サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
昼の光は遠慮がなく、商店街のアーケードを抜けた先の広場へ、白っぽい熱をそのまま敷き詰めていた。
噴水の縁に腰を下ろしていると、風が吹くたびに水面の匂いと揚げ物の匂いが混ざって流れてきて、平和なのか落ち着かないのか分からない空気になる。
最近は、何も起きない時間の方がかえって所在なく感じるようになっていて、それが少し嫌だった。
「こうしてると、今日は何も起きなさそうだな」
隣で絶花が、冷えた缶を両手で持ったまま、少しだけ呆れた顔をこちらへ向ける。
その顔を見るだけで、今の言い方が完全に死亡フラグ扱いされているのは分かった。
「太郎、そういうこと言うと本当に何か起きるから、できれば口にしないでほしいんだけど」
「分かってる、分かってるけどさ、最近は逆に静かすぎる方が気になるだろ」
「それを普通にしないでって前にも言ったよね」
絶花の返しは柔らかいのに、そこへ混じる疲れだけは少し本気だった。
海だの病院だの倉庫だの、ここしばらくの騒ぎを思い返せば、そういう顔にもなるだろう。
こっちだって、平穏をありがたがるべきだとは分かっている。
分かっているのに、何も起きない昼下がりの広場でぼんやりしていると、逆に神経の置き場がなくなるのだから面倒だ。
噴水の向こうでは、小さな子どもがシャボン玉を追いかけ、その母親らしい人が半歩遅れて笑っている。
商店街の角では、自転車を押した老人が八百屋の前で立ち止まり、値札と野菜を交互に見比べていた。
あまりにも普通の光景で、だからこそ、その中へ少しだけ大きすぎる声が混ざった時、意識がそちらへ引っ張られた。
「だから危ないって言ってるだろ! あんた、そのまま行ったらひっくり返るって!」
反射みたいに顔を上げる。
広場の端、坂になっている通りの手前で、一台の荷車がぐらりと傾いていた。
積まれていた段ボールが偏って、押していた男は体勢を崩し、車輪が縁石へ引っかかって嫌な角度で止まっている。
あのまま倒れれば、中身だけじゃ済まない。
人にぶつかるか、下まで転がるか、そのどちらかだ。
その荷車へ、誰より先に飛び出していったのが、明るい茶髪を揺らした少女だった。
考えるより先に身体が出た、としか言いようのない踏み込みで、勢いそのまま荷車の横へ肩を差し込み、傾いた重さを腕力と気合で無理やり押し戻そうとしている。
無茶だと思った。
無茶なのに、その無茶をやる時の顔がやけに真っ直ぐで、目を逸らす気になれない。
「うおっ、あ、危ないっ」
荷車の男が情けない声を上げる。
だが、少女はそっちを見る余裕もないまま、踏ん張った足で石畳を鳴らした。
「危ないのは分かってるから、今はそっちもちゃんと持って!」
そのすぐ後ろから、もう一人、銀色がかった髪の少女が追いつく。
こちらはさっきの子とは違って、走り方が静かだった。
慌てているはずなのに視線が散っていない。
荷車だけじゃなく、散りかけた箱の位置、坂の角度、周囲の人の足元まで一目で見ている顔だった。
「右の箱を先に降ろして、重心が左へ寄ってるから、そのままだとまた崩れるよ」
柔らかい声だった。
けれど、その指示は妙に具体的で、聞いた方が自然に従ってしまう種類の落ち着きがあった。
荷車の男が慌てて箱を一つ下ろし、茶髪の少女がその隙に身体を入れ直し、ぐらついていた車体がようやく元の位置へ戻る。
倒れない。
倒れなかったところで、広場の空気が一拍遅れてほどけた。
「……すご」
思わずそう漏らすと、絶花が小さく頷いた。
頷き方が少しだけ深い。
たぶん、見ていたものが俺と少し違う。
「前に出た子もすごいけど、後ろの子の方、ちゃんと全体を見てた」
「だよな」
返しながら、俺の目はやっぱり先に飛び出した方へ引っ張られていた。
無茶だ。
危ない。
けれど、危ないと分かっていても飛び込まずにいられない人間には、どこか共感してしまうところがある。
あまり認めたくないが、そういう性分のやつを見ると、放っておけないと思う前に気になってしまう。
茶髪の少女は、助かった荷車の男に礼を言われても照れたように眉を寄せるだけで、感謝を受け取るのは得意じゃないらしかった。
その隣で、もう一人の少女が軽く頭を下げ、散った箱の位置を直しながら「もう大丈夫です」と小さく告げる。
役割が自然に分かれている。
片方が前へ出て、もう片方が整える。
そういう組み合わせは、見ているだけで妙に印象へ残る。
「行くの」
絶花に訊かれて、俺は少しだけ肩をすくめた。
もう足が向きかけているのだから、訊くまでもないのだろう。
「見てただけってのも感じ悪いしな」
「太郎の場合、そういう時はもう半分関わる気になってるでしょ」
「否定はしない」
そう返して立ち上がる。
絶花も呆れたみたいに小さく息を吐きながら、結局は一緒に歩き出した。
昔からこうだ。
片方が面倒へ足を突っ込み、もう片方が仕方なく付き合う。
それで成り立ってきたから、今さら変えようもない。
近づくと、茶髪の少女の方が先にこちらへ気づいた。
警戒というより、見られていたことへの気まずさが先に出た顔だった。
「な、なんだよ」
