※この作品はR-18です。

Holo Quest   作:轟th

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・双盟特許状
 世界で唯一無二の公的私掠海運許可証。
 共和国と帝国が連名して発行した代物であり、末尾には両国の印が厳かに捺されている。これを持つ船は生存率が限りなくない暗黒海路における貿易と物流の独占権、及び違法海賊船を武力で排除する特権が与えらえる。
 羊皮紙のスクロールには偽造防止の魔法が掛けられており、世界に一通しか存在しない。一船の主である女船長に、一国に匹敵する武力と富を保証する最強の盾である。


では、本編をどうぞ。


scene.35

「この先です」

 

 翌日、東の空が僅かに白み始めてた頃。

 勇者たち一行はマリンの案内の元、入り江の洞窟へと続く細道を進んでいた。海に面した削りだされたような高い崖の側面を這うように、道幅が人一人が通るのがやっとの狭い未舗装の路をゆっくりと進んでいく。足元の岩肌の欠片がパラッと崩れれば、遥か下にある荒れ狂う波へと呑み込まれて消える。思わず下を見下ろしてしまえば、吸い込まれるような錯覚が彼らの足を竦ませる。

 

「落ちたらと思うと、恐ろしいのである」

「バクニ、足元は見ない方が良いぞ」

「わ、分かっているのである」

 

 最後尾にいるバクニは、声を上擦らせながら答える。

 先頭を道案内するマリンが牛歩のようにゆっくりと進み、その後をフブキ、ミオ、デュラハンの順で続いていく。なお、この地点は港町から歩いて半刻程で辿り着けるばしょにあるので、おかゆは何かあった際に駆け付けられるように町で待機してもらっている。

 

「ほ、宝鐘さん。後どれくらいですか?」

「待ってください。後もうちょっとで……あっ、抜けた!」

 

 そうこうしているうちに、マリンの視界が開けてくる。

 今まで通っていた狭い道から一転してある程度の広さのある洞窟内へと入れたことで転落の心配はなくなったが、流石に一カ所に五人も集まると少しばかり手狭く感じてしまう。バクニなど軽くジャンプしただけで天井に頭をぶつけてしまう程である。

 

「それで、ここから後どれくらいなんだ?」

「はい。このまま道なりに洞窟を進んでいけば、開けた空間に出られます。船舶は比較的浅瀬の部分に停まっていて、岩肌を沿って歩いて行けば甲板に直接乗り込むことが出来ます」

「よし。なら改めて、今回の作戦の第一目標はセイレーンの撃破だ。奴らの歌声さえ何とか出来れば船員たちも正気を取り戻し、船を出航させることも出来るようになるだろう」

「あれ? でも船って帆に風を受けて進むんだよね? こんな洞窟内で動けるの?」

「あっ、それなら大丈夫です。ジャックが動けるようになれば、船は簡単に沖に出せるので」

 

 ミオの疑問に、マリンがそう答える。

 もしやジャックなる人物は、魔法を使うことが出来るのかもしれない。

 

「出航できるなら、直ぐにでも洞窟を出よう。わざわざ巨大生物と戦う必要はないからな」

「むぅ、残念なのである」

「じゃあ全員、ここからは耳栓をするぞ。互いに声も聞こえなくなるから、周囲への警戒は各々怠るな」

 

 事前に準備していた耳栓を、全員が装着する。

 周囲を警戒しながら洞窟内を道なりに進んでいくと、突如として視界が開けて周囲が明るくなる。見上げればどうやら天井部分に穴が開いており、そこから差し込む月明かりにより照らされていたようだ。これなら松明などで片手が塞がる心配はなく、また広間全体を見渡すことが出来た。

 広間は天井こそ空いているがドーム状の形状となっており、見上げる天井は遥か五十メートルは上にあり、薄っすらと無数の鍾乳石の牙を生やしていた。右手を見れば壁沿いに伸びる天然の石畳のような岩肌があり、少し進んだ所でおそらくはマリンの愛船と思しき船舶が、まるでドック入りするかのように横付けされていた。多少は距離は離れているが、側にある岩から飛び移れば甲板に乗り移れそうではあった。

 デュラハンが全員にジェスチャーで前進を伝え、足音を立てないように岩肌を沿うように歩いていく。

 そして一人、また一人と順番に甲板へと飛び移る。

 

(……弱っているな)

 

 甲板には何人もの船員と思しき男たちが、倒れているのが分かる。

 近付いて様子を窺えば全員息はしているが、おそらくここ数日ろくに食事も取っていないせいで衰弱しているのだろう。これでは解放したところで直ぐに動くことは出来ず、船を動かすことすらままならないかもしれない。そもそも衣服すらまともに身に纏っていない状態から察するに、どうやら既に精を搾れるだけ搾り取られた後のようだ。

 

(だが、とりあえずの目標は変わらないな)

 

 そう考えつつ、デュラハンが全員に合図を出そうとした瞬間だった。

 何処からともなく、この洞窟内にはあまりにも場違いなハープの音と、この世のものとは思えない美しい歌声が反響する。視線を声のする方向へと向ければ、甲板から見える海面から突き出た暗礁の上にはいつからか美しい裸の美女の上半身を持つ魔物――セイレーンがおり、そこから謳っているのが確認できる。セイレーンの数は三体、その内の一体がハープを奏でている。

 

 種別:チャーム・セイレーン 種族:人魚 危険度:Ⅱ

 体力:822 魔力:3288 総合戦闘力:4110

 

 

「……っ!」

 

 耳栓をしているので、本来は何も聞こえない筈であった。

 ただそれは、普通の音だけに限られ、セイレーンの歌声はそんな安っぽい守りなど容易く貫通して勇者たちの精神を侵食していく。どうやら歌声には魔力が込められていたらしく、耳からではなく全身から影響を受けてしまうらしい。道理で誰一人としてセイレーンの誘惑に抗うことが出来ず、魅了された末に魔物の餌食となってしまう訳だ。これでは全聾の者でも例外ではないだろう。

