サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
放課後の校舎は、音だけがやけに多かった。
部活の掛け声、ボールが弾む乾いた音、誰かの笑い声。
全部が当たり前で、昨日までと同じで、だからこそ――少しだけ、息が詰まる。
「今日さ、数学の小テスト――」
絶花が何か言いかけたところで、言葉が途切れた。
歩幅が、ずれた。
俺はそのまま二歩ほど進んでから、振り返る。
「どうした?」
絶花は立ち止まっていた。
校舎の影が一番濃く落ちる場所。夕方の光と、コンクリートの冷たさが交じる境目。
「……ううん」
そう言いながら、否定していない目をしている。
いつもなら、こういう時はすぐに笑って誤魔化す。
「なんでもない」「気のせい」って言って、話題を変える。
でも今日は違った。
絶花は、じっと“何か”を見ている。
俺の後ろじゃない。
俺の横でもない。
少し離れた、校舎裏の影の奥。
「ねえ、太郎」
声が低い。
冗談を挟む余地のない呼び方。
「……そこ、変じゃない?」
「変?」
視線を向ける。
古い掲示板、錆びた消火栓、使われていない倉庫の扉。
いつもと同じ風景だ。違和感なんて――
ない。
……はずだった。
「いや、何も」
そう言い切ろうとして、喉で言葉が止まる。
見えない。
でも、空気が一枚多い。
風が抜けない場所みたいな、皮膚の裏がざわつく感じ。
絶花が、胸元に手をやった。
制服の上から、無意識に押さえる仕草。
その指の隙間から、淡い光が漏れる。
「……あ」
小さく声を出して、慌てて両手で隠す。
「ご、ごめん……勝手に……」
恥ずかしそうに視線を逸らすけど、足は動かない。
光は消えない。むしろ、ゆっくり脈を打つみたいに強くなる。
「天聖が……」
名前を出した瞬間、絶花の表情が引き締まった。
「何か、いる」
断定じゃない。
でも、疑ってもいない言い方。
「人、じゃないかもしれない」
俺はもう一度、校舎裏を見る。
見えない。
それでも、胸の奥が――王国の駒のある場所が、微かに反応する。
鼓動とは違う。
熱でもない。
「……見えるのか?」
「ううん」
首を横に振る。
「“分かる”だけ」
それが、余計に怖かった。
絶花は一歩だけ、俺の方へ寄る。
影から距離を取る動き。
「太郎」
小さな声。
「昨日の港の感じと、ちょっと似てる」
その一言で、背中が冷える。
日常の音は続いている。
笑い声も、足音も、全部そのまま。
なのに、この場所だけ、現実が一枚ずれている。
俺は、無意識に拳を握っていた。
斬月は出ていない。
王国の駒も、形を持たない。
それでも、確かに――
“始まる前触れ”だけが、そこにあった。
絶花は、視線を逸らさなかった。
俺が何も見えない場所を、まっすぐに。
まるでそこに“誰か”が立っているみたいに。
「……いる」
小さな声だったけど、迷いはなかった。
「女の人。黒い……外套みたいなの着てる」
俺は反射的に、同じ方向をもう一度見る。
校舎裏の影。夕方の光が斜めに落ちて、コンクリートの凹凸が濃くなる時間帯。
やっぱり、何もいない。
「絶花、冗談――」
そう言いかけて、言葉を飲み込んだ。
胸の奥が、ちくりと刺された。
昨日、港で感じたのと同じ感覚。
視覚じゃない。聴覚でもない。
皮膚の内側に、直接触れられるみたいな圧。
「……分かる?」
絶花が、俺を見ずに聞いてくる。
「何か、いる感じ」
「……いや」
正直に答える。
「見えないし、分からない。でも」
自分の胸に手を当てる。
「ここが、ちょっとだけ重い」
絶花は、ほんの一瞬だけ俺を見た。
安心したような、でも納得していない目。
「やっぱり」
呟いて、もう一度影を見る。
その瞬間だった。
空気が、ずれた。
影の奥が“動いた”わけじゃない。
もともとそこにあったものが、輪郭を思い出したみたいな感覚。
俺は、息を止めていた。
