サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
非常階段の空気は、白い廊下のそれとは別物だった。
乾いているのに、舌の裏が濡れる。金属が冷えた匂いが鼻の奥に張りつき、喉が勝手に狭くなる。
踊り場を折れた先、扉が一枚。
「検体保管室」。黒い文字。そこだけやけに新しい。取っ手に指を添えると、冷たさが骨へ沈み込んだ。
半歩後ろで、絶花が息を止めている。袖をつまむ指が強い。
胸元を押さえる手が外れかけ、また押さえ直す。天聖が黙っているのが、逆に怖い。黙っているほど、彼女の熱だけが増す。
『止まるな』
胸の奥で斬月が言う。短い。
言葉の端が刃みたいに硬い。
「分かってる」
吐いた息が白くならない。なのに、肺の内側が冷える。
扉を押す。すんなり開いた。鍵がかかっていない。
中は暗い。冷蔵庫の低い唸りが腹に響く。
青い光が棚の間から滲み、床に薄い水面みたいな影を作っている。
その影が、ゆっくり脈を打つ。
一歩踏み込んだ瞬間、匂いが変わった。
消毒液の清潔さが消え、乾いた鉄と焦げた紙の匂いが立つ。
そして――血。新しい血だ。喉が反射で鳴った。
棚の向こう、白衣の背中。
保冷箱を開け、透明な袋を取り出している。袋の中で赤が揺れ、チューブが細く伸びている。
人の身体の中にあるはずの色が、ここでは“部品”みたいに扱われていた。
「……やっぱり、ここだったか」
声が出た。抑えたつもりでも、室内が狭いせいで音が跳ね返る。
白衣の肩が、わずかに動いた。振り向く速さが、人間のそれじゃない。急ぎもしないのに、もうこちらを見ている。
顔にはマスク。目だけが見える。
黒い。濡れていない黒。光を吸う黒。
名札は裏返っている。クリップも違う。東郷の一言が刺さったまま、胸の奥が熱くなる。
「……患者さんがいる。ここで何してる」
言った途端、絶花が背中で小さく息を吸った。
怖いんじゃない。怒りの匂いが混ざる。
白衣の男が、青い光の端末を軽く撫でた。指先が手袋越しでも器用すぎる。
低い声が返る。喉の奥で鳴るような声。
「検査だよ」
「検査?」
「君の“光”のね」
その言い方が嫌だった。
知っているみたいに言う。持ち物を、体の一部を、勝手に「光」と呼ぶ。
背中の皮膚が粟立つ。
『言葉に乗るな』
斬月の声が落ちる。
『答えは手元にある。見ろ』
視線が勝手に男の手へ走る。
袋。血。チューブ。
棚の下には、医師用のIDカード。割れている。血が乾きかけて、角に黒く固まっている。
“医者が殺された”が、ここで現実になる。胃がひやりと沈む。
「……殺したのか」
白衣の男は首を傾げた。人間の仕草の模倣が、丁寧すぎて気味が悪い。
「必要だった。君たちの世界は、鍵が多い」
「君たち?」
「神器を抱えた者。光を飼ってる者」
呼吸が浅くなる。絶花の袖を握り返したい衝動を抑え、指先をほどく。
ここで揺れたら、こっちが負ける。病院の中だ。人がいる。守る順番を間違えられない。
「目的は」
短く訊く。
斬月が黙る。黙って、重みだけを寄越す。
王の駒が胸の奥で、規則正しく脈を打つ。
白衣の男が、端末の青い光を少し強めた。棚の影が伸び、床の影が濃くなる。
マスクの下で、笑っている気配だけがした。
「共鳴だ。君の駒と、彼女の剣」
絶花が一歩踏み出しそうになり、止まる。胸元を押さえたまま、目だけが鋭い。
「……天聖のこと、知ってるの?」
問いかけが短い。怒りが喉を焼いているのが分かる。
白衣の男は頷いた。頷きが軽い。人を“標本”として頷く軽さ。
「君の中の光は、形を変えた。彼の光も、形を変えた。面白い」
「面白い、で人を殺すのか」
「殺す?」
白衣の男が袋を吊るし、指先でチューブを弾いた。ぴん、と乾いた音。
その音が、心臓の鼓動と重なる。嫌な重なり。
「壊れたのは器だ。光は無事だよ」
器。
人を器と言った。医者を、患者を、俺たちを。
背骨が熱くなる。怒りが上がる。けど、上げたまま振り回したら病院が壊れる。
『冷静でいろ』
斬月が言う。
『斬る順番を決めろ。斬る場所もだ』
斬る場所。
視線が室内を走る。冷蔵庫。棚。端末。
この狭さで月牙を撃てば、壁を割る。割れた先に誰がいるか分からない。
絶花の天聖が喋った瞬間、見つかる。混乱が広がる。
「……絶花。外へ」
声を落として言う。
絶花が即座に首を振った。
「置いていかない」
反応が速い。昔からそうだ。
それでも、ここは譲れない。王様になるなら、まず駒を守る。守るってのは、抱え込むことじゃない。