 

(まずい、な……)

 

 デュラハンは魔物としては圧倒的な強者だ。

 故にこの程度の魅惑に屈するような精神力ではないが、人間である勇者たちはそうではない。特に五感が優れるフブキとミオは歌声に魅了されたのかフラフラとした足取りであり、マリンはその場にしゃがみ込んで耐えているのが精いっぱいであった。因みにバクニと言えばもろに術中にはまっているようで、その瞳から光は失われてぼーっとしている。

 

「……仕方ないか」

 

 このままでは勇者一行は全滅してしまう。

 デュラハンはやむを得ず、幾つかの風の刃を生み出すと、セイレーンに向けて解き放つ。女性ならいざ知らず、魅了状態にある筈の男が抵抗して魔法を放ってくるなど普通はあり得ないので、後で仲間たちには何とかしようとしたら無意識に放っていたとでも説明しておかなければならない。

 それは兎も角、放たれた真空の刃は的確にセイレーンの肉体を傷付ける。

 

「きゃああああああっ!!」

 

 身体を切り裂かれたセイレーンは、甲高い悲鳴をあげながら海へと逃げ込む。

 それにより歌声が途切れ、精神汚染を受けていたフブキたちも正気を取り戻していく。

 

「――……あ、あれ? 私、どうして…」

「うぅ、まだ少し頭がぐわんぐわんします」

「おーい、バクニ。大丈夫か、起きろー」

 

 自分の分の耳栓を外しつつ、バクニの頬を叩く。

 デュラハンの様子を見て大丈夫と判断したのか、フブキたちも同じように耳栓を外す。

 

「―――はっ! 小生は何を」

「一先ず耳栓を外せ、もう必要ないから」

 

 正気に戻ったバクニにジェスチャーで伝える。

 全員が耳栓を外したのを確認して、デュラハンは全員に現状の説明を簡潔にする。

 

「全員、体験したことで分かったと思うが、耳栓では何の意味もないことがわかった。幸いにもセイレーンは攻撃を受けたことで逃げたが、おそらく一時的なものに過ぎないだろう。だから今の内に船を出航させて、この洞窟から脱出してしまおう」

「あのくさんは、大丈夫だったんですか?」

「いや、影響は受けていたんだが、どうやら無意識に魔法を撃っていたらしい」

「そんなこと、あるんですか?」

「さてな。それより宝鐘さん、早いところジャックとやらを起こして船を出させてくれ」

 

 これ以上聞かれても面倒なので、マリンを促す。

 流石に状況が状況だけに、誰も追及してこようとはしてこなかった。

 

「分かりました!」

 

 マリンは返事をすると、倒れた部下の方ではなく、船首へと駆けよっていく。

 何をするのかと全員が見守っていると、彼女はそこから海面に向けて大きく声を張り上げる。

 

「ジャック! ジャック、起きなさい! 出航の時間よ!」

 

 全員が固唾を飲んで見守っていると、変化は直ぐに訪れた。

 何か大きな影が海面へと近付いてきて水を盛り上げ、やがてザザーッと大きな水飛沫を上げながら浮上する。

 

「ギャーオ!」

 

 名前:ラフネック・シードラゴン 種族:海竜 危険度:Ⅲ

 体力:6138 魔力:2630 総合戦闘力:8768

 

 

 そう鳴き声をあげて、姿を現したのは緑色の鱗をした巨大な竜だった。

 思わぬ存在の登場に勇者一行は誰もが言葉を失くし、その様子にマリンは悪戯が成功した子供のように微笑む。

 

「この子がジャック、あたしの相棒で、掛け替えのない家族です!」

「えっ……魔物?」

「ちょっと! うちのジャックを、魔物なんかと同列にしないでください!!」

 

 ミオの発言に、マリンは反発する。

 そうは言われても初めて目にする巨大な竜を前に、魔物だと思っても仕方のないことだった。ただ、マリンにとってはどうやら大事な存在らしく、他人からそう言われるのは嫌な様子だ。

 

「ご、ごめんなさい」

「ほう、シードラゴンか。珍しいな」

「ガウゥ♪」

 

 おもむろに船首へと進んだデュラハンが、ジャックの鼻先を撫でる。

 ジャックも満更ではないのか、嬉しそうに喉を鳴らす。

 

「……吃驚です。ジャックがあたし以外に、それも初対面の相手に気を許すなんて」

「あ、あのく君。そんな不用心に触って大丈夫なの?」

「自分に敵意がないって分かってるんだろう。賢い子だ」

「そんなに大人しい子? なんですか?」

「いや、シードラゴン自体は気性が荒いからな、海の荒くれ者なんて呼ばれてるぞ」

 

 そう説明しながら、まるで近所の犬を撫でるかのようにデュラハンはジャックに接する。言ってる内容とやっている内容が噛み合わなさ過ぎて、仲間たちも困惑した表情を浮かべている。

 因みにジャックが大人しくデュラハンに撫でられているのはマリンと一緒に居ることで人に慣れているから、というのもあるが、それ以前にデュラハンから発せられる人ならざる者の気配を本能的に察しているからだ。例え指輪の効力により力を抑えられていても、デュラハンが遥か格上の魔物であることはジャックにも十分に伝わっていた。

 

「って、そんな和んでる場合じゃなかったんです! ジャック、今すぐ船を――」

 

 出航させて、と指示を出そうとした矢先。

 洞窟から外洋へと通じる唯一の出口の前、底なしの藍色の深淵から何かがゆっくりと姿を現す。

 

「ヴォ、オ、オ、ォ、ォン……」

 

