※この作品はR-18です。

サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏)   作:ボルメテウスさん

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小瓶は割れて

割れた小瓶から広がった匂いは、花の甘さに薬品の熱を溶かしたみたいな、頭の奥へ直接入り込んでくる種類のものだった。

鼻で吸った瞬間にまずいと分かるのに、分かったところで肺は勝手にその煙を受け入れてしまうから、こういう時の身体は本当に信用ならない。

俺が反射で口元を押さえた時にはもう遅くて、喉の奥がじわりと熱を持ち、その熱が変に正直な速さで全身へ落ちていくのが分かった。

 

ライザは割れた瓶と俺の顔を交互に見て、それから目を見開いたまま固まった。

さっきまで鞄の中身を迷いなく仕分けていた手が、今は宙ぶらりんのまま止まっている。

こういう時に一番信用できそうな人間が、こういう時に限って一番分かりやすく動揺しているのは、もはや笑うしかない構図だった。

 

「……それ、何の薬だ」

 

できるだけ平静を装って訊いたつもりだったが、自分の声が思ったより少し低く擦れていて、余裕のなさがあっさり漏れた。

ライザは唇を開きかけて、閉じて、それからやっと観念したみたいに額へ手を当てる。

 

「ええと、その……説明すると長いんだけど、簡単に言うと失敗作の媚薬で」

 

「簡単に言っていい内容じゃないだろ」

 

つっこんだのに、勢いが最後まで持たない。

口を開くたびに、部屋の中へまだ残っている甘い匂いが身体の内側へ入り込んでくる。

冷静に考えれば、窓を開けろ、水を飲め、距離を取れ、その三つを最優先にするべきなのに、頭の中で分かっていることと手足の動きが妙に噛み合わない。

 

ライザは耳まで赤くしたまま、急いで立ち上がろうとして座布団の端に膝を引っかけた。

よろめく。

危ないと思って手を伸ばす。

伸ばした手が彼女の腕を掴んだ瞬間、掴んだ側の俺まで変な意味で息を呑む羽目になって、心の中で盛大に舌打ちしたくなった。

 

「ご、ごめん、触られた方が今ちょっと危ないかも」

 

「分かってる、こっちだって分かってるけど転ばれるよりはましだろ」

 

手を放す。

放すのに、指先がやけに長く感触を覚えている。

勘弁してくれと思ったのは、薬に対してか、自分の身体に対してか、たぶん両方だった。

 

ライザは二歩ぶんだけ距離を取ってから、今度は本気で深呼吸した。

けれど深呼吸なんてしたら余計に吸い込むだろうと分かるくらいには、まだ俺の頭は働いている。

働いているのに、目の前で顔を赤くしているライザから視線を切れないあたり、働き方がだいぶ危うい。

 

「と、とにかく窓を開けよう、空気を入れ替えれば薄まるはずだから」

 

「そう思うなら先にやれよ……」

 

言い返しながら、俺も反対側の窓へ向かう。

廊下へ続く襖を開ければいいのか、一度外へ出た方がいいのか、それともライザを先に別の部屋へ移した方がいいのか、考えることだけは次々浮かぶ。

問題は、そのどれをやるにしても、今のこの空気の中で彼女と近づいたり離れたりする動作が、いちいち意識に引っかかることだった。

 

窓を開けた瞬間、夜風が勢いよく吹き込んで、散らばった紙片と俺たちの息をまとめてさらっていった。

冷たいはずなのに、その冷たさがかえって肌の熱を自覚させる。

こういう薬は、もっと身体の自由を奪うものだと思っていたのに、実際には逆だ。

自由なまま、変に感覚だけが研ぎ澄まされるから厄介なんだと、今ならよく分かる。

 

「水、台所にあるよね」

 

「あるけど、俺の家なんだから知ってる」

 

「そうだった、こういう時に妙に余裕っぽい返しするのやめてくれると助かる」

 

「余裕っぽくしてるだけだ、実際は全然助かってない」

 

言った直後、ライザが一瞬だけこっちを見る。

その目が少しだけ丸くなって、次の瞬間には、困ったように笑いそうになっていた。

笑うなよと思う一方で、その反応に少しだけ救われる自分もいて、余計に腹が立つ。

 

台所へ向かう途中で、ライザが床の上の割れた瓶をしゃがみ込んで拾おうとした。

危ないからやめろと声をかけるより先に、俺の方が先に動いていた。

二人で同時に屈んだせいで、思っていたよりずっと近い距離で顔が止まる。

 

「……っ」

 

先に息を止めたのは、たぶんライザだった。

睫毛が近い。

近いなんて言葉で片づけるには近すぎる。

こんな状況でもなければ気づかなかった細かいところまで目に入ってしまいそうで、俺は慌てて視線を逸らした。

 

「割れ物は俺がやる、お前はそこでじっとしてろ」

 

「じっとしてろって、なんかすごい言い方だね」

 

「お前が変な薬を割ったんだから、今は従え」

 

「……それは、そうなんだけど」

 

ライザは珍しく素直に引いた。

引いたくせに、そのまま離れずに少し上からこっちを見ている。

視線を感じるだけで余計に落ち着かない。

その理由を媚薬のせいだけにしてしまうのは簡単だが、全部が全部そうでもない気がしてくるから始末が悪い。

 

割れた瓶を紙で包み、水で濡らした布で床を拭きながら、俺はどうにか呼吸を整えようとした。

整えようとするほど、逆に自分の意識がどこへ向いているのかはっきりする。

さっきからずっと、ライザの足音と、衣擦れの音と、変に静かになった気配ばかり拾ってしまう。

 

「……ねえ」

 

