ある日、会社で残業をしていた。海外の取引先との商談が長引いてしまった。
「お疲れ様です。」
そう言ってオフィスを出ようとすると、御子さんが話しかけてきた。
「お疲れ様です、山口さん。遅くまで大変ですね。」
「ええ、まあ。でも、御子さんもこんな時間まで残ってるんですか?」
「はい。ちょっと資料をまとめていたら遅くなってしまって……。」
「そうですか……。良かったら駅まで一緒に行きませんか? もう遅いですし。」
「あ、じゃあ、お願いします。」
御子さんは笑顔で答えた。
二人で駅まで向かう途中、御子さんが話しかけてきた。
「あの……山口さん……。」
「はい?」
「山口さんって、恋人とかいるんですか?」
「まあ、いますけど。」
「そうなんですか。山口さんならモテそうですもんね。」
「そんなことないですよ。それよりも、御子さんこそ美人ですしモテそうじゃないですか?」
「いえ……私は男性に興味がなくて……。」
「そうなんですか?」
俺は少し驚いた。御子さんは美人だし、性格もいいのだから男はほっとかないのに。
「私、今の社会だと結婚というシステムに疑問があるんです。」
「え? どういうことですか?」
「結婚は社会と生きていくためにすると思うんです。でも、結婚生活というのは社会から切り離された状態です。家庭に入れば、会社や社会とは違うコミュニティに入ります。」
「そうですか? 既婚者でも、社会で働いているじゃないですか。」
「いえ、それは社会からお情けで席をもらってる状態なんです。既婚者……特に女性は、そういうお情けの席に当たり前のように座っているんですよ。それに疑問を持ってるんです。」
御子さんの言うことも一理ある。うちの会社がそうであるように、この国の社会はまだまだ男中心のシステムだ。
女が不自由なく働ける環境は整っていない。
子供が生まれれば、管理職になかなかなれない。
男は課長や部長になっても、子供が生まれれば異動させられる。
だから、管理職になりたくてもなれなかったり、家庭より仕事を優先させてしまう。
「御子さんはそれでは結婚したくないんですか?」
「私は、結婚はしなくてもいいと思いますけど、子供が欲しいんです。」
「子供?」
「はい。私は結婚しないで子供だけ産みたいんです。」
「シングルマザーということですか?」
「はい。その方が今の社会に合っていると思うんです。」
「でも、シングルマザーは大変ですよ。俺の母親もシングルマザーでしたけど、相当苦労していましたよ。お金や教育のことで。」
「確かに大変ですね。だから私は『全国新育児支援協会』に入会しています。」
「それって何ですか?」
「最近できた政府の団体です。シングルマザーを支援するための協会で、私はそこに登録しています。政府主導でシングルマザーをサポートする組織なんです。」
「はぁ、でも御子さんはお子さんはいないですよね?」
「ええ、いません。ですが、私は将来子供が欲しいんです。だから、『全国新育児支援協会』にサポートスタッフとして登録しているんです。」
「サポートスタッフ?」
「はい。登録されたシングルマザーの支援や、子育てのお手伝いをしています。まあ、スタッフみたいなものですよ。」
「わざわざ有志の人を雇っているんですか?」
「はい。協会はシングルマザー希望の人にサポートを呼びかけています。実際にベビーシッターをすることで、育児の大変さや親にとって子育ての意味を学べるので、とても勉強になるんです。私は今、ベビーシッターとして登録しています。」
「そうか。御子さん、今度の休日、一緒に協会のサポートに来ませんか? 力仕事もあるので男性が必要なんです。もちろん報酬も出ますよ。」
「え?」
「お願いします!」
俺は確かに休日は暇で、どうせなら小遣い稼ぎもしたいと思っていた。断る理由はなかった。
「ありがとう、山口さん。じゃあ、今度の土曜日によろしくお願いしますね。」
