サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
港を離れる頃には、朝だったはずの空がもう昼へ近づきかけていて、潮風の冷たさも少しだけ丸くなっていた。
それでも身体の奥には、さっきまでの衝撃がまだ居座っている。
斬月で受けた重さも、足場のきしみも、アリナの大鎚が砕いた金属音も、全部が骨の内側へ薄く残っていて、歩くたびに遅れて思い出すみたいに脈を打った。
俺の少し前を、絶花が歩いている。
その隣にはアリナがいて、見るからに疲れきった顔で、時々大きくため息をついていた。
ため息の中身が「面倒」と「納得いかない」と「なんで私が」の三つでできているのが、横から見ているだけでもよく分かる。
その後ろを、ハーニッシュが無言でついてくる。
新しい力を得たばかりだというのに浮ついた様子はなく、むしろ前より静かになっているのが、かえって厄介だった。
「……本当にこのまま連れて行くんですか」
アリナが言う。
歩きながらの声なのに、妙にきっちりした発音で、疲れている時ほど真面目さが前に出るタイプなのかもしれないと思った。
「連れて行くも何も、もう受け取っただろ」
「受け取りましたけど、それは緊急時の話であって、戦場の勢いで人生の所属先が決まるの、普通に嫌なんですけど」
「そこは同感だな」
思わず返すと、アリナがじろりとこっちを見た。
睨まれているのに、ようやく話が通じる相手を見つけた時の目にも見えるから困る。
「同感なら、もう少し手順を踏んでください」
「踏んでたら間に合わなかった」
「それは……そうですけど」
完全には否定できないらしく、そこで言葉が止まる。
止まったくせに、顔だけはずっと不満そうだ。
そういうところは、ある意味で安心する。
嫌なことを嫌と言えるやつの方が、後で変な我慢を溜め込まない。
絶花が前を向いたまま、小さく口を開いた。
「でも、助けてくれてよかった」
その言い方は静かだった。
静かなぶん、余計な飾りがなくて、まっすぐ響く。
「アリナが動いてくれなかったら、あそこ危なかったから」
アリナはそれを聞いて、少しだけ歩幅を乱した。
こういう正面からの感謝には、まだ慣れていないらしい。
照れているのか困っているのか、その両方か、頬のあたりが微妙にこわばる。
「……見えてしまったので」
しばらくして出てきた返事は、それだけだった。
たぶん本人にとっては、それ以上でもそれ以下でもないんだろう。
見えてしまった。だから動いた。
そこで止まるから、この女は変に潔い。
「十分だろ」
俺がそう言うと、今度はため息の代わりに、明らかに疲れた目がこっちへ向いた。
「太郎さんって、たまに人を逃がさない言い方しますよね」
「たまにじゃないと思う」
絶花が横から小さく差し込んでくる。
その口調に、少しだけ港へ来る前の軽さが戻っていて、胸の奥の緊張がわずかにほどけた。
ハーニッシュは会話へ混ざらない。
混ざらないまま、ただ歩いている。
けれど黙っているから何も考えていないわけじゃないのは、背中を見れば分かる。
さっきまで敵としてぶつかっていた時より、むしろ今の方が何を考えているのか読みにくい。
強いやつが静かになる時は、大抵、次の一手を自分の中で組み替えている時だ。
「おい」
俺が声をかけると、ハーニッシュは少しだけ視線を寄越した。
「なんだ」
初めて、戦場の外の声を聞いた気がした。
低くて、短い。
でも港でぶつけられた重さよりは、わずかに人間の温度がある。
「一つ聞くけど、お前、勝ったらどうするつもりだったんだ」
問いながら、自分でも少し気になっていた。
強さに興味を持って来た。
それは分かる。
けれど、勝って何を得るつもりだったのか、その先だけはまだ見えていなかった。
ハーニッシュは数歩ぶん黙った。
黙ったあとで、あっさりと言う。