「いや、さっきのすごかったなって」
素直に言うと、少女は少しだけ目を丸くする。
褒められると思っていなかったらしい。
「すごいっていうか、あのままじゃ危なかっただけだろ」
「それで先に飛び出せるのは普通じゃないよ」
絶花がそう言うと、今度は後ろにいた銀髪の少女の目が、ほんのわずかに細くなった。
値踏みというほど露骨じゃない。
けれど、こっちの言葉の置き方を見ている。
ただ優しいだけの人間か、ちゃんと状況を見ている人間か、そのくらいは一瞬で確かめているような視線だった。
「助かったのは事実だし、礼を言うのは変じゃないと思う」
静かな声でそう言ったのは、その銀髪の少女の方だった。
声の響きには品がある。
ただ、綺麗なだけではなく、少しだけ距離を測る冷たさが残っているのが印象的だった。
「……ありがとう」
茶髪の少女が、照れくさそうにそう言う。
言い慣れていない感じが、少しだけ可笑しい。
「いや、俺たちは何もしてないし」
「してないなら、なおさら見てただけじゃん」
返しが速い。
それでいて棘ばかりじゃない。
単純に照れ隠しなんだろうと分かるくらいには、表情が忙しかった。
「柚木友奈」
そこで、茶髪の少女が自分の胸を親指で軽く示した。
名乗り方まで勢いがある。
「こっちは、芙蓉・リリエンソール・友奈」
紹介された銀髪の少女――芙蓉は、さっきより少しだけ柔らかい顔で小さく会釈した。
名乗るだけで終わらず、そのあとにこちらを見る目がある。
相手を覚える時の目だ。
礼儀としてではなく、必要だから記憶する人間の視線だった。
「俺は太郎、こっちは絶花」
名乗ると、柚木友奈は「へえ」とでも言いたげに俺と絶花を見比べた。
その横で芙蓉は、少しだけ首を傾げる。
「二人は、ここへ遊びに?」
「まあ、そんなところ」
「暇つぶしの途中だったんだけど、ああいうの見ると暇じゃなくなるよね」
絶花の返しに、芙蓉の口元がわずかに緩む。
ほんの少しだけだが、その笑い方に妙な親近感があった。
止める側の人間が、同じような役回りの人間を見つけた時の顔に近い。
柚木友奈はそのやり取りを少し待ってから、落ち着かなそうに髪を掻き上げた。
「別に大したことしてないからな、見過ごせなかっただけで」
その言い方が、妙に耳へ残る。
見過ごせなかった。
それだけの理由で身体が先に動く人間は、たぶん後で面倒を抱え込む。
抱え込むくせに、それを自業自得で済ませようとする。
そういう人間を、何人か知っている。
「それが大したことなんだろ」
言ってから、自分でも少しだけ熱が入っていたのに気づいた。
柚木友奈は一瞬黙って、それから困ったように眉を寄せる。
照れているのか、否定したいのか、その両方だ。
「……そういう言い方、ちょっとずるい」
「ずるいかな」
「ずるいよ」
横から芙蓉が小さく言った。
その言い方がやけに自然で、柚木友奈がぎょっとした顔で振り返る。
「え、そっちが言うのかよ」
「だって本当だし」
短いやり取りだった。
けれど、それだけでこの二人の関係が少し見える。
柚木友奈が先に走る。
芙蓉が横で支える。
ただ支えるだけじゃなく、必要な時にはちゃんと止める。
その役割の噛み合わせが、さっきの荷車の一件にも、そのまま出ていた。
広場の噴水が、風で一段高く揺れる。
その音を聞いた時、絶花の指先がほんの少しだけ動いた。
胸元へ触れかけて、触れずに止まる。
嫌な気配じゃない。
でも、何もないとも言い切れない。
そんな時の癖だ。
俺はその仕草を横目で見てから、もう一度二人へ目を向けた。
昼の光の中にいるせいで、今はまだ普通の少女にしか見えない。
それなのに、どうしてか、このまま終わる気がしなかった。
「また会いそうだな」
ぽろっと口をついた言葉に、柚木友奈が少しだけ眉を上げる。
「何それ、適当だな」
「そうでもない」
返した時、絶花が隣で小さく笑った。
笑い方が、否定ではなく同意に近い。
「私も、そんな気がする」
芙蓉はその言葉を聞いて、一瞬だけこちらをまっすぐ見た。
何かを測るみたいな、でも拒むほどじゃない、静かな視線。
そのあとで、彼女は軽く会釈した。
「その時は、その時で」
別れの言葉としては少し含みがあった。
けれど、その含みを今ここでほどく必要はないんだろう。
柚木友奈が先に歩き出し、芙蓉が半歩遅れてその隣へ並ぶ。
行き先は同じなのに、進み方だけが少し違う。
その違いが、妙に印象へ残った。
二人の背中が人混みへ混ざっていくのを見送りながら、俺はふっと息を吐いた。
昼の広場はまた元の賑やかさへ戻ったはずなのに、景色のどこかに小さな棘が残ったみたいで落ち着かない。
「騒がしい方の子、たぶんまた何かやるぞ」
そう言うと、絶花がすぐに返す。
「その隣の子も、たぶん止めきれないと思う」
「面倒そうだな」
「太郎がそう言う時は、もう少し気になってる時でしょ」
図星だったので、すぐには何も返せなかった。
絶花はそれを見て、少しだけ勝ったみたいな顔で前を向く。
昼の光は相変わらず明るい。
明るいくせに、次の何かの入口だけは、もう景色のどこかに置かれている気がした。
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