サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏) 作:ボルメテウスさん
昼の広場は、たった今まで子どもの笑い声と水の匂いで満たされていたはずなのに、折れた支柱が傾いた瞬間から、景色そのものが別の世界へ足を踏み外したみたいに見えた。
倒れてくる看板の影は、ただ重いだけじゃない。
途中で誰かが押したみたいに角度を変え、逃げ場を塞ぐように、人のいる方へわざと寄っていく。
あれは事故じゃない。
そう判断するには、一度目の崩れ方だけで十分だった。
「絶花、子どもの位置!」
「右に一人、左に二人、でも柚木さんがその真ん中へ入る!」
言葉を聞くより早く、その通りの光景が目へ飛び込んできた。
柚木友奈が、支柱の落下点へほとんど反射で走り込んでいる。
考えていないわけじゃない。
考えるより先に身体が出てしまうだけだ。
そこが危ない。
でも、そこが今は一番頼もしい。
「おい、待て!」
叫んだところで止まるような足じゃない。
柚木友奈は振り返りもしないまま、下敷きになりかけている子どもの方へ肩を入れようとしていた。
その後ろから芙蓉が走る。
けれど、あの位置からでは間に合わない。
間に合わないくせに、芙蓉の目だけは落ちる看板と子どもと柚木の三つを一度に見ていて、その冷静さが逆に息苦しい。
「真下は駄目、右の柱だけ先に抜けるから、柚木、その子の腰を掴んで!」
芙蓉の声が飛ぶ。
柚木友奈の動きが、ほんのわずかにだけ変わる。
止まらない。
でも、変わる。
前へ出る身体を、後ろから誰かが少しだけ正しい方角へ押している。
あの二人は、やっぱり一緒にいて初めて形になる。
ただ、それでも足りない。
このままじゃ、看板の落下速度の方が速い。
俺は斬月を振り上げた。
切る。
そう思った瞬間、胸の奥で王国の駒が熱を持つ。
違う。
今必要なのは、俺が全部片づけることじゃない。
前へ出るその勢いに、ちゃんと噛み合う力を渡すことだ。
「柚木!」
呼ぶ。
呼ばれて、初めてこちらへ目が向く。
その顔には、怖さも迷いもちゃんとある。
あるのに、止まれない。
だから俺は、その手に届くものを差し出すしかない。
掌を開く。
王国の駒が、昼の光の中へ現れる。
小さい。
けれど、今この瞬間には、看板よりも重く見えた。
「それを掴め!」
「はぁ!?」
当然そうなる。
広場のど真ん中、看板が落ちてきて、知らない男が突然何かを投げてよこしたら、誰だってそんな声になる。
けれど、柚木友奈は文句を言いながらも、視線を切らなかった。
逃げていない。
意味は分からなくても、今ここで必要なものだと身体が先に判断したんだろう。
「そんな余裕ないんだけど!」
「知ってる、でも今はそれしかない!」
その一瞬、芙蓉が息を呑んだ。
柚木友奈は舌打ちでもするみたいに顔をしかめ、それでも空いていた手を伸ばす。
駒が、彼女の掌へ落ちた。
次の瞬間、光が弾けた。
柔らかい光じゃない。
刃物の歯が一斉に噛み合った時みたいな、耳の奥を震わせる光だ。
柚木友奈の服が変わる。
花結いのきらめきに似た勇者衣装が、今までの私服を押し退けるみたいに顕現し、その手の中へ巨大な機械音の気配が落ちてくる。
チェーンソー。
見ただけで分かる。
暴力を回転させるための武器だ。
「……っ、なに、これ!」
叫びながらも、彼女の手はもうその重さを掴んでいた。
初めて持ったはずなのに、落とさない。
落とさないどころか、身体の方がその形を知っているみたいに、自然に柄へ馴染んでいる。
本人だけが、それを一番信じられない顔をしていた。
「引き金じゃない、スイッチだ、入れろ!」
俺が叫ぶ。
柚木友奈が反射で親指を走らせる。
直後、耳障りなエンジン音が昼の広場へ噛みついた。
金属の歯が高速で回り始め、あの看板よりも、影よりも、何よりも“危ないもの”が今ここに生まれたのがはっきり分かる。
「狂い裂け、乱刃車!」
自分で言ったのか、力に言わされたのか、その境目も曖昧な声だった。
けれど次の瞬間、チェーンソーは迷いなく振り上がる。
狙ったのは看板そのものじゃない。
落下の力が一番集まる、支柱の亀裂の深い部分。
そこへ叩き込まれた回転刃が、鉄を噛み、悲鳴みたいな火花を散らしながら、一気に裂いた。
落下の向きが変わる。
真下へ落ちるはずだった看板が、裂かれた断面ごと横へ流れ、子どもたちの頭上すれすれを逸れて石畳へ突き刺さる。
衝撃で噴水の水が跳ね、芙蓉がその間に子どもたちを抱えて後ろへ引く。
危ない。
危ないのに、助かった。
それだけの結果が、広場の真ん中へ強く残る。
柚木友奈はその場でよろめいた。
武器が重い。
重いのに、手放さない。
手放したら終わりだと、まだ誰にも説明されていないのに、本能で分かっている顔だった。
「……っ、重っ、なにこれ、重っ!」
言いながらも、視線だけは影の方を見ている。
看板を歪めたあの異質な気配はまだ消えていない。
むしろ、今度は柚木友奈の持つ乱刃車に興味を持ったみたいに、ひび割れた柱の影でじわりと濃くなる。
芙蓉がその変化を見て、顔色を変えた。
「柚木、まだ終わってない、その影……こっちを見てる」
「見てるって、何なんだよ、それ!」
もっともな反応だった。
だが、説明している暇はない。
絶花の指先が胸元を押さえ、俺の横まで寄る。
「太郎、あれ、今までのと似てる、でも少し違う、たぶんこっちの反応を見てる」
「試してるってことか」
嫌な感じだ。
昼の広場で、一般人を巻き込みながら、こっちの出方を試す。
俺は斬月を握り直した。
その横で、柚木友奈がまだ息を荒くしながらも、一歩も下がらず乱刃車を構え直す。
「……意味分かんないけど、まだやるならやるしかないんだろ!」
そう言い切った顔は、もうさっきの一般人じゃなかった。
勇者でも兵士でもない、ただ“目の前を見捨てられない人間”の顔だ。
たぶん、そういう顔をした時点で、この先のことはもう決まっている。
女王は誰にする?
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