※この作品はR-18です。

サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏)   作:ボルメテウスさん

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英雄派の狙い

 英雄派が霧を縫い閉じて去った後、残された封は、置き土産というより置き刃だった。朱い糸の結び目は九尾の家の作法に似ているのに、真似た手つきの硬さがある。京都の結界に縫い付けた針穴が、目に見えないのに痛みとして空間に残っていて、つまりこれは「誰かがここを勝手に手術した跡」だ。勝手な手術ほど厄介なものはない。患者が京都で、執刀医が英雄派で、そして俺が今からメスを握らされる。

 

「太郎……母さまは……?」

 

 九重の手が背中で震える。俺は振り返らず、背中越しにその小さな指を押さえた。ここで俺が動揺したら、九重の不安はそのまま増幅する。子供の不安は魔法みたいに伝染する。厄介なのは、たいてい魔法の方じゃなくて、伝染する方だ。

 

「ここにはいない。でも、この封の奥に“いる”。匂いがするなら間違いない。だから、焦るな」

 

「……うん。匂い、する。ここじゃないけど……奥……」

 

 青子は封に触れないまま、視線だけで構造を読むように眺めていた。彼女は見えるものより見えないものを信じるタイプの目をしている。俺は逆に、見えないものを信じるために見えるものを増やすタイプだ。つまり俺たちは相性がいい。嫌な意味で。

 

「これ、錨だね。八坂さんを別の位相に固定してる。で、固定してるだけじゃない」

 

「まだ何かあるのか」

 

「ある。太郎、近づくほど気持ち悪くなるでしょ」

 

「……するな」

 

 確かに、封に近づくほど胸の奥が熱を持つ。怒りじゃない。興奮でもない。もっと不快な、血が勝手に戦闘態勢に入っていく感じ。エンペラ星人の血が「帰れ」と言っている。帰る先がどこなのか分からないのに、帰れと言われるのが一番腹が立つ。

 

「錨が八坂さんの座標を固定してるのは表の機能。裏は、あなたの闇を引っ張る共鳴装置。英雄派は撤退したんじゃない。あなたを“ここ”に誘導してる」

 

「誘導の先で、俺を殺す気か」

 

「たぶんね。暴走させて、討伐して、英雄になる。分かりやすいくらい分かりやすい」

 

「……分かりやすい悪は、分かりやすい正義を呼ぶ」

 

「その正義が一番たち悪い。だから手順を間違えないで。役割、確認するよ」

 

「俺が前。切る役」

 

「私が後ろ。縫い止める役。九重ちゃんは匂いで方向を教える役。混ぜない。混ぜたら事故る」

 

「九重、俺の後ろ。絶対に前に出るな」

 

「……うん。でも、母さま、苦しいの?」

 

 胸が一瞬だけ痛んだ。痛いからって嘘はつけない。嘘は楽だが、楽な嘘は後で地獄になる。

 

「苦しいかもしれない。だから急ぐ。でも雑に急がない。雑な最短は、最長になる」

 

 青子が指先を銃口みたいに前へ向けた。空気が乾く。回路が回る。燃費がいいとかいう軽口の裏側で、彼女はいつも真面目にやっている。だから軽口を叩ける。真面目じゃないやつは軽口を叩く余裕がない。

 

「スナップ三発。影を撃つ。影っていうのは、位相の投影。これを弾くと糸が浮く」

 

「影を撃つ、って言い回しがもう怖いんだよ」

 

「慣れて。太郎、動かないで」

 

 乾いた破裂音が三つ。弾は封そのものには触れないのに、封の周囲の空間が一瞬だけ歪んで、朱い糸の流れが輪郭を持った。糸は京都の縫い目へ何本も伸びている。結界の肌に吸い付いて、脈打っている。京都の呼吸に合わせて動いている。つまりこの封は「京都を生かしたまま誰かを吊る」装置だ。

 

「気持ち悪いな」

 

「正しい感想。で、ここ」

 

 青子が視線だけで示す。朱い結び目の根本に、黒い棘みたいな符号が埋まっていた。英雄派の署名。錨。八坂の座標を別層へ杭打ちしているもの。俺の中の闇が、その棘に向かって舌なめずりする感覚がある。笑えない。

 

「太郎、刀で切るのは糸じゃなく棘。糸を切ると京都が裂ける。棘を削ぐには、一瞬だけ糸のテンションを緩める必要がある。だからドロウで縫合解除、その一拍であなたが削ぐ。順番逆にすると、あなたが引っ張られる」

 

「引っ張られる、ってのは」

 

「闇に。全身装甲に。暴走に」

 

 言い切られた瞬間、俺の喉の奥で闇が小さく笑った。笑うな。お前の冗談は笑えない。

 

「分かった。青子、やれ」

 

「いくよ。……ドロウ。縫合、解除」

 

 空気が鳴った。砲撃の圧が封の周囲だけを舐めて走り、朱い糸が一瞬、緩んだ。結界の縫い目がほどけかける感触が皮膚に伝わる。時間は心臓一拍分。俺は踏み込む。

 

「今だ!」

 

 刀を棘へ滑らせる。斬るんじゃない。削ぐ。署名だけを落とす――はずだった。

 

 その瞬間、空間が「戻ろう」とした。縫い目が緩んだ反動で、位相の圧差が一気に漏れ出した。冷たい息が肺に刺さり、同時に胸の奥が熱く燃える。封が俺の中の闇に触れた。触れただけで十分だった。