ライザが、さっきまでより少しだけ小さい声で呼んだ。

明るくもなく、ふざけてもいない、その中間くらいの声だった。

 

「なんだよ」

 

「今の、薬のせいだけじゃない気がしてきてるんだけど」

 

床を拭く手が止まりかける。

止めるなと自分に言い聞かせながら、布の端へ無駄に力が入る。

 

「何が」

 

「その、妙に意識しちゃってる感じ」

 

真正面から来るな、と思った。

来るなと思うのに、こういうところで遠回りしないのがライザだと、もう知ってしまっている。

未知に近づく時の癖が、人に対してもそのままなんだろう。

本当に面倒な女を拾った。

 

「……お前は、そういうことをこのタイミングで言うのか」

 

「だって今しか確かめられないでしょ」

 

「確かめるな」

 

「でも気になるし」

 

その返しが、あまりにもライザらしくて、俺は膝をついたまま息を吐いた。

笑ってる場合じゃないのに、少しだけ笑いそうになる。

こんな状況でさえ“気になる”が先に立つのなら、この女は本当に一生この調子なんだろう。

 

立ち上がって、濡れた布を流し台へ置く。

水を二杯。

片方をライザへ渡す時、手が触れないように少しだけ大きく腕を回した。

その不自然さに、ライザが吹き出しかけて、慌てて唇を押さえる。

 

「そこまで警戒する?」

 

「するに決まってるだろ、俺は今かなり頑張ってるんだ」

 

「へえ」

 

「へえ、じゃない」

 

「でも、それ言ってくれるのはちょっと嬉しい」

 

さらっと返されて、水を飲んでいた喉が危うく詰まりかけた。

こっちは必死で平静を装っているのに、向こうは向こうで、照れてるくせに妙に正直だ。

絶花がいたらたぶん呆れていたし、東郷なら静かに視線を逸らしていたし、流子なら真っ赤になって怒鳴っていただろう。

ライザだけが、赤くなりながらも、興味と本音を一緒に口にしてしまう。

 

「……お前、こういう時だけ素直すぎるだろ」

 

「こういう時だから、かも」

 

窓の外から吹き込む風で、ライザの髪が少しだけ揺れる。

薬の甘い匂いはまだ残っている。

でも、さっきまでの暴力的な濃さじゃない。

そのぶん、今この部屋にある空気の半分くらいは、もう俺たちの会話でできている気がした。

 

ライザが湯呑みを両手で持ったまま、少しだけ視線を下げる。

その仕草が珍しく年相応で、妙に目に残る。

 

「太郎ってさ」

 

「なんだ」

 

「わりと私のこと、気に入ってるよね」

 

真正面だった。

あまりにも真正面で、こちらの逃げ道がなくなる。

媚薬のせいで口が滑るとか、そういう種類の危うさじゃない。

ただ、好奇心に押されて、一番気になるところへ指を伸ばしてきただけだ。

 

「……どうだろうな」

 

「その濁し方は、だいたいそういう時のやつだよ」

 

「お前は人の反応を見るのが好きすぎる」

 

「好きだよ、面白いし」

 

そう言って笑う。

笑うのに、耳まで赤い。

赤いくせに目は逸らさない。

その組み合わせがずるいと思った時点で、こっちもだいぶ危ない。

 

「俺だって聞いていいか」

 

「いいよ」

 

「お前はどうなんだよ」

 

ライザは少しだけ瞬いた。

それから、困ったように、でも嬉しそうに口元を緩めた。

 

「強い興味はあるよ」

 

「またその言い方か」

 

「だって本当だもん」

 

そこから先は、少しだけ声が落ちた。

ふざけて誤魔化さない時の声だ。

 

「あなたが何を作るのか見たいし、あなたがどこまで人を集めるのかも見たい」

 

言葉がまっすぐすぎて、胸の奥に熱が落ちる。

薬のせいかもしれない。

でも、たぶんそれだけじゃない。

そう思ってしまうから、余計に困る。

 

夜風がもう一度、部屋を抜けていく。

さっきまであれほど濃かった甘い匂いは、だいぶ薄くなっていた。

薄くなっているのに、気まずさは消えない。

むしろ変なところだけ、静かに残る。

 

ライザが湯呑みを置く。

俺も置く。

二人とも同じようなタイミングで口を開きかけて、止まる。

その揃い方が少し可笑しくて、先にライザが小さく笑った。

 

「……なんか、薬が切れてきた方が恥ずかしいね」

 

「それは分かる」

 

「分かるんだ」

 

「分かるよ、そりゃ」

 

認めた瞬間、ライザの頬がまた少しだけ赤くなる。

さっきまでの熱とは違う。

今度はたぶん、ちゃんと自分の熱だ。

 

「今日はもう、変な実験するなよ」

 

「しない」

 

「今度は“たぶん”って言わないんだな」

 

「今は言えないよ、さすがに」

 

その言い方に、俺はようやく少しだけ肩の力を抜いた。

完全に元へ戻ったわけじゃない。

けれど、ここから先は薬のせいにしなくてもいい気がした。

 

ライザは畳の上へ視線を落とし、それからゆっくり俺を見上げる。

その目が、さっきまでの“やらかした”顔でも、“研究者”の顔でもなくて、ただ少しだけ照れた人の顔になっていた。

 

「……おやすみ、太郎」

 

その一言が、妙にやわらかく響く。

俺は返事をするまでに、少しだけ時間がかかった。

 

「……ああ、おやすみ」

 

それだけで終わる。

終わるはずなのに、部屋の空気はまだ少しだけ甘かった。

女王は誰にする?

  • アルファ
  • ララ·サタリン·デビルーク
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