結ぶ。
ほとんど聞き取れないほどの小さな声で古の聖句を呟く。
人の心に直接働きかけ、その者の本心を衝いて心の奥深くに秘められた感情や衝動を解き放つものだ。
限られた条件でしか本来は使ってはならない精神操作系の聖魔法。
両手の聖印が薄く輝き、紫色をした光の波動が懺悔室を静かに包み込んで、格子の向こう側にいるアルドリックを飲み込んでいく。
「……私は、聖女様に対して更に淫らな欲望を抱き……その、清らかな御身に触れ……」
告白の途中でアルドリックの声が不意に途切れた。
彼は混乱したように額を押さえ、言葉を続けようとするが、思考がまとまらない様子だった。
「う……司祭様……? なんだ、これは……急に……身体が……熱い…………」
彼の呼吸が急に荒くなり、視線が定まらないのかキョロキョロと懺悔室の中を視線が彷徨った。
何かもっと直接的で抗いがたい衝動が身体の芯から突き上げてくる感覚にアルドリックは襲われていた。まるで夢の中の彼のように。
そして、まるで強い磁力に引かれるかのように、アルドリックの意識は格子のカーテンの向こう側──老司祭がいるはずの場所──へと強く引きつけられている。
「そこに……誰か……いるのか……? いや、司祭様のはずだが……なぜ、こんなにも……あの方を強く感じるのだろう」
アルドリックはまるで夢遊病者のようにふらつきながら立ち上がり、祈りの台に手をついた。
そして獣のような熱い瞳で、格子の向こうを睨みつけるように見つめた。
普段の彼ならば決してしないであろう行動。
しかしセレスティアの放った聖魔法は、彼の理性の最後の箍を外し、抑圧されていた本能と欲望を解き放ってしまう力があった。彼は獣のように格子の向こうにある「何か」を求め、よろめきながら一歩、また一歩と近づいてくる。
「そこに……いるのは……誰だ? 司祭様……なのか……? だが、なぜ……こんなにも……強く感じるのだ……? あなたの気配を……! まるで……セレスティア様の気配を……!?」
彼の意識はセレスティアの魔法によって混濁し、目の前の格子ではなくその隣にある司祭側の小さな木の扉へと自然に引き寄せられていた。その奥に彼が渇望してやまない存在がいることを、本能で感じ取っているようだった。
セレスティアは扉に近づいてくるアルドリックの気配を感じ決意を固めた。
ローブの下でセレスティアの心臓は激しく高鳴り、興奮と期待とそして背徳感と神への裏切りが入り混じった複雑な感情が渦巻いていた。
しかし、もう後戻りはできない。
彼女は震える手で小部屋の内側からかけられていた簡素な閂をそっと外した。
カチャリ。
小さな金属音がやけに大きく響いた。
アルドリックはその音に反応し導かれるように小さな扉へと手を伸ばした。そして、ゆっくりとその扉を押し開く。
扉が開いた瞬間、セレスティアは自らにかけていた変装の魔法を解いた。影のように揺らめいていた光が霧散し、そこに現れたのは極めて薄い絹の夜着一枚を纏い、柔らかく張りのある大きな胸がその僅かな面積の生地を持ち上げ、肌を露わにした聖女セレスティアの姿だった。
「セレス……ティア様!?」
小さな蝋燭の灯りで肌を淡く透かせながら、頬を紅潮させ潤んだアメジストの瞳で彼を見上げる聖女セレスティアがそっとアルドリックに近づく。
アルドリックは息を呑み、目の前の光景が信じられないというように数歩後ずさった。
驚愕、混乱、裏切られたかのような衝撃。
そして何より、彼の夢の中に現れた姿そのままの、あまりにも煽情的で無防備な聖女の姿。
聖魔法によって理性を抑制され、本能が極限まで増幅されたアルドリックが呆けるほどの衝撃を与えていた。
だけどそれは一瞬のことで、焦がれ続けた存在が彼の妄想通りの姿で今、目の前にいる。
しかも、彼女は自分を拒絶するどころか、どこか期待するように彼を見つめ返している!!
「なぜ……ここに……そのような姿で!? いや……そんなことは……どうでもいい!」
彼の瞳から理性の光が完全に消え、燃えるような渇望の色だけが残った。
彼は低く声を上げると、一足飛びにセレスティアとの距離を詰め、その身体を夜着の薄絹ごと乱暴に抱き寄せた。
「ああ……セレスティア様! やはり、貴女なのだ! 私をこんなにも狂わせる!!」
「アルドリック様」
セレスティアは彼の逞しい腕に抱かれながら小さく喘いだ。
彼の身体から発せられる熱とその力強さ。
薄い絹一枚を隔てて伝わる彼の硬い筋肉の感触。
それは彼女が夢見ていたものであり、同時に聖女として決して受け入れてはならないものだった。
だが、セレスティアはそっと彼の背中に腕を回し彼を受け入れる意志を示した。
その仕草がアルドリックの最後の自制心を打ち砕いた。
彼はセレスティアの顔を両手で掴むと、その聖なる唇に自身の渇ききった唇を激しく重ね合わせた。
深く、貪るような口づけ。
それは敬虔な祈りとは程遠いただ互いを求め合う獣のような行為だった。
懺悔室の狭い空間は、二人の熱気と荒い息遣いで完全に満たされていた。
神聖なる場所であるはずのそこは、今、最も冒涜的で最も甘美な秘密の園へと変わり果てていた。
アルドリックはセレスティアを抱きかかえるようにして、冷たい石の床へと倒れ込み、二つの身体はついに、熱く一つに重なり合った。