 それは生物の鳴き声というより、深海の底で大陸が軋むような地鳴りだった。

 ぬうっと起き上がってくる姿は生物というよりは、首のない、あるいは目鼻立ちの潰れた巨大な人間の泥人形のようであった。

 

「ひぃぃぃっ! なになに、何なの!?」

 

 そのおどろおどろしい見た目に、ミオがパニックを起こしたように叫ぶ。

 全員が臨戦態勢に入る中、デュラハンだけがその異様な魔物を前に落ち着きを払っていた。

 

「ああ、宝鐘さんが見た大きな影ってこれのことか」

「あのくさん!! あれって何なんですか? 魔物なんですか!?」

「……何だろうな?」

「知らないんですか!?」

 

 デュラハンは何でも知っていると思っていたフブキは、思わずそう叫ぶ。

 確かに彼は自身が魔物だけあって多種多様な魔物のことを知識として知っているが、その全てを網羅している訳ではない。当然のことながら魔物の全てが魔王の軍勢という訳ではないので、その傘下に加わっていない魔物のことまでは把握していない。

 

「ゴ、ボ、オォォォ、ォ、オ……」

 

 などと呑気に話していれば、ゆっくりと魔物は勇者一行の方へと身体を動かしてくる。

 ざぱぁ、ざぱぁ、と水をかき分けながら徐々に迫ってくる魔物の姿は、明らかに異様で異質で危険な存在だ。

 

「どうしてセイレーンと共存してるのかと思ったが、あの様子だと俺たちは餌と思ってるようだ」

「冷静に分析してる場合じゃないですよ! 何か打開策はないんですか!?」

「そもそも生物として何なのか分からんからな。何が効くのかよく分からん……が、やれるだけやってみるか」

 

 一先ず、近寄られる前に攻撃をしてみる。

 先ほどのセイレーンに向けたのと同じ風の刃を放ってみれば、見えない斬撃は確かに命中してその巨体を切り裂く。生物で言えば肩口辺りを切られたというのに出血はなく、おまけにダメージを負った様子もなく近付いてくるのを止めない。

 

「えぇっい! あっち行ってよ!」

 

 続いて、ミオが火球を放つ。

 こちらは魔物の顔面に命中するが、先程と同じように表面のみが軽く焦げた程度で効いている様子はない。

 

「き、効いてない!?」

「魔法への耐性が高いのか……いや、それにしては痛みも気にしてないか?」

「なら、これならどうです! ジャック、ブレス攻撃!」

「きゅぅんっ!!」

 

 大きく息を吸い込むように首を仰け反らせ、そして高水圧のブレスを吐き出す。

 さながら巨大な鉄柱か、城門を破る破城槌の如き質量の塊となって射出された高圧の水流は狙い違わず魔物の左胸へと直撃する。その貫通力は魔物の肉体を貫き、向こう側が見える状態となったが、やはり傷を付けるだけで終わる。あれほどの一撃を受けてなお、やはり痛みを感じている様子はない。

 

「そ、そんな……ジャックのブレスも効かないなんて!?」

「おかしいよ! ウチたちの攻撃ならいざ知らず、身体を貫かれたのに平気なんて……」

 

 そして遂に魔物が船に張り付く。

 魔物は片方の手を伸ばし、船のマストを鷲掴みにすると圧し折らんと力を込めていく。マストは丈夫なので一瞬で折れるということはないが、込められる力にミシミシと悲鳴を上げている。このままいけば折れるのも時間の問題だ。

 

「は、離れなさい!」

「ぬおおおっ!」

 

 マリンは舶刀、バクニが戦斧でその腕を斬り付ける。

 ろくな抵抗もなくザクッと腕を両断することが出来るが、傷口からの出血はなく、そして何事もなかったかのように切断面が結合して元に戻ってしまう。しかもそのままマストを握り潰そうとすることも止めない。

 

「だ、駄目なのである!」

「こんな魔物、聞いたことも見たこともありませんよ!!」

 

 攻撃が通じている様子はない。

 ただ痛覚はなくとも鬱陶しいと思う感覚はあるのか、甲板に居る面々を叩き潰そうと残った手を振り下ろしてくる。

 

「危ない!」

 

 咄嗟にフブキが前に出て、眼前に迫る手目掛けて聖剣を突き出す。

 これまでのことを考えれば攻撃するのではなく回避が最善であり、このまま聖剣もろとも押し潰されてダメージを負っていただろう。だが、今回に限り今までと違う出来事が起こった。

 

「ボ、オォォォ、ォ、オッ!!!」

 

 魔物はマストを掴んでいた手も放し、その巨体を仰け反らせるように距離を取る。

 想定外の光景に、誰もが呆気にとられる。

 

「えっ……何で?」

 

 傍から見れば、フブキは普通に聖剣で刺したようにしか見えなかった。

 ただ一人、デュラハンだけは魔物の性質を理解した。

 

「おそらく、あの魔物の正体は死霊だ」

「し、死霊って……オバケってコトォ!?」

「確証はないが、こいつは普通の攻撃は通じないのに、聖剣にだけ過敏に反応を示した」

 

 実体がないからこそ、あらゆる物理攻撃が効果がなかったのだ。

 死霊とは、未練を持って死んだ魂が現世を彷徨い、やがては黒く染まった末に魔物と化したものだ。これを払うとなれば神官か聖水を用いるのが一般的だが、これほど巨大ともなれば普通の手段では浄化することは不可能に近い。

 デュラハンたちは知らないことだが、この魔物は海で命を落とした水夫や船乗りなどの怨念の集合体なのだ。実際に見えている巨体の八割が、海洋生物の死骸をより集めて作られた義骸。

 