見えない。
それでも、そこに“立っている”のが分かる。
「……来る」
絶花が低く言う。
次の瞬間、影の中から一歩、誰かが前に出た。
いや、出たというより――
影が、女の形を取った。
黒い外套。無駄のない立ち方。
夕陽を背にしているせいで、顔はよく見えない。
でも、視線だけははっきり分かった。
俺を、見ている。
「……やっと、気づいたか」
声が落ちてくる。
低くて、平坦で、感情の温度が分からない声。
俺の背中を、冷たいものが撫でた。
「約束は、覚えてるな」
その一言で、全部繋がった。
港。
後処理。
“これから行く先を見させてもらう”。
絶花が、息を呑む。
「……あなた」
言いかけて、言葉を探す。
胸元が、また淡く光る。
天聖が、はっきり反応している。
女は、俺から視線を外さずに言った。
「君は、見える側だ」
その言葉が、絶花に突き刺さる。
絶花の肩が、わずかに跳ねた。
否定できない、という反応。
俺は一歩、前に出た。
「絶花から、離れろ」
自分でも驚くくらい、即座に口から出た。
女は、ようやく俺を見る目を細めた。
「……王様気取りか」
皮肉でも嘲りでもない。
事実確認みたいな声音。
「違う」
言い切る。
「幼馴染だ」
それだけで十分だと思った。
女は何も言わなかった。
ただ、ほんの一瞬だけ、絶花の胸元の光に視線を落とす。
天聖が、ぴり、と光を強める。
「面白い組み合わせだ」
独り言みたいに呟いてから、俺に言う。
「忠告だ。次からは、彼女を連れてくるな」
「……なんで」
「巻き込むな」
短い言葉。
でも、重かった。
俺は言い返そうとして――
言葉が詰まった。
もう、巻き込んでいる。
その事実が、胸の奥で重くなる。
女は、それ以上何も言わなかった。
ただ、影の方へ一歩、下がる。
「“鳴った”ら、隠すな」
最後に、それだけ置いていく。
「知らせろ」
次の瞬間、部活の掛け声が大きくなった。
誰かがボールを投げ、地面に跳ねる音が響く。
視線をそちらに取られて――
戻した時には、もういなかった。
影は、ただの影に戻っていた。
「……消えた」
絶花が、ぽつりと言う。
胸元の光が、ゆっくりと収まっていく。
俺は、拳を握りしめた。
見えないまま。
分からないまま。
それでも、確かに――
俺たちは、同じ盤面に立たされた。
影が、完全には消えていない気がした。
女が立っていた場所。
そこだけ空気が薄く、音が一拍遅れて届く。
絶花は胸元を押さえたまま、視線を逸らさずに言った。
「……あなた、何者なの」
問いは真っ直ぐだった。
怖がっているのに、逃げない声。
返事は、あっさりと落ちてくる。
「名乗るほどの立場じゃない」
校舎裏に残った影が、微かに揺れる。
姿は見えないのに、そこに“いる”。
絶花の胸元が、また光った。
天聖だ。
光は強くならない。
ただ、鋭く、一定の明るさで脈を打つ。
「……嘘」
低い声。
それは絶花の声でもあり、違う気もした。
「立場がない人は、あんな言い方しない」
影の向こうで、気配がわずかに動いた。
「観測者だ」
短い言葉。
「巻き込まれる側でも、守る側でもない」
絶花が、思わず一歩前に出る。
「そんなの、ずるい」
胸元の光が、少しだけ揺らぐ。
「見てるだけで、責任は取らないってことでしょ」
沈黙。
その間に、俺は口を挟んだ。
「……それで十分だ」
自分でも驚くくらい、落ち着いた声だった。
二人の視線が、同時に俺に向く。
「絶花を守るのは、俺の役目だ」
言い切る。
「見てるだけなら、邪魔はしない」
胸の奥が、静かに熱を持つ。
斬月は出ていない。でも、確かに“そこ”にいる。
影の中から、声が一段低くなる。
「守る?」
疑問形だった。
「その覚悟で、彼女を連れて歩いているのか」
言葉が刺さる。
答えようとして、詰まる。
絶花が、俺の横に並んだ。
「……太郎は」
少しだけ、声が震える。
