悠里ちゃんは〇〇なんてみとめない!【更新はしばらく停止】 作:八束祐
「はぁ…はぁ……っ!」
息は荒く体の震えがようやく収まるまで、紅葉ちゃんはそっと抱きしめていた。
マットの上で、私は紅葉ちゃんの腕の中で小さく縮こまる。
火照っていた体は、ようやく少しずつ落ち着きを取り戻し、熱が引いていくのを感じる。
「…ふぅ、だいぶスッキリしたみたいね、悠里」
そう言うと、私の髪をそっと撫でる。
いつもの少し生意気なトーンが戻りつつ紅葉ちゃんではあったが、その目はどこか優しく私を安心させるような光を帯びていた。
「しかしそれにしても面白い仕組みねこれ」
さっきの紅葉ちゃんが与えた刺激で浮き出た性印を見ながらマットの上に座っている。
「紅葉ちゃん…ごめんね。 こんな…恥ずかしいところを見せちゃって……」
まだ体の震えが完全には収まっていないが、ようやく思考が少しずつクリアになってきていた。
「なーに謝ってんのよ。 悠里がこんな風になっちゃうのって、なんか……ちょっと可愛かったし。 私からしたら役得よ」
紅葉ちゃんはそう言うと、軽く笑って悠里の額に指を当てる。
「ほら、熱もだいぶ下がったんでしょ? ちゃんと落ち着いた?」
こくりと頷き紅葉ちゃんの腕の中で小さく体を起こす。
体育倉庫のひんやりとした空気が、ようやく心地よく感じられるようになっていた。
しばらく無言で、マットの上で寄り添うように座る。
静かな空間に少し落ち着いた息と、紅葉ちゃんの穏やかな気配だけが漂う。
「紅葉ちゃん…ありがとう」
小さな声…しかし心からそう呟く。
紅葉は一瞬目を丸くするとすぐに照れたように笑った。
「いいって。 こんなの、幼馴染? いや友達として当たり前じゃん」
そう言うと私の肩を軽く叩く。
「でも、随分手慣れた手際の良さでしたわね?」
幼馴染があんなKATO FALCONさんもびっくりなテクニックを使うなんて信じられなかったわ。
すると紅葉ちゃんは苦笑いしながら頭を掻く。
「まぁ、あたしもあんたと会っていない間に色々あったってことよ」
そういいながら喋っている紅葉ちゃんはどこか寂しげだった。
「でもさ、次はこんなとこで倒れないようにちゃんと管理はしてよね。 びっくりしたんだから」
小さく笑い紅葉の言葉に頷いた。
体の熱はどうにか収まり心の中には紅葉への信頼とほのかな親愛の情が広がる。
「そうだそれよりも、制服どうしよう!」
ほんとに、これは接触事故って言うの?
いや、完全に巻き込んだのは私だけれど……私の『スプラッシュ攻撃』で、紅葉ちゃんを全身潮まみれにしてしまったのだから。
付け加えるなら、私もまた飛び散った汗とよだれ、そして得体は知ってるけど知れない潮が混じり合いって、これまた見事にびしょ濡れになっていた。
「ねぇ、まさかとは思うけど……着替え、持ってきてたりしないよね?」
今日の時間割に体育の文字はなかった。
それでも、奇跡を信じて尋ねるしかなかったのだ。
「おあいにくさまね。 そういうものは、あいにく持ち合わせがないんだなぁ…これが」
紅葉ちゃんは、やれやれといった風に大きく肩をすくめる。
それをみて思わず口から『Oh……』と情けない声しか出せずにいた。
この惨状を一体どうすればいいのか途方に暮れかけていた…その時だった。
「やれやれ、急に出ていって戻ってこないと思ったらこんなとこにいたのか」
振り向けば、いつの間にか部屋の扉がごく僅かに開いている。
そして、その隙間からすっと現れたの白衣を纏った大柄な女性――博士だった。
びしょ濡れになった私たちをちらりと一瞥すると、感情の読めない顔でしかし確信に満ちた声で告げた。
「どうやら、終わったようだな」
この惨状も、私の醜態ですらもすべて彼女の思惑通りだったとでも言うのだろうか?