「神官なんて、こんな場所に居ませんよ!?」

「ああ。だが幸いなことに、俺たちには勇者であるフブキさんがいる。聖剣があれば、退けることは出来る」

「退ける? 倒すんじゃないんですか?」

 

 聖剣が有効なら倒せばよいのではと、マリンは疑問を口にする。

 

「正確に核を貫ければ倒せるだろうが、あれだけ大きいとそれも難しい。俺たちの目的は船員と船を盗り返すことだ」

「あのくさん、私はどうしたら良いですか!?」

「フブキさんはとにかく、アイツが手を伸ばして来たら聖剣で払ってくれ。宝鐘さんは出航の準備を、その手伝いをミオさんはやってくれ。俺とバクニは今の内に倒れている船員を船内に避難させよう。万が一にも海に落ちたら厄介だからな」

「分かりました!」

「承知!」

 

 各々が、自分の役目を果たすべく動き始める。

 魔物は再び近付いてきて手を伸ばしてくるが、フブキが聖剣を構えると、先程の衝撃からか船に掴み掛ることも出来ずにおっかなびっくりになっている。フブキが時間を稼いでいる間に、バクニとデュラハンの二人は動けない乗員を船内の安全そうな場所に運び込み、ミオはマリンと一緒になって下ろされた錨を巻き上げるべく前部甲板にてキャプスタンに木の棒を差し込んで回していく。

 

「ふっ、ぎぎっ……!」

「どっせい」

 

 かなりの重労働であったが、女性二人は何とか作業を続ける。

 二人の足元からはカチ、カチ、カチと逆転防止の爪車が小気味いい音を立てながら錨は巻き上げられていき、男性陣が運搬を終える頃には何とか錨が格納される。再び海に落ちないようにロックを掛けたところで、ようやく二人は苦労から解放される。

 

「っはぁ。疲れたぁ~」

「ジャック! 船を出してください!」

「ぎゅいっ!」

 

 マリンは舵輪の前に立ち、ジャックへと号令を出す。

 ジャックは元気よく答えると、海面から出していた顔を海中へと戻すと泳ぎ始める。それにより胴体に装着された専用の胴輪、そこからそこから伸びる曳航用の極太ロープが引っ張らさり、頑丈な固定具で繋がれた船首が遅れて引っ張られる。いきなり全速力ということはないが、船体は洞窟内から出るためにゆっくりと動き出す。

 それを阻止せんと魔物は手を伸ばしてくるが、素早さではジャックの方が秀でていたので指は空を切る。

 

「よしっ、ジャック! そのまま洞窟から出なさい!」

 

 舵を取るマリンは、そう指示を出す。

 本来なら海中にいるジャックにまで声は届くことはないが、彼女が身に着けている耳飾りは海竜の首の下に一枚だけ逆向きに生えているという、触れられれば激怒する伝説の部位「逆鱗」を加工して作られた世界で一つだけの代物だ。これによりマリンの言葉はジャックに届き、ジャックが察知した異変はマリンへと伝わる。

 尤も、潜航中はジャックの声も聞こえないので、マリンが独り言を言っているようにしか見えないが。

 

「出られましたよ!」

 

 何は兎も角、一頭と一隻は洞門を抜けて外の世界へと躍り出る。

 このままぐるっと弧を描くように洞窟のある崖沿いを迂回すれば、正面には見晴らしの良い平野と港町が見えてくる。

 ただ、何事もなければの話だが。

 

「ぼおぉ、おぉぉ、ぉぉん……!」

 

 不気味な呻き声が、広々とした入り江内に響く。

 全員が洞窟の方へと振り返れば、洞門が通れないのか魔物がそこから手を伸ばしているのが見える。おそらく洞窟内の何処か別の場所から潜れば外へと出れるのだろうが、今は冷静ではないのか何とか洞門から出ようと足掻いているようだ。少しすると手が引っ込んでいったので諦めたのかと思いきや――。

 

 

 

 

 

 ――ゴバァァァンッ!!

 

 地鳴りと共に入り江の岩壁が内側から爆散し、家ほどもある巨岩の破片がバラバラと海面へ激しく崩れ落ちた。船舶の全幅すら上回る漆黒の巨躯が、通り抜けられないはずの狭い岩肌を力任せに粉砕し、強引に外洋へと躍り出てきたのだ。砕け散った無数の岩屑がバラバラと眼下の荒海へ激しくこぼれ落ち、波飛沫を上げる。土煙の向こう側から、ぬぅっと巨躯が姿を現す。

 

「………う、嘘でしょ?」

「ぬぅ、何という力技であるか」

 

 あまりの光景に、誰もが呆然とする。

 そんな中、マリンはデュラハンの方へと振り返って意見を求める。

 

「あのくさん、これからどうしますか? 逃げられると思いますけど」

 

 恐らく、あの魔物はこの船を追ってくるだろう。

 逃げ足という点においてはジャックの方が先に港町まで辿り着けるだろうが、その後を魔物まで町まで来てしまっては大混乱になる。大きい街なら魔物が襲来しても迎撃できる準備は整えているだろうが、あの港町にはそこまでの装備は用意されていなかった。尤も、備えられていたとしても、あの大きさの死霊が相手では何ら意味をなさない。

 

「ここで倒しましょう」

 

 そう宣言したのは、フブキだった。

 彼女も自分たちの置かれた状況を正確に理解し、あの魔物を野放しにすれば後々の厄災になることを危惧したのだ。

 

「で、でもどうやって倒すの? フブキの聖剣でも、難しいんでしょ?」

「うーん……分かんない」

「いや、分かんないって……仕方ないなぁ」

「あはは。ごめんねぇ、ミオ」

「小生としては世の為ならば、魔物を一匹でも多く屠れることに賛成である」

「あたしとしても、逃げるのは性に合わないから付き合いますよ」

「と言う訳で、あのくさん。何か策はありませんか?」

「結局、俺だよりかい……策ねぇ」

 