御子さんは嬉しそうに微笑んでいた。
そして土曜日、俺は御子さんと協会のサポートに行った。
そこはシングルマザーとして暮らす一軒家で、引っ越し作業の手伝いを頼まれた。
「すみません。いろいろな物を処分したいので、手伝ってもらえますか?」
家の持ち主である中年の母親が頭を下げた。
「分かりました。任せてください。こう見えて学生時代は引っ越しのバイトをしていたので、力仕事なら得意ですよ。」
「助かります。ありがとうございます。」
母親はそう言って再び頭を下げた。
作業を始める。2階のこたつや家電を運び出す。
御子さんは「私は2階で掃除機をかけてきます」と言って2階に上がっていった。
俺は休み休み運びながら、2時間かけてすべての荷物を運び出した。
そして、3人で一旦休憩した。
「やっぱり男性がいると助かりますね。」
母親はそう言って冷蔵庫からお茶を出して振る舞ってくれた。
そこで、協会について聞いてみた。
「私もシングルマザーだったので、協会の支援でだいぶ楽になりました。この協会のおかげで、ようやく安定した暮らしができたんです。」
「そうなんですか? シングルマザーは大変ですよね。」
俺は素直な感想を口にした。
「いえ、それだけじゃなくて、税制や社会保障が充実しているので、そこまで困らないんです。」
「どういうことですか?」
「『全国新育児支援協会』は、単にシングルマザーをサポートするだけでなく、女性の社会進出にも力を入れています。例えば、企業や政府に就職する際の優遇措置があったり、資格取得を支援してくれたりする制度があります。」
「へぇ、それはありがたいですね。」
「ええ。私もこの制度を利用して資格を取得したので、そこまで苦労せずに今の職場で働けています。」
「その制度は誰でも受けられるんですか?」
「はい、年齢制限もありません。18歳以上で健康な女性なら誰でも受けられますよ。私は35歳ですが、取得しました。」
「でも、父親がいなくて困ることとか、ありませんか?」
俺はふと思いついた疑問を口にした。
「まあ、なくはありませんね。でも、そういう場合も男性会員が駆けつけてくれるので、そんなに困ったことはないですよ。」
「男性会員もいるんですか?」
「はい。男性会員も何人かいて、みんな良い人ですよ。男性でも一人で子育てしたいって人もいます。そういう人にも協会はサポートしてくれるんです。」
休憩を終え、残りの荷物を運び出し、作業が終わった頃には夕方になっていた。
「お疲れ様でした。本当に助かりました。」
母親はそう言って頭を下げた。
「いえいえ、こちらこそ楽しかったですよ。」
御子さんは笑顔で答え、俺もそれに続いて礼を言うと、御子さんも微笑んだ。
協会から報酬を受け取り、家を出る頃にはすっかり夜になっていた。
「一杯、どうですか? 今日のお礼に奢らせてください。」
御子さんが俺にそう言った。
「あ、いいですよ。行きましょう。」
俺は御子さんと食事に出かけた。近くの居酒屋に入り、ビールを飲みながら話をした。
「今日は本当にありがとうございました。助かりました。」
「いえいえ、でも、明日筋肉痛になりそうですよ。」
俺は笑いながら言った。
「すみません。ちょっと山口さんに頼りすぎちゃいましたね。」
御子さんは頭を下げる。
「いいんですよ。それに俺もバイト代もらえましたし。」
そう言ってビールを一気に飲み干すと、御子さんもビールを飲み干していた。
飲み始めて2時間くらい経った頃、御子さんが言ってきた。
「これは決してお酒の席だから言うわけではないのですが……山口さんにお願いがあります。」
「なんですか?」
「私と子作りをしてくれませんか?」
「え? どういうことですか?」
「私……山口さんの赤ちゃんが欲しいんです。」
「いやいや、ちょっと待ってくださいよ……。」
俺は動揺していた。
「お願いします! 私に山口さんの赤ちゃんを産ませてください!」
