サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
アリナが大鎚を握ったまま固まっているあいだにも、港の空気は戦いの続きを待っているみたいに張りつめたままだった。
砕けた鉄片が海へ落ちる音だけが遅れて響き、助かった作業員たちはようやく自分たちが死なずに済んだことを理解したのか、その場へ膝から崩れて荒い息を吐いている。
救えた。そう思うより先に、まだ終わっていないと身体の方が知っていた。
ハーニッシュが、こちらを見ている。
いや、正確には、俺だけじゃなく、今しがた力を振るったアリナごと見ている。
その目は初めて、戦う相手を一人分ではなく二人分として測り始めた目だった。
「……面倒です、ものすごく面倒なんですけど」
大鎚を抱えたまま、アリナが心底嫌そうな顔で言う。
その文句が本気すぎるせいで、逆に今の状況の異常さがはっきりした。
覚悟を決めた顔じゃない。
腹を括った英雄の顔でもない。
ただ、見過ごせなかったから手を出してしまって、出したあとで自分の置かれた場所に気づいた人間の顔だ。
それでも、大鎚を手放さない。
手放さない時点で、もうこいつは戦場の外へ戻れない。
「文句は後で聞く、今はまだ終わってない」
そう言うと、アリナは歯噛みするみたいに眉を寄せた。
「最初にそれを言うの、だいぶ最低ですよ」
「知ってる、でも今はそれしか言えない」
返しながら、ハーニッシュから目を切らない。
あの男は感情を派手に見せるタイプじゃない。
それでも分かる。
今、こいつは高揚している。
強い相手と戦えるからじゃない。
強さの形が増えたからだ。
太郎一人との勝負が、戦場そのものの話へ変わった。
その変化を、たぶんこいつは歓迎している。
ハーニッシュが一歩前へ出た。
足元の床板が、重さに耐えかねて短く悲鳴を上げる。
俺は斬月を握り直した。
絶花の声が、すぐ横で鋭く走る。
「来る、それも正面じゃない、左を壊して回り込むつもり」
言葉とほぼ同時に、ハーニッシュの身体が沈んだ。
真正面から来ると思わせて、足場の左端へ体重を落とす。
鉄の支柱がひしゃげ、波止場の端が一気に傾く。
港の構造そのものを使って崩しながら、俺たちの足場を奪うつもりだ。
真正面から殴ってくるだけの相手なら、まだ楽だった。
こいつは戦うためなら、周囲が壊れることをまるで迷わない。
悪意じゃないから、なおさら始末が悪い。
「アリナ、右へ下がれ!」
叫ぶと、アリナは反射で動こうとして、それから自分の手の中の大鎚へ視線を落とした。
まだ馴染んでいない。
いや、馴染みすぎていて困っているのかもしれない。
重い武器を持っているはずなのに、持ててしまう。
振るえるはずのない大きさなのに、身体が振るい方を知っている。
それが気持ち悪いのだろう。
けれど、気持ち悪いままでも動かなきゃいけない。
そういう最悪の始まり方を、こいつはしてしまった。
「下がるのはいいですけど、そのあとどうするんですか!」
「その鎚で、次に崩れる支点を叩け!」
「いきなり現場判断を投げないでください!」
文句は言う。
でも動く。
足運びは素人じゃない。
戦い方を知っているわけじゃないのに、“守るためにどこへ入るか”だけは身体の方が先に選んでいる。
そういう人間を、何人か見てきた。
嫌がりながら前へ出るやつは強い。
強いくせに、たぶん本人だけがそれを認めたくない。
ハーニッシュの一撃が、傾いた足場ごとこちらへ来る。
斬月で受ける。
正面から止めるんじゃない。
少しだけ刃をずらし、衝撃の流れを斜め下へ逃がす。
足場が割れる。
割れるが、崩落の中心だけはずれる。
そこでアリナが踏み込んだ。
「打ち砕け、巨神の破鎚!」
声に、さっきより迷いがなかった。
怖い。
嫌だ。
面倒だ。
その全部を抱えたまま、なお前へ出る時の声だ。
大鎚が足場の継ぎ目へ落ちる。
落ちた瞬間、港の骨組みを支えていた力の線が一気に砕け、崩れるはずだった流れだけが別の方向へ散った。
壊した。
だが、壊れ方を選んだ。
それは偶然じゃない。
この女の中にある、見過ごせない性分が、そのまま破壊の向きを決めている。
絶花が息を呑む。
その次の瞬間には、また別の危険を拾っていた。