「一緒にいるほど危ない。天聖が暴れたら、この病院が終わる」
言い切る前に、白衣の男が腕を上げた。袖の中から、黒い羽根が一本、すっと滑り出る。
羽根の先が針みたいに尖っている。
それが空気を裂き、まっすぐこちらへ飛んできた。
身体が勝手に動いた。
絶花の肩を引き、壁へ寄せる。針が床に刺さり、コンクリが小さく欠けた。
刺さった穴の縁が、じわ、と黒く染まる。腐るみたいに。
「……何それ」
絶花の声が震える。怖さじゃない。怒りと警戒が混ざる震えだ。
白衣の男がもう一本。もう一本。
羽根が増えるたび、部屋の空気が薄くなる。呼吸が軽くなる。軽すぎて苦しい。
「君たちは大人しくしてくれればいい」
男が言う。
その声に、病院の機械音が一瞬だけ重なる。
まるでここが、最初から実験室だったみたいに。
「剣を抜くな。光を見せろ。データを取る。君たちを壊さない。……壊したくない」
最後の言葉が一番嫌だった。
優しさの形をした支配だ。
生かすから従え、って顔をしている。
『抜け』
斬月が言った。短い。
迷いを切る刃みたいに。
「……今ここで?」
『今ここで抜かなければ、ここで沈む。沈めば、人が巻き込まれる』
心臓が一段強く鳴る。
俺は息を吸い、吐く。
扉の向こうに人がいる。上には待合。受付。患者。
この部屋で暴れたら終わる。だから、戦う場所を選ぶ。
「……誘導する」
口に出すと、少しだけ落ち着いた。王様の真似じゃなく、判断として口に出したからだ。
白衣の男が首を傾げる。その一瞬の隙に、手を前へ翳す。
胸の奥が熱く弾け、掌に重さが落ちてくる。
包丁みたいな刃。柄のない巨刀。サラシが巻かれた持ち手。
斬月が形になった。
絶花が目を見開く。恥ずかしさより先に、頼もしさが顔に出る。
そしてすぐ、胸元を押さえ直す。天聖を黙らせるための仕草。いじらしいほど必死だ。
「来い」
言葉は短く。
言い切った直後、足を踏み込む。
斬月を横に払う。刃は壁を割らない。空気だけを切って、羽根針の群れを叩き落とす。床で黒い針が跳ね、腐る穴が増える。
白衣の男が笑った気配を出す。
羽根が一斉に広がる。白衣の背中が裂け、黒い影が覗く。羽根の根元は濡れていない。なのに、焦げた匂いが立つ。
「……堕天使」
言った瞬間、男の目が細くなる。
言葉が当たった、という顔。
「呼び方はどうでもいい。君の光が欲しい」
「病院の外でやれ」
「外は邪魔が多い。ここはいい。器が多い。観測に向いてる」
器、また言った。
怒りが喉まで上がる。けど、ここで爆発させたら、相手の思う壺だ。
斬月の重さを握り直す。
絶花に背中で合図を送る。
“扉”。“外”。“人を遠ざけろ”。
言葉にせずに伝える。幼馴染の距離は、こういう時に役に立つ。
絶花が一度だけ頷き、音を立てずに扉の方へ寄る。
その動きに堕天使の視線が一瞬流れた。
流れた一瞬が、俺の一手になる。
「……ここから出る」
低く言う。
刃先を床へ向け、火花が出ない角度でコンクリを削る。
削った線の上に、黒い羽根針が落ちた瞬間――線が“切れて”穴が止まった。腐りが進まない。
『それだ』
斬月が言う。
『切るのは敵だけじゃない。巻き込みも切れ』
胸の奥が熱い。怖い熱じゃない。
手応えの熱だ。
堕天使が踏み込む。羽根針が雨みたいに降る。
俺は一歩退き、刃で受け流す。受け流すたび、針が床へ刺さり、黒い穴が増える。
増える前に、切って止める。
切って、止める。
病院を守りながら戦うって、こういうことか。
扉の外で、小さな足音が遠ざかる。絶花が人を呼びに行ったのか、避難させに行ったのか。
どちらでもいい。動いた。それだけで盤面が進む。
堕天使が首を傾げ、声を落とした。
「君は冷静だ。面白い。もっと光る」
「面白くない」
言い捨てる。
斬月を構え直す。
大技はまだ。ここじゃない。
場所を選ぶ。順番を選ぶ。守るために、切る。
青い光が一段強くなる。
堕天使の羽根が鳴る。紙を裂く音に似て、乾いている。
次の一撃で、こちらが動かす。
病院の人を、巻き込まない場所へ。
女王は誰にする?
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アルファ
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ララ·サタリン·デビルーク
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エミリア