その冷徹な言葉に私はただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
「あ~れ~? あんた確かうちのクラスの――」
紅葉ちゃんの声が、妙に間の抜けた響きで耳に届く。
その言葉を博士は涼しい顔で遮った。
「うむ……初めましてだな、女王陛下」
博士の言葉に目を剥く。
女王陛下? 紅葉ちゃんが? まったく意味が分からない。
「うむ、くるしゅうない。 良きに計らえ愚民ども」
紅葉ちゃんは、博士の言葉を面白がったように、フッと不敵に笑ってそう返した。
それを聞いた博士も「わっはっは!」と愉快そうに声を上げて大笑いする。
二人の間にだけ通じる妙な空気に、私はただ頭に疑問符を浮かべるしかなかった。
私の困惑に気づいたのか、博士は口角を吊り上げたまま語りだした。
「こいつはな、入学してたった3日で学園のありとあらゆる権力を手中に収めた女なんだよ」
紅葉ちゃんの悪行(としか思えない所業)ではあるけれど、その言葉には妙な納得感があった。
「いやいや、幼馴染の悪行や所業は気になるけど、それよりも助けて博士!」
私は紅葉ちゃんの肩を掴みながら、すがるような目で博士を見上げた。
この、汗と潮とよく分からない液体が混じった不快感はもはや限界だった。
「うむ、そうくるだろうと思って着替えを持ってきてやったぞ」
博士は、必死な訴えを予期していたかのように、白衣のポケットから何かを取り出した。
それは、私と紅葉ちゃん二人分の真新しい制服の替えだった。
「着替えるなら、さっさと体育倉庫から出るといい。 外で誰かさんが待ちくたびれているぞ」
その直後だった。
ドッ、ドンドンドン! と体育倉庫の扉が内側からではなく外から激しく叩かれる音が響いた。
「悠里ー! 紅葉ー! まだかかるかー?」
「ほら、早く着替えるわよ、悠里。 こんな格好で来夏に会うなんて冗談じゃない」
紅葉ちゃんはそう言うと、持っていた制服を私に押しつけ体育倉庫の奥物陰になっている場所を指差した。
急いで制服を手に取り、紅葉ちゃんに続いて物陰へ向かう。
「来夏ー! ごめんねー! もうすぐ終わるからー!」
紅葉ちゃんが、外の来夏に向かって大声で叫ぶ。
「わかった!」
陽気な来夏の声が返ってくる。 私はその声を聞きながら、濡れた下着を脱ぎ捨てた。
ひんやりとした体育倉庫の空気と、新しい制服のパリッとした感触が心地よい。
先ほどまでのべたつきや不快感が嘘のように消え去っていく。
着替えを終え、二人で顔を見合わせる。
紅葉ちゃんもさっぱりとした表情で、いつも通りの不敵な笑みを浮かべていた。
「よし! 完璧ね。 さ、行くわよ悠里」
紅葉ちゃんはそう言うと、私の手を引いて体育倉庫の扉へと向かった。
博士は私たちを一瞥すると、また何事か呟いている。
ギィ……と音を立てて扉がゆっくりと開く。
「ごめんねー来夏!」
慌てて体育倉庫から一歩踏み出した、その時だった。
カツンと足元に何か硬いものが転がっていたのだろう。
紅葉ちゃんの足がそれに乗り上げて体が大きく前のめりになった。
「きゃっ!」
「危ない!」
短い悲鳴と共に、紅葉ちゃんは目の前にいて、助けに入った来夏めがけてそのまま突っ込む形になった。
ドスッ!
鈍い音が響き、紅葉ちゃんの顔が来夏の胸元に埋まる。
しかし、その体勢で紅葉ちゃんの右手が不自然なほど膨らんだ来夏の股間。
大事な部分をモロに掴んでしまったのだ。
ピタリと時間が止まったかのような沈黙。
紅葉ちゃんの顔が、来夏の制服の胸元からゆっくりと持ち上がる。
彼女の目が見開かれ、可愛い顔が、見る見るうちに青ざめていく。
まるで、この世の終わりのような光景を見たかのように。
「は……は……」
紅葉ちゃんの口から、泡のような声が漏れる。
その瞳は、来夏の股間に向けられたまま一点を見つめていた。
次の瞬間、紅葉ちゃんの顔からまるで血の気が全て失われたかのように真っ白になった。
そして、その顔がみるみるうちに歪んでいく。
「はぁぁぁあっ!?」
体育館中に響き渡る文字通りの絶叫!
それは悲鳴であり、この世の全てを呪うかのような、まさに『発狂』の叫びだった。
「あ、あんた、男だったの!? う、嘘でしょ!? あたし、今、男のっ……男の『それ』を触ったの!?」
そういえば知らないんだった!?と思ってももう遅いのだ。
「この、このクソ野郎おおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
紅葉ちゃんは、来夏の股間を掴んだままの手を勢いよく振り払い。
まるで汚いものでも払うかのように何度も何度も空中で振るった。
そしてその場に来夏を置き去りにして、再び体育倉庫の奥へと逃げ込むように走り出し、頭を抱えてしゃがみ込み、体育倉庫の床をばんばんと叩き始めた。
その様子は、もはや『発狂』としか言いようがない。
体育倉庫の奥で、そんな紅葉ちゃんの様子を眺めていた博士は、腕を組み、満足そうにフッと笑みを漏らした。
「うむ。 良い反応だな! 性差というものは、かくも強烈な刺激となり人間の心に深い刻印を残すな! 素晴らしいデータがとれたぞ!」
博士は、まるで学術的な興味の対象であるかのように無感情な声で呟いた。
紅葉ちゃんの猛烈な発狂と博士のコメントに、ただ居心地悪そうに視線を泳がせている来夏。
「これ来夏悪い?」
来夏の困惑した問いかけに、私は小さく息を吐いた。
「しいて言うならタイミングかな……」
戸惑う来夏に対しそう答えるしかできない私。
紅葉ちゃんの悲鳴がまだ響き続けていた。
今日の出来事が、彼女の心に深くそして一生忘れられない傷を残したことは疑いようがなかった。
そして、私の日常は……今、完全に非日常に飲み込まれたことをはっきりと悟ったのだった。