サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
家に着いた頃には、夜の匂いがもうすっかり町を包んでいて、門の脇に置いた植木鉢の土まで昼より冷たくなっていた。
うちは家族がいないわけじゃないが、父さんも母さんも帰りが遅い日が多くて、灯りの少ない玄関はだいたい自分の気配で開く。
だから他人を連れて帰る時だけ、この家は急に「誰かの家」らしい顔を見せてくるから不思議だった。
「……ここが太郎の家なんだ」
ライザが玄関の上がり框に立ったまま、靴を脱ぐより先に中を見回している。
視線の動きが露骨にきょろきょろしていないぶん、逆に好奇心の強さがよく分かる。
未知の薬品棚でも見るみたいな目で、廊下も階段も靴箱も順番に測っているから、落ち着かないのはこっちの方だった。
「とりあえず今は仮住まいだからな、変な実験は家の中でやるなよ」
「変な実験って言い方、ひどくない?」
「倉庫の扉を吹っ飛ばしたやつに言ってるんだから、だいぶ優しい方だと思うけど」
ライザは唇を尖らせて、それから靴を揃えて上がった。
こういうところだけ妙にちゃんとしているのが、余計に調子を狂わせる。
危ないことをするくせに、生活の所作は意外と丁寧だなんて、どこで覚えたんだと言いたくなる。
絶花は俺の横で靴を脱ぎながら、家の中よりライザの方を気にしていた。
心配しているのは分かるし、ありがたいとも思う。
ただ、その心配の中に、ほんの少しだけ別の色が混じっているのも、幼馴染としては見逃せない。
「ライザ、今日はちゃんと寝てね、夜中に急に何か混ぜたりしないでよ」
「しないよ、たぶん」
「たぶんが一番信用できないんだけど」
絶花の声は柔らかいのに、言葉の置き方だけ少しきつい。
ライザはその温度に気づいているのかいないのか、困ったように笑ってから肩にかけた鞄を軽く叩いた。
「大丈夫、危ないのは分けてあるから」
「その言い方も十分怖いよ……」
絶花がため息をつく。
そのため息は、さっき倉庫で聞いた呆れより少しだけ深かった。
俺が家まで連れてきたことに対して文句を言いたいわけじゃない、けれど、だからといって簡単に割り切れるわけでもない、そんな時のため息だ。
「絶花はもう帰るのか」
「帰るよ、帰るけど……」
そこで言葉が止まって、視線だけが俺とライザの間を一度だけ往復した。
天聖を押さえる時とは別の意味で、指先が制服の裾をつまんでいる。
少し嫉妬している時の絶花は、自分からそれを認めないかわりに、どうでもよさそうな細かいところへ妙に引っかかる。
「……太郎、変に張り切らなくていいからね」
「張り切るって何をだよ」
「その、受け入れるのに一生懸命になりすぎて、自分の部屋まで明け渡したりしないでってこと」
「そこまで人が良く見えるか、俺が」
「見える時があるから言ってるの」
言い切ってから、絶花は少しだけ頬を膨らませた。
怒っているほどじゃないし、拗ねていると言い切るには静かすぎる。
でも、気にしているのは明らかだった。
ライザがそのやり取りを面白そうに見ていて、余計にこっちは居心地が悪い。
この女は空気の化学変化まで観察対象にしそうだから油断できない。
「じゃあ私は帰るけど、ほんとに何かあったら連絡して」
「分かってる」
「分かってなさそうだから何回も言うんだよ」
最後にそう言って、絶花はライザにも向き直った。
心配の中に小さな対抗心が混じっているのに、言葉そのものはちゃんと真っ直ぐだ。
「ライザも、困ったら一人で抱え込まないで」
「うん、ありがとう」
「……あと、太郎で遊びすぎないでね」
「そこは保証できないかも」
「おい」
ライザの返しに絶花が小さく目を細めて、それでも最後は諦めたみたいに息を吐いた。
玄関の扉が閉まる音は静かだったのに、そのあと家の中へ落ちた静けさだけ妙に大きい。
さっきまで三人でいた空気が、急に二人分になると、廊下の広さまで違って見えるから困る。
「……とりあえず、荷物はこっちな」
空いている客間を案内すると、ライザは部屋の真ん中で一度だけゆっくり回った。
畳も机も押し入れも、全部を見て、それから満足そうに頷く。
仮住まいだと最初に言ったはずなのに、もう半分は作業場の寸法を測っている顔だった。
「いいね、思ったより広い」
「寝るだけなら十分だろ」
「寝るだけならね」
そこで笑う。
やっぱり、寝床だけで済ませる気は最初からないらしい。
俺は肩をすくめて、座布団を一枚だけ部屋の端へ放った。
「今日は大人しくしろよ」
「努力はする」
「言い方が信用できない」
「そのへんは相互理解ってことで」
相互理解の使い方が軽すぎる。
けれど、こういうふうに無理なく言葉が返ってくる相手って、案外少ない。
東郷の丁寧さとも、流子の噛みつきとも違う。
ライザは距離を詰めるのがうまいんじゃなくて、興味を持った相手の懐へ平気で入るだけなんだろう。
俺が台所へ水を取りに行って戻ると、ライザはもう床に鞄を広げていた。
帰ったばかりだというのに、休むより先に中身の確認を始めるあたり、本当に性分なんだと思う。
革の留め具を外し、小瓶を並べ、紙包みを分け、ラベルの向きを揃えていく手つきが妙に手慣れていた。
「……何してる」
「薬の整理、爆発の後って、中で順番がずれると嫌なんだよね」
「順番って、棚じゃなくて中身の話か」
「うん、揮発しやすいものと、混ざるとまずいものと、逆に近くに置いといた方が楽なものとで分けたいし」
言ってることは分からない。
でも、分からないなりに、この女がこういう時だけ真剣なのはよく分かった。
作ることに触れている時のライザは、さっきまでの明るい調子のままなのに、どこか祈るみたいな丁寧さが混じる。
小瓶が畳の上へ順番に並んでいく。
青、琥珀、透明、乳白色、光を含んだ薄緑。
色が増えるたび、この部屋が急に“居候の寝床”じゃなく“工房の入口”へ変わっていく感じがした。
「お前、ほんとに作るの好きなんだな」
何気なく言ったつもりだった。
ライザは瓶の栓を確かめる手を止めて、それから少しだけ笑う。
「好きだよ、たぶんそれしかないって言い方もできるくらいには」
軽いのに、少しだけ深い。
その返事の底に触れそうになって、俺はそれ以上踏み込まなかった。
まだ早い気がしたし、こういうのは向こうから零れる時の方がたぶん正しい。
その時だった。
並べかけていた小瓶の一つが、ライザの袖に軽く引っかかって、畳の端からころりと転がった。
転がり方だけは妙にゆっくり見えたのに、止まる前に瓶の底が畳の縁へ当たり、乾いた音と一緒にひびが走る。
「あ」
その一文字が、さっきまでの軽さとまるで違う重さで落ちた。
次の瞬間、小瓶は細く割れ、甘い匂いが煙みたいにふわりと広がって、部屋の空気を一気に変えた。
薬品とも花ともつかない熱を含んだ匂いに、俺が思わず息を止めると、ライザは割れた瓶と俺の顔を見比べながら、明らかにやらかした時の顔で目を見開いていた。
女王は誰にする?
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エミリア