 こういう時はリーダーが意見するんじゃないのかよと思いつつ、デュラハンは考える。

 普通の死霊ならいざ知らず、あの魔物が相手では真っ当な手段では太刀打ちできないのは嫌でも理解できた。デュラハンが本来の力が発揮できる状況であれば、小細工抜きの魔力の放出による一撃で何もかも全てを消し飛ばす選択をしただろう。ただ、もし本当にそんなことをすれば魔物だけでなく周囲も巻き込んで灰燼と化すだろう。

 だからこそ、絶対にそんな方法は取れない。

 

(この状況で使える手札、か)

 

 腕を組みながら、顔を上げる。

 白んでいた空は洞窟突入前より明るくなってきてはいるが、まだ日の出には至っていない。

 

「宝鐘さん、日の出まで後どれくらいか分かるか?」

「え? そうですねぇ、この感じだと後三十分……いや、位置関係を考えれば朝日が見えるのは一時間後ですね」

「一時間……まぁ、何とかなるか」

「何か思いついたんですか?」

 

 フブキが問えば、デュラハンは全員の方を向き直る。

 

「死霊を倒す方法は神官を連れてくるか、聖水を掛けるのが一般だが、実はもう一つだけ誰しもが実施できる方法がある」

「それは?」

「陽の光を浴びせることだ」

「日……お日様、ですか?」

 

 どうして太陽の光で死霊が倒せるのか分からず、フブキは首を傾げる。

 ここで小難しい理論を講釈している余裕はないので、出来るだけ簡潔に説明をする。

 

「多分、ミオさんみたいに魔法職の人なら一度は見聞きしたことがあると思うが、この世の万物は須らく『秩序』『中立』『混沌』のいずれかに属している」

 

 『秩序』とは、創造・光・生・理性。

 『混沌』とは、破壊・闇・死・狂気。

 『中立』とは、調和・無・不朽・本能

 

「肉体で言うならば生が勝れば肉に覆われ、死が満たせば骨となる」

「うん、ウチも先生から同じようなことを教わったよ。秩序と混沌が相克関係にあって、中立はその枠から外れた位置に居るって」

「そして死霊は混沌に属し、故に真反対に位置する秩序――光には滅法弱い。太陽の直撃を受ければ、瞬く間に焼かれ消滅する」

「オバケが夜にしか出現しないのと同じ理由であるか?」

 

 説明を聞き、バクニなりに要約する。

 全てにおいてそうという訳ではないが、あながち間違ってはいないので訂正はしないが。

 

「という訳で、宝鐘さん。適当に距離を取りながら回遊を――」

 

 してくれと言う直前、彼らの乗る船から少し離れた海面に何かが落ちる。

 大きな水飛沫が上がり、その振動は波紋となって船体を揺らす。

 

「うわあっ! 急に何事ですか!?」

「あれを見てください!」

 

 全員が困惑する中、マリンが魔物の方を指さす。

 顔を向ければ船舶との距離はかなり離れていたが、魔物は先ほど自分が破壊した洞窟の破片――大岩の一つを掴むと無造作にこちらに向けて投擲してくるのが見える。狙いもへったくれもないので放たれた大岩はまた、船体から十メートルは離れた地点に落ちて大きな水柱を上げる。ただ命中すれば一溜りもないのは明白であり、更には何処に落ちてくるのか分からないのが逆に厄介ではあった。

 

「投石とは、考えたのであるな」

「感心してる場合じゃないよ! あんなの命中したら一巻の終わりだよ!!」

「いや、普通の船舶なら回避は困難だろうが、この船ならそう難しくないだろう。見てから避けるも出来るだろうな」

「はいっ! あたしとジャックなら、あんなの屁でもないですね!」

「……あれだけならな」

 

 意味ありげに、デュラハンが呟く。

 どういうことかと訊ねようとすると、彼は無造作に杖を構える。

 

「風よ、刃となりて断て」

 

 放たれた風の刃は一直線に飛び、今まさに船に乗り込もうとした魔物を切り裂く。倒れた魔物はそのまま海に転落するが、次々と別の個体が海から飛び出しては船体に取り付いてくる。

 

「ぬっ、敵襲であるか!!」

「こいつら、さっきのセイレーンとは違うみたい!」

「サハギンだ。こいつらは近接戦が得意だ。気を付けろ!」

 

 種別:トライデント・サハギン 種族:魚人 危険度:Ⅲ

 体力:5179 魔力:575 総合戦闘力:5754

 

 

 セイレーンが遠距離タイプならば、サハギンは完全な近距離タイプの魔物だ。

 トライデントの名の通り、鋭い三叉槍を武器として集団で狩りを行うことで知られている。

 ただ、厄介なのはそこではない。

 

「ちょっ、なんで船の上に普通に上がってきてるんですか!?」

 

 フブキは困惑した様子で叫ぶ。

 殆どの水棲魔物は海洋生物と生態は同じエラ呼吸なので海中から完全に出てくることはないのに対し、サハギンはそれに合わせて皮膚呼吸も持ち合わせているので地上でも問題なく活動できる。とは言っても鱗や皮膚が乾いたら呼吸が出来なくなり死ぬことに変わりはないが、少なくともこの甲板上で呼吸困難に陥ることはないだろう。

 

「口を動かす暇があれば、倒すことに集中するんだ!」

「はっ、はい!」

「ぬおおっ! 一匹たりとも逃がしはせぬ!!」

 

 フブキとバクニは、それぞれ武器を手にサハギンの相手をする。

 総合戦闘力もさることながら、これまで数多の強敵を倒してきた二人ならばサハギン程度なら然程苦労することなく対処は容易であった。

 

「あっち行って!」

 

