サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
客間へ戻ったライザと別れてからも、部屋の中にはまだ甘い匂いの名残が薄く漂っていて、窓を開けたはずなのに妙に落ち着かないままだった。
机の上へ置いた水のコップは半分ほど残っていて、その縁にさっきのやり取りのぬるさがまだ貼りついている気がして、妙なところばかり目につく。
布団へ入れば少しはましになるかと思ったのに、目を閉じるほど逆に意識だけが冴えてしまって、天井の木目までやけにくっきり見えた。
こんな夜は早く寝た方が負けだと、誰にともなく言い訳をしていたところで、襖の向こうから小さく衣擦れの音がした。
気のせいじゃないと分かった瞬間、胸の奥が先に熱を持って、その熱が媚薬の残りなのか、それとも別のものなのか、自分でも判別がつかなくなる。
「……太郎、起きてる?」
ライザの声は昼よりずっと小さくて、明るさを半分くらい落とした分だけ、素の体温がそのまま混じっていた。
返事をする前に襖が少しだけ開いて、そこから覗いた顔が、さっきよりもはっきり赤いのを見た瞬間、喉の奥が妙に乾く。
「起きてるけど、お前その顔……まだ残ってんのか」
言った自分の声まで少し低くなっていて、隠したいことほど隠しきれないのが腹立たしかった。
ライザは襖を指先で押さえたまま、困ったように笑ってから小さく頷く。
「うん、一人でいたら余計に落ち着かなくなって、薬のせいって言い切るにはちょっと困る感じで」
説明としては雑なのに、その雑さが逆に正直で、こっちは変に言い返せなくなる。
眠れないから来た、それだけの話なのに、言葉の置き方だけでこんなに空気が変わるものかと自分でも思う。
「だからって俺の部屋に来るのかよ」
「来ちゃだめだった?」
問い返されるまでの一拍がやけに短くて、たぶんもう答えは顔に出ていた。
だめだと言えないことを見抜いたうえで聞いてくるのは、ライザらしいといえばらしい。
「……だめとは言ってない」
ようやくそう返すと、ライザはほっとしたみたいに肩の力を抜いて、襖の隙間からそっと部屋へ入ってきた。
足音を忍ばせているわけじゃないのに、夜の静けさの中ではその一歩一歩がやけに柔らかく聞こえる。
俺の布団から少し離れた場所で止まるかと思ったのに、ライザは迷うより先に、そのまま枕元の近くまで来て座り込んだ。
「近いって言おうと思ってるでしょ」
「思ってる」
「だよね」
そう言って笑うのに、目は少しも逸らさない。
研究の時と同じで、気になるものにはちゃんと近づく、その癖が人に向いた時の厄介さを、俺はもう知り始めている。
「でも、離れるともっと変な気がするから、今はこのくらいがちょうどいいの」
その言葉が不思議なくらい素直で、媚薬のせいにして逃げる余地を、逆に半分くらい奪ってくる。
こっちだって、離れた方が安全だと頭では分かっているのに、近くへ来られた瞬間に胸のざわつきが少し落ち着くのだから、まるで説得力がなかった。
ライザは膝を抱えるみたいにして座り直し、それから布団の端へそっと指先を置いた。
許可を取る代わりみたいな触れ方で、その遠慮があるせいで余計に断りにくくなる。
「少しだけ、ここいてもいい?」
「……最初からそのつもりで来ただろ」
「ばれた?」
「ばれる」
言葉にすれば軽口なのに、そのあとに落ちた沈黙は思ったより静かで、笑いだけでは埋まらない温度を含んでいた。
ライザの肩が一度だけ上下して、それからゆっくり俺の方へ寄ってくる。
急に触れようとはしないくせに、少しずつ、確かめるみたいに距離を詰めるところがずるいと思った。
肩が触れるより少し手前で止まるかと思ったら、次の瞬間には、ライザの額が俺の肩口へそっと触れた。
抱きつくほど強くはないのに、そこへ体温を預けられただけで、身体の奥が変に静まっていく。
甘い匂いの残りがまだかすかに混じっているはずなのに、それより先にライザ自身の体温の方がはっきり分かってしまうのが困った。
「……あったかいね」
ライザがそう呟く声は、倉庫で爆発させた時とも、薬の説明をしていた時とも違って、ただ眠れない夜の人の声だった。
俺は返事をするまでに少しだけ時間がかかって、その遅れを誤魔化すみたいに息を吐く。
「お前の顔、まだ赤いぞ」
「太郎もだよ」
「見えてんのか」
「こんな距離なら、見えるに決まってるでしょ」
言われた途端に、薬がまだ残っているせいだけじゃない熱が首筋へ上がっていく。
けれど、そこから離れようとは思わなかった。
思わない時点で、もうだいぶ負けてる気がするのに、その負け方はそんなに悪くない。
ライザは肩へ預けた額を少しだけ動かして、今度は頬の横をそっと寄せた。
抱きしめる一歩手前の距離で止まっているのに、止まっているからこそ余計に意識してしまう。
こっちが少しでも動けば、そのまま触れてしまいそうな近さだった。
「変だね」
「何が」
「さっきまで、薬のせいだって思ってたのに、今はそれだけじゃない気がする」
その言い方があまりに真っ直ぐで、俺はすぐには返せなかった。
さっきのラブコメみたいな気まずさとは違う、もっと静かで逃げ場の少ない甘さが、部屋の隅までじわじわ広がっていく。
「……俺も同じだ」
ようやく出た声は、思っていたよりもずっと素直で、自分で少し驚くくらいだった。
ライザが肩越しに小さく笑う。
からかう笑いじゃなくて、安心した時の笑いだった。
「じゃあ、もう少しだけこのままでいようか」
断る理由を考えようとして、ひとつも浮かばなかった。
窓の外では風が木の葉を鳴らしていて、その音だけが夜の広さを教えてくれる。
それなのに、この部屋の中だけは不思議なくらい狭くて、狭いぶんだけ、隣の体温がきちんと分かる。
俺は肩を動かさないまま、そっと息を整えた。
ライザも何も言わなくなる。
言葉がなくても苦しくない沈黙なんて、たぶんそんなに多くはない。
媚薬の残りが背中を押したのは確かだとしても、今こうして寄り添っているのは、もうそれだけでは説明がつかない気がした。
夜はまだ長い。
けれど、今はその長ささえ少しだけ心地よかった。
女王は誰にする?
-
アルファ
-
ララ·サタリン·デビルーク
-
エミリア