※この作品はR-18です。

サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏)   作:ボルメテウスさん

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ヒント

非常階段の取っ手は冷たくて、指の腹がきゅっと縮む。金属の匂いが鼻の奥に刺さり、白い廊下の消毒液の匂いが一段薄くなった。扉の向こうは音が違う。空調の風が消え、代わりに、ひんやりした空気が上がってくる。湿っていないのに喉が濡れる錯覚だけが残る。

 

半歩後ろで、絶花が息を止めた。袖をつまむ指が強い。天聖は黙っている。黙っているほど、胸元の熱だけが増す。

 

『沈むな』

 

斬月が胸の奥で短く言う。刃先を置くみたいな言い方だ。説教じゃない。重しだ。

 

「……分かってる」

 

口の中で返す。声にしない。今は声が邪魔になる。

 

扉を開ける。カチ、と小さく鳴った音が、病院の規則から外れる最初の一音になる。階段は灰色で、蛍光灯がここだけ少し暗い。壁が近い。反響が薄い。足音が吸われる。俺の心臓の方がうるさい。

 

一段、降りようとして――背中側から、軽い足音が近づいた。

 

「……すみません」

 

振り向くと、さっき廊下ですれ違った女の人が立っている。息が少し上がっていて、手には紙コップ。自販機の水だ。日常の道具が、逆に目に痛い。

 

「東郷さん、だったか」

 

口に出してから、しまったと思った。名を呼ぶと距離が縮む。縮むと巻き込む。けど、もう遅い。

 

彼女は小さく頷いて、俺の肩越しに階段の闇を見た。覗き込むというより、目線だけが先に入っていく。妙に慣れてる。本人は気づいていない顔をしているのに。

 

「今、ここ入った人……」

 

言いかけて、言葉が引っかかったみたいに止まる。視線が戻ってきて、俺の手元――取っ手の辺り、指についた黒い粉を見た。眉が少しだけ動く。驚きじゃない。確認だ。

 

「その人、ここの人じゃないよ」

 

「……は?」

 

返しが間抜けになる。自分でも分かる。けど、東郷の声は淡いまま、揺れない。

 

「名札のクリップ。あれ、違う。ここは、磁石のやつ。あの人のは……挟むやつ。見たことない」

 

たったそれだけ。理由も、断定も、変な自信もない。

ただ、通ってる人間の、いつもの目線。だからこそ怖い。病院が“普通”を装ってる間に、部外者が混ざっている。

 

背中の皮膚がひやりとする。

医者が殺された。現場に残った物。堕天使。神器。

式さんの言葉が、一本の線になって繋がった。

 

『部外者だ』

 

斬月が言う。

 

『なら、目的は決まっている』

 

「……俺たち、か」

 

口の中で言うと、絶花が小さく息を飲んだ。袖をつまむ指が震える。怖さじゃない。怒りに近い熱だ。あいつは、我慢の仕方が不器用だ。

 

「絶花、今は黙って。東郷さんも、ここは危ない」

 

言い切る前に、東郷が首を振った。小さく、でも強い。

 

「平気。……って言いたいけど、平気じゃないのは分かる」

 

その言い方が、変に生活っぽい。

怖い場面なのに、日常の言葉で釘を刺してくる。余計に胸が詰まる。

 

「じゃあ、そこ。扉の外。戻って」

 

「……うん」

 

素直に返事をして、でも視線だけは階段に残す。自分でも止められないみたいだ。何かを思い出しそうで、思い出せない顔。

 

絶花がその視線に気づいて、口を開きかけ――すぐ閉じた。胸元を押さえ直す。天聖を黙らせるというより、自分の熱を抑え込む手つき。

 

俺は一段降りた。二段。足裏の感覚が床に吸いつく。

階段の踊り場に、薄い影が落ちている。影の形が不自然だ。角がある。箱の角。保冷箱を抱えた影。

 

『止まるな』

 

斬月の声が落ちる。

 

『“見つけた”と思った瞬間が罠だ』

 

「……分かってる」

 

短く返す。呼吸を数える。吸う。吐く。沈まない。

踊り場の角を曲がると、匂いが濃くなった。乾いた鉄。焦げた紙。消毒液の白さが遠ざかっていく。

 

下の階から、かすかな音がする。

カチ、カチ。金属が触れ合う音。

それから、紙をめくる音。

医者が殺された、と式さんは言った。

紙をめくる音がする。病院の紙だ。カルテか、検査票か。そこに血が混じっている気がして、喉が勝手に渇く。

 

絶花が後ろで息を殺してついてくる。半歩。約束通り。

その半歩が、頼もしい。今は、王様ごっこの言葉に頼らずに済む。

 

「……名札、違うって」

 

絶花が小さく言う。声が擦れる。黙れと言ったのに、黙れない。だから短い。

 

「東郷さん、ここに通ってるんだろ」

 

「……そういうこと」

 

『良い目だ』

 

斬月が言う。

 

『お前の国は、そういう目を集める国にしろ』

 

胸の奥が熱くなる。

嬉しい熱じゃない。責任の熱だ。

今は答えられない。答える前に、階段の先の影を切らなきゃいけない。

 

もう一つ、踊り場。

壁の向こうに、薄い明かりが滲む。蛍光灯より青い光。医療機器の光とも違う。

その光が、静かに、脈を打っている。

 

俺は足を止めない。止まれない。

止まったら、沈む。

沈んだら、絶花を巻き込む。

巻き込んだら、王様なんて言えなくなる。

 

影が動く。

箱が擦れる音。

そして――笑い声でも、ため息でもない、何かが息を吐く音がした。

 

病院の底で。

女王は誰にする?

  • アルファ
  • ララ·サタリン·デビルーク
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