「太郎、後ろ、鎖が切れる!」
振り返らない。
振り返る時間はない。
背後の気配だけを読む。
海へ固定されていた太い係留鎖が、ハーニッシュの重さと衝撃の余波で弾け、その反動で鉄の鉤がこちらへ跳ね返ってくる。
あれを食らえば、肉どころじゃない。
俺が動くより先に、アリナの鎚が横から割り込んだ。
金属と金属がぶつかる耳障りな音が、朝の港を引き裂く。
鉤は途中で砕け、破片だけが俺の肩先を掠めて海へ落ちた。
アリナ本人が一番驚いた顔をしている。
たぶん、今の一撃は守るために振るったというより、身体が勝手にやったのだろう。
その“勝手に”が命を拾うこともある。
戦場ってのは、ほんとうに面倒くさい。
「……なんで当たり前みたいに守れてるんですか、私」
「性格だろ」
「一番認めたくない答えが返ってきたんですけど!」
叫ぶ。
叫ぶのに、もう足は止まらない。
こいつは自分で思っている以上に、こういう場所で他人を放り出せない。
だからこそ、駒が応じた。
王国の駒ってのは、結局そういうものなんだと、改めて腹に落ちる。
ハーニッシュが、初めてはっきりとアリナへ視線を向けた。
その目は不機嫌でも怒りでもなく、ただ純粋に面白いものを見た時の目だった。
「いい」
それだけだった。
だが、その一言に含まれた重さは、さっきまでよりも少し違う。
こいつの中で、アリナはもうただの案内役ではなくなったのだろう。
戦場へ割り込んできた一つの強さとして、見られ始めている。
「よくないです、私は全然よくないです!」
アリナが即座に切り返す。
切り返しながら、今度は自分から立ち位置を変えた。
俺とハーニッシュを結ぶ線の横へ入る。
対等に並ぶのではなく、崩れた港の設備と一般人の位置が見える場所だ。
本人に自覚があるかは知らないが、その場所の取り方はもう“戦わない一般人”のものじゃなかった。
「太郎、右から押してください、こっちは私が砕いて道を作ります」
言い終わってから、自分で少しだけ目を見開く。
今のは頼まれてもいないのに出た指示だった。
指示を出したくて出したんじゃない。
助ける順番を考えたら、口が勝手にそれを言っていた。
そういう瞬間、人は自分が立っている場所を知る。
「了解」
短く返す。
アリナが舌打ちしたいみたいに唇を歪めた。
了解、じゃないと言いたい顔だ。
でも、もうそれを否定する暇はない。
ハーニッシュが再び踏み込む。
さっきまでより、ほんの少しだけ本気に近い踏み込みだ。
面白がって加減していたのかと思うと腹が立つ。
けれど、だからこそ叩き潰す価値がある。
斬月を振り上げる。
ハーニッシュの腕が唸る。
その中間へ、アリナの大鎚が横から叩き込まれた。
正面から潰し合うんじゃない。
力の流れを砕き、互いの重さをずらす。
さっきまで一人で受けていた衝撃が、今は二人分の意志で分け合われている。
それだけで、景色の見え方まで変わった。
「絶花、まだ人はいるか!」
「避難は進んだ、でも奥に一人、まだ動けてない!」
「分かった!」
返した声が、自分でも驚くくらい真っ直ぐ出る。
前へ出るだけじゃ足りない。
勝つだけでも足りない。
守る順番を戦場へ押し付けて、ようやく王の戦いになる。
そういう形が、やっと身体へ馴染み始めているのかもしれない。
ハーニッシュの拳が来る。
斬月で受ける。
アリナの鎚が横から叩く。
金属と肉体と意志が、朝の港でぶつかり合って、そのたびに海鳥が一斉に空へ逃げる。
戦いはまだ終わらない。
終わらないのに、場の重心だけは少しずつ変わってきていた。
今までハーニッシュ一人の重さで押し切られていた港が、こちら側の力を受け止め始めている。
そして、その変化を一番はっきり感じ取っているのは、たぶんハーニッシュ自身だった。
無口な男が、ほんのわずかだけ口元を歪める。
笑ったのか、獣みたいに牙を見せただけなのかは分からない。
ただ、その顔は明らかに戦いの熱へ深く沈み始めていた。
このままいけば、次はもっとでかい。
そう思った時、背中の奥で斬月が静かに鳴る。
まだだ、とでも言うみたいに。
女王は誰にする?
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