サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
冷蔵庫の唸りが、腹の底で鳴り続けていた。
棚の隙間から滲む青い光の向こうで、白衣の背中が“裂けた”。布が破れる音じゃない。空気が紙みたいに割れて、そこから黒い影が覗く。
背中に、翼。
濡れた質感はないのに、羽根の縁だけが焦げたようにざらついて見える。光を受けていないのに、輪郭が勝手に浮く。病院の蛍光灯の白さと、あいつの黒は相性が最悪だった。どっちも清潔を名乗って、どっちも人を器扱いできる顔をしている。
「……それが、お前の正体か」
返事は笑い声じゃない。息を吐く音だけだった。白衣の男が片手を上げる。指先に、淡い光が溜まる。手術灯の白とも違う、朝焼けの芯みたいな色。
次の瞬間、光は“形”になって伸びた。
槍。
細いのに、刃先だけ異様に太い。金属じゃない。光そのものが固まって、重さの代わりに圧でそこに居座っている。
「……槍、かよ」
『焦るな。あれは刺すためじゃない』
斬月の声が胸の奥で落ちる。
『切り分けるための光だ。外科医の手つきで来る』
言われた直後、槍が動いた。
直線じゃない。まっすぐ刺すふりをして、軌道が途中で滑る。こちらの足場を削るみたいに、床の上を舐めてくる。光が触れた場所が、じわりと黒ずんだ。腐る穴と同じ匂い。焦げた紙、乾いた鉄。
「冗談じゃねえ……!」
斬月を握り直し、刃を横に払う。
包丁みたいな巨刀が、光の槍と噛み合った。
金属の火花じゃない。
白い火花が散り、散った火花が空中で小さく弾けた。目の奥が一瞬だけ眩み、涙が勝手に滲む。痛い。光が刺さる。
腕が震えそうになるのを、足で止めた。
踏み込む。引く。押し返す。
力比べじゃない。角度の勝負。ここで大振りすれば棚が倒れて、病院の底に雪崩が起きる。棚が倒れた先に何があるか分からない。血袋だけじゃない。人だっている。
「……ここじゃ、撃てない」
『撃つな。削れ』
斬月が言う。
『刃を見せるな。線を作れ』
槍が二本目に増えた。増え方が気持ち悪い。翼の羽根が一枚、すっと光に溶けて、それがそのまま槍になっている。
一本は俺を押さえ、もう一本が絶花の方へ伸びる。絶花は扉際で息を殺し、胸元を押さえたまま動かない。天聖が喋れば、それだけで音が目立つ。喋らなくても、彼女はそこにいるだけで目立つ。
「……絶花、下がれ!」
「下がってる!」
返しが短くて、今はありがたい。
堕天使が槍をねじる。光が擦れて、空気が鳴った。耳の奥がキン、と痛む。
俺は刃を斜めに入れて受け流す。床を削る。削って、線を作る。光が線に触れた瞬間、槍の先端がわずかに“途切れた”。光が、切れ目で迷う。
「……いける」
堕天使が目を細める。マスクの下で笑っている気配がした。
「切れるのか。面白い。君の光は、手術に向く」
「褒めんな」
言い捨てて、足をずらす。
扉へ、非常階段へ。狭いこの部屋に留まるほど不利になる。相手は光で刺すんじゃない。場所を切り取って、逃げ道を無くす。
槍が追ってくる。
槍先が床を掠め、黒い染みが線になる。そこを踏めば、足首から持っていかれる気がした。海の底の冷たさが、また足元から這い上がる。
『沈むな』
斬月が低く言う。
『沈む前に、扉を切れ。空気を変えろ』
扉――検体保管室の扉に向けて、刃を振る。
扉そのものを壊さない。蝶番の金具だけ、薄く削る。
扉が“半分だけ”閉まる。狭い隙間ができる。そこへ、槍が突き込まれた。
光が、隙間に食いついた。
その一瞬、堕天使の動きが遅れる。
切り分けるはずの光が、逆に“挟まれた”せいで、自由を失った。
「今だ!」
絶花を押し出すように外へ出る。自分も続く。
扉の向こうは、階段の冷たい空気。病院の白さが一段戻る。戻るだけで、頭が少し冴えた。
――その時。
「……太郎! 絶花さん!」
声。
背中が凍った。
階段の上、廊下側に東郷が立っていた。紙コップを握ったまま、こちらへ踏み出しかけている。日常の手の形のまま、戦場に足を入れようとしている。
「来るな!」
叫んだ瞬間、遅かった。
堕天使の槍が、扉の隙間から“細い光”を滑り出させる。槍というより、縫い針。狙いは東郷の喉元――違う。喉元の少し横。心臓に届く線。
東郷が目を見開き、身体が硬直した。
逃げ方を知らない硬直じゃない。知っているのに思い出せない硬直。足が動かない人間の形。
俺は踏み込んだ。
斬月を立てる。光針と刃がぶつかる。
また白い火花。眩しさが網膜を焼き、腕の皮膚が熱を持つ。痛みが遅れて、じわりと掌に染みた。
「しゃがめ!」
「……っ!」
東郷が遅れて膝を折る。紙コップが床に落ち、水が広がった。水面に光が映り、床が一瞬だけ昼みたいに明るくなる。その明るさのせいで、廊下の先に人影が見えた。看護師だ。誰かがこちらを見ている。
まずい。
巻き込む。ここでやり合ったら、病院全体が戦場になる。
「絶花、シャッター!」
「分かった!」
絶花が廊下の壁際へ走り、非常用の防火シャッターのボタンへ手を伸ばす。迷わない。こういう時だけ、やけに迷いがない。
天聖は黙っている。黙っているからこそ、絶花の動きが研ぎ澄まされている。
堕天使が、扉の隙間越しに低く息を吐いた。
「器を守るのか。君は優しい」
「優しくない。順番の話だ」
言い返しながら、東郷の肩を掴んで壁へ引いた。
肩は軽い。骨ばかりじゃない。ちゃんと血が通っている重さ。守るべき重さ。
東郷が息を飲み、俺の腕の焦げた跡を見て、唇を震わせた。
「……ごめん、私、邪魔――」
「邪魔じゃない。動くな」
言い切って、視線だけで病院スタッフの影を追う。
見られている。見られたら説明が必要になる。説明を始めたら、相手の思う壺だ。
防火シャッターが降り始めた。ガラガラ、と重い音。
病院の“規則”が動く音。ありがたい音。
堕天使が槍を引く。光針が戻る。
シャッターが半分降りたところで、光がもう一度、隙間を狙う。
俺は刃を床へ滑らせた。
水の上を、斬月の刃が薄く走る。
光針が水面に触れた瞬間、反射した光が一瞬だけ“二重”になる。二重になった光の片方を、刃で切った。途切れた光が、空気の中で霧散する。
『良い。切り分けろ』
斬月が言う。
『敵の攻撃を切る。巻き込みを切る。迷いを切る』
シャッターが床まで落ちた。
廊下と階段が分断される。病院の人たちの視線が、こちらへ届かなくなる。音も減る。
その静けさの中で、東郷の呼吸だけが乱れているのが分かった。
「……今の、何」
東郷が小さく言う。
問いの形が日常だった。裏の世界の言葉じゃない。だから救われた。救われた分だけ、胸の奥が重くなる。
「後で話す。今は――」
言いかけたところで、シャッターの向こうから、光が滲んだ。
堕天使の槍が、金属の隙間を探っている。硬いものを切り分ける音がする。ギリ、と乾いた音。
あいつはここで終わらせるつもりがない。俺たちの“光”を取るまで追う。
「……移動する。屋上」
絶花が頷く。東郷は顔を上げ、ついて来ようとした。
その瞬間、また足が止まりかける。思い出せないまま、身体だけが恐怖を覚えている。
俺は東郷の手首を掴んだ。力は強くしない。逃げられない程度。引っ張らない。導く。
王様になるって、たぶんこういうことだ。大技を撃つことじゃない。大技を撃たない場所を選ぶことだ。
「離すな。息、吐け。今はそれだけでいい」
東郷が小さく頷いた。
その目が、ほんの一瞬だけ鋭くなる。戻りかけた記憶の端っこみたいに。
けど、すぐに薄れる。薄れた分だけ、日常の目が残る。
背後で、シャッターが軋む。
光の槍が、病院の規則を切り裂こうとしている。
俺は斬月を構え直し、階段を駆け上がった。
巻き込まないために。巻き込ませないために。
そのために、今は冷静でいる。
女王は誰にする?
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アルファ
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ララ·サタリン·デビルーク
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エミリア