※この作品はR-18です。

サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏)   作:ボルメテウスさん

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病院の出会い

消毒液の匂いって、どうしてあんなに現実へ引き戻すんだろうな。

 

潮の匂いがまだ鼻の奥に残っている気がするのに、白い床と白い壁の前では、そんなものは錯覚だと言い切られてしまう。受付の向こうで事務的な声が行き交い、椅子に座る人たちの咳払いが、波の音よりも規則正しく耳に入ってくる。

 

「……ほんとに来る必要あったか?」

 

そう口にした瞬間、隣から肘が飛んできた。痛くはない。けど、逃げ道を塞がれた感じがする。

 

「必要があるから来たんでしょ。あの人に言われたから、じゃなくて」

 

絶花はそう言いながら、胸元を両手で押さえている。制服の上からぎゅっと。天聖がうっかりしゃしゃり出ないように、押さえ込んでるのが見て取れた。

 

「……分かってるよ。分かってるけどさ」

 

問診票に住所と名前を書き込む。ペン先がやけに滑って、字が少し歪む。気のせいじゃない。手の感覚が、まだ戻り切っていない。

 

「だって、外傷はないだろ。擦り傷もない」

 

「外側だけ見て『大丈夫』って言うの、太郎の悪い癖」

 

ぴしゃり。昔から変わらない。正しいことだけを、正しいタイミングで投げてくる。

 

「……王様だから、ってやつ?」

 

冗談っぽく言ったつもりなのに、絶花の目は笑っていなかった。

 

「王様ならなおさら。身体壊したら、守れないでしょ」

 

守る。そう言われると、胸の奥が少し重くなる。海で“沈む”感覚が残っていることを、口にしてないのに見抜かれてるみたいで。

 

受付に問診票を差し出すと、看護師が淡々と確認して、番号札を渡してきた。紙の端が指に触れた瞬間、冷たさが骨まで届く。

 

「……あの人の紹介って言えば、早いんだな」

 

「だから言ったでしょ。式の親戚のとこって」

 

絶花の声が少しだけ小さくなる。病院で「親戚」って言い方をすると、何だか生活の匂いが混じる。あの剣士が、普通の繋がりを持っている。その事実が、妙に落ち着かない。

 

待合の椅子に座る。背もたれが固くて、肩甲骨が浮く。視線を泳がせると、壁の時計が秒針を刻んでいた。港の時間は、波で曖昧だったのに。

 

「太郎、手」

 

「……ん?」

 

差し出された手のひらを見て、やっと気づいた。自分の指が、ずっと握りっぱなしになっている。ほどこうとすると、関節がきしんだ。

 

「力、入れすぎ」

 

「癖だよ」

 

「それ、直した方がいい」

 

直した方がいいことだらけだ。王様になるとか言いながら、まだ自分の身体すら扱いきれてない。

 

胸の奥で、斬月が静かに沈んでいる気配がした。実体はない。けど、いないわけじゃない。刀を抜かない場所でも、そこにいる。

 

『……くだらん場所だな』

 

声が聞こえた気がして、思わず背筋が伸びる。隣の絶花が胸元をさらに強く押さえた。

 

「今、何も言ってない。ね?」

 

小声で釘を刺される。天聖のことだ。病院で胸元が光って喋り出したら、さすがに終わる。

 

「言ってないって。今のは……俺の方だ」

 

「……それも困るんだけど」

 

そう返されて、笑いそうになってしまう。笑うと喉が乾く。乾いたまま、息を吸う。肺の奥が、少しだけ冷たい。水の幻みたいに。

 

呼び出しの声がして、立ち上がった拍子に、膝がわずかに遅れて動いた。太郎、と絶花が呼ぶより先に、身体の方が「まだ戦場だ」と言っている気がする。

 

診察室に向かう途中、廊下の角で人とすれ違った。白い壁に、薄い影が伸びる。相手は背が同じくらいで、落ち着いた歩き方をしていた。ぶつかりそうになったのに、なぜか距離がぴたりと合って、肩も触れない。

 

「……すみません」

 

先に謝ったのは相手だった。声は柔らかい。過剰にへりくだらない、ちょうどいい距離の丁寧さ。

 