御子さんは真剣だった。
「えっと……あの……。」
俺が言葉に詰まっていると、彼女は俺の手を握って言った。
「私、前にも言いましたけど、結婚はしたくないんです。でも、山口さんの赤ちゃんが欲しいんです。」
御子さんは真剣な眼差しで続けた。
「だから、私と子作りしてください!」
俺は彼女の目を見て本気だと分かった。しかし……
「いや……それはちょっと……だって俺には恋人もいますし……。」
「ええ、だから山口さんにはご迷惑をかけません。私、協会に入っているので、経済的にも問題ないです。」
「いや……そういう問題じゃなくて……。」
俺は混乱していた。
「お願いします! 一回だけでいいですから!」
御子さんはそう言って俺に抱きついてきた。彼女の胸が腕に当たる。
「なんでそこまでして……子供が欲しいんですか?」
「子供ができると支援が受けられる……というのは分かりますよね。」
「でも、それだけで子作りまでするんですか?」
「実は私は起業したいんです。前々から美術品の新しいタイプのオークション事業をしたいと思っているんです。」
「美術品のオークション?」
俺は聞き慣れない言葉に思わず聞き返した。
「はい。美術品を販売するだけでなく、美術品そのものに価値を見出すビジネスです。それが私の夢なんです。」
「その会社を作ろうとしてるんですか?」
「はい。そのためにも資金が必要です。結婚はできませんが、子供を産んで育てることで協会の支援を受けられれば、国からの支援も受けやすくなるので非常に有利なんです。もちろん、子育てにも興味があります。だから、山口さんの子供を産みたいんです。お願いします!」
彼女の胸が再び腕に当たる。
「ちょっ! ちょっと待ってくださいよ!」
俺は慌てて彼女を引き剥がした。彼女は悲しそうな顔をした。
「どうしてダメなんですか? シングルマザーに対して偏見があるんですか?」
「いや、そういうことはありません。今日、母親の方にお会いして、シングルマザーという生き方はマイナスなものじゃないって思いましたし……。」
「じゃあ、なんでダメなんですか?」
彼女は俺に詰め寄ってくる。俺は後ず - 後ずさりしながら答えた。
「……少し考えさせてください。」
「……分かりました。でも、私は諦めませんから。」
俺は家に帰り、御子さんのことを考えていた。確かに彼女は美人だし、スタイルも抜群だ。それに性格もいいし、仕事もできる。まさに俺の理想の女性だと思う。
これがプロポーズの話だったら、喜んで受けたと思う。
しかし、いきなり子作りの話だ。
確かに俺はシングルマザーについては理解している。そういう選択肢もあると思っている。
俺の母親は俺が小学校入学前に離婚し、シングルマザーとして俺を育ててくれた。
俺は小学校の高学年から、夜遅くまで働く母親に代わって家事を一通りこなしていた。
他の子供が遊んでばかりいる中、俺は一人働いていた。
まあ、不満といえば不満だったが、幼いながらに喧嘩ばかりする両親を見て、こんなに喧嘩するなら離婚した方がマシだろうと思った。
それに、シングルマザーの家庭なりの利点もある。
職場や学校でのしがらみを気にせず生活できるし、母親も子供の世話に専念できる。
俺の母親はそういうメリットを享受して俺を育てたのだ。
だから俺もシングルマ ADAMザーについては肯定的だった。しかし、いきなり子作りなんて話は想定外だ。
だが、俺は御子さんを尊敬しているし、魅力的な女性だとも思う。
正直、彼女に好意を感じている。琴葉という恋人がいるのに最低だと思うが、俺は琴葉に感じるものとは違う好意を彼女に抱いていた。
それは恋愛感情というより、崇拝や尊敬に近いものだ。
この気持ちは嘘じゃない。
でも、俺は琴葉と付き合っていて、そのまま子作りをすれば浮気になる。女を泣かせる趣味はない。
俺は考えをまとめた。
