※この作品はR-18です。

サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏)   作:ボルメテウスさん

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堕天使とは

冷蔵庫の唸りが、腹の底で鳴り続けていた。

棚の隙間から滲む青い光の向こうで、白衣の背中が“裂けた”。布が破れる音じゃない。空気が紙みたいに割れて、そこから黒い影が覗く。

 

背中に、翼。

濡れた質感はないのに、羽根の縁だけが焦げたようにざらついて見える。光を受けていないのに、輪郭が勝手に浮く。病院の蛍光灯の白さと、あいつの黒は相性が最悪だった。どっちも清潔を名乗って、どっちも人を器扱いできる顔をしている。

 

「……それが、お前の正体か」

 

返事は笑い声じゃない。息を吐く音だけだった。白衣の男が片手を上げる。指先に、淡い光が溜まる。手術灯の白とも違う、朝焼けの芯みたいな色。

次の瞬間、光は“形”になって伸びた。

 

槍。

細いのに、刃先だけ異様に太い。金属じゃない。光そのものが固まって、重さの代わりに圧でそこに居座っている。

 

「……槍、かよ」

 

『焦るな。あれは刺すためじゃない』

 

斬月の声が胸の奥で落ちる。

『切り分けるための光だ。外科医の手つきで来る』

 

言われた直後、槍が動いた。

直線じゃない。まっすぐ刺すふりをして、軌道が途中で滑る。こちらの足場を削るみたいに、床の上を舐めてくる。光が触れた場所が、じわりと黒ずんだ。腐る穴と同じ匂い。焦げた紙、乾いた鉄。

 

「冗談じゃねえ……!」

 

斬月を握り直し、刃を横に払う。

包丁みたいな巨刀が、光の槍と噛み合った。

 

金属の火花じゃない。

白い火花が散り、散った火花が空中で小さく弾けた。目の奥が一瞬だけ眩み、涙が勝手に滲む。痛い。光が刺さる。

 

腕が震えそうになるのを、足で止めた。

踏み込む。引く。押し返す。

力比べじゃない。角度の勝負。ここで大振りすれば棚が倒れて、病院の底に雪崩が起きる。棚が倒れた先に何があるか分からない。血袋だけじゃない。人だっている。

 

「……ここじゃ、撃てない」

 

『撃つな。削れ』

 

斬月が言う。

『刃を見せるな。線を作れ』

 

槍が二本目に増えた。増え方が気持ち悪い。翼の羽根が一枚、すっと光に溶けて、それがそのまま槍になっている。

一本は俺を押さえ、もう一本が絶花の方へ伸びる。絶花は扉際で息を殺し、胸元を押さえたまま動かない。天聖が喋れば、それだけで音が目立つ。喋らなくても、彼女はそこにいるだけで目立つ。

 

「……絶花、下がれ!」

 

「下がってる!」

 

返しが短くて、今はありがたい。

堕天使が槍をねじる。光が擦れて、空気が鳴った。耳の奥がキン、と痛む。

俺は刃を斜めに入れて受け流す。床を削る。削って、線を作る。光が線に触れた瞬間、槍の先端がわずかに“途切れた”。光が、切れ目で迷う。

 

「……いける」

 

堕天使が目を細める。マスクの下で笑っている気配がした。

 

「切れるのか。面白い。君の光は、手術に向く」

 

「褒めんな」

 

言い捨てて、足をずらす。

扉へ、非常階段へ。狭いこの部屋に留まるほど不利になる。相手は光で刺すんじゃない。場所を切り取って、逃げ道を無くす。

 

槍が追ってくる。

槍先が床を掠め、黒い染みが線になる。そこを踏めば、足首から持っていかれる気がした。海の底の冷たさが、また足元から這い上がる。

 

『沈むな』

 

斬月が低く言う。

『沈む前に、扉を切れ。空気を変えろ』

 

扉――検体保管室の扉に向けて、刃を振る。

扉そのものを壊さない。蝶番の金具だけ、薄く削る。

扉が“半分だけ”閉まる。狭い隙間ができる。そこへ、槍が突き込まれた。

 

光が、隙間に食いついた。

その一瞬、堕天使の動きが遅れる。

切り分けるはずの光が、逆に“挟まれた”せいで、自由を失った。

 

「今だ!」

 

絶花を押し出すように外へ出る。自分も続く。

扉の向こうは、階段の冷たい空気。病院の白さが一段戻る。戻るだけで、頭が少し冴えた。

 

――その時。

 

「……太郎! 絶花さん!」

 

声。

背中が凍った。

 

階段の上、廊下側に東郷が立っていた。紙コップを握ったまま、こちらへ踏み出しかけている。日常の手の形のまま、戦場に足を入れようとしている。

 

「来るな!」

 

叫んだ瞬間、遅かった。

堕天使の槍が、扉の隙間から“細い光”を滑り出させる。槍というより、縫い針。狙いは東郷の喉元――違う。喉元の少し横。心臓に届く線。

 

東郷が目を見開き、身体が硬直した。

逃げ方を知らない硬直じゃない。知っているのに思い出せない硬直。足が動かない人間の形。

 

俺は踏み込んだ。

斬月を立てる。光針と刃がぶつかる。

また白い火花。眩しさが網膜を焼き、腕の皮膚が熱を持つ。痛みが遅れて、じわりと掌に染みた。

 

「しゃがめ!」

 

「……っ!」

 

東郷が遅れて膝を折る。紙コップが床に落ち、水が広がった。水面に光が映り、床が一瞬だけ昼みたいに明るくなる。その明るさのせいで、廊下の先に人影が見えた。看護師だ。誰かがこちらを見ている。

 

まずい。

巻き込む。ここでやり合ったら、病院全体が戦場になる。

 

「絶花、シャッター!」

 

「分かった!」

 

絶花が廊下の壁際へ走り、非常用の防火シャッターのボタンへ手を伸ばす。迷わない。こういう時だけ、やけに迷いがない。

天聖は黙っている。黙っているからこそ、絶花の動きが研ぎ澄まされている。

 

堕天使が、扉の隙間越しに低く息を吐いた。

 

「器を守るのか。君は優しい」

 

「優しくない。順番の話だ」

 

言い返しながら、東郷の肩を掴んで壁へ引いた。

肩は軽い。骨ばかりじゃない。ちゃんと血が通っている重さ。守るべき重さ。

東郷が息を飲み、俺の腕の焦げた跡を見て、唇を震わせた。

 

「……ごめん、私、邪魔――」

 

「邪魔じゃない。動くな」

 

言い切って、視線だけで病院スタッフの影を追う。

見られている。見られたら説明が必要になる。説明を始めたら、相手の思う壺だ。

 

防火シャッターが降り始めた。ガラガラ、と重い音。

病院の“規則”が動く音。ありがたい音。

 

堕天使が槍を引く。光針が戻る。

シャッターが半分降りたところで、光がもう一度、隙間を狙う。

 

俺は刃を床へ滑らせた。

水の上を、斬月の刃が薄く走る。

光針が水面に触れた瞬間、反射した光が一瞬だけ“二重”になる。二重になった光の片方を、刃で切った。途切れた光が、空気の中で霧散する。

 

『良い。切り分けろ』

 

斬月が言う。

『敵の攻撃を切る。巻き込みを切る。迷いを切る』

 

シャッターが床まで落ちた。

廊下と階段が分断される。病院の人たちの視線が、こちらへ届かなくなる。音も減る。

その静けさの中で、東郷の呼吸だけが乱れているのが分かった。

 

「……今の、何」

 

東郷が小さく言う。

問いの形が日常だった。裏の世界の言葉じゃない。だから救われた。救われた分だけ、胸の奥が重くなる。

 

「後で話す。今は――」

 

言いかけたところで、シャッターの向こうから、光が滲んだ。

堕天使の槍が、金属の隙間を探っている。硬いものを切り分ける音がする。ギリ、と乾いた音。

あいつはここで終わらせるつもりがない。俺たちの“光”を取るまで追う。

 

「……移動する。屋上」

 

絶花が頷く。東郷は顔を上げ、ついて来ようとした。

その瞬間、また足が止まりかける。思い出せないまま、身体だけが恐怖を覚えている。

 

俺は東郷の手首を掴んだ。力は強くしない。逃げられない程度。引っ張らない。導く。

王様になるって、たぶんこういうことだ。大技を撃つことじゃない。大技を撃たない場所を選ぶことだ。

 

「離すな。息、吐け。今はそれだけでいい」

 

東郷が小さく頷いた。

その目が、ほんの一瞬だけ鋭くなる。戻りかけた記憶の端っこみたいに。

けど、すぐに薄れる。薄れた分だけ、日常の目が残る。

 

背後で、シャッターが軋む。

光の槍が、病院の規則を切り裂こうとしている。

 

俺は斬月を構え直し、階段を駆け上がった。

巻き込まないために。巻き込ませないために。

そのために、今は冷静でいる。

女王は誰にする?

  • アルファ
  • ララ·サタリン·デビルーク
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