「いや、こっちこそ」

 

そう返しながら、足元に落ちた紙を見つけた。自分の番号札の控えだ。いつの間にか手から滑り落ちている。

 

しゃがもうとした瞬間、相手の手が先に動いた。迷いのない動作で拾い上げ、俺の手の中に戻してくる。指先の使い方が、妙に正確だった。

 

「ありがとうございます……」

 

礼を言いながら、相手の視線に気づく。俺じゃない。少し先の出入口、非常口の標識、それから曲がり角の死角。確認して、戻る。何でもないように。

 

「ここ、初めてですか?」

 

そう尋ねてきたのに、視線はずっと廊下全体を撫でている。気になって、つい言ってしまった。

 

「……慣れてるみたいに見える」

 

相手は一瞬だけ、唇を引き結んだ。それから小さく首を傾げる。

 

「そう見えますか。自分では……分からないです」

 

「分からない?」

 

「ええ。昔のこと、あまり覚えてなくて」

 

言い淀みがない。だからこそ、嘘か本当か判別しづらい。絶花が隣で、息を飲む気配がした。天聖の光は、反応しない。危険じゃない。でも、普通でもない。そんな空白がある。

 

「……水、怖くないですか」

 

相手が不意に言った。声の調子は変わらない。雑談の続きみたいに。

 

背中の皮膚がひやりとした。

 

「水?」

 

「はい。……なんとなく。息が詰まる感じ、残るでしょう?」

 

言い当てられた、というより、触れられた。胸の奥の“沈む”感覚を、指でなぞられたみたいに。咄嗟に笑って誤魔化そうとしたのに、口角がうまく上がらない。

 

「……まあ、ちょっとは」

 

「そうですか」

 

それだけで会話を終わらせる。踏み込まない。なのに、刺した針だけは残していく。

 

その瞬間、胸の奥で何かが小さく鳴った。斬月じゃない。王国の駒の方。盤面の端が、かすかにずれたみたいな感覚。こっちが勝手に反応しているのに、理由が分からない。

 

絶花が相手を見つめたまま、ぽつりと言った。

 

「……あなた、名前は?」

 

相手は一拍置いてから、微笑んだ。温度のある笑みだ。けど、目の奥はまだ遠い。

 

「名乗るほどでも……あ」

 

言いかけたところで、廊下の向こうから声が飛んできた。

 

「東郷さん、次、リハビリです。こちらへどうぞ」

 

相手が肩をすくめるように軽く会釈する。

 

「呼ばれてしまいました。失礼します」

 

歩き出す背中は、病院にいる誰よりも静かだった。静かなのに、廊下の空気がその人の後ろだけ薄くなる。

 

「……東郷」

 

絶花が小さく繰り返す。俺はその名前を口の中で転がしただけで、胸の奥がまた少しだけ反応するのを感じた。兵士、という駒の言葉が、勝手に浮かぶ。もちろん口には出さない。

 

呼び出しの声が俺たちにも届く。

 

「唯我さん、検査室へ」

 

「……行くか」

 

立ち上がると、足の裏が床に吸い付く。白い床の上で、海の影を引きずっている。なのに、今すれ違った人は、海のことを知らない顔をしていた。知らないはずなのに、触れてきた。

 

検査室の扉の前で、絶花が俺の袖をつまむ。

 

「太郎」

 

「ん?」

 

「……今の人、危ない感じじゃなかった。でも」

 

言葉の続きを探して、指に力が入る。天聖の光は静かなままだ。

 

「……普通じゃない」

 

「だろうな」

 

短く返した。短く返すしかなかった。

 

扉が閉まり、機械の音が近づく。心臓の鼓動が、その音と重なっていく。沈む感覚が、どこまで残っているのか。検査で分かるのは身体のことだけだ。盤面のずれは、誰が診てくれる。

 

――たぶん、式だ。

 

そう思った瞬間、ポケットの中でスマホが震えた。画面を見ずに分かる。あの人の間合いのまま、言葉が届く。

 

検査室の前で、俺は一度だけ深く息を吸った。

女王は誰にする?

  • アルファ
  • ララ·サタリン·デビルーク
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