サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
裏京都の結界内を抜け、さらに下へ潜った先に、誰も使わなくなった封鎖ホームがあった。観光の京都が持つ「賑やかさ」の皮を剥いだ裏側に、都市の骨格だけが残っている場所だ。案内表示は色褪せ、電灯は半分が死んでいて、線路の先は黒い口を開けたまま飲み込む気配すらない。空気は湿っているのに冷たく、息を吐くと胸の奥が微かに疼いた。結界の層が薄い。薄いから、こちら側とあちら側の圧が近い。近いから、俺の中の闇が「帰る先」を嗅ぎ当てようとして騒ぎ始める。
ここに来るまでに青子が作った位相コンパスは、時計みたいに正確な道具じゃない。紙片に刻印を焼き付け、細い糸で結び、九重の匂いを“座標の代わり”に縛りつけた、危険を減らすための制御具だ。さっきからその札は、俺の手の中で熱を持ったり冷えたりを繰り返している。正面の扉に向けて引っ張る線が細くなった代わりに、今いるこの封鎖ホームの壁際へ、鈍い矢印が浮いた。英雄派が用意した“正しい入口”ではない。正しい顔をしていない入口ほど、こちらにとっては価値がある。
「ここが別ルート?」
「候補の一つ。都市の忘却って、位相の空白になりやすい。空白は危ないけど、縫える」
「縫えるなら行ける」
「行ける“可能性”が上がる、ね。太郎、前に出て。縫う間は私が動けない」
「了解。九重、俺の背中。掴め」
「うん。ぎゅってする」
九重の小さな手が背中の服を掴んだ瞬間、俺はわざと呼吸を深くした。胸の奥の熱が、掴まれた重さで少し落ち着く。俺はアーマード・ダークネスを全身には呼ばない。左腕と胸の内側、膝下だけを薄く展開して、最小限の防御と踏ん張りだけ確保する。ここで全開にすれば、英雄派が欲しがる“怪物の証拠”を自分から提供することになる。勝つために強くなるのではなく、負けないために制御する。今日の勝負はそこだ。
「コンパス、反応してる。あの壁の継ぎ目」
「見える。……気持ち悪い線がそこに集まってる」
「英雄派の署名の残り香。誘導線がまだ生きてる。だから先に縫う」
「縫ってる間に来るか?」
「来るなら、直接じゃない。視線と圧であなたを引っ張る。暴走させたいから」
「暴走はさせない」
「言い切るの、危ないけど助かる」
青子が指先を銃口みたいに立てると、ホームの暗がりが一瞬だけ濃くなった。位相の投影――“影”が膨らむ。その影を青子がスナップで叩く。乾いた破裂音が二つ三つ、空間の表皮を弾くみたいに響き、壁の継ぎ目に沿って薄い光の線が浮かび上がった。線は一本じゃない。複数の層が重なり、縫い目が蜘蛛の巣みたいに絡んでいる。ここを雑に割れば、扉だけじゃなく俺の中の闇まで裂ける。
「スナップで縁を固定。次にドロウで流量制限。太郎、あなたはその場から動かないで。動くと線が太くなる」
「動かない。来たら切るだけだ」
「切るのも最小限で。切るたびに闇が喜ぶ」
「……言い方が最悪だな」
「事実の言い方はだいたい最悪」
背中の九重が小さく息を飲んだ。ホームの奥で、冷えた視線が滑った気がした。姿はない。音もない。だが「見られている」という手応えだけが、皮膚の内側を撫で回す。英雄派は討伐劇をやりたい。なら今は、こちらの縫い針が狂う瞬間を待っている。俺は刀の柄に指を置いたまま、目線だけで暗がりの揺れを追う。揺れは敵じゃない。揺れを利用して俺を揺らすのが敵だ。
「太郎、いま一瞬、線が太くなった。触ってきてる」
「分かる。胸の奥が熱くなる」
「深呼吸。九重ちゃんの手、借りて」
「太郎、ひっぱる?」
「引っ張れ。俺が前に倒れそうなら、後ろに戻せ」
「うん、まかせて」
青子のドロウが走った。砲撃というより縫い針だ。熱量を点にして撃ち込み、漏れ出そうとする圧差の流れだけを細く絞る。壁の継ぎ目が一瞬だけ軋み、次に落ち着く。俺の中の闇が「入れ」と囁くが、その声はさっきより遠い。遠いということは、手順が効いているということだ。効いているなら、次は焦らずに踏み込める。
「よし。縫い止め、一次固定完了。太郎、コンパスを壁に近づけて。九重ちゃん、匂いの方向、もう一回」
「こっち。母さま、こっち」
「一致した。入口はここ」
「開けられるか」
「開けられる。けど、開けたら閉じるまで私が縫い続ける。あなたは“帰り道がある”前提で動いて。帰り道がなくなると、あなたは暴れる」
「帰り道があるなら暴れない。王様は逃げ道を残す」
「その言い方、嫌いじゃない」
青子が最後の縫い針を通すみたいに、刻印を重ねた。壁の継ぎ目が“裏返る”。薄い線が裂け、裂けたというより、折り目が開く。暗い回廊が覗いた瞬間、冷気が舌に触れた。匂いが古い。湿った石と、長い間閉じていた部屋の匂い。その奥に、九重が言った狐の香りが確かに混じっている。八坂は近い。だが近いほど、闇は甘くなる。甘いからこそ、俺は一歩目を丁寧にする。
「太郎、今。行って。私は縫い続ける」
「九重、目を閉じるな。怖くても匂いを見ろ」
「うん……見てる」
「青子、後ろは頼む」
「後ろじゃない。継ぎ目。継ぎ目が命綱」
俺は境界を越えた。封鎖ホームの湿った空気が背中で切れ、代わりに狭間の冷えた静寂が身体に貼り付く。足音が吸われる。音が無いと、闇の声がよく聞こえる。だから俺は、九重の手の重さと、青子の縫い針の熱を意識して前へ進む。英雄派がどこで見ていようと関係ない。ここは彼らの舞台じゃない。入口を変えた時点で、台本のページを破った。
「太郎……母さま、近い。ほんとに近い」
「分かった。焦らない。最短で行く」
「太郎、右の壁。位相の薄い裂け目、寄ると吸われる。コンパスが警告してる」
「見える。避ける」
背後で青子の魔弾が一発、乾いた音を立てた。入口の縫い目を固定する釘打ちだ。扉が閉じないようにするための、そして閉じる時は確実に閉じるための、一番重要な一手。俺はその音を合図に、刀の切先を前へ向ける。
女王は誰にする?
-
アルファ
-
ララ·サタリン·デビルーク
-
エミリア