「太郎は、逃げない」
胸元の光が、強くなる。
「だから、私も逃げない」
その瞬間、天聖の気配が、はっきりと前に出た。
言葉じゃない。
感情が、そのまま刃の形を取ったみたいな圧。
影の向こうで、女が小さく息を吐く。
「なるほど」
納得の音だった。
「感覚で刃を振るうタイプか」
それは評価でも、揶揄でもない。
「……でも」
言葉が続く。
「感情は、境界を壊す」
その一言で、空気が張り詰めた。
絶花の肩が、ぴくりと動く。
「それでも」
即座に返す。
「感情がない刃なんて、ただの道具でしょ」
天聖の光が、ぴたりと安定する。
「人を守れない剣は、意味がない」
俺は、二人の間に立つ感覚になった。
どちらも、間違ってない。
どちらも、譲らない。
「……両方だ」
思わず口から出た。
「守るために、斬る」
胸の奥が、強く脈を打つ。
「感情も、覚悟も、全部使う」
影が、少しだけ濃くなる。
「欲張りだな」
声に、ほんの僅か、興味が混じった。
「だが――」
一拍置いて。
「王を名乗るなら、嫌いじゃない」
その瞬間、絶花が俺を見る。
驚いた顔。
少しだけ、誇らしそうな顔。
影は、また一歩下がる。
「条件は変えない」
冷静な声に戻る。
「次に“鳴った”ら、隠すな」
視線が、俺から絶花へ移る。
「そして――」
一瞬だけ、言葉が止まる。
「彼女を、選べ」
意味は、重かった。
影が、完全に薄れる。
残ったのは、校舎裏の冷たい空気と、
胸元でゆっくりと光を収める天聖。
絶花が、深く息を吐いた。
「……怖い人だったね」
「……ああ」
拳を、そっと開く。
影は、完全に日常へ溶けた。
校舎裏のコンクリートは冷たく、風はいつも通りに抜ける。
部活の声も、笑い声も、さっきより少しだけ近い。
さっきまで、ここに“何か”がいた。
そう言い切れるのに、証拠は一つも残っていない。
「……行った、よね」
絶花が胸元から手を離す。
天聖の光は、嘘みたいに静かだ。
「うん」
短く答えた。
追おうと思えば、追えたかもしれない。
でも、あの消え方は――追わせない消え方だった。
絶花はしばらく、校舎裏を見ていた。
怖がっている顔じゃない。考えている顔だ。
「ねえ、太郎」
「ん?」
「私さ」
一拍置く。
「“普通”じゃいられないんだと思う」
その言い方は、諦めでも悲観でもなかった。
事実を受け止める、落ち着いた声。
「見えちゃうし、感じちゃうし……たぶん、逃げても同じ」
胸元にそっと触れる。
天聖は反応しない。ただ、そこにある。
「それでも」
絶花は、俺を見る。
「太郎と一緒なら、選べる気がする」
選ぶ。
さっき、置いていかれた言葉。
「……俺も」
息を吸って、吐く。
「無知のままは、やめる」
斬月は出ていない。
王国の駒も、形を持たない。
それでも、胸の奥で何かが回る。
盤面が、静かに整え直される感覚。
「次に“鳴った”ら」
俺は言葉を続ける。
「隠さない。知らせる。独断しない」
それは、誰に向けた約束でもある。
絶花は、少しだけ笑った。
「……なんかさ」
「王様っぽい?」
「ううん」
首を振る。
「ちゃんと、人っぽい」
その言い方が、妙に嬉しかった。
校舎の影が、ゆっくりと伸びていく。
日常は続く。けれど、同じ形じゃない。
俺は、前を向いた。
次に何が来るかは分からない。
でも、盤面はもう動き始めている。
守る。
斬る。
選ぶ。
三つを同時に引き受ける覚悟だけが、静かに残った。
女王は誰にする?
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アルファ
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ララ·サタリン·デビルーク
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エミリア