サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
商店街を抜けると、急に音が減った。
さっきまで耳にまとわりついていた呼び込みの声や、自転車のベルや、店先の笑い声が、一本裏の道に入っただけで遠くへ引いていく。夕方の空気はまだ明るいのに、路地の奥だけが少し早く夜になりかけているみたいだった。
流子はその変化に、俺より先に気づいたらしい。
「……なんか、変だな」
ぼそっと落ちた声に、絶花が隣を見た。
「変って?」
「うまく言えねえけど……さっきまでうるさかったのに、急に静かすぎる」
言いながら、流子は足を止めなかった。けど、歩幅が半歩ぶんだけ狭くなる。警戒してる。喧嘩の前に重心を落とす時と、少し似た動きだった。
俺は前方の細い道を見た。
街灯はまだ点いていない。電線の影がアスファルトを斜めに切っていて、その先、曲がり角のあたりだけ空気がわずかに揺れている。熱でもない、風でもない、あの手の揺れだ。
「……絶花」
小さく呼ぶと、すぐに返事が来た。
「うん。私も、ちょっと嫌な感じしてる」
そう言った絶花の手は、もう胸元に添えられていた。制服の布越しに、天聖を押さえる癖。まだ光ってはいない。なのに、触れていないと落ち着かない時の手つきだ。
流子が、俺たちを交互に見た。
「お前ら、さっきからそういう“分かってる会話”すんの、何なんだよ」
棘のある言い方だった。けど、怒ってるというより、置いていかれるのが気に食わない声だ。
その温度が分かったせいで、返事に迷う。
ここで誤魔化すのは簡単だ。
「気のせい」とか、「疲れてるんじゃないか」とか、適当な言葉で押し戻せる。けど、それをやった瞬間、この場にいる三人のうち、一人だけをわざと外に置くことになる。
それが、妙に嫌だった。
「……今は、説明しにくい」
そう言うのがやっとだった。
我ながら、ひどい答えだと思う。
案の定、流子の眉が寄る。
「は? それで納得できると思ってんのか」
「思ってない。だから困ってる」
返しながら、路地の先から目を離さない。
気配が薄い。薄いくせに、そこにいる。こういう時の嫌さは、海の時とも病院の時とも違う。もっと小さい。小さいぶん、見落としやすい。
『雑だな、王様』
胸の奥で、斬月が低く言った。
『遠ざけたいなら、遠ざける言葉を選べ。巻き込む気なら、腹を括れ』
内側から刺されるみたいな言い方だった。
その通りすぎて、腹が立つ。
「太郎?」
絶花の声が、少しだけ近くなる。
不安にさせた、と思った瞬間、路地の奥で、カラン、と小さな音が鳴った。
空き缶が転がったような、軽い音。
でも、そのあとがない。風で鳴ったなら、もう少し転がる。人が蹴ったなら、足音が続く。
静かすぎる。
流子が息を詰めたのが分かった。
「……あそこ、何かいる」
その言い方は、直感だった。断言じゃない。なのに、たぶん当たっている。
絶花の指先に力が入る。
制服の胸元が、ほんのわずかに熱を帯びた。光まではいかない、前触れの熱だ。
「っ、天聖……今は、まだ」
押し込むみたいに、絶花が小さく呟く。
流子の目が、その仕草に止まった。
「おい、今……」
「下がって」
俺は流子の方を見ずに言った。
視線を逸らしたら、たぶんあれは動く。
「何がいるか分かんねえ。でも、普通じゃない」
言葉を選ぶ余裕はなかった。
それでも、今度は誤魔化さなかった。
流子はしばらく黙った。
その沈黙が、やけに長く感じる。怒るか、笑うか、馬鹿にするか。どれでもありえた。そう思っていたのに、返ってきたのは、少し低い声だった。
「……じゃあ、お前らは知ってるんだな。こういうの」
責めるでもなく、試すでもない。
確認するみたいな声だった。
「知ってる、ってほど偉そうには言えないけど」
絶花が先に答える。
顔は路地の先を向いたまま。けど、声は流子に向いていた。
「何度か、巻き込まれてる」
「巻き込まれてる、で済ますことかよ、それ」
「済んでないよ」
絶花の返事は、思ったより静かだった。
言い返すでもなく、弱るでもなく、そのまま置く声。
「済んでないから、今も怖いし。だから、流子には下がってほしいの」
流子が息を飲む。
たぶん、そこだ。絶花はこういう時、自分だけ取り繕わない。強がるくせに、肝心なところでは本音を隠しきれない。その不器用さが、変に真っ直ぐ届く。
「……あたしだけ下がらせて、お前らはどうすんだよ」
「どうにかする」
俺が言うと、流子はすぐに睨んだ。
「どうにか、って何だよ。一番信用できねえやつだろ、それ」
言われて、少しだけ言葉に詰まる。
否定できない。俺自身、「どうにかする」の中身が、いつも綺麗に説明できるわけじゃない。