「満足して帰る」
「それだけかよ」
「それだけだ」
本当に、それだけらしい。
そこに野心も支配欲もないのが、この男の面倒なところであり、少しだけ羨ましいところでもある。
戦う理由が純粋すぎると、周りが壊れる。
周りが壊れても、その純粋さ自体は汚れない。
そういうやつを、今まで何度も見てきたわけじゃない。
だからこそ、扱い方がまだ分からない。
「……それじゃ、今はどうなんですか」
今度はアリナが訊いた。
さっきまであれだけ嫌そうにしていたくせに、結局は気になるらしい。
それが少し可笑しかった。
「負けたあと、ただついて来るだけじゃないでしょう」
ハーニッシュは彼女を見た。
その視線に敵意はない。
ただ、同じ戦場へ立った相手を測る時の目だ。
「今は、次を考える」
「雑ですね」
「細かいことは後で決める」
そのやり取りを聞きながら、俺は少しだけ口元を緩めた。
雑なのは本当だ。
でも、その雑さの中に嘘がない。
太郎の国へ入る、なんて大きな話をしたくせに、結局こういう連中ばかり集まってくるのかと、少しだけ笑いたくなる。
家へ戻る前に、まずは今いる連中へ顔を出させた方がいい。
そう思って、自然と足は式の拠点代わりになっている別荘の方角へ向いていた。
絶花も何も言わず同じ方向へ歩いているあたり、たぶん考えていることは同じなんだろう。
「これから式さんのところへ行くの?」
絶花がそう訊く。
俺は頷いた。
「紹介しとかないと後が面倒だろ」
「もう十分面倒なんですけど」
アリナがすぐに返す。
その反応の速さに、絶花が少しだけ笑った。
「たしかに」
「同意しないでください」
そんなやり取りをしているうちに、別荘の門が見えてきた。
潮の匂いが少し薄くなって、代わりに庭木の青い匂いが風へ混ざる。
戦場の外へ戻ってきたはずなのに、ここから先の方が別の意味で胃が痛い。
門をくぐったところで、玄関が先に開いた。
こういう時に限って、勘のいいやつは必ずいる。
「……増えたね」
東郷が先に出てきた。
声は相変わらず落ち着いているのに、目だけが明らかに状況を読み込んでいる。
俺の服の傷、アリナの大鎚、ハーニッシュの変質した気配、その全部を順番に見て、たぶんもう半分以上は察している。
その後ろから、流子が顔を出した。
こちらを見るなり、露骨に眉をひそめる。
「は? 何だその物騒なの」
物騒なの、というのが誰を指しているのか一瞬迷ったが、たぶん全員分ひっくるめてだろう。
ライザも、そのさらに奥から興味丸出しの顔で覗き込んでくる。
こっちはこっちで厄介だ。
「新入りだ」
俺が言うと、流子は間髪入れず返した。
「雑!」
「説明はこれからする」
「今の一言で済ませようとしただろ、絶対」
図星だったので何も言い返せない。
その沈黙の横で、アリナがいよいよ本気の疲労を顔へ出し始めていた。
さっきまでは戦場の緊張で持っていたものが、ここへ来て一気に抜けたのかもしれない。
「すみません、できれば座って説明を受けたいんですけど、今日の私はもう色々と限界が近いです」
その言い方が、今までで一番人間らしかった。
東郷がすぐに門を広く開く。
「どうぞ、中へ」
「助かります……」
アリナがそう言って足を踏み出す。
その後ろで、ハーニッシュも無言のまま続いた。
流子はまだ明らかに警戒しているし、ライザは逆に面白そうで仕方ない顔をしている。
絶花は少しだけ肩の力を抜いて、ようやく帰ってきた息をしていた。
増えた。
本当にまた、増えたんだと思う。
厄介で、面倒で、手順なんて綺麗に踏ませてくれない連中ばかりだ。
でも、その足音が一つずつ屋敷の中へ入っていくのを見ていると、不思議と嫌な感じはしなかった。
女王は誰にする?
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