 ミオも負けじと、マリンの側で魔法を放つ。

 ただ場所が場所なだけに、得意の炎ではなくデュラハンに習って風の刃を飛ばしている。 魔法への耐性もそれほど高くないのか、切り裂かれたサハギンが何体も海へと落ちていくが……。

 

「ちょっと、キリがないよ!?」

 

 そう、先程から何体も倒しているのに、サハギンは次から次へと現れる。

 サハギンの最も厄介なのは水棲魔物なのに陸上に上がることでも、武器を使ってくることでもなく、自分たちの命を全く顧みないことにある。「一つの群れが一匹」という考えを持ち、各自が盾や捨て駒になることを厭わず、倒しても倒しても海から現れるので、例え戦力的に相手が上回っていても徐々に体力や魔力を削り、最後に同胞の誰かが勝てばそれで良いのだ。

 

「しっかり守ってくださいよ! あたしがやられたら、操舵する人がいなくなるんですから!!」

 

 船を引っ張ってるのはジャックだが、投石の落下地点を予測しては右へ左へと回避する指示を出しているのはマリンだ。彼女が万が一にもやられてしまっては、幾ら狙いが滅茶苦茶でも岩石が掠めて沈没する恐れがあるのだ。

 

「ぬぅ、いつまで続くのであるか!?」

 

 船内に居る動けぬ乗組員を守るため、バクニは出入り口での前で侵入を防いでいる。

 下手に身動きが取れない彼の強靭な肉体にも、徐々に手傷が増え始めている。

 

「これで、何体目……」

「っ……」

 

 フブキは甲板上を動きながら戦っていたが、いつまでも続く猛攻に徐々に体力は落ちていた。

 そして魔法で応戦していたミオもまた、魔力はまだ余裕があっても集中力は確実に尽きようとしていた。

 

「ええいっ! 邪魔です!」

 

 マリンも片手で舵輪を操りながら、迫るサハギンを舶刀で切り裂く。

 ただ異なる動作を同時に行おうとすれば、片方の動きは疎かになるのは当然のことであった。

 船の直ぐ側に落ちてきた投石により発生した津波が船体を大きく揺らし、全員が咄嗟に倒れぬようにバランスをとる。

 

「ぬっ! いかん!!」

「――っ!」

 

 その隙を狙ってサハギンの一匹が飛び込んでくる。

 バクニだけがその事実に気が付いたが、死角から迫られたフブキは反応が一瞬遅れてしまう。それでも咄嗟にサハギンの喉元へと聖剣を突き立てるが、止まるどころか逆に更に加速し、勢いをそのままにフブキに体当たりを繰り出す。そして避けられない彼女もろとも、舷しょうを突き破ってそのまま海へと落下する。

 

「ふ、フブキィィィッ!」

 

 咄嗟にミオが手を伸ばすが、その距離はあまりに遠く届かない。

 互いの手は空を切り、サハギンにしがみ付かまれたフブキは敵もろとも海へと落ちていく。

 

 

 

 

 海へと落とされたフブキだが、彼女は慌てていなかった。

 相手のテリトリーに引きずり込まれたのは拙いと理解しながらも、パニックになることなく落ち着いていた。

 

(先ずは……この敵から)

 

 未だ消えず、かといって放そうとしないサハギンの腹を踏み台にするように強く蹴りだす。

 死に体だったのか殆ど抵抗なく敵は水底に向かい、フブキは反動により水の抵抗を無視するかのように海面へと向かう。ただ彼女が想像するよりも深くに沈んでいたらしく、一歩では海中から脱するには不十分だった。ならば窮地を脱するために、フブキは聖剣を鞘に戻してから急いで海面目掛けて泳ぐ。

 簡素ながら鎧を身に着けているので思ったよりも浮上には時間を要し、思い通りに動けぬことにもどかしさを覚える。

 

(急がないと―――っ!)

 

 そんな彼女の眼前、何かが猛スピードで通過する。

 フブキは泳ぐのを止め、ぼやける視界の中で周囲を注意深く観察し―――彼女は気が付いた。

 彼女がいる地点よりも更に深い場所、薄暗い青の中に不気味な黒い影が持つ真っ赤な双眸が自分の姿を捉えていることに。それも一つや二つではない、軽く四十を超える真っ赤な瞳が浮かぶようにして輝いて見えた。おそらくは先ほど通過したのも、敵が投げつけてきた三叉槍であることは容易に想像できた。

 

(こ、この数は流石に拙い!)

 

 陸上ならまだしも、ここは彼らの独壇場。

 対してこちらは纏わりつく海水がさながら鉛のように全身の動きを制限し、更に酸素が尽きてしまえば万事休す。

 なりふり構っていられないとフブキは全速力で海面を目指すが、サハギンも獲物を逃がすまいと追跡してくる。当然のことながら地の利は圧倒的に敵側にあり、フブキが必死に藻掻いている間にもサハギンは徐々に距離を詰めていき、獲物を射程圏内に収めるなり次々に手にした三叉槍を投げつけてくる。

 水の持つ強い抵抗力により三叉槍は投射直後から急激に減速してくるが、それでも五m圏内ともなればその軌道は真っ直ぐにフブキへと向かってくる。彼女にとって救いなのは狙いが適当であるため、投げられた殆どが避けずとも何処かへと逸れていくことだろう。ただし、距離が近付くにつれて徐々に狙いも正確になっていく。

 

(ぐっ、これ以上は……)

 

 遂に頬を掠めたことで、フブキは迎撃を選択する。

 沈まないように足をばたつかせながら、聖剣を抜いて向きを反対へと回転させる。

 ガギンッと、投げられた一本目の三叉槍を弾き飛ばす。手に伝わる衝撃から直撃を受けても抉られる恐れはないだろうが、だからとて背中を向けながら泳げるほどの豪胆さは持ち合わせていなかったので、何とか立ち泳ぎしつつ空いているもう片方の手で激しく水をかく。

