※この作品はR-18です。

サムライガールの幼馴染みは王様を目指す(裏)   作:ボルメテウスさん

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猫の恩返し

黒歌に導かれて入った獣道は、さっきまで歩いていた宿場町の裏に重なっているはずなのに、空気の密度からしてもう別の場所だった。

木々の間を抜ける風はひやりとしていて、土の匂いが濃い。

足元の石も、昼の町で見たものより少し黒く、誰かが毎日踏みしめて道にしたというより、何年も“通っていいものだけが通った”結果、そこだけ削れて残ったように見える。

人の手が入っていないわけじゃない。

でも、人のために整えられた道ではない。

そういう違いが、歩いているだけで分かった。

 

「……ここ、変です」

 

前を行く黒歌の背を見ながら、絶花が小さく呟く。

短い声だった。

それでも、何が変なのかはちゃんと分かる。

静かなのに、安心できない。

自然の中へ入った時の静けさじゃなく、見えていないものが見ている時の静けさだ。

 

「変で正解にゃ」

 

黒歌が振り返りもしないまま返す。

尻尾こそ見えないが、歩き方だけは猫のそれに近い。

音を立てないわけじゃない。

ただ、葉の上を踏んでも、その葉が“そこを踏まれていい”と思っているみたいな足運びをする。

そういう歩き方を昔にも見たことがある気がして、胸の奥が妙にざわついた。

 

少し開けた場所へ出る。

小さな祠があった。

社というには素っ気なく、捨て置かれたと言うには埃が少ない。

誰かが住んでいるわけじゃないのに、忘れられてもいない。

そんな曖昧な場所だ。

黒歌は祠の前でようやく足を止めると、石灯籠の上へ軽く腰を下ろした。

 

「ここなら少しは落ち着けるにゃ」

 

「“少しは”って言い方がもう嫌なんだけど」

 

思わずそう返すと、黒歌がくすっと笑う。

笑い方だけは軽い。

軽いのに、その目はさっきからずっとこちらの反応を見ている。

何をどこまで思い出すのか。

そこを測っている目だ。

 

絶花は祠の前へ立ち、周囲の気配を探るように目を細めた。

緊張はまだ解けていない。

けれど、さっきまでの「敵かもしれない人を見る目」ではなくなっている。

黒歌が今ここで害をなすつもりはない。

そこまではもう読めているんだろう。

 

「さっきの、あれは何なんですか」

 

絶花が訊く。

問いは短く、敬語だけが残っている。

怖いものを前にした時ほど、絶花は逆に丁寧になる。

黒歌はその問いを受けても、すぐには答えなかった。

代わりに、指先で石灯籠の縁を軽く叩く。

 

「影に住んでるようなやつらやにゃ、形がないから余計に面倒で、縄張りに入ってきた相手を試すのが好きなんよ」

 

「試す?」

 

俺が聞き返すと、黒歌はようやくこちらへ目を向けた。

金色の瞳の中に、意地悪さと懐かしさが妙に近い距離で浮かんでいる。

 

「食えるかどうか、追い払えるかどうか、値打ちがあるかどうか、そういうのを見たがるんよ、獣ってのはだいたいそういうもんやろ」

 

その言い方が、少しだけ引っかかった。

獣。

そう口にする時の黒歌は、どこか人の外へ半歩だけ戻っているように聞こえる。

 

「お前は違うみたいに言うな」

 

「うちは、もうちょいお利口やにゃ」

 

平然と返されて、思わず眉を寄せる。

ふざけている。

でも、ふざけたまま話を逸らす気でもない。

この距離感が余計にやりにくい。

 

絶花が、祠の傍らに落ちていた小石をつまみ上げた。

それを弄びながら、黒歌へではなく、少し横へ視線をずらして言う。

 

「……太郎、この人の匂い、昨日よりはっきりしてます」

 

「匂いって、猫のか」

 

「はい、それと……」

 

絶花はそこで一度だけ言葉を切った。

言いにくいらしい。

それでも、逃がさないように続ける。

 

「薬の匂いです、古い傷に塗るみたいな、苦い匂いも、少しだけ」

 

その瞬間、黒歌の瞳がほんの少しだけ細くなった。

驚いたのか、面白がったのか、その両方か。

俺の方は、絶花の言葉に引っ張られるように、昔の断片がまた一つだけ浮いた。

 

小さな皿。

脱脂綿。

触ると怒ったように耳を伏せた黒猫。

傷口へ薬を塗った時にだけ、逃げるのを諦めたみたいにじっとしていた重さ。

黒い毛の下に、熱の残った細い身体。

そこまで思い出して、息が少しだけ詰まる。

 

「……お前」

 

口を開きかける。

だが、その先の言葉が名前にならない。

昔の猫と、今ここに座っている女が、同じ線の上へ乗りそうで乗り切らない。

それを黒歌は見ていた。

 

「やっとそこまで来たんかにゃ」

 

からかうような声だった。

けれど、その軽さはほんの少しだけ薄い。

自分でも無意識にそこへ触れてしまった時の声だ。

 

「昔、家に猫がいた」

 

言うと、黒歌は肩をすくめる。

否定しない。

肯定もしない。

でも、その沈黙の形がすでに答えに近い。

 

「怪我してて、ひどく痩せてて、なのに妙に目つきだけ悪かった」

 

黒歌が吹き出す。

本気で可笑しかった時の笑い方だ。

 

「そりゃあひどい言い草やにゃ」

 

「実際そうだっただろ」

 

「傷だらけで腹ぺこやったんよ、目つきくらい悪くなるわ」

 

返ってきた瞬間、胸の中で何かがぴたりと嵌まる。

知らないはずの言い方じゃない。

その頃のことを、本当に知っているやつの返しだ。

 

絶花が俺の顔を見る。

何も言わない。

でも、たぶんもう分かっている。

この人は、ただの助っ人じゃない。

太郎の家へ、ずっと昔に転がり込んできた“あの猫”に繋がっている。

 

「……なんで今さら来た」

 

言葉が少しだけ硬くなる。

責めたいわけじゃない。

ただ、そこだけは聞かなきゃいけない気がした。

 

黒歌はすぐには答えなかった。

石灯籠の上に座ったまま、視線だけを少し上へ流す。

木漏れ日が頬に落ちる。

その横顔が、今までで一番猫に見えた。

 

「恩があるからにゃ」

 

短い。

拍子抜けするほど短い。

けれど、その短さが一番ずるい。

長い説明をされるより、よほど真っ直ぐ胸へ入ってくる。

 

「昔、助けてもろたから」

 

今度は少しだけ柔らかかった。

ふざけてもいない。

甘えてもいない。

ただ、事実をそのまま置いた声だった。

 

俺は何も返せなかった。

あの時は、ただ怪我した猫を見過ごせなかっただけだ。

王だとか国だとか、そういうことを言い出す前の、もっと単純な善意だった。

そんなものが、姿を変えて今ここへ戻ってくるなんて、少し反則だと思う。

 

絶花が小さく息を吐く。

その顔には、もう警戒はほとんど残っていない。

代わりに、少しだけ複雑そうな色がある。

太郎の知らない昔を、この猫は知っていた。

そこへ立つ時の顔だ。

 

「……黒歌さんは、その時からずっと覚えてたんですか」

 

絶花の問いに、黒歌はあっさり頷いた。

 

「猫の時は、助けてくれた人の匂いって案外消えへんのよ」

 

その言い方は軽い。

でも、そこに混じる情の重さだけは、ごまかしきれていなかった。

女王は誰にする?

  • アルファ
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