※この作品はR-18です。

サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏)   作:ボルメテウスさん

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病院の堕天使

通話が切れても、耳の奥だけ残っていた。

白い廊下の明かりが、いっそう白くなる。消毒液の匂いが鼻の奥に張りつき、喉が紙やすりみたいに乾く。

 

絶花が待合から立ち上がる。胸元を押さえたまま、近づく足取りが妙に静かだった。病院の静けさに合わせようとしてるのが分かる。そういうところ、器用じゃないのに、こういう時だけ器用だ。

 

「……式さん?」

 

小声。短い。

頷きだけ返す。言葉にした途端、周りの空気が変わる気がした。

 

『息を整えろ』

 

胸の奥で、斬月が言う。刃が鞘の中で擦れるような声。

実体はない。なのに、重さだけ増えていく。

 

「医者が……殺されたって」

 

声が漏れた。漏れた瞬間、自分で自分の首筋を掴みたくなる。

ここは病院だ。死は日常の近くにある。だからこそ、言葉の毒が早い。

 

絶花の目が一度だけ大きくなる。次の瞬間、すぐ細くなった。周囲を見ている。誰もこちらを見ていない。けど、見ていないとも言い切れない。

 

「……犯人は」

 

「堕天使、だってさ」

 

言い切ると、絶花の指が制服越しに強く食い込む。天聖が勝手に喋りだしたら終わる。本人も分かっている。分かっているから、余計に顔が熱い。

 

「……ここに、いるの?」

 

「いる“はず”」

 

式さんの言い方は、いつもそうだ。

断言ではない顔をして、逃げ道を塞ぐ。

 

『規則から外れたものを探せ』

 

斬月が言った。

『ここは規則でできている。人も、物も、手順もな』

 

規則。

言われて初めて、音が耳に戻った。スリッパが擦れる音、車椅子の車輪、点滴スタンドの金属がかすかに鳴る音。受付のプリンターが紙を吐き出す音。全部、同じ方向へ流れていく。病院は“流れ”で人を運ぶ。

 

流れから外れるものだけが、目立つ。

 

立ち上がり、掲示板の前へ移動する。掲示物を見るふり。指先で紙の端を押さえる。紙が空調で揺れ、爪の先が冷える。

視線は掲示物じゃない。廊下だ。

 

白衣の医師が二人、早足で通った。靴音が軽い。忙しい音。

看護師がカルテを抱えて走る。髪留めが揺れて、カートの車輪が小さく跳ねた。慌ただしいズレ。病院らしい。

 

違うズレが、欲しい。

 

「太郎……」

 

絶花が背中越しに囁く。

同じ場所を見ている。言わなくても伝わるのは、幼馴染の特権だ。都合がいい。怖い時ほど。

 

「今は、普通の患者の顔しとけ」

 

「……努力する」

 

言い方が真面目すぎて、少し笑いそうになる。笑わない。喉が乾く。

 

ナースステーションの前。白衣の男が立っていた。

名札が裏返っている。忙しいならありがち。

ただ、忙しい人間は“忙しい音”を立てる。

 

男の足が、鳴らない。

床に吸い付くみたいに滑り、止まる位置が正確すぎる。半歩も無駄がない。

病院の“規則”に合わせているのに、規則を操っている側の動きだ。

 

『あれは慣れている』

 

斬月の声が落ちた。短く、硬い。

『ここに慣れているのではない。狩りに慣れている』

 

男の手には小さな保冷箱。

血液や検体を運ぶサイズ。けれど、ラベルが見えない。病院の箱には、名前が貼られる。番号が貼られる。誰の何かが貼られる。

何も貼られていない箱は、“誰のものでもない”ふりをしてる。

 

「……あの箱」

 

絶花が言いかけて止めた。声が空気に溶ける。

言葉の続きは要らない。目が言っている。

“病院っぽくない”。

 

男がこちらを見た。

視線が合った、というほど露骨じゃない。けど、こちらの位置を測った。距離を測った。呼吸の速さまで測ったような気がした。

胸の奥が熱くなる。王国の駒が、盤上の駒を数えるみたいに、ひとつ音を立てる。

 

『反応したな』

 

斬月が笑わない声で言う。

『あれは“医者”ではない』

 

背中に汗が滲む。冷房がそれを冷やす。ぞくり、と皮膚が粟立つ。

絶花の袖を軽く引く。半歩後ろへ寄せる合図。

 

男は歩き出した。検査室の方ではない。

人の多い通路から外れ、非常階段の扉へ向かう。あそこは普段、職員が使う。患者の流れから外れている。

流れから外れた場所を、流れの中にいる人間が選ぶ理由は少ない。

 

扉の前で、男は周囲を見ない。

鍵が必要なはずの扉に、迷いなく手を伸ばす。迷いがないのは、知っているからだ。知っているのは、権限があるか、壊す気があるか、どちらかだ。

 

『壊す気だ』

 

斬月が言った。

『お前たちの“光”を、開けるための鍵にする』

 

「追う」

 

口の中だけで言う。

絶花が黙って頷いた。頷きが小さいのに、足取りは揺れない。怖いはずなのに、揺れない。天聖が黙ってるから、余計に怖いはずなのに。

 

扉が閉まる瞬間、隙間から匂いが漏れた。

消毒液とは違う。乾いた金属の匂い。焦げた粉の匂い。肺の奥がきゅっと縮む。潮の匂いじゃないのに、沈む入口の匂いがする。

 

扉に手を置く。金属が冷たい。

その冷たさの上に、指先がざらつきを拾った。蝶番のあたりに、黒い粉。煤にしては細かすぎる。触れると、妙に軽い。指に貼りつく。

 

絶花が息を呑む。

 

「……これ」

 

「触るな。指、拭け」

 

自分でも驚くほど声が低かった。王様の声、ってやつか。

そういう自意識はすぐ捨てる。捨てないと、足が止まる。

 

『羽根の屑だ』

 

斬月が言った。

『落ちた羽根は、規則も落とす。命も落とす。平然とな』

 

平然、という言葉が嫌だった。

医者を殺す。病院で。平然と。

そんなのを許したら、“普通の友達が作れる国”なんて、口にする価値がなくなる。

 

息を吸う。短く吐く。

肺の奥が少し冷たい。海の冷たさじゃない。けど、似ている。

沈む感覚が足首に絡みつこうとして、床の硬さで踏み潰す。

 

「絶花。後ろから離れないで」

 

「……分かった」

 

袖を握る指が強くなる。

それで十分だ。守るものがあると、前に出られる。

 

扉を開ける。金属が鳴った。

その音が、病院の規則から外れる最初の一音になる。

階段の空気が上がってきた。冷たく、乾いて、暗い。

白い廊下が背中で遠のく。

 

『道は作る。迷うな』

 

斬月が言う。

短い。命令みたいに短い。

 

迷わない。

迷うなら、斬るものを間違える。

間違えたら、王様なんて名乗れない。

 

一段目に足を乗せた。ゴム底が擦れて、小さく鳴る。

その音に、誰かの気配が重なった気がした。下から。

息をひそめた、誰かの。

 

階段の闇が、病院の灯りを食べはじめる。

その境目で、絶花の肩がわずかに震えた。

震えを、袖を握る指が止める。止めたまま、前へ出る。

 

二段目。三段目。

足音は小さい。心臓の方がうるさい。

それでも進む。進んで、外れた規則の正体を掴む。

 

——医者を殺したのが、堕天使なら。

この階段の先は、病院じゃない。

“実験室”だ。

女王は誰にする?

  • アルファ
  • ララ·サタリン·デビルーク
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