『そこだ』
斬月が言う。
『言葉が足りない時に、独りで背負うから歪む』
うるさい。
けど、間違ってないのが一番うるさい。
路地の奥で、今度は影が動いた。
猫ほどの大きさ。いや、もっと低い。地面を這うみたいに、黒い塊がゆっくり滲み出てくる。輪郭が曖昧で、目だけが妙に濡れて光っていた。
使い魔。
下っ端。
まだ小さい。けど、小さいからこそ厄介だ。物陰に潜って、人を驚かせて、傷つけるには十分なサイズ。
流子が一歩前に出る。
「……見えてる。今、あれ見えてるよな?」
「ああ」
もう誤魔化せない。
ここで「見間違いだ」と言ったら、それこそ嘘になる。
「じゃあ、下がれってのは無理だ」
流子の声が、さっきまでと変わっていた。
意地を張る時の声だ。怖くないわけじゃない。怖いまま、引かない時の、あの短い声。
「見て見ぬふりなんか、できるかよ」
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
似てる、と思った。こういう時に引けないところが、馬鹿みたいで、だから放っておけない。
絶花も、それは分かったらしい。
困ったように眉を寄せて、それでも、少しだけ口元を緩めた。
「……流子、ほんとに変なとこで頑固」
「お前にだけは言われたくねえ」
「私も、そう思う」
二人の言葉がぶつかって、その間に、妙に静かなものが落ちる。
まだ友達と言い切れる距離じゃない。けど、片方が手を伸ばして、もう片方が完全には振り払わなかった、その続きの空気だ。
黒い塊が、じり、と地面を擦る。
舗装の上に薄い爪跡が残る。
俺は息を吸った。
大きく戦うほどじゃない。けど、ここで見せるには十分にまずい。人通りがまったくないわけでもない。長引かせたくない。
「絶花、光は抑えろ」
「分かってる」
「流子は――」
そこまで言って、止まる。
下がれ、と言っても下がらない。だったら、言い方を変えるしかない。
「……そこから動くな。俺たちの後ろに立て」
流子の目が細くなる。反発するかと思った。
でも、数秒だけ考えて、それから舌打ちに近い息を吐いた。
「命令すんなよ」
「命令じゃない。頼んでる」
「なお悪い」
そう言いながら、それでも流子は絶花の半歩後ろに移った。
渋々だ。けど、その渋々の中に、ちゃんと“任せる”が混じっている。
黒い塊が跳ねた。
その瞬間、絶花の胸元がかすかに光る。
抑えていた熱が、細い線になって漏れた。眩しいほどじゃない。けれど、普通じゃないと知るには十分だった。
流子が、息を呑む。
「……っ、今の」
その声に、驚きと、妙な納得が同時に混ざる。
見間違いじゃない。気のせいじゃない。自分がおかしいわけでもない。そういう確信が、一番最初に人を黙らせる。
俺は前へ出て、黒い塊を蹴り飛ばすみたいに間合いを潰した。
斬月を出すまでもない。まだ、その段階じゃない。足で払えば十分な雑魚だ。影は短く軋んで、壁の向こうへ逃げるように消えた。
静けさが戻る。
けど、さっきまでの静けさとは違う。今の沈黙には、見てしまったものがちゃんと残っている。
流子が、ゆっくり口を開いた。
「……ほんとに、いたんだな」
それは俺たちに向けた言葉で、同時に、自分自身へ言い聞かせる声でもあった。
絶花が胸元を押さえ直しながら、そっと答える。
「うん。いる」
短い返事だった。
でも、その短さの中に、隠してきたものを認める重みがあった。
流子はしばらく黙っていた。
それから、いつものぶっきらぼうな口調に戻そうとして、少し失敗したみたいに低く言う。
「……先に言えよ、そういうの」
「言ったら、信じた?」
絶花の問いに、流子はすぐには答えなかった。
視線が一度だけ路地の暗がりを見て、それから俺たちに戻る。
「……分かんねえ。けど」
そこで言葉を切る。
頑固なやつが、本音を出す前の間だ。
「今は、信じる」
夕方の風が、三人の間を抜けていく。
変な気配はまだ、完全には消えていない。なのに、その場に残った空気は、さっきより少しだけましだった。
変な縁だ、と思う。
こっちが隠していたものを、たった一度見られただけで、もう昨日までと同じ他人ではいられなくなる。
たぶん、それでも。
こういうのを、縁って呼ぶしかないんだろう。
女王は誰にする?
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アルファ
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ララ·サタリン·デビルーク
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エミリア