※この作品はR-18です。

サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏)   作:ボルメテウスさん

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襲撃と黒い来訪者

夜は静かだった。

そう言い切ってしまうと嘘になるが、少なくとも宿の中にいるぶんには、昼の違和感も神社の空気も、薄い障子一枚ぶんだけ向こうへ押しやられているように見えた。

問題は、その障子の向こうで瓦を踏む音が二度、三度と繰り返されたあとも、絶花の肩の力がまるで抜けなかったことだ。

 

「……まだ、います」

 

布団へ座ったまま、絶花が小さく言う。

声は抑えているのに、喉のあたりだけが少し硬い。

昼の間ずっと続いていた“見られている感じ”が、今はもうごまかしようのない近さまで来ているのだと、その表情だけで分かった。

 

「屋根の上か」

 

「た、たぶん……でも、敵意だけじゃないです」

 

それが面倒だった。

明確に殺気なら斬月へ手が伸びる。

だが、見られているのに噛みついてこない。

近いのに、踏み込んでこない。

そういう気配は、相手が何を見ているのか分からないぶん、余計に気持ち悪い。

 

窓を開けることも考えたが、開けたところで向こうが姿を見せるとは限らない。

逆に、こっちが見せたいものを見せるだけで終わる気もした。

だから何もしないまま待つ。

待つこと自体が、相手への返事になる時もある。

 

しばらくして、瓦の音が止んだ。

その静まり方が妙だった。

離れたんじゃない。

位置を変えた。

そういう感じがしたまま、夜は結局何も起こさず明けた。

 

朝の宿を出た時、空気は昨日までよりずっと軽かった。

軽かったくせに、嫌な予感だけが消えない。

まるで、夜のうちに何かがこちらのことを一通り見終えて、今度は動く番を待っているみたいだった。

絶花も同じらしく、町を歩く間、いつもより一歩だけ近い位置へ寄ってくる。

 

「戻る前に、あの神社もう一回だけ見ますか」

 

絶花がそう言った時、俺は少しだけ意外に思った。

怖がるなら避けると思っていたからだ。

だが、絶花は視線を前へ向けたまま、短く息を吐く。

 

「……放っておく方が、気になります」

 

その言い方に、少しだけ笑いそうになった。

そういうところは、昔から変わらない。

怖いから止まるんじゃなく、怖いからちゃんと見に行く。

厄介だが、嫌いじゃない。

 

昨日通った石畳の路地へ入ると、昼間なのに空気の温度が少し違っていた。

人の生活の匂いはある。

湯気も、木の匂いも、土の湿りもちゃんとある。

それなのに、その全部の下へもう一枚、別の薄い匂いが敷かれている。

猫の毛が雨へ濡れたあと、日向で乾きかけた時みたいな匂いだ。

鼻の奥に触れた瞬間、昔の断片がまた一つだけ浮かぶ。

縁側の下。

丸くなって動かない黒い塊。

怪我に触れた時のかすかな震え。

思い出そうとすると逃げるくせに、こういう時だけ手触りだけが妙に近い。

 

神社の石段へ足をかけたところで、絶花の顔色が変わった。

胸元へ手が行く。

今度は途中で止まらない。

 

「来ます」

 

短い。

その一言と同時に、石段の脇にあった石灯籠の影が、不自然に伸びた。

昼の光に合わせた影の角度じゃない。

横へ流れるはずの黒が、足元を這うようにこちらへ寄ってくる。

一つだけじゃない。

二つ、三つ、湿った獣みたいな気配が、影の中から爪を立てる音を立てながら浮き上がる。

 

斬月へ手が伸びる。

抜く。

けれど、一拍だけ遅い。

俺が刃を引き出すより先に、石段の上から低い唸りが落ちてきた。

 

「そこ、踏み込んだら食われるにゃん」

 

声。

軽い。

軽いのに、石段を走る影全部がその一言で止まる。

次の瞬間、黒いものが頭上から落ちた。

猫じゃない。

女だ。

長い黒髪が空気を裂き、着地と同時に白い脚が石段を蹴る。

爪のように鋭い一撃が、こちらへ飛びかかろうとしていた影妖をまとめて裂いた。

 

絶花が息を呑む。

俺は斬月を構えたまま、その女を見た。

見たはずなのに、最初に胸へ入ってきたのは顔立ちじゃなく、匂いだった。

乾いた毛並み、薬の苦み、雨上がりの土。

名前にならないはずの記憶が、鼻先からそのまま胸へ刺さる。

 

女は振り返る。

金色の瞳が笑っている。

笑っているのに、その奥だけは気を抜いていない。

 

「ほんと、相変わらず危なっかしいにゃあ」

 

「……誰だ」

 

訊いた瞬間、自分でも声が少しだけ硬いのが分かった。

警戒している。

けれど、警戒だけじゃない。

どこかで知っているものへ刃を向ける時の、あの嫌な感触が混じっている。

 

女は石段へ片足を乗せたまま、面白がるように首を傾げる。

 

「誰って、そんなすぐ忘れるなんて薄情だにゃん」

 

絶花が一歩だけ俺の前へずれた。

その動きへ、女の目が一瞬だけ細くなる。

敵を見る目ではない。

値踏みだ。

でも、その視線は嫌なものじゃなかった。

 

「太郎、この人……猫の匂いがします」

 

絶花が小さく言う。

その言葉で、女の口元がもう少しだけ上がった。

 

「いい子だにゃあ、そっちの嬢ちゃんはちゃんと分かるみたい」

 

影妖がまた動く。

今度は一体だけじゃない。

石段の左右、社の床下、木立の向こう、見えるところ全部から滲み出る。

女は舌打ちでもするように肩をすくめた。

 

「積もる話はあるけど、先に片づけるにゃん」

 

軽い。

軽いのに、その言葉の置き方に迷いがない。

守るために来たんだと、説明なしで分かってしまう声だった。

 

俺は斬月を握り直した。

まだ名前は知らない。

知っている気配だけが、嫌に近い。

それでも今は、それで十分だった。

 

「分かった、そっちは任せる」

 

そう言うと、女は目を細める。

猫が気に入った相手を見る時の顔に少しだけ似ていた。

 

「そうこなくっちゃ、にゃん」

 

石段の上で、昼の光と猫の気配と、妖怪の影だけが濃くなっていく。

神社の境目は、昨日よりもずっと近かった。

女王は誰にする?

  • アルファ
  • ララ·サタリン·デビルーク
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