 

(く、苦しい……)

 

 肺が破裂しそうなほどの息苦しさを感じる。

 垂直に泳げば後三メートル程の距離にまで海面が迫っているのに、それが信じられないほどに遠く感じる。

 

(みんな……わたし、もう…)

 

 一際大きな泡を吐き出しながら、彼女は思う。

 今頃は船上でもみんなが懸命に戦っているに違いないのに、自分一人だけがこんな場所に置いて行かれることが惨めで悔しい。誰にも憧れる勇者にもかかわらず、その最期は誰にも看取られずに海の中で命尽き果てようとしている。きっと仲間は自分の無事を信じてくれているということへ申し訳なく思いながら、そんな思いも虚しく口から泡と共に漏れ出てしまう。

 やがて遂には限界を迎えたことで、足掻く気力も奪われていく。

 最後の力を振り絞り、眼前に迫る三叉槍を弾いて見せるが、その反動で身体は横向きになる。

 

(もう、駄目……)

 

 このまま死ぬしかないのだろうか。

 閉じかけた瞼に浮かぶのは、一緒にここまで旅を続けてきた大切な親友の笑顔だ。

 やがて自身の意識が遠のいていくのを感じていたフブキは、何かが海に飛び込んできたのに気が付く。

 

(あのく、さん……?)

 

 最初に思い浮かんだのは、デュラハンの顔だった。

 どうして彼だったのだろうかと不思議に思ったが、直ぐにそれが予想した人物とは違うことに気が付く。明らかに体格が大きく、泳ぐフォームもバタフライという海水を豪快に割りながら進んでくる。けれど、その人物にフブキは見覚えがなかった。

 

(あれは、一体……)

 

 そこでフブキの意識は闇へと呑まれた。

 

 

 

 

「がはっ! ごほっ、ごふっ……!」

 

 仰向けにされた胸が大きく跳ね上がり、口から海水が混じった白い泡が激しく吐き出される。鼻と喉を逆流してきた焼けるような塩の激痛に、フブキは涙と鼻水にまみれながらも狂ったように新鮮な空気を吸い込んだ。

 

「フブキ、フブキ! 大丈夫?」

 

 揺さぶられる肩の感触と、上から覗き込む親友の声。

 そこでようやく焦点の合わなかった瞳に光が戻り、サハギンのいる暗い海中から船の甲板の上に引き上げられたのだと脳が理解する。命を落としかけた自身が、助けられたのだと何処かぼんやりとした意識の中で認識する。

 

「ご、ほっ……ごふっ……」

「フブキ! 良かった、目を覚ましたんだね」

 

 咳き込むフブキの傍らで、ミオは安堵の表情を浮かべる。

 ひとしきり咽た所で、フブキは大きく深呼吸しながら言葉を口にする。

 

「た、助かりました。バクニさんが、私のことを助けてくれたんだね?」

「ううん、違うの」

「えっ……じゃあ、あのくさんですか?」

「あのく君でもないの」

 

 では誰が、と思ったところで、自分とミオ以外に誰かが側に立っていることに気が付く。

 そこに居たのは野生動物である野鳥の頭、羊の巻き角、筋骨隆々の凄まじい浅黒い雄牛の肉体を持った何か。

 

「…………へ?」

 

 思わぬ存在に、間の抜けた声がもれる。

 少なくとも自分が海に落とされる前には甲板上に存在していなかったし、見るからに海洋性の生物でもない。

 そこへミオが落ち着かせるように声を掛ける。

 

「フブキ、よく聞いて。この子はハトタウロスなの」

「はと、タウロス……」

「そう。覚えてない? ウチたちが子供の頃、フブキが考えた架空の生き物」

 

 無論、彼女とて忘れた訳ではない。

 ハトタウロスとは、未だフブキやミオが幼かりし頃に描いていた、いわゆる「ぼくのかんがえたさいきょう」の生物であり、勿論のことながら実在する筈のない妄想上の産物でしかない。だからこそ、目の前の光景を現実のものと受け入れることが出来なかった。

 

「えっ、でも、あれは只の空想で」

「うん、そうなんだけど。でも実際に今、ここにいるの」

「ホーッ」

 

 ミオの後ろで、うんうんとハトタウロスは頷く。

 目の前の光景に、もしかしたら自分はまだ夢の中にいるのかもしれないと若干の現実逃避をしようとする。

 そうしてフブキが現状を飲み込めずにいると、今度は別の方向から声が響く。

 

「お二人さん! 悪いけど、まだ取り込み中なんだ。手伝ってくれないか!?」

 

 見ればデュラハンが、二人を守るように魔法を放っている。

 更に立ち上がって甲板上を確認すれば、マリンも舵輪の前から離れてサハギンを舶刀の錆にしている。どうやらフブキという戦力が削られてしまい、ミオもフブキの救助に回ってしまったせいで手が足りず、船は先ほどの地点を回遊するように同じ場所をぐるぐると回っているようだ。

 

「ご、ごめんなさい!」

「フブキ、大丈夫なの?」

 

 慌ててフブキは起き上がり、そんな彼女をミオは心配する。

 つい先ほどまで溺れかけていたのだ、本来なら安静にしておくべきところだが。

 

「大丈夫だよ。それに今は休んでる時じゃないよ」

 

 そう言うが早いか、フブキは聖剣を抜いて甲板に躍り出る。

 幼馴染の様子にミオは一瞬呆れながらも、苦笑いを浮かべながら立ち上がる。

 

「まったく……ならウチも!」

 