 

「……っ」

 

 装甲が勝手に増えようとする。肩、背中、首筋。黒い鎧が皮膚の上を這い、俺の意思を無視して“完成形”へ寄っていく。耳の奥で、皇帝みたいな声が囁いた。

 

 ――全部纏え。

 ――切れ。

――支配しろ。

 

「太郎! 止まって!」

 

 青子の声が遠い。近いのは闇の声だ。目の前の棘が甘い。ここを力で叩き潰せば、八坂は戻るかもしれない。九重は泣き止むかもしれない。全部、今すぐ終わるかもしれない。だからこそ危ない。今すぐ終わる話ほど、後で全部壊れる。

 

「……太郎……?」

 

 九重の声が震えた。振り返ると、彼女は泣くのを我慢して、俺を見ていた。怖いのに目を逸らしていない。子供が怖いのを我慢しているのに、俺が怖さに負けるわけにはいかない。

 

「九重。手、離すな。俺を引っ張れ」

 

「え……?」

 

「俺が変な方に行きそうになったら、引っ張れ。王様は、臣下に助けられることもある」

 

「……うん! 引っ張る!」

 

 九重の小さな手が、今度は震えながらも力を込めた。その感触が、俺の背中に「戻れ」と言った。闇に引っ張られるのなら、俺は責任に引っ張り返される。責任は重い。だが重い方が、足場になる。

 

「青子! 縫い止めろ! 圧が漏れてる!」

 

「分かってる、遅れたの私! スナップで縫い目固定、次にドロウで流量絞る!」

 

「早く!」

 

「速いのが取り柄!」

 

 乾いた破裂音が連続する。スナップ。影を叩き、位相の縫い目を“釘打ち”するみたいに止める。次いでドロウ。熱が走り、漏れ出す圧差の流れだけが焼かれて細くなる。空間の呼吸が少し落ち着く。俺の装甲が、それ以上増えようとするのを一瞬だけ躊躇った。

 

「太郎、今! 棘だけ! 糸は触るな!」

 

「分かってる!」

 

 俺は呼吸を一つ吸い、二つ吐いた。闇の声を息で押し流す。刀を棘へ当て、今度こそ削ぐ。刃先が黒い署名を掠め、音もなく欠けた。欠けた瞬間、封が悲鳴みたいに震えて、位相の縫い目が露出する。回廊が覗く。冷えた暗い通路。そこに狐の香りが確かに濃い。八坂は近い。だが同時に、闇がまた甘く囁く。

 

 ――入れ。

 ――今なら奪える。

 

「入るな!」

 

 青子が叫ぶ。

 

「今入ったら、縫い止めが追いつかない! 圧差があなたの中に流れ込む! 暴走する!」

 

「でも八坂が――」

 

「八坂さんを助けて、太郎が怪物になったら、英雄派が“英雄”になるだけ! それが狙い!」

 

 九重が俺の服を掴んだ。

 

「太郎……行かないの……?」

 

「行く。……でも、今じゃない」

 

 言葉にした瞬間、闇が不満そうに暴れた。暴れたが、暴れきれない。青子が縫い止めを続けている。九重が俺を引っ張っている。俺が俺を握っている。三つ揃えば、闇は王様になれない。

 

「青子、閉じるのか」

 

「閉じる。今は閉じるのが正解。扉を“安定化”させる別の縫い方がいる。ここで無理して突っ込むのは、あなたが望む勝ち方じゃない」

 

「……分かった。九重、母さんの匂いの方向、覚えておけるか」

 

「うん……覚える。絶対、覚える」

 

「よし」

 

 俺は刀を下げ、装甲を“戻す”。勝手に増えようとしていた部分を、力で押し込む。闇が爪を立てて抵抗するが、今の俺には理由がある。王様は、力があるから王様になるんじゃない。力を使わない理由を持てるから王様になる。

 

「……見てたな」

 

 誰に向けた言葉でもないのに、霧の奥に視線が刺さる感覚がした。英雄派は去っていない。姿を消して、観測している。俺が暴走して、彼らが討伐して、英雄になる。その筋書きの出来を、採点している。

 

「次はもっと上手くやれって顔だな。悪いな。俺は、お前らの台本で死ぬ気はない」

 

「太郎、独り言やめて。縫うのに集中できない」

 

「すまん。……でも、今のは独り言じゃない。宣戦布告だ」

 

 青子が最後のドロウで縫い目を締め、回廊の覗きは細い線に戻って、やがて消えた。空気が元の京都の重さに戻る。九重の呼吸が少し落ち着く。俺の中の闇も、完全には黙らないが、少なくとも今は座っている。

 

「九重。母さんは近い。俺たちは近づいた。だから次は、確実に取る」

 

「……うん。太郎、信じる」

 

「信じてくれ。信じられるように動く」

 

 英雄派が欲しいのは、俺の死だ。英雄派が欲しいのは、俺が怪物になる瞬間の証拠だ。だったら俺は、その両方を渡さない。八坂を救い、京都を守り、九重を泣かせずに帰る。都合が良すぎる目標だが、都合の良い正義を名乗る連中に対抗するなら、都合の良い勝ち方くらい選んでいい。俺は刀の柄を握り直し、次の縫い方を考えるために、青子の横に立った。次の一手は、力じゃない。手順だ。

女王は誰にする?

  • アルファ
  • ララ·サタリン·デビルーク
  • エミリア
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