「俺と付き合ってください。」
仕事が終わり、御子さんを呼び出し、俺は言った。
「え?」
御子さんは驚いた顔をした。
「俺と付き合ってください。」
もう一度言った。
「……それは……どういう……。」
御子さんは動揺しているようだった。
「俺、御子さんのこと尊敬していますし、好きです。だから付き合ってください。」
俺は自分の気持ちを伝えた。
「……でも、山口さんには恋人がいるのでは……。」
「はい、彼女がいます。だから別れます。」
「私がお願いしたのは子作りですよ。」
御子さんが言った。
「はい、子作りです。でも俺は御子さんの単なる種馬として子作りする気は毛頭ありません。恋人としてなら、子作りも受け入れられます。」
「……。」
御子さんは沈黙した。
「御子さんは俺を夫としては見られないと言いますが、恋人としては見られませんか?」
「……まあ、確かに山口さんは私の中では恋人に近い存在です。」
「じゃあ、それでいいじゃないですか。俺と付き合ってください。」
「……分かりました。子作りをお願いするには、それぐらいの誠意がないと失礼ですものね。」
「じゃあ、付き合うってことですか?」
俺は聞いた。
「はい、よろしくお願いします。」
彼女は言った。
こうして、俺と御子さんは付き合うことになった。
琴葉と別れることになる。
「すまん、琴葉。というわけで、俺と御子さんは付き合うことになった。」
「うーん。」
琴葉は困った顔をしていた。
「聞いてみたけど、別に御子さんって人は静人との子作りが目的なだけで、好きでもなんでもないじゃん。」
「まあ、そうだな……。」
「つまり、御子さんは静人のことを好きじゃないってことじゃん。」
「まあ、そうだな。」
「それなのに付き合うの?」琴葉は厳しい口調で聞く。
「それに関してはすまんとしか言えない。でも俺は御子さんを尊敬してるし、異性としても好きだ。」
「ふーん……分かった。でも、別れる必要ないじゃん。」
「え? どういう……。」
「私と二股すればいいじゃん。」
琴葉はそう言った。
「え?」
「だって、御子さんが子供が欲しいだけで静人のこと好きじゃないなら、私としては問題ないじゃん。だったら二股でいいじゃん。」
「いや……それは……。」
俺は困惑した。
「なに? 嫌なの?」
琴葉は鋭い目で俺を見つめる。
「嫌じゃないけど、そんなことしたらお前にも御子さんにも悪いじゃないか。」
俺は言葉を濁す。
「まあ、そうだけどさ、御子さんと付き合うのもおかしいよ。」
「ああ、そうだな……すまん、自分勝手なこと言って……。」
「……いいよ。でもこの国は自由恋愛だから、静人を責める権利は私にはないし。惚れたのも私からだからね。」
琴葉は笑う。
「わ、分かった。それでいいならそうするよ。」
「でも、御子さんって人、そんなに静人の赤ちゃんが欲しいんだねぇ。」
「まあ、そうだな。でも御子さんだけじゃなくて、シングルマザーを希望する人は結構いるんだ。」
「まあ、わからなくはないわね。私も父子家庭で育ったし。」
「そうだったけ?」
「うん。小学校の時、母親が実家に嫌気がさして出て行ったからね。まあ、今の若い世代って、家族のしがらみがないと母親になれないのよね。」
「琴葉はシングルマザーになりたいのか?」
「ううん、そもそも子供はそんなに好きじゃないし。まだ母親になる年齢でもないしね。まあ、もう少し歳を取れば分かるようになるのかもね。」
琴葉は笑顔で言った。
「そうか。琴葉は結構先進的な考え方してるんだな。」
「私、学生時代に短期間だけど海外留学したからね。そこでいろんな人種や宗教の人たちを見てきたから。この国の既存の価値観にそこまで縛られる必要はないと思ってる。」
「なるほどな。でも琴葉のそういう考えは、俺は尊敬できるよ。」
「ありがと。だから、御子さんのことも尊重するわ。」
琴葉は真面目な顔で言った。
「そっか、ありがとうな。」