サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
ハーニッシュの肩がゆっくり回るのを見た瞬間、港の朝がもう一段だけ重くなった気がした。
さっきまでのあいつは、強い相手と殴り合えること自体を楽しんでいた。
けれど今、目の前にあるのはもっと質の悪い熱だ。
勝負が成立したと理解した途端に、相手の限界ごと踏み抜きに来るやつの顔。
楽しさが消えたわけじゃない。
楽しさの奥へ、ようやく本気が沈んだだけだ。
「絶花、次はどこが壊れる」
「右手の係留柱、それと足場の継ぎ目、たぶんあの人はそっちを踏み抜いてくる」
返ってきた声は短いのに、見えている景色の広さだけはその一言で分かる。
絶花は俺やハーニッシュを見ているんじゃない。
この港全体の“崩れ方”を先に読んで、どこから死ぬかを見ている。
ありがたいし、胃が痛い。
そういう視点が必要な戦場へ、俺はもう立っている。
「アリナ、次は左から入れ、あいつの重心を半歩ぶんでもずらせばいい」
「また雑に難しいことを言いますね、半歩がどれだけ大きいか分かってますか」
「分かってる、だからお前に頼んでる」
言い返した瞬間、アリナがほんの少しだけ言葉を止めた。
嫌がる。
文句も言う。
それでも、自分にできると分かってしまうと、引き下がる方が気持ち悪い。
そういう顔をしていた。
ハーニッシュが動く。
踏み込みは静かだったのに、その一歩が入った途端に係留柱の根元が嫌な音を立てて沈み、海へ固定されていた鎖が張りつめて、次の瞬間には鞭みたいな勢いで跳ねた。
斬月で受ける。
火花じゃない、金属が悲鳴を上げる時の白い軋みが視界を走る。
腕が痺れる。
だが、その衝撃は俺一人で受けるもんじゃない。
「今!」
絶花の声と同時に、アリナの大鎚が横から飛び込んだ。
狙ったのはハーニッシュの腕でも肩でもない。
足元だ。
あいつの重さを支えている桟橋の継ぎ目、その一点へ叩き込まれた巨神の破鎚が、木材と鉄骨の噛み合いごと砕き、踏み込みの勢いだけを横へ滑らせる。
ハーニッシュの身体が一瞬、真っ直ぐ立てなくなる。
その一瞬を、今は逃すわけにいかない。
斬月を返す。
真っ向から切るんじゃない。
肩口へ叩きつけ、上体をさらに崩す。
鈍い音。
海風が遅れて吹き抜け、砕けた木片が足元を跳ねる。
ハーニッシュは三歩ぶん滑り、それでも転ばずに止まった。
止まったけれど、初めて明確に“押された”顔をする。
「……いい」
またそれか、と思う。
こっちは港の設備と一般人の残り気配と、横で文句を言いながらも支点を砕いてくれる新入りと、考えることが山ほどあるのに、あいつだけは勝負の熱へ嬉しそうに沈んでいく。
本当に面倒くさい。
面倒くさいが、嫌いじゃないのも腹が立つ。
「よくないです、私はまだ全然納得してませんからね」
アリナが即座に切る。
だが、その声はもう明らかにさっきまでより前に出ていた。
嫌々だ。
嫌々なのに、俺の半歩横という一番危ない場所から動かない。
逃げるならいくらでも逃げられるのに、そこへいるということは、もうそういうことなんだろう。
ハーニッシュが息を吸う。
いや、吸ったように見えただけで、本当は全身の重さを一点へ集めている。
次は来る。
今までで一番深いやつが。
「太郎、下がって!」
絶花の叫びと同時に、俺も分かった。
正面じゃない。
港そのものを叩き割る気だ。
ハーニッシュは俺たちを狙うんじゃない。
この足場を沈めて、立っている場所ごと潰すつもりで拳を振り下ろしてくる。
「アリナ、支点を砕け!」
「どっちを!」
「俺の前!」
ほとんど同時だった。
ハーニッシュの拳が床を割るより半拍早く、アリナの鎚が俺の足元の継ぎ目へ落ちる。
床板が砕ける。
けれどそれは崩壊じゃない。
崩れるはずだった流れを切って、衝撃を逃がすための破壊だ。
そのわずかな空白へ、俺は斬月を突き立てた。
斬月の刃が、砕けた床の奥で軋む鉄骨へ食い込む。
ハーニッシュの一撃が落ちる。
港全体が震え、海が下から殴り返してきたみたいに大きく波打つ。
それでも、沈まない。
沈ませない。
俺一人なら押し切られていた。
だが今は違う。
絶花が壊れる順番を読み、アリナが支点を砕き、俺がその隙間へ斬月を通す。
その形ができた瞬間、ようやく戦場がこちらのものになる。
「っ、今だ、太郎!」
絶花の声が刺さる。
俺は斬月を引き抜き、そのまま踏み込んだ。
ハーニッシュの懐へ入る。
重い。
近い。
それでも、もう迷わない。
斬月を肩から叩き下ろす。
切るんじゃない、叩き潰すでもない。
勝負の芯だけを折るための一撃。
ハーニッシュの体が、今度こそ大きく崩れた。
膝が床へ落ちる。
港の鉄と木の匂いの中で、その着地音だけがひどく静かだった。
勝った。
そう思うより先に、相手がまだ立ち上がるかどうかだけを見ていた。
立ち上がらない。
少なくとも、今すぐは。
しばらくして、ハーニッシュが顔を上げる。
その目には怒りはなく、悔しさとも少し違う、妙に澄んだ納得だけがあった。
「……負けた」
短い声だった。
けれど、その一言に余計な濁りがないせいで、かえって重かった。
アリナが大鎚を抱えたまま肩で息をし、俺の横で本気で嫌そうな顔をする。
「私、今さらですけど、本当に巻き込まれましたよね」
「今さらだな」
「笑い事じゃないんですけど」
そう言いながらも、逃げる気配はもうない。
絶花がようやく大きく息を吐き、胸元を押さえたまま小さく呟く。
「……終わった、かな」
朝の港に残るのは、軋んだ設備と、砕けた木片と、潮の匂い、それから俺たち四人の荒い呼吸だけだった。
釣り糸はとうに絡まり、浮きは海面のどこかへ消えている。
暇つぶしの朝は、ずいぶん遠くへ行ってしまったらしい。
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