 ミオと、それからハトタウロスも参戦する。

 戦力が増したことで乗り込んできたサハギンも次々と打ち倒されていき、無尽蔵に湧いてくると思えた敵の勢いも少しずつ緩やかになり始める。

 

「よしっ! これなら船を――」

 

 動かせる、そうマリンが口にしようとした矢先。

 気が付けば直ぐ側まであの巨体が迫っており、先程と同じように再びマストを掴んでくる。ただ今回は折るのではなく動けなくさせるのが目的らしく、その証拠に空いた方の手を大きく振りかぶっている。どうやら今回は力ずくで船を沈めようと考えたらしい。

 

「ちょっ! これは流石に拙いですよ!!」

 

 マリンはそう叫ぶ。

 今からフブキがマストを持つ手を切り裂いたところで、振り下ろされる手は止められないだろう。

 今度こそ拙いと誰しもが思う中、デュラハンだけが冷静に状況を見極めていた。

 

「ああ、時間切れだ」

 

 直後、陸地の奥、東の空から朝日が昇る。

 どうやら長いように思えた一時間が経過したらしく、待ち望んでいた陽光が海原を照らし出す。

 全ての不浄を払う光に焼かれ、巨大な魔物の全身が炎に巻かれる。

 

「う、ボオ、オオ、オオオオオッッッ!!」

 

 耳を劈くような絶叫を浴びながら、魔物は絶叫を上げる。

 死骸をより集めて作られた義骸は端から徐々に崩れ、海面から露出している部分を容赦なく灼いていく。その巨体が燃え上がる様はさながら、巨大な火柱のようであったが、不思議と降り注ぐ火の粉が船に燃え移ることは決してなかった。

 

「わわっ、燃えた!?」

「これ、船や帆が燃える心配はないの?」

「燃えてるのは厳密には、奴の死霊としての魂部分。実在する物質を焼いてる訳じゃない」

 

 心配する声に、デュラハンは落ち着き払った様子で語る。

 あれだけ手古摺った幽鬼は既に足掻くこともできず、静かに焼かれていく。

 未だ甲板に残っていたサハギンの残党も、自分たちの頭目が倒されたという事実に狼狽え、やがて次々と海に飛び込んで撤退していく。

 

「……終わったのですね」

 

 燃える魔物を見ながら、フブキは呟く。

 港町まで攻め込まれたら拙いからと倒すことを選んだが、そもそもあの魔物は元を正せば海で命を落とした人々の成れの果て。そこに対しての憐れみはあれ、喜びは微塵も感じなかった。彼女の胸中を占めるのは、せめて囚われていた魂が安らかであらんことをと願うことだけだ。

 

「……って、そうだ。ミオ! 結局、ハトタウロスは何だったの!?」

 

 肝心な部分を聞き忘れていたことを思い出し、フブキはミオを問い詰める。

 落ち着ける状況になったので、ミオもゆっくりと説明をする。

 

「ウチ、賢者様から卵を貰ったでしょ?」

「えっ? うん、あったね」

「それがフブキが海に落ちた後、急に道具袋の中から飛び出してきて、そこから出てきたの」

「えぇっ!?」

 

 よもや雛ではなく、こんなものが出てくるとは誰が予想できただろうか。

 てっきり何らかの生き物の卵と思っていただけに、フブキも口をあんぐりと開けてしまっている。

 

「でも、何でハトタウロス?」

「恐らくだが、あの卵は使い魔を生み出すものだったのだろう。親――この場合はミオさんのことだが、彼女の魔力から記憶を読み取り、その中で自らの役目を果たすのに最適な姿を模索した結果、このミノタウロスなんだか良く分からない生き物が生まれたって訳だ」

 

 自身の考えを踏まえつつ、デュラハンが説明をする。

 それを聞いた一行は、物珍し気にハトタウロスの周りを囲んで眺める。

 

「むぅ、中々の胸筋の持ち主であるな」

「あたしも長いこと、この商売を続けてますが……こんな代物があるとは知りませんでした」

「一応、ウチのことを主と認めてくれてるの、かな?」

「ホーッ!」

「あっ、頷いたってことは、そうみたいだよ」

 

 思い思いに感想を述べたり、或いはハトタウロスの首を撫でてみたりする。

 そんな彼らを尻目に、デュラハンは内心で自分のした説明についてツッコミを入れていた。

 

(いや、記憶を読み取って存在しない生物が生まれるって、どんな卵だ)

 

 普通、使い魔の卵から生まれるのは既存の生物の形を成している。

 誕生の間際に親が望んだこと、強いイメージを読み取って、それに相応しい姿となって顕現する。ただ、大体が情報収集に適した鳥類やげっ歯類、あるいは魔法使いが身を守るためのオオカミや大型猛獣が一般的である。だから、今回のように架空の生物が誕生するなど前代未聞である。おそらくは、シオンが独自に手を加えた代物なのだろうが。

 

(規格外にも程がある……まぁ、この光景も眺めてるんだろうが)

 

 はぁ、と小さく息を吐く。

 同時刻、遠く離れた森の中にある屋敷の中で、小さな賢者が一つクシャミをしてたとか。

 

 




◆チャーレム・セイレーン

 上半身は妖艶な人間の女性、下半身は肉厚な尾ヒレを持つ水棲の魔物。
 魔力を帯びた美しい歌声を聞いた男性は絶大な魅了に洗脳され、女性は激しい片頭痛や眩暈と言った状態異常を引き起こす。その特性から雄は決して生まれず、必ず雌しか誕生しない珍しい魔物でもある。
 誘惑された人間の雄が連れ去られることが多いが、その殆どが食用ではなく繁殖のために子種を搾取するのが目的である。夢のような一夜を体験できるという噂があり、それに釣られる男も毎年何人かはいるとか。


クリック? クラック! また今度。

フレアの立ち絵が適してる?(あるいは好み?)

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