サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
まぶたの裏が白かった。
光というより、薄く伸ばした布を通した朝の色だ。
目を開ける前から分かる。ここは屋外じゃない。空気が静かすぎる。
息を吸う。潮の匂いがほとんどしない。
昨夜あれだけ濃かった海の気配が、遠くに押しやられている。
ゆっくり目を開けた。
天井は木目。梁が見える。
古い別荘か、海沿いの保養所みたいな造りだった。壁は白く塗られているが、ところどころに細いひびが走っている。使われていない時間の長さが分かる。
身体を起こそうとして、止まる。
重い。
筋肉痛とは違う。
内側が空になって、その分だけ殻が軋んでいる感じだ。
右手を握る。開く。
指は動くが、力が入りきらない。
「……生きてるな」
声が普通に出た。喉は無事らしい。
胸の奥に意識を向ける。
王国の駒の鼓動は、かすかだ。深いところで小さく脈打っている。昨夜の熱量はない。使い切った後の炉みたいに静かだ。
斬月の気配も、遠い。
呼べば届きそうだが、今は寝ているような沈み方をしている。
布団はきれいだった。
新しくはないが、手入れされている。血の跡も、海水の染みもない。俺の服も乾いている。潮幽に引きずられたはずなのに、汚れがほとんど落ちていた。
誰かが運んだ。
そこまでは確定だ。
視線を横に流す。
木の椅子。小さな机。ガラスのコップ。半分だけ減った水。置き方が正確すぎる。生活の雑さがない。
窓の外は、林だった。
海は見えない。だが、鳥の声で位置が分かる。港から少し離れた高台だ。
記憶が戻る。
黒い海。
巨大な影。
刃の光。
三日月の斬撃。
それから——足音。
静かな、まっすぐな足音。
俺は布団をどけて立ち上がった。
足元がふらつく。一歩目で床が近くなる。壁に手をついて止めた。
玄関の方を見る。
廊下の床板に、うっすらと水の跡が残っている。
完全には拭き切れていない線だ。昨夜か、明け方か。乾き方が中途半端だ。
その上から、別の足跡が重なっている。
軽い。歩幅が狭い。迷いがない直線。
俺を運んだやつの足取りだ。
音がした。
気配の薄い、衣擦れだけの音。
振り向く。
戸口に人影があった。
黒を基調にした外套。無駄のない立ち姿。
光の入り方のせいで表情はよく見えないが、視線だけがはっきり分かる。測る目だ。
昨夜の影と同じ輪郭。
「起きたか」
声は低い。平坦。
体調を気遣う調子でも、安心した調子でもない。ただ確認だけを置く言い方だった。
「……あんたが運んだのか」
「他に誰がいる」
部屋を見回しながら言う。事実しか置かない口調だ。
「ここ、どこだ」
「近くの別荘。今は空いてる」
借りたとも、持ち主とも言わない。
説明が最短距離で止まる。
俺は壁から背を離した。まだ足が不安定だ。
「助けた理由は」
間を置かずに聞く。
その人物は少しだけ視線を下げ、俺の足元を見る。
立てているかどうかの確認だけしている目だ。
「死んでないからだ」
それだけ言った。
冗談にも聞こえないし、突き放してもいない。
基準がそこにある、というだけの響きだった。
沈黙が落ちる。
遠くで鳥が鳴く。
木が風に触れる音がする。
この部屋だけが、妙に整っている。
救われた場所のはずなのに、安心はまだ来ない。
助けられた。
それは事実だ。
林を抜けると、空気が変わった。
別荘の周りは乾いた匂いだったのに、下り坂に入った途端、潮の気配が戻ってくる。喉の奥が少しだけ重くなる。昨夜より薄いが、確かに海だ。
前を歩くあの人は、振り返らない。
歩幅が一定だ。
枝も石も避ける動きが自然すぎる。道を知っているというより、危険じゃない線だけを選んで踏んでいる感じがした。
「まだふらつくな」
背中越しに言われた。
見ていないはずなのに、分かっている口調だった。
「平気だ」
「そういうやつほど転ぶ」
会話は続かない。
必要分だけ置いて、終わる。
坂を下りきると、港が見えた。
朝の光の中にある漁港は、昨夜と別の場所みたいだった。
波は静かで、係留された船も揺れが小さい。カモメの声が普通の高さで響いている。
なのに、ところどころが不自然だった。
コンクリートの地面に、細い白い筋が走っている。
塩が乾いた跡に見えるが、形が直線すぎる。誰かが線を引いたみたいに続いている。
「あれ、昨日は無かったよな」
「あるべきじゃない線だ」
短い返事。
防波堤の方へ近づく。
俺が倒れた場所だ。
潮の跡は残っていない。
水浸しだったはずの範囲だけ、逆に乾きすぎている。拭いたというより、“抜けた”感じだ。
あの人は足を止めた。
しゃがみ込み、指先で地面すれすれの空間をなぞる。
触れていないのに、空気がわずかに揺れた。
ガラスに爪を立てたみたいな、耳の奥に引っかかる感覚が走る。
「境目が歪んでる」
独り言のように言う。
「境目?」
「海とこっちの線引きだ」
言い方が雑なのに、意味は妙にはっきり伝わる。
あの人は腰の後ろからナイフを抜いた。
細身で、光をあまり反射しない刃だ。
地面ではなく、“空間”に向けて軽く振る。
何も無いはずのところが、すっと裂けた気配がした。
音はない。
だが、港の空気が一段、軽くなる。
胸の奥がちくりと反応した。
心臓じゃない。もっと内側。
王国の駒がある場所だ。名前も仕組みもよく分かっていない、あの核。
無意識に胸を押さえる。
「触るな」
すぐ言われた。
「何もしてない」
「しようとした」
否定できないタイミングだった。
「お前、昨夜ここをこじ開けた側だ」
視線だけが向く。
責める調子はない。ただ分類しているだけだ。
「……俺が?」
「刃の光を見た」
それだけで十分、という言い方だった。
俺は防波堤の外を見る。
海は普通に見える。黒い影も、泡の声もない。
「もう出ないのか」
「大物は退いた」
“大物”という言い方をした。
種類じゃなく、格で見ている感じがする。
あの人は白い線の交差点に立ち、もう一度ナイフを振った。
今度は二回。
見えない糸が切れるような感覚が続けて走る。
風向きが変わった。波の音が揃う。
さっきまで微妙にずれていたリズムが、ぴたりと合う。
「これで当面は閉じる」
立ち上がりながら言う。
俺はその手元を見る。
ナイフは普通だ。特別な光も気配もない。
なのに、やっていることだけが普通じゃない。
「……あんた、何者だ」
質問が雑になる。
「後処理だ」
職業名みたいに言う。
それ以上は出さない。
代わりに、視線が俺の腰元に落ちた。
そこには何も下げていない。刀も武器も持っていない。
それでも、じっと見る。
「昨夜の刀はどうした」
「刀?」
言われて、記憶を探る。
巨大な刃。
柄のない、でかい包丁みたいな刀身。
だが今は、手の中に何もない。
「出てこない」
正直に言う。
「あれ、たぶん今は無い」
「消えたのか」
「中に戻った感じだ」
自分の言葉が曖昧なのは分かっている。
でも、それしか言いようがない。
胸の奥を指で叩く。
あの人は少しだけ目を細めた。
興味の向け方が、敵を見る時と違う。
「外付けじゃないな」
独り言の調子で言う。
「……お前自身かもしれないな、その刀」
軽い断定だった。
重く言わない。だが、否定の余地も残さない。
「武器じゃなくて?」
「境界に噛んでる」
それだけ言って、視線を海へ戻す。
俺はもう一度胸の奥に意識を向けた。
確かにそこに“何か”はある。
名前も理屈も分からない。
ただ、自分と切り離せない感触だけがあった。
港の空気が、ようやく均一になった。
さっきまで耳の奥でざらついていた波音が、きれいに重なる。
潮の匂いも普通だ。昨夜のような、まとわりつく重さがない。
防波堤の端で、あの人はナイフを布で拭き、迷いなく収めた。
仕事が終わった、という動きだった。
「これで閉じた」
誰に報告するでもなく言う。
俺は海を見る。
黒い影も、呼ぶ声も、もうない。
「……また開くのか」
「開く」
即答だった。
「境目は動く。押せば歪む」
俺の方を見ないまま続ける。
「昨夜みたいにな」
自覚が刺さる。
胸の奥がわずかに熱を持つ。
あの刃の光と同じ場所だ。
「俺がやったって言いたいのか」
「一因だ」
言葉を選ばない。
だが、断罪でもない。ただ位置づける。
沈黙が落ちる。
船のロープが軋む音がする。
遠くで誰かがシャッターを開ける音。町は普通に朝へ戻っている。
その中で、ここだけ話が続いている。
あの人が、初めて正面から俺を見た。
測る目だ。
敵を見る目とも違う。道具を見る目とも違う。もう少し長く使うかもしれない物を確認する視線だった。
「王を名乗るなら」
唐突に言う。
「守る為に、何を切る」
短い。
だが逃げ道がない問いだった。
俺はすぐに答えられなかった。
敵、とか。命、とか。そういう単語が頭に浮かぶ。
でもどれも、しっくり来ない。
視界の端に、絶花の顔が浮かぶ。
店先で少し浮いている横顔。周りと距離がある空気。
「……場所だ」
口から出た。
「場所?」
「誰でも普通に友達が作れる場所」
自分で言いながら、輪郭がはっきりしてくる。
「そこを目指す。その為の盤面を作る」
王様になる、って言葉よりも先に、それが来た。
あの人は数秒、何も言わなかった。
否定もしない。肯定もしない。ただ、その答えの形を見ている。
「甘いな」
結論だけ落とす。
「知ってる」
被せて言う。
「だからやる」
少しだけ、口元が動いた気がした。
笑いじゃない。評価でもない。判断が更新された時の変化だ。
「条件がある」
今度ははっきり俺を見る。
「これから行く先を見させてもらう」
「監視か」
「観測だ」
言い換えただけなのに、意味が少し違って聞こえる。
「助けるとは言わない。止める時は止める」
契約書みたいな口調だった。
「断るなら、ここで切る」
物騒な単語を普通の声量で言う。
俺は首を振る。
「断らない」
即答だった。
「王様やるなら、見られるくらいで丁度いい」
嘘は言っていない。
むしろ、誰かが見ていないと、俺はやりすぎる気がした。
あの人は小さく息を吐いた。
「そうか」
それで話を終えた。
名前も、所属も、何も足さない。
「じゃあな」
軽く手を上げるでもなく、体の向きを変える。
帰るのかと思った。
「待て」
反射で声が出る。
聞きたいことは山ほどある。
名前。正体。力の種類。昨夜の全部。
一歩踏み出す。
その瞬間、港の入口の方で大きな音がした。
トラックの荷台が閉まる音だ。
視線がそっちへ引っ張られる。
ほんの一瞬。
戻した時には、もういなかった。
一本道だ。
隠れる場所はない。
霧も、影もないのに、気配だけが消えている。
「……はやすぎだろ」
呟く。
胸の奥で、かすかに脈が打つ。
王国の駒の場所だ。
さっきより、ほんの少しだけ強い。
去り際の視線を思い出す。
無関心じゃない。完全な興味でもない。
女王は誰にする?
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アルファ
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ララ·サタリン·デビルーク
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エミリア