サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
病室の灯りは落とされていて、枕元の小さな照明だけが、白いシーツのしわをやわらかく浮かせていた。
規則正しく鳴る機械音。点滴の落ちる間。カーテンの裾が、夜の空調にわずかに揺れる。
眠っている太郎の呼吸は、昼より落ち着いていた。けれど、絶花はさっきから何度も同じ場所を見てしまう。腕。肩。包帯の端。あの階段で光を受けたときに、熱の匂いがした場所だ。
胸元を押さえる手に、つい力が入る。天聖は今夜は珍しく黙っていた。黙っているぶん、余計に心臓の音が目立つ。
病室の扉が、音を立てないように少し開いた。
「……起こしちゃいましたか」
小さな声で、東郷が入ってくる。手には紙袋。売店のロゴが入っていた。飲み物か、ゼリーか、そういうものだろう。気を遣って持ってきたのが見て分かる。
「ううん。まだ寝てる」
絶花も声を落として返す。東郷は太郎の寝顔を見て、ほっとしたように肩の力を抜いた。そのあと、どこに立てばいいのか迷ったみたいに一歩止まる。
「……そこ、座る?」
ベッドの反対側の丸椅子を指すと、東郷は軽く会釈して座った。紙袋は膝の上。指先が袋の端をなぞって、すぐ離れる。
少し、間ができる。
気まずいわけじゃない。ただ、言いたいことが同じ方向に渋滞している感じだった。
先に口を開いたのは、ほとんど同時だった。
「この前は――」
「その、あの時――」
重なって、二人とも止まる。
絶花が目を丸くして、東郷が困ったように笑う。小さな笑いが病室の静けさにやわらかく混ざった。
「……先、どうぞ」
「いや、絶花さんこそ」
また少し譲り合って、結局、絶花が先に息を吸った。
「……ありがとう。太郎、助けてくれて」
言ってから、胸のあたりが少し熱くなる。ちゃんと言えた、と思う反面、遅かった気もする。もっと早く言うべきだったのに、顔を合わせると別の心配ばかり先に出てしまっていた。
東郷は一瞬、目を伏せた。すぐに首を横に振る。
「助けた、っていうほどじゃないです。私は、見えたことを言っただけで……」
「その“言っただけ”が、なかったら駄目だった」
絶花は太郎の眠る横顔を見たまま続ける。
「太郎、前に出るのは速いけど、全部が見えてるわけじゃないから。……えっと、本人の前ではあんまり言わないけど」
東郷の口元が少しゆるむ。
「分かります。なんとなく」
「分かるんだ」
「はい。無茶をする人、って意味じゃなくて……守るって決めた時の動きが、先に来る人だなって」
その言い方に、絶花は東郷の方を見た。病室の薄い灯りの中で、東郷の目は静かだった。まだ迷いはある。それでも、あの階段で見たものを、ちゃんと自分の言葉で持っている目だった。
「東郷さんのそれ、すごいよ」
「すごくないです。正直、自分でも怖いです」
東郷は膝の上の紙袋を軽く握る。
「分かることがあるのに、どこで覚えたのか思い出せないのって、落ち着かなくて。役に立てたのは……よかったです。でも、そのたびに、前の自分が何をしてたのか近づく感じがして」
言葉の終わりが少し細くなる。強がっていない声だった。
絶花はすぐに励ましの言葉を探しかけて、やめた。きれいな言葉で蓋をするのは、たぶん違う。分からないものを抱えている感じは、自分にも覚えがあった。天聖が喋り出したばかりの頃、自分の胸の中にあるものを「自分のもの」と言い切れなかった時間がある。
「……怖いよね」
短く言うと、東郷が顔を上げる。
「私も、天聖のこと、最初から平気だったわけじゃない。今だって、平気じゃない時あるし」
「でも、絶花さんは……ちゃんとしてます」
「してないしてない。太郎が変なこと言い出すたびに、止めるので精一杯」
思わず本音が出る。東郷が今度はちゃんと笑った。笑ってから、ベッドの太郎を見る。その視線に、さっきより少しだけやわらかさが増えていた。
「……絶花さん、ずっとそばにいたんですね」
「幼馴染みだから」
答えてから、絶花は少しだけ言い直すように続ける。
「それだけじゃないけど。あいつ、王様になるって本気で言うから。放っておくと、ほんとに一人で先に行こうとするし」
「言ってました。家臣になってほしい、って」
東郷の声が少しだけ慎重になる。絶花は驚くより先に、妙に納得した。太郎なら言う。たぶん真っすぐ、回りくどくなく。
「……言ったんだ」
「はい。知識を貸してほしいって」
絶花は小さく息を吐いて、目を閉じた。太郎らしい。戦力が欲しい、じゃなくて、知識を貸してほしい。そういう言い方をする時の太郎は、少しだけ大人びて見える。少しだけ、だいぶ危なっかしいままだけど。
「それで、東郷さんは?」
東郷はすぐには答えなかった。紙袋の端をなでる指が止まる。病室の時計が一秒、二秒進む。
「……受けました」
静かな声だった。決意を見せつける声じゃない。迷いを残したまま、でも引かない声。
「怖いのは、まだ消えてないです。でも、あの時……助けたいって思ったのは本当だったから」
絶花の胸の奥で、強く張っていたものが少し緩む。安堵に近い。でも、それだけじゃない。嬉しい、という言葉にすると軽くなる気がして、代わりに肩から力が抜けた。
「そっか」
それしか言えなかった。けれど、東郷は十分みたいに頷いた。
少しして、東郷が紙袋を持ち上げる。
「これ、売店で。ゼリーとスポーツドリンク。太郎さんが起きたら、飲めるかなと思って」
「ありがとう。……って、また私が言ってる」
「じゃあ、私も言います。絶花さん、ありがとうございます」
「え、私?」
「はい。太郎さんのこと、ちゃんと見てるから。ああいう人のそばにいる人が落ち着いてると、助かります」
絶花は思わず視線を逸らした。褒められるのは苦手だ。まして、東郷みたいに静かに真っすぐ言われると、逃げ場がない。
「落ち着いてるかは、ちょっと自信ないけど……」
「でも、止める時は止める人だなって」
その一言に、絶花は太郎の寝顔を見て、少しだけ口元を上げた。
「……それは、たぶん合ってる」
二人で小さく笑う。大きな声を出さなくても、同じものを見て笑えた。
ベッドの上で、太郎が寝返りを打つ。シーツが擦れる音に、二人とも同時にそっちを見る。その動きが揃っていたことに気づいて、また少しだけ笑ってしまう。
病室の夜は静かだった。
けれど、さっきまでの静けさとは違う。言葉を飲み込んで重くなる静けさじゃない。言えた言葉が、ちゃんと残る静けさだ。
絶花は紙袋を受け取り、ベッド脇の台にそっと置いた。
「東郷さん」
「はい」
「これからも、たぶん太郎は無茶するから」
「……そうですね」
「その時は、一緒に止めて」
東郷は一瞬きょとんとして、それから、はっきり頷いた。
「はい。一人だと止めきれなさそうですし」
「うん。そこは私も同意」
病室の灯りの下で、先に「ありがとう」を言ったのがどっちだったかは、もうどうでもよくなっていた。
大事なのは、次に何か起きた時、二人とも同じ方向を向けるってことだ。